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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十話 復讐
60/72

8

 波瑠沙が刀を抜いて駆け寄ってきた。

「朔!」

 横に並んで、刀を振り上げたのが気配で分かった。

「てめえ、この野郎…!」

 涛虎に向かって言っている。彼もまたその場から離れず、短刀を構えたのだろう。

 ただ、あの守り刀で彼女の大きな刀を受けるのはいくらなんでも無理だ。

 朔夜はゆるゆると手を伸ばし、彼女の足元に触れた。

 舌打ちが落ちてきた。刀を下ろした風が頬を撫ぜる。

「気が済んだなら家の中へ入れ。でないと次は私がお前を叩っ斬るぞ」

 動き兼ねる息子に、母が声を掛けた。

「入りましょう。お願い、涛虎」

 彼は苦々しく言った。

「まだ死んでない」

 波瑠沙が再び刀を構えた。

「涛虎!」

 叱るように叫んだのは範厳だろうか。

 踵を返す、地面を蹴る音がした。

「覚えておけ」

 氷のような言葉が振り下ろされて、涛虎は家の中に入って行った。

 また舌打ちが聞こえた。次いで、刀を鞘に収める音。

 それらを掻き消すように己の呼吸音が煩い。

 咄嗟に心臓はずらした。だから肺をやられたのだろう。

「朔」

 屈んだ波瑠沙が顔にかかる銀髪を掻き上げる。

 彼女の顔が見えて、笑ったつもりだが果たして口元は動いていたかどうか。

「こうはならないようにするって言ったのはどの口だ」

 返す言葉も無い。尤も、喋れる余裕は無いが。

「止血が必要か?」

 範厳が問う。

「いや、お前の手を借りる必要は無い」

 波瑠沙は短刀を取り出し、己の外套を裂いて包帯を作った。

 とりあえず夜までは傷をこれで塞がねば、止血が出来ず危険だ。

 半身を起こし、頭を胸で支えて服の上から傷を縛る。布はすぐに赤く染まった。

 朔夜は彼女の身に体を預けているのに、気持ちの悪い浮遊感を味わわねばならなかった。

 とにかく頭がくらくらする。そして息苦しい。

 そのまま波瑠沙に抱き上げられる。

「帰るぞ。死ぬな」

 微かに頷く。荒れ狂う痛みに耐えながら、ままならぬ呼吸を繰り返す事に集中した。


 屋敷に着いて、朔夜を抱えたまま足で戸を開けた。

 こちらは龍晶の頭を膝の上に乗せて抱えていた華耶が、驚いた顔で見上げた。

「悪い。薬を作ってやってくれ」

 波瑠沙の言葉に二重に驚いたようで、朔夜の身から垂れ落ちる血を見て寧ろ華耶は納得した顔になった。

「分かった。ちょっと待ってて」

 夫を起こして、華耶は厨へ向かった。

 のろのろと龍晶は身を起こす。こちらも荒い呼吸をしている。

「済まんな。お寛ぎの所を」

 その場に朔夜を下ろした波瑠沙の揶揄に顔を顰めて、龍晶は友へ向けて罵った。

「ったく…やりやがったか」

「やられたんだけどね」

「わざとだろ。反撃なんか容易い筈だ」

「それが出来ねえのが朔ちゃんなんだよ。っとに甘いけどさ」

 二人の会話を苦く噛み締めて聞くしかない。痛みで意識が逆に手放せないのだ。

 だがそれは見た目より軽傷である証だ。勿論人間なら死に繋がる傷だろうが。

「朔夜」

 呼び掛ける友の声に薄く目を開ける。

「彼女と家族になって楽しく暮らすんだろ?その未来を捨てたら承知しねえからな」

 口が自在に動けば、分かってるよと悪態混じりに返すのだが。

「出来たよ」

 華耶の声がして、息を吸って吐き出すしかない口に液体が少量流し込まれた。

 なんとか飲み込んで。

 何度かそれを繰り返す。だんだん痛みが遠のいてくる。意識も。

 眠ったのを見て、周囲を囲んでいた面々も詰めていた息を吐いた。

「こうなっちゃいそうな気はしてた」

 華耶の言葉に波瑠沙も頷く。

