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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十話 復讐
61/72

9

 偽物の白い月を見ている。

 濃い緑色の空。その中に、一つだけぽっかり浮かぶ。

 結局、どこまで行っても孤独なままなんだろうか。共に生きたい人に囲まれていても、そこから逃げる事なんて。

 あまりに罪を犯し過ぎた。

 当然の罰だ。

「おい、腐るなよ」

 向こう側から声がして、朔夜は起き上がった。

 思わず口は笑っていた。嬉しくて。

「刀を返してもまだ居てくれるんだ」

 座ったまま首だけ向けて彼に言った。

「当たり前だろ。あれは単なるモノだから」

 水も無い川の対岸で千虎は笑ってくれていた。

「そっか。俺が勝手にお守りにしてたんだ」

「守ってやってるのは俺だよ。ま、手は出せないから見守ってるだけだけど」

「うん…知ってた」

 立ち上がって、岸辺に座った。

 宙ぶらりんの足の下は、どこまでも深く、暗い。

「済まんな、俺の息子が」

 早速謝る千虎に朔夜は悪戯っぽく笑う。

「それこそ止めてくれたら良かったのに。いや、別に良いんだ。想定内だよ」

「分かってて刺されに行ったか」

「うん。俺なら絶対そうするから」

「だから抵抗しなかったのか」

「俺の傷は何日かで治るけど、あいつは一生治らないだろ」

「治らないかな」

「多分ね。俺は十数年抱えてるから。二十年後はどうか知らないけど」

「相手を斬った所で治らないだろ」

 言葉に詰まり、俯いて闇を見る。

「だとしたら斬られ損じゃないか、お前」

 苦く笑って、また顔を上げた。

「損っちゃ損なのかな…。まあ良いけど。終わった事だし」

「次は本気で来るかも知れないぞ。何せ、俺の血を継ぐ男だからな」

「うーん、それは怖いね」

「脅す訳じゃないけどな。あまり甘い考えで居るといくらお前でも後悔する事になるやも知れんから」

「甘いかなあ…」

「それが悪いとは言わんが。もう少し大人になったらどうだ」

「それが分からないんだよなぁ」

 石ころを川の中に投げる。音も無く闇に吸い込まれていく。

「ま、餓鬼だと思って見てたらやる事だけは年相応になってきたからな。そのうち心も追い付くのかも知れないけど」

「もう餓鬼じゃないし、あんまり見ないで貰えます?」

 豪快に将軍は笑う。笑って、懐かしく昔を見ながら言った。

「可愛い刺客だった頃に俺も抱いてみれば良かった」

「はあっ!?」

「冗談冗談。お前に一丁前にされると揶揄いたくなるんだよな」

「もうそういうの間に合ってるよ…ほんとに」

 皆して揶揄ってくれる。全くお腹いっぱいだ。

「何にせよ、良い顔になったよお前。あの頃とは違う。可愛い顔は同じだけどな」

「何それ。どっちなんだよ」

「根性無しが曲がりなりにも一人で立てるようになったって所かな。以前のお前なら涛虎に心臓を刺させていた」

「今死んだら周りに迷惑かけるし」

「それそれ。それで良いんだよ。近くの人間が見えるようになったんだ、お前は」

「前から見えてたよ」

「それはどうかな?多分、見えてたら俺は今死んでない」

「そう?」

「ああ。お前はあの時結局、心底から俺を信用出来なかったんだろ。だから」

 黙って、空を見上げる。

 偽物の月は、今の俺をどう操るのだろう。

 あの頃のように容易く操る事が出来なくなったのだろうか。

 俺が俺のままで居ようと決めたから。

「それで良いんだよ、朔夜。お前はもう独りじゃない。大事にしろ、その感情を」

「…うん」

 空を仰いだまま、朔夜は頷いた。

 千虎はふっと笑って言った。

「出来れば俺もお前の家族として暮らしてみたかったな。自分でお前に笑顔を取り戻させてみたかった」

「千虎」

 知らないうちに、涙が頬を落ちていた。

「お前が居たから、俺はもう一回他人を信じてみようと思ったんだ、きっと。今の俺はお前のお陰。本当は父親だと思ってる。ほら、本物があんなに不甲斐無かったから」

「そんな事無いだろう?」

 朔夜は噛み締めるように笑った。

「いつかは俺もあいつを許せるよ。もう少しで」

 燈陰はこうして会いに来るとは思えない。来ても多分追い返す。

 でも、そういう関係自体を許せるようになった。

 周りの人達が、自分を受け入れてくれたから。

「いっぺん…父親だと思って呼んで良い?」

 千虎は微笑んで頷いた。

 なんて呼べば良いのだろう。自分で頼んでおいて迷う。

「…父さん」

 気恥ずかしいけど、続けた。

「俺、波瑠沙と一緒になります。彼女を幸せに出来るように頑張るから、見てて」

 本物の両親には言えないけれど。

 この人なら、ずっと見守ってくれると信じている。

「良かったな、朔夜」

 頷く。涙が降り落ちた。

「お前自身が幸せになれよ。皆が願うのはその一つだけだ。それを、忘れるな」

 偽物の月が沈む。

 暗緑色の空が、水色に変わりつつある。


 目を開く。

 最初はなんだかよく分からなかった。波瑠沙に抱かれている時のようだ。温かくて、柔らかな人の感触。

 でも彼女では有り得ない。触り慣れたあの体ではない。

 ぼんやりと考えていたが、だんだん分かってきた。

 ここは馬車の中。

 誰かの膝の上に頭を乗せて寝ている。その人は、体がずれ落ちないように片手で抱え続けてくれていて。

 傷の痛みが少し引いていた。こうして開かないようにしてくれているお陰だろう。

 この優しさ。波瑠沙や華耶も同じ事をしてくれるだろうけど。

 こいつの優しさが一際嬉しい。

 少し顔の角度を上げて、相手を窺おうとして。

 ぽつりと、頬に水が落ちてきた。

 一瞬、何か分からなかった。屋根があるから雨ではないだろうし。

 また一滴。

 たまたまそれが口の中に滑り落ちて、塩辛くて。

 なんで泣いてるのかとも訊けずに、顔を見上げる。

 虚ろな視線を遠くに投げて、壁に頭をもたせかけている。

 手元の動きにも気付かない。

 我を失って、絶望の中に居る。

 なんで?

