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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第三十話 復讐
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4

 安住の地は、灌国内だと報せが来た。

 戔に戻れないのは当然だとして、苴では囚われたままであるのと変わらない。ならば残るは灌だ。そうなるだろうと思っていた。

 そもそも灌王が助命を買って出たのだ。保護まで働くのは当然の流れだろう。

 分かっていても、龍晶の気は晴れなかった。

 全ての元凶はその岳父であり、皓照だ。それを分かっていてその手中に収まる事を素直に喜べる筈が無い。

 だが拒否など当然出来ない。それにもう関わるなと言い置いてあるのだから、どこに居ても同じと言えば同じだ。

 三日後には出立すると言われた。

 この悪夢の街から出られると思えば少しは慰めにもなる。


「戔に帰りたいよな、そりゃ」

 波瑠沙の命令に従って炊事を手伝いながら、朔夜は友の様子を思い出して言った。

 華耶は夫と居る。波瑠沙がうるさく言ってそうさせた。

 代わりに朔夜を手伝わせるからと言って。

「仕方ない、って言ったら可哀想だけど」

 波瑠沙は鍋の中をかき混ぜながら応じる。

「でも実際、戔に帰したら落ち着かなくなるだろう。嫌でも周囲の声が耳に入るだろうし」

「あいつを悪く言う奴なんて居るかなあ」

「それはお前が事情を全て知っているからであって、馬鹿な奴は何も知らずに好きな事を言うぞ。それがあいつを追い詰める事になる」

「…そんな奴、俺が…」

「それがまた追い詰める要因になるだろうが。だから灌で良いんだよ。誰もあいつに近寄らないくらいの場所が」

「…寂しいな」

「お前が居るし、華耶も居る。私もだ。それで十分だろ」

 うん、と頷いて釜の蓋を開け、米の炊き加減を見た。

 雑穀の多く混じった米だ。決して上等なものではなく、王の口に入るようなものではない。

 その地位を剥奪されて、目に見えて待遇は落ちた。様々な事を手伝ってくれていた女官達も去った。

 でもそれは寧ろ良かったのかも知れない。周囲の人間が減って、少し落ち着いた顔をしているから。

 朔夜からすれば、病み上がった途端に働かねばならなくなったので有り難くはない状況である。尤も贅沢は言ってられない。

 でも、本音を言えば嬉しかった。

 慎ましくも楽しく大好きな人達と送る日常は、何よりの贅沢だ。

「米は炊けたよ。あとは?」

「井戸から水を汲んで来い。茶を沸かせ」

「はーい」

 土間から外に出て、目の前にある井戸の前に立って。

「…皓照…」

 そこに居た人物の名を呆然と口にした。

 微笑む唇に人差し指を当てて、潜めた声でその男は言った。

「私の事は内密にお願いします。前陛下に近寄るなと言われているのでね。知られればまたつむじを曲げてしまわれる」

 龍晶が一人怒ったところで痛くも痒くもないだろう。それを皮肉に伝える事で、権威の失墜を遠回しに嘲笑っている。

 朔夜は相手を睨みつつ問うた。

「何の用?」

 当然のように皓照は言った。

「残っている仕事を片付けて頂こうと思いまして」

「…まだ殺し損ねてる奴が居るからか」

 皓照は頷く。

「仕事途中で放棄されたんですから、全うするまで約束は延期ですよと龍晶前陛下には申し上げたい所ですけど、そういう理屈を許してくれる方ではないでしょう?」

 朔夜は井戸に桶を投げながら溜息を吐いた。

「やれば良いんだろ。やれば」

 それで皓照がもう近寄らないと言うのなら、仕事をする価値はある。

 縄を引き上げながら、但し、と付け加えた。

「ついでに()りたい奴が居る。協力してくれたら俺はお前の言う通りに動く」

「ほう?交換条件ですか」

 一丁前に何を言っているんだという馬鹿にした笑みは無視して。

 横目にその男を睨みながら、朔夜は言った。

「苴王を殺させろ」

 皓照の笑みが深くなった。

「その方法、こちらが指定しても良いのですね?協力とはそういう事でしょう」

「…良いのか?」

「構いませんよ。どうせ明日も知れぬ老人ですから」

 あまりにあっさりと()れられて、逆に罠ではないかと疑いたくもなる。

「今夜また来ます。亥の刻あたりで如何ですか?なるべく誰にも気付かれずに出て来て下さい」

「おい朔!何やってんだ」

 土間から波瑠沙に怒鳴られて、後ろを向いて適当に返事をした。

 向き直ると、皓照はにこりと笑って背中を向けた。

 桶を手にしたまま、そこに立ち尽くす。

 間違っているだろう。龍晶には怒られると思う。失望させるとも言えるか。

 それでも着けねばならぬ決着だった。

 燈陰のやり残した事。そして梁巴へ帰る為の、一つ。

「朔、どうした」

 後ろから近付いてきた波瑠沙に声をかけられて、やっと振り向いた。

「いや…ちょっと立ち眩みがして。急に動くとやっぱりきついな」

「なんだよ。無理してるなら早く言え。あとはやっとく。寝とけ」

「うん、悪いな」

「良いんだよ。私は米の炊き方を知らないから、それだけでも随分助かった」

 そっか、と笑って水を託し、中へ入った。

 今宵は寝る暇も無さそうだから、今のうちに寝ておけるのは有難い。

