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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十話 復讐
57/72

5

 忙しない足音。

 何人だろう。十人前後は居る気がする。

 あちこちの戸を開ける音。何処だと叫ぶ声。

 父上、と呼ぶ声は泰執とか言う王子のものか。

 足音がそこまで迫って、この部屋の戸が荒い音を立てて開いた。

「こっ…」

 開けた者が一度言葉を失う。

「こ、…ここだ!」

 駆け付ける足音。

 酸鼻極まる光景を目にした者から足を竦ませる。

「退け!父上は!?」

 泰執が取り巻きを押し除けて、父親の屍を目にした。

「…どういう事だ…!?」

 苦渋に満ちた声。

 同時に、呪いが解けたかのように部屋の中に男達が踏み込んできた。

「生きている者は!?目撃者はおらんのか!?」

 泰執の問いに、一番近くに居た男が叫び返した。

「ここにおります!息があるようです!」

 瞼越しに、男達が己を見下ろしている気配がある。

「意識が無いのか?」

「この状況で寝ている訳は無いだろう…」

「起こせ。何があったか吐かせろ」

 泰執が父の屍の傍らから命じ、立ち上がって。

「…待て。その銀髪…」

 覗き込んでいた者の首が飛んだ。

 横の者は何があったか理解するより先に朔夜の手によって引き倒されていた。

 無抵抗だったのは既に胸に穴が空いていたからだ。

 その男の得物を引き抜いて、寝台から飛び降りつつ一人を斬った。同時に見えぬ刃がもう一人を仕留めて。

「貴様…!」

 泰執の怒りの声など無視して手近な者から切り倒してゆく。

「殿下!外へ!お逃げ下され」

 戸の前で王子を手招きする男。その誘いを受けて走る泰執。

 が、急に戸が閉まった。

 外側から、逃げ道を塞ぐように。

「なっ…!?誰だ!?開けろ!!」

 怒鳴り、戸を引くが、びくともしない。

 背後には銀髪の少年の姿がある。

 血に染まった抜き身の刀を手に、冷たく笑って。

 他の者はいつの間にか皆、倒れていた。

「悪魔め…!何故我らを狙う!?王を殺してただでは済まんぞ!」

「それはこっちの台詞だよ。俺はもう十分過ぎる程の犠牲を払った。こいつ一人の命じゃ足りないぐらい」

「何だと…!?」

「ついでだから、あんたの命も勘定に入れとくよ。それでも足りないけどさ」

「ふざけるな…!」

 泰執が刀を抜いた、その動きに合わせて横の男が斬りかかってきた。

 その刀を捌き斬る間に、泰執の刃が頬を掠めた。躱さねば確かに首を掻き切っていた太刀筋だった。

 男を斬った刃を返して、王子を袈裟懸けに斬った。

 倒れる。が、まだ息がある。

 留めを刺そうと刀を振り上げる。

 その切っ先の下に、血走り、怯え、そして観念した目が。

 不意に、笑いが込み上げた。

「馬っ鹿みてえ…」

 自嘲だった。

 痛くて痛くて、それで。

「悪いな。生きたいお前を殺すのが、死にたい俺なんて。馬鹿みたいだ」

「…貴様…」

「死んだ方が楽だよ。親父と共に逝け。じゃあな」

 刀を真っ直ぐ、心臓へと振り下ろす。

 何度やっても、嫌な感触だと思った。

 刃を抜く。屍を見下ろす目は、乾いていた。

 得物をその場に捨てる。

 足元がふらついた。

 そう言えばまだ全然、筋力が戻ってないんだったと今更思い出して。

 倒れながら戸に手をかけた。

 びくともしない。

 舌打ちした。紛れもなく皓照の魔法だ。

 このまま閉じ込めるつもりなのか。こんな奴らと共に死ぬと思っていたのか、しれっと犯人として突き出すのか。

 体が怠くなってきた。意識も重い。足に至っては立ち上がれない程に震え、痛みまで襲ってくる。

 このまま寝ようかとも思って。

 皓照はついでに俺を片付ける気なんだと、漸く気付いた。

 それなら殺されてやっても別に良いかって。

 溜息を一つ吐いて。

 龍晶にあれだけ生きろと言いながら、それは狡いよなと思い直した。

 戸に掌を当てる。だがすぐに息が上がり、汗が吹き出た。

 間接的に皓照と力比べをしているのだと気付いた。そんなもの、今の体で敵う筈がない。