「分かってたんだけどさ。止める事も出来なくて」

 龍晶は余っていた薬を無言のまま口にした。

 そもそも刀の返却を迫ったのは彼だ。

「お前も分かってたんだろ」

 波瑠沙の問いに、視線だけくれて。

 寧ろ、誰よりもそれを察していた。それでも行けと言った。それが朔夜の願いだと知っていたから。

 突き放して促してやらねば朔夜は動けなかった。

「俺もこいつも親の仇は取った。順番だろ」

「順番て…」

 呆れ笑いで波瑠沙が繰り返す。

 自分の順番は、まだ回って来そうに無い。

「まあ、死なせないけど」

 龍晶は言って、怠くなった体を寝台に乗せて転がった。

 重い咳を腕の中で繰り返す。華耶が顔色を変えて枕元に縋った。

 虚ろな目で妻を見上げながら、口元を引き上げる。心配無いとばかりに。

 それでも口元を抑えていた袖に赤い染みが付いていた。

「体調が思わしくないのか」

 波瑠沙の問いに華耶は頷く。目を閉じた彼の顔を見詰めながら。

 はっと我に返り、手早く自分の目元を擦って何事も無いかのように夫の体に布団を掛けた。

「どうかしたか?」

 それで何も気付かぬ程、波瑠沙は鈍感ではない。

 華耶は笑って首を横に振った。

「朔夜にも毛布が要るかな?持って来ようか?」

「いや、床で寝かすのも何だから、こいつ自体を向こうに運ぶわ。夜になったら月明かりの差す場所を探さないと」

「そうだね。月が出れば良いんだけど」

 華耶は窓に寄って空を見上げる。

 青空と雲が半々。

「灌に発つ前に何とか…って訳にもいかないか。日数が無さ過ぎる」

「うん。明日になっちゃった」

「そうなのか?」

「灌から使いの人が来て。本当は今すぐでも発てるんだけど、まだ二人が戻ってなかったから明日にして貰った」

「燕雷もまだだしな」

「あ、燕雷さん、帰ってるよ?」

「え?」

 華耶は庭を指差した。

 範厳と話している。

「いつの間に」

「噂をしたからじゃない?」

 華耶は窓から身を乗り出して手を振った。

 燕雷は手を挙げて応える。範厳と別れて、こちらに寄ってきた。

 彼は華耶が居る窓辺から中の様子を覗いた。

「おいおい。どうなってんだ」

「ウチのひ弱な男共をどうにかしてくれ」

 うんざり気味の波瑠沙の言葉に笑って、燕雷は改めて中へ入るべく回り込んだ。

 入って来て、まず朔夜の傷を確認する。

「やっちまったなあ。時機が悪いよお前。今から旅しようってのに」

 寝ている本人に言って、華耶と波瑠沙を順に見る。

「やっぱり出立は急ぐべきだ。何があったか話は聞いた。変な疑いをかけられる前にここを出た方が良い」

「王が死んだから?」

「ああ。皓照がどう動くか分からん。朔夜は丸め込んで動かしたんだろうが、肚では何を考えているか…。最悪の事態を考えて早めに逃げた方が良い」

「こいつがやったって突き出されるって?」

「基本、奴は朔を始末したい考えだからな」

 波瑠沙は眉間に皺を寄せた。

「そんな奴に…」

 逆らえないと朔夜は言った。己の首を落とせと言われたら、それにも従うのか。

「範厳に灌の使者を呼びに行って貰ってる。支度を頼んで良いか?」

 華耶は頷いて荷物を纏めるべく立ち上がった。

「でも、坊ちゃん二人は寝込んでるぞ?どうする?」

 燕雷は苦笑いして眠る二人を見る。

「馬車はあるんだが…」

「なんだ。乗せれば良いのか」

「二人乗れば限度だろう」

「私は馬が居れば良いぞ?」

「馬は居る。居るけど…」

 視線は動き回る華耶へ。

「あ、私も馬で良いです」

「華耶ちゃん、馬に乗れるのか?」

「乗った事ありません」

 かくっと二人の肩が落ちる。

「難しいですか?乗馬って」

「いや…それは…」

「私と一緒に乗るか?窮屈かも知れないが」

「良いんですか?」