 訊くに訊けなかった。肺が痛む事もあるが、声が喉に引っ掛かった。

 やがてまた眠気が己を捕らえるまで、その状態は続いた。

 夢の中に入りかけて、ふと気付いた。

 光と闇が逆転した。

 俺が背負うと決めていた闇が、友を覆っていた。


 三日かけて灌へと入った。

 その間に最低限の傷は塞がった。まだ自力では動けず、出血が止まって薄皮が出来たという程度だ。

 ずっと龍晶と共に馬車に揺られていたが、二人とも殆ど寝て過ごした。

 どちらかが起きている時にはどちらかが寝ているという塩梅だ。お陰で朔夜は問いたい事も問えずに居る。

 国境を越える時は奇跡的に二人共起きていた。

 とは言え、朔夜はまだ身を起こし続けるのが辛く、龍晶の膝枕でなんとか旅を凌いでいる。

 波瑠沙が嫌な顔を隠しもしない。

「ここぞとばかりに甘えてんじゃねえよ」

 共に騎乗する華耶はにこにこしている。

「まあまあ。仲春が良いなら良いんじゃない?」

 龍晶は顔を顰める。

「仕方なくだよ。他にやりようが無いから」

 華耶が意味深に波瑠沙を振り返る。

 彼女も表情を和らげて、朔夜に言ってやった。

「友とは言え、あんまり迷惑かけるなよ」

 分かってる、と虫の鳴く声で返事をする。馬車の外には届いていないだろう。

 彼女達は笑いながら離れていった。

 景色は見えないけど、窓から入り込む空気が変わった。灌は相変わらず緑が多い。

「ごめんな。ずっとこんなで」

 とりあえずまず龍晶に謝る。

「別に良いけど」

 意外と怒ってない。

 もう少しで都にも着くだろう。灌は狭い。

 二人きりで居られる内に訊いておきたかった。

「何を考えてたんだ?ずっと、ここで」

「何って…」

「お前を泣かせるものは俺が消しに行く」

 無視されたかのような沈黙が続いた。

 朔夜はそれでも待っていた。虚ろになる友の目を見ながら。

 不意に笑い声が落ちた。

 慟哭にも似た、低い笑い声。

「ああ、そうだ。俺はお前に消されたい」

「龍晶…?」

「この身が、この頭が憎い。消せるものなら消して欲しい…」

 肩を支え持っていた左手が動いた。

 袖が捲れて、朔夜の目の前に手首が晒された。

 見て、息が詰まった。無数の細い傷跡。

「お前…」

「本気で死のうとしてる訳じゃない。本気なら首を切る」

「なんで」

「なんでかな。俺にも分からない」

 朔夜には分かる。

 心も頭もばらばらなのだ。分裂してしまって、己の別の声を己で聞く。

 それが本音なのかどうかも分からない。何が自分の本心か、見失って。

 その声に操られる。お前は死ぬべきだと。

 それに抗おうとしたら、現実の痛みが必要なのだ。それでいくらか自分を保てるから。

 そういう、傷だ。

「怖いんだ」

「…何が?」

「死ぬ事が」

 意外にも思えてその顔を見上げる。

 でも、そうだ。本当はそうなんだ。強がってきたこいつの最初を思えば、ずっと変わってない。

 死にたくないと病の床で呟いた、あの時のまま。

「死なないよ」

 強く言った朔夜の言葉は、首を振って否定された。

 目を閉じて、微かに震えながら、耐えるように。

「もう駄目なんだ。自分の事だから、誰よりも分かる。一年…持つかどうか」

「なんで…?」

 どうして突然こんな事を言い出すのか。それは心底分からない。

「俺のせい…?」

 あの傷が原因なのか。

 龍晶は強く首を振って否んだ。

「お前じゃない。違う。原因を言うなら俺自身だ。その素をずっと持ってて…苴での環境で顕在化したんだと思う」