「くそ…」

 悪態を吐きながら脱出の術を探す。窓も無い部屋なのだと今になって気付いた。外に面していない、建物の中央部にある部屋のようだ。

 目を瞑って項垂れる額を抑える。無駄な力を使ったせいで頭痛が激しくなり、眩暈が視界を歪ませる。意識がいよいよ飛びそうだ。

 意識を保とうと壁を殴った。その手の痛みで、はたと気付いた。

 別に扉から出入りしなくたって。

 その壁に掌を当てる。残っていた力を込めて。

 壁が、崩れた。

 あまりに呆気なくて笑えた。使うべきは頭だ。

 足を叱咤して立ち上がり、駆け出す。

 夜明け前の王城を、抜け出した。


 暫く、否、かなり待ってやったが帰って来ない。

 空いた隣の夜具の中身の事だ。

 やれやれと波瑠沙は起き上がった。

 とりあえず手燭を持って屋敷の中を探す。居ないとは思っていたが、やっぱり外に出ているようだ。

 その証拠に、門柱の前で双剣を見つけた。

「どういうこった、こりゃ」

 わざわざ得物を持って出たのにここに置いて行っている。

 その理由を推理しても仕方ない。とにかくこれで外に出たのは確実だろう。

 行き先は予想が付いた。

 それで居なければ帰りを待つより無いだろう。自分も朔夜もこの街の知識は他に無い。

 城への道を辿る。

 丘に向かってなだらかに登ってゆく坂。

 歩いているうちに濃い闇はだんだん藍色に変わってきた。

 こんな時間に出歩く人は当然居らず、獣も居ない。

 動くものの気配は無い。その一つを除いて。

 波瑠沙は端の吊り上がった口で息を吐いた。

 ずるずると、体を引き摺りながら動くものが居る。

 殆ど四つん這いで。腕の力で動いている。

「なにやってんだ」

 呆れ混じりの声を掛けると、必死の動きが止まった。

 見上げた顔は、情けない程に疲れ切っている。

 でも、少し口元に笑みが灯った。

「夜明けまでに元通りに寝てないと、怒られると思って」

「誰に怒られるんだよ?」

 へへっ、と笑って。その顔を沈めて。

 波瑠沙は手燭を吹き消して、その場に捨てた。もう十分に明るい。

 歩み寄って、背を向けて屈んでやる。

 もう何も言わずとも通じる。両方に腕が回されて、体重を預けられて。

 背負って、来た道を歩き出す。

「で?何やってたんだ?」

「目が冴えたから散歩してた。この間まで足が動かなかったの、つい忘れてて。産まれたての子鹿みたいになっちまった」

 鼻で笑って、ばーかと罵る。

「にしても、随分と血生臭い散歩だったんだな」

「分かる?」

 最初は裸だったし、後も血痕が残らないよう極力注意したのだが。

「私の鼻なら分かる。普通の人は知らんが」

「そっか。流石は波瑠沙さまだ」

 嗅覚は野生動物並みだったのを忘れていた。

「誰を殺ってた?」

 その問いには、溜息ではぐらかして。

 門柱が見えてきた。その裏に置いていた双剣を拾ってやって。

「大事な得物をこんな所に置き去りにして。可哀想に」

「うん、まあ、そういう事もあるよ」

「的は位の高い人間だったんだな?」

 探りを入れられるが、黙った。

 やれやれと呟きながら屋敷の中に入る。

「…ごめん。またちゃんと説明する」

「今は出来ないのか」

「眠くて」

「確かにそうだろうけど」

 やっと元の部屋に戻ってきた。

 布団の上に下ろしてやると、くたりと横になった。

 本当に眠いんだなと苦笑して、自らもその傍に寝そべる。

 身を捩らせて、くっついて来た。

「朔?」

 あまりこういう事は無い。自分が暑がりだと知っているし、向こうは向こうで極度の照れ屋だ。

 だが今は、ぴたりと付けた身が震えていた。

「…親の仇を取った」

 胸の中で朔夜は言った。

「両親だけじゃなくて、故郷の皆の…」

 息は苦しげだった。

 嗚咽にも聞こえた。

 それはもっと嬉しいものだろうと思ったが。

 そうはなれないから、こいつなのだと。

 銀髪を撫で、抱えてやった。

「我儘言っていい?」

「ああ。なんだ?」

 苦しげなまま、少し笑って。

「ちょっと抱いててくれないかな…。包んで貰わないと、ぶっ壊れそう…」

 ふっと笑って。