「ずっと朔を前に乗せてたから、こっちは慣れてる。良いだろ、女同士なんだし」

 燕雷は思い出し笑いをして言った。

「朔がお前と乗ってる顔を思い出しちまった。お前に密着される緊張で蒼白だったよな?可笑しかったなあ。あの時まだ関係は無かったんだろ?」

 哥の都を攻めた時の事だ。

「無かったよ。ちょっと触るだけで真っ赤っ赤だったし?今となっては懐かしいな。もう何処でも触らせるようになっちまったからな」

「へー。平然としてるのか?」

「いや?ちょっと照れて可愛い顔してる。声がまた可愛いんだよな。子犬みたいで」

「悪いお姉さんに捕まったもんだよな、朔も。ま、そうやって女を覚えるもんなんだろうけど」

「他の女を覚えさせる気は無えよ」

「もー、二人ったら!」

 華耶が声を上げて、悪い大人達は笑って話を切り上げた。

 庭に馬車が入ってきた。灌王室の紋が入っている。

「朔は私が。龍晶は燕雷、いけるか?」

 抱えてみて、眉を八の字に曲げる。

「軽いなあ。中身すっかすかだろこれ」

「ごめんなさい。ちゃんと食べさせます」

「いやいや、華耶ちゃんのせいじゃないから。まあ、これからだよ。暮らしが落ち着いたら食欲も戻るだろ」

 言いながら馬車へと運ぶ。

 取り残されて荷物を抱える華耶は、浮かない顔をしている。

「馬上で話は聞こうか」

 波瑠沙はそう彼女に言い置いて、朔夜を抱え上げて運んだ。

 狭い箱の中で肩を寄せ合って眠らせる。

「なんかなあ」

 複雑な笑みで波瑠沙はぼやく。燕雷はそのぼやきの意味を分かって答えた。

「仕方ないだろ。こいつらなんだから」

「そうだけど、そこ?」

 普通は寝ているからとか、そういう理由を付けるのではないのか。

「子供みたい」

 後ろから覗いた華耶が微笑んで言う。

 波瑠沙と燕雷は同時に上を仰いだ。

「子供か」

「そうだった」

 自分達に巣食っている邪な考えを追い出して。

 範厳が顔を出した。華耶が向き合う。

「ありがとうございました。いろいろお世話になりました。皆の分もお礼を言いますね」

 ちょっと不満そうに波瑠沙は目を背け、自分達の馬を受け取りに動いた。

「俺は孟逸の代わりに動いただけ。あいつに会えたらその礼を言ってやってくれよ。俺の事は良いからさ」

「はい。でもいずれ、孟逸さんを通じて何かお礼をしますね」

「無理にしなくて良いよ。そういうご身分でも無くなるだろ?」

 困ったように華耶は言い淀む。

 範厳は続けた。

「自分達の為だけに生きてりゃ良いんだよ。今からは。それで、是非とも龍晶を長く生かしてやってくれ。時流が変わればまたあいつは必要とされる男だろう」

「…そうでしょうか」

「俺は私欲の無い男に初めて会った。あいつは確かに国を動かす為に生まれた人間だよ。王ってのは天職だった。また返り咲く事もあるだろ。まだ若いんだし」

 保身の念が無い。それは国王として絶望的な損失ではあるが。

 同時に何より重要なのかも知れない。私欲に塗れたこの国の権力者を見ていると、それがまざまざと思い知らされた。

「分かりました。でも私、このまま静かに暮らしていたいんです。王様の話はもうたくさん」

 皇后だった娘の言葉に、範厳は優しく笑った。

「そうだろうな。うん、飽きるまで幸せに暮らしてくれよ」

 華耶はにっこりと笑って応える。

「行くぞ」

 馬上から燕雷が声を掛けて、華耶は軽く頭を下げて波瑠沙の元へ駆け寄った。

「お願いします」

 行儀良く挨拶して、馬上から伸ばされた手を掴む。

 灌の従者が気を利かせて馬車に乗る台を持って来てくれた。そして波瑠沙にも抱えられ、初めて馬上の人となる。

「わあ…朔夜達はいつもこの景色を見てたんだね」

 開けた視界をそう言って笑った。

「じゃあ、範厳さん。ありがとうございました」

 上から言って手を振る。

 苴の軍人も、笑って手を振り返してくれた。