 切り刻まれた事も要因ではあると思う。だがそれは言わなかった。

「…肺を病んでる。これは治らない。俺の母を殺した病だ」

 いっぱいに見開いた目を向けて。

 俯く顔を正面から見詰める。

 降ってくる涙を浴びながら。

「やっと見つけたのに…また独りになる。それが怖い。でも、独りで行かなきゃならない」

 朔夜は何も言えずに傷だらけの手首を握る。

 優しい痛みが、じわじわと心に届く。

 孤独の恐怖をどうにか紛らわそうとして。

 狂いそうな頭は死に急がせる。それに抗う為に。

 自ら傷を付け、増やしていく。正気が欲しいと願いながら。

 幸せな現実に居たかった。

「でも、贅沢だよな。こんな時間が僅かでも存在する事自体が贅沢だ。自分で捨てたのに」

「違う…それは、違うってお前…。当たり前なんだよ。当たり前に在って良い幸せなんだ。お前はずっと、今までの分ずっと、幸せの中で生きるべきなんだ…」

「無理だよ」

 裏腹な表情で。

「俺は生きたまま地獄を見る為に生まれたんだろ。そこから解放されて、長く生きられる筈が無い」

「なんでそんな事言う…」

「事実だから。自分では分かる。理解しろとは言わないけど」

 どうしてこうも、冷たい声音が出せるのか。

 本当は怖い癖に。打ちのめされている癖に。表面を覆い隠す事に必死で。

 だから、嘘の付けない涙ばかり出る。

 ずっと考えている。

 この温もりを抱えたまま逝けたらと。

 願う事すらならない甘く危険な考えだ。

「なあ、少なくともさ。お前は独りじゃない」

 手を伸ばして、涙を拭ってやる。

 傷が痛むが、関係無かった。

「俺も傍に居るよ。お前が何処に行っても、離れる気は無いから」

 気休めだとしても、そう言って欲しかった言葉。

 それだけで心の隙間を埋める事にして、言い返してやった。

「馬鹿。新婚の奴に頼める事じゃない」

 朔夜は怯んで黙った。でも口を尖らせたまま、一言呟いた。

「お前が一番大事だし」

 龍晶は無理矢理下から視線を剥がして窓の外へ投げた。

 美しい秋の色。実りの季節。

 この光景を故国に齎したかった。

 今や叶わぬ夢。

「そういう事は、妻となる人に言うんだよ」

 朔夜は鼻を鳴らした。

 これだけ至近距離なのに、埋められない溝に気付いた。

 昔はその言葉だけで事足りたのに。

「…頼みがある」

 だから、これだけは言わねばならなかった。

「何」

「華耶を…俺の元に来させないようにしてくれ」

 悔しげな顔を見下ろして。

「だから、お前もだ。生きて、…永遠に生きて、戔を見ていて欲しい」

 返事なんか出来なかった。

 そうしたいとは思うが、この手を離す方がもっと嫌だった。

 やっと伸ばされた手を。

「頼む」

 目を瞑って、息を吐いて。

 そうせねばならない運命なんだと、自分に言い聞かせて。

 龍晶だって断腸の思いでこの頼みを口にしているのだから。

 自分だけ逃げる訳にはいかない。

「分かった」

 酷く悲しく寂しい、友の微笑を見た。

 西陽に照らされる顔は、心が抉られる程に美しい。

 単純に、失いたく無かった。

「その代わり…少しでも長く、ここに居てくれ」

 馬車が止まった。

 見覚えのある風景。

 皆で暮らしていた、あの長屋だ。

「ああ。それは、俺も願う所だ」

 ここが終の住処となるらしい。

 運命の悪戯か。戻るべき所に戻ったのか。

 ここで出会った最愛の人が顔を覗かせた。

「仲春、着いたよ。お疲れ様」

 波瑠沙が扉を開けて、足の上の重石を退かしてくれた。