 なるべく丁寧に、腕を回して身を包んだ。

 掌の中の頭は、息を吸い上げる度に震える。

「泣くこと無いだろ」

 頷きながらも嗚咽は止まらなかった。

「本当は嫌だったか」

 抑えた泣き声だけが返ってきた。

「お前は優しいからな…」

 頭と背中を撫でているうちに、嗚咽は落ち着いた。

 代わりに聞こえてきた寝息に微笑んで。

 自ら喉を掻き切る代わりに、こうして泣くだけで済むようになったのなら、それで良いか、と。

 矛盾の果てに砕けそうな心を、もう一度包み直してやった。


 揺さぶられる感覚と、波瑠沙の声で目が覚めた。

 息が上がっている。冷や汗が全身を濡らしていた。

「ったく、抱いてやってるのに甲斐が無えなあ。滅茶苦茶魘されたぞ?」

「…ごめん」

 言って、からからの喉に唾を飲み込む。

「謝る事じゃねえよ。ま、良い時間だから起きて風呂でも入って来い。沸かしてやるからさ」

「ありがと…」

 波瑠沙が離れて立ち上がり、部屋を出て行った。

 一人になって、うつ伏せになり頭を抱える。

 まだ混乱している。つい先刻まで――夢の中ではあるが、戔軍と相対していた。

 梁巴はまた燃えていた。それを命じた王は殺した筈なのに、また。

 胸にいっぱい息を吸い、時間をかけて吐き出す。

 少し落ち着けば分かる事だ。仇を討ったからと言って、過去は変わらない。

 起き上がる。まだ足が痛い。動かない事は無いが。

 見れば、膝と甲に痣が出来ている。王を蹴った箇所だ。

 おいおい、こっちが負けてたのかよと苦笑いして。

 目を閉じる。この痣が消える頃には、気持ちの痛みも消えているだろうか。

 改めて我が身を顧みると、血の臭いが自分でも分かって顔を顰めた。

 血生臭さを我慢して抱いていてくれた波瑠沙に申し訳なく思いつつ、早く風呂で消そうと立ち上がった。

 脱衣所に畳まれた衣が置かれていた。

 準備が良いなと思って。すぐに否定した。

 波瑠沙がそこまで自分を甘やかす事は無いだろう。寧ろこれは。

 案の定、湯船の中に人影があった。

「龍晶」

 呼ぶと、肩越しに振り向かれる。

「来たか」

「知ってたの?」

「風呂焚くからついでに入れって、お前の彼女に言われて」

「ついでって。普通は俺の方がついでだろうに」

「もうそういう身分じゃねえし」

「でもしっかり着替えは用意して貰ってたぞ?」

「あれは華耶だよ。いつもの癖だろ」

「癖って。あ、ごめん、本当は華耶に入って来て欲しかったよな?」

「そういうお前も波瑠沙と入るつもりだったろ」

「そこまで考えなかった」

 笑いながら言って、湯を被って中に入る。

 広い湯船の中で、躊躇なく隣に座った。

 互いに痣と傷痕だらけの体だった。

「…久しぶりだな、こういうの」

 一度だけこうして共に湯船に浸かった事がある。初めて北州に向かう途上で。

「あの時もお前に話があって、わざと入ったんだが」

「て言うと、今も?」

 ちらりと横目を向けられる。

 それで悟った。ばれている。

「範厳から報せがあった。苴王と泰執が同時に身罷ったと。まだ公にはなってないが、騒ぎに巻き込まれないうちに灌へ行った方が良いって、ご丁寧に忠告してきた」

 驚く振りをする気にもなれず、格子戸から空を見る。青い秋空。

「お前がやったんだろ?」

 範厳の忠告は当たっている。巻き込みたくないから教える気は無かった。

 しかしそれで悟らせてしまっては、本末転倒だ。

「苴王とあの王子が喧嘩したんだよ。それで王は死に、王子は皓照に仕留められた。それで良いだろ」

 皓照から聞いた筋書きを教えた。

 公には、それが事実となる筈だ。

「皓照に命じられたのか」

 問う声音が鋭くなった。朔夜は空を見たまま。

 でもわざわざこんな所で話をする意味は分かっている。腹を割って話がしたいからだ。以前も、今も。

 この場に居る――全てを曝け出す覚悟は、絶対に龍晶の方が必要な筈だから。

 だから、自分にも相応の覚悟が求められている。誤魔化す事なく、包み隠す事もなく。

「…苴王は俺が殺したいって言った」

 まだ友の顔を見れないまま、朔夜は真実を口にした。

「お前を陥れた奴らの残党狩りを引き受ける代わりに、皓照に頼んだ。殺らせてくれって」