 都は静まり、早い所は黒の布で覆われている。

 王の死が公表されたのだろう。喪に服す街。

 ついさっきまで笑っていた華耶の顔に、悲しい陰が落ちた。

「苴王の死が悲しい訳じゃないだろ?」

 波瑠沙に問われて、彼女は頷いた。

「…今朝から喀血が止まらないんです。労咳だって、本人は」

 誰の事かは聞かなくとも分かる。

「不治の病は元からじゃねえか」

「そうなんですけどね」

 言いながら波瑠沙も分かっている。これ以上あの体を蝕まれたら、流石に厳しいだろう。

 路上で王の死を嘆く者が居る。その功績を吟ずる者の近くで。

「彼の方が余程たくさんの事をしてきたのに」

 悔しそうに華耶は呟いた。

「もう少し、時間があれば…」

 言葉は途切れ、嗚咽になった。

 波瑠沙は口を閉じたまま馬を追った。

 早くこんな街は出たかった。

 灌に行けば何か変わるかも知れない。四人で楽しくなんて御伽話みたいだけど、そのくらいの希望は抱いて良い筈だ。

「せめて、彼の心は治してあげたい。出来ると思う?」

 嗚咽を落ち着かせた華耶が問う。

「ああ。出来るだろ」

 波瑠沙の答えに頷いて、華耶は言った。

「欲の無い人って難しいね。何をしてあげたら良いのか分からない。朔夜はどう?」

「あいつは単純だからな。ある程度は。頭を撫でてやればそれだけで喜ぶ」

 思わず笑う。

「ほんと、子犬みたい」

「そうなんだよ。昔からそうだった?」

「子供の頃はそうだったかな。ずっと私の後をついて来て、年は同じだけど弟みたいだった。あの頃から小さかったし」

「その関係が今も続いてるんだな。見てて姉弟みたいだもん」

 華耶は微笑んで頷いて、悲しげな色を浮かべて続けた。

「繍に行ってからかな。何も私に言わなくなったの。振る舞い方は変わらず子供みたいなんだけど、何か押し隠してそうしてるって感じがしちゃって。まあ当たり前だよね。あの時の朔夜の辛さを考えたら、簡単に言葉にして話す事も出来なかったんだろうって、今なら分かるけど」

「何をしてるのかは知ってたのか?」

「うん…。最初の頃、血塗れの姿で泣きながら会いにきたから、それで分かった。あの時も泣くだけで何も話してくれなかったけど」

 重く溜息を溢して。

「泣いてたのもあれが最後だったかな。朔夜は泣く事さえ出来なくなっちゃった。ずっと我慢してる目をして。時々ぞっとするほど冷たい目をするようになって。だんだん遠くに行っちゃう感じがして、寂しかった」

 それが戦場で刀を振り続け、人の心を無くしていった過程なのだろう。

 慣れねば壊れる。否、それこそもう壊れているのかも知れないが。

 優しく繊細な少年の心は、常に悲鳴を上げていたに違いない。

「だから波瑠沙さん、本当は私、すっごく感謝してる。朔夜を元に戻してくれてありがとう。今の朔夜は、梁巴に居た頃の素直で可愛い彼だから」

「私は何もしてないぞ。寧ろそれは…」

 馬車に目をやって。

「龍晶の仕業だろ?」

「そう?」

「あれじゃないか、目の前の奴がすげえ捻くれてたら、朔夜の方が素直にならざるを得なかったんじゃねえの?」

 華耶は声を出して笑った。

「そんなに捻くれてるかな?」

「私から見たら素直な良い子だけどさ。それ隠す事に必死じゃん?今日も一番動揺してた癖に、顔色変えまいと頑張ってさ」

「そうよね、やっぱそうだよね」

 華耶は口元を手で押さえて笑いを堪えている。

「本当は滅茶苦茶分かりやすいよな。だから朔も安心して付き合えるんじゃないか?良い相棒だよ、あいつら」

「そうだよね。本当、そう」

「ずっと見ていたいな。あいつらの事」

 華耶は深く頷いた。

 一日でも、長く。

 二人が幸せに笑い合っていて欲しい。

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