 子供みたいに抱き上げられて、朔夜は目を泳がせている。

「済まんな、ウチのお子ちゃまが迷惑かけた」

 龍晶は可笑しげに口の端を引き上げて、言ってやった。

「やっぱり膝枕は女の方が良いってよ」

「そんなの言ってない!」

「言わなくても分かるよ。こんな骨ばった足じゃ痛かったろ。悪いな。早く波瑠沙にやって貰え」

 謝られているのに負けた気分。こんなのも珍しい。

 華耶が伸ばした手を取って、地面に降り立った。

 数年を経て目立った変化は無いが、住人を失った住処は物寂しく見えた。

「華耶がここが良いって言ったのか?」

 そんな気がして隣に問うた。

「うん。一番好きな場所だもの」

 頷いて、笑って。

「なら、俺も好きな場所だ」

 手近な縁側に座る。

 前よりずっと近くなった距離で。

「お茶が欲しいね。ちょっと探してみる」

 せっかく落ち着いたのに華耶はもう立ち上がって厨に向かった。

 止めようと浮かした手を、何事もなく降ろす。

 そんなに焦る事は無い。もう。

 全ての時間を埋めなくたって。

「荷物運ぶからここに置いとくな」

 波瑠沙が寄って来て、抱えていた朔夜を隣に置いた。

 自分が荷物よろしくごろりと転がる。

「帰って来ちまったな」

「うん。変な感じだけど」

「ま、良いんだ。変に豪邸だと困るし、他人に養われるのも嫌だし」

「でもどうやって食って行くの?」

 そんな普遍的な心配をした事の無い二人だ。

「畑があるよな、ここ」

「あるけど、実がなるまでどうすんの。今から冬だよ?」

「…借金?」

「誰に?」

「桧釐かなあ…」

「だとしても、戔まで遠いじゃん。それまでどうする」

「うるせえ。お前も考えろ」

「怪我が治ったら働くよ。どっかその辺で雇って貰う」

「似合わねー…」

「んな事言ってる場合かい」

 堪らず二人同時に吹き出して、笑い出す。

 互いに似合わない普通が待っている。その事実が可笑しい。

「どしたの?楽しそう」

 茶の代わりに白湯を持って来て華耶が座った。

「ああ華耶、ここに食い物ってある?」

「無い無い。綺麗さっぱり無くなってる。だからちょっと貰いに行くね」

「何処に?」

「麓に里があるの。今はお芋さんがどっさり取れる筈だから、ちょっと分けて貰おう。いざとなったら義父上にお願いに行くけど、許してね?」

 男二人が苦い顔をする。それを避ける為の相談をしていたのだが。

「分かった分かった。それは最終手段。大丈夫、この国の人は優しいから何か分けて貰える」

「うん…悪いな。俺に出来る事はするから」

「だめ。仲春は体を癒やす事が急務でしょ?」

 言われて、怒られた子犬みたいにしゅんとする。

 横で朔夜が笑いを堪えている。他人のこういう姿を見るのは楽しい。自分はもう勘弁だが。

「じゃ、ちょっと行って来るね。せめて夕飯はどうにかするから」

 華耶を見送って、波瑠沙はと首を巡らす。先刻から物音はしている。

 見つけた。はたきを手に家中を掃除している。

「とりあえず使う所だけで良いんじゃないか?」

 声をかけると、怒鳴り返された。

「うるせえ!動けねえ癖に口出しすんな!」

「ごめんなさい」

 しゅんとして謝る。

「どうも俺達は役立たずみたいだ。この生活だと」

 龍晶の言葉に苦笑いで頷く。

「早く慣れよう…」

「慣れるもんかなぁ」

 目を見合わせて、互いに情け無く笑った。


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