「お前…なんて事を…」

「必要だったんだ。どうしても。自分の為に」

 龍晶は黙った。

 皓照が未だに朔夜へ接近している事への怒り。そして現役の王を弑した友の行動を止められなかった後悔。

 だが何より、傷付いた横顔を見るのが辛かった。

「お前が自分の為と言うなら俺がとやかく言える事じゃないな。俺も同じ事をしたから、ぶっ壊れそうなお前の気持ちも分かる」

 波瑠沙に告げた同じ言葉を友から聞いて、思わず朔夜は龍晶の顔を見た。

 その種明かしを、口の端を上げて教えた。

「ついさっき波瑠沙が告げ口してきたんだよ。お前が親の仇を取ってぶっ壊れそうになってるって」

「…そっか。それで分かったんだ」

「苴王が死んだって知った時からお前じゃないかと疑ってはいたが。あの言葉で確信した」

「同じ事って?」

「俺は藩庸を殺した。復讐だ。自分の手で切り刻めば気が済むと思ったから…」

「そうだったのか。そりゃせいせいしたろ?」

「一段と気が狂うくらいにな」

 怒りさえ込めて龍晶は返した。

 おずおずと朔夜は顔色を窺う。

 軽い溜息を吐いて、龍晶は朔夜の頭に手を伸ばした。

「全然気が晴れるもんじゃないな、復讐ってのは」

 頭をに友の手を乗せたまま、朔夜は鼻まで湯の中に浸かった。

 まだ生々しく痛む心を言葉に出来る口を持たなかった。

「まあ、その前から俺は滅茶苦茶だったけど…藩庸を殺してから更に酷くなった。寝てても覚めててもあの男と兄上に襲われる。自分が犯した罪の自覚があるからだ。ずっと自分も同じように死ぬんだと思ってた。…苦しかった。今も治ってないけど」

 冷静に自分の状態を見つめ、話す龍晶の言葉。聞いていて苦しくなって、顔を出した。

「同じ思いをお前にして欲しくは無かった」

 銀髪の上の手が、するりと滑って湯の中に落ちた。

 己の懐に落ちてきた手を、両手で掬う。

 湯の中で温められているのに震える手を。

 龍晶はゆっくりと手を引き、元のように膝を抱える。

「…龍晶、俺は…」

 言わねばならなかった。

「後悔してない。お前の言う通り苦しいけど、悔いるつもりは無い。やるべき事をやった。これからもだ。まだ終わりじゃない」

「繍に行くつもりか」

「いつかは。今すぐじゃないけど。…約束だから」

「誰との?」

「この手で殺した人達。罪も無いのにあの国の命令で皆殺しにしなきゃならなかった、一つの村の人達。於兎の故郷だった。あいつの父親も俺が殺した」

 横目に見る、己の決意に傷付いた視線を感じながら。

「それだけじゃない。あの愚かな国のせいで、悪魔の手で死んでいった人全てに代わって、俺が復讐を果たさなきゃならない。何より自分自身のケリが付かないから。あの国への恨みは、苴の比じゃない…」

「まだ、恨みの為に動けるのか、お前は」

 一語一語押し出すような問いに、頷く事も出来ず。

 それがどれだけ苦しいか、虚しいか、今何よりも噛み締めているのに。

「…そうしなきゃならない。その為に戔に来たんだよ、俺は」

 いくらか語気を軽くして言った。あの頃と変わってないんだと思えば、少しは気も軽くなった。

「そうだったな。遠回りさせたのは俺か。六年も」

「六年かあ…」

 天井を見上げる。これまでの事が、走馬灯のように脳裡を駆け巡る。

「でもさ、龍晶。遠回りじゃなかった」

 これだけは言っておきたかった。

「俺に必要なのはこっちの道だったんだよ。悪魔じゃない自分がどうやって生きるべきか、この六年で教えて貰った。お前のお陰だ」

「それは、出来そうなのか?」

「お前と一緒に灌に行ったら練習してみる。波瑠沙と家族になって、お前らと穏やかに楽しく暮らすんだ。今なら出来る気がする」

 やっと、あの無邪気な笑顔が戻ってきた。

 龍晶もふっと笑って、今度は友の肩に腕を回した。

 身を寄せ合う、互いに無くてはならない存在を感じながら。

「お前の為にも、俺、暫く人間として生きるよ。出来るかなあ?」

「ああ。当然だろ。お前なら」

 これ以上傷を増やさない日々を、願った。


  挿絵(By みてみん)



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