 自室に入る前に、あいつらの顔を少し見ておこうかと思ったが。

 やめて素通りした。二人の顔を見たら、決意が鈍りそうな気がした。


 波瑠沙になんて言い訳しようかずっと考えていたが、案外早く寝てくれたので助かった。

 こちらが寝たふりをしていたら、疲れているのだと気遣って明かりも付けずに自分も早く寝る事にしたらしい。

 騙している事に済まない気持ちでそっと部屋を出る。

 後で全部白状しようと思った。事が落ち着いたずっと後、だが。

 昼と同じ、井戸の横で皓照は待っていた。

「来ましたね」

 無言で頷いて、屋敷を後にする。

「今夜で全て片を付けましょう」

「得物はあった方が良いか?」

「持ってきました?」

「一応。でも要らないならここに置いとく」

「では、置いておいて貰いましょうか」

 朔夜は門柱の裏に得物を隠し置いた。

「殺し方はお察しのようですね」

「堂々とは出来ないだろ。でもどうやって忍び込む?」

「いえ、誘き寄せます」

「どうやって?」

 夜目にも鮮やかな金髪が翻って、赤い唇が朔夜を見下ろして笑った。

「苴王は私を友だと思っている。手玉に取るのは容易い事です」

 もう分かった。必要とあらば友情など簡単に裏切るのがこの男だと。

 朔夜が殺すのを容認するという事は、皓照にとって殺させるのと変わらないのだ。つまり、もう苴王は不要の存在と感じているか、邪魔なのか、どちらか。或いはどちらも。

 それをあまり追及する気にはなれなかったが、別の目的で聞いた。

「これであいつや戔に不利益な事があるか?」

「いいえ。そうならぬよう処理します」

「本当に?」

 前回の事がある。

「ええ。筋書きとしては、龍晶前陛下を勝手に取り上げられた事に怒った泰執王子が、取り巻きと共に国王を罠に嵌めて殺した――が、私に気付かれて纏めて死んだというものです。私が噛んでいる以上、誰も口を出せませんよ」

「成程な。上手くいけば良いけど」

「君次第ですよ。討ち漏らさないで下さいね」

「何人?」

「呼んだのは残っていた五人です。それぞれ手下を連れて来るでしょうから、実質的な人数はもっと増えるでしょう」

 ああ、でも、と皓照は付け加えた。

「出入り口は見張っておきます。ですが、なるべく私の手を煩わせないで下さいね?」

「暇ならやれば良いじゃん…」

「私の働きはそんなに安くないんです」

「何だよそれ」

 王城が見えてきた。あの一件以来、近付くどころか視界にも入れなかった。

 嫌悪していた。あの場所は、人の汚れた欲望が渦巻いている。

「…なんで王を殺したいか、訊かないのか」

 朔夜が問うた。

「おおかた予想は付きますが。聞いて欲しいんですか?」

「いや、別に」

 口に出す相手ではないと思って取り下げた。

 ただし自分の中でははっきりとさせたかった。憎しみを持たねば、心の刃は鈍る。

 やっぱり波瑠沙に説明して来れば良かったと思った。彼女なら理解してくれる。ただ自分も行くと言い出しそうで隠したまま来た。

 城門を潜る。皓照が居ればとやかく詮索される事は無い。

 この場所で、梁巴が戦に巻き込まれる事が決まった。

 異郷の民を人と思わぬ連中が、それを決めた。その責任を持つのは王で間違い無い。

 そしてあの美しい場所は、灰とされた。

 母の命を奪ったのがこの手だとしても、戦が無ければ絶対にそんな事にはならなかった。

 他にも多くの人々が苦悶の中で死んでいった。幼い目はそれをつぶさに見ていた。

 だから、悪い奴へ仕返しをしようと。

 燈陰の言葉にただ従った訳ではない。自分にその意志があったからだ。最初は父親から逃げ回っていたけど、故郷の惨状を理解したから自ら刀を握る事を選んだ。

 あれから刀は己の一部となった。

 手放したくとも、手放せないもの。

 それによって壊れていく自分の精神と人生を知りながら、またこうして人を殺す事を選ぶ。

 刀を持つ事を選んだ幼い自分をその要因ごと葬りたかった。

 まずは、苴。

 この国へ復讐する。

 燈陰の無念も晴らすべく。

「ここで待っていて下さい。苴王が来ますから」

 城に近い御殿の一室に通されて、皓照が言った。

 寝台と、簡単な卓や鏡台のある部屋。

 何を要求されているかは流石に分かった。

「…普通に殺して良いのか?」

 前のように傷を付けずに、という事か。

「苴王は寄ってたかって惨殺されるんです。そう見えるようにしてください」

 にっこりと笑いながら身の毛もよだつような己の筋書きを口にする。

「その方が君の望みにも合うでしょう?」

 部屋の中ほどまで進んで、肩越しに振り返って頷いた。

「その後は泰執王子を始めとした雑魚達が踏み込んで来ますから、それも好きにやっちゃって下さい。但し必ず全員ですよ?」

「しつこいな。分かってるよ」

「ああ、あと、流石に王を相手にする以上は身を調べられると思いますが、丸腰だから問題無いですよね」

「化けなくても良いのか?」

「おや、化粧します?それも良いですけど」

「しなくて良いならやる訳ないだろ」

 自分の問いに後悔しながら取り消した。全く、慣れとは恐ろしい。

「では、王を呼んできますね」

 皓照は去った。

 一人取り残されて、無駄に広い寝台に飛び込む。

 ちょうど鏡が目に入った。薄暗い燭台の灯火の中で、己の顔に影が差していた。

 そこまでして殺したい相手だろうか。

 否、今更何を。己の心を否定して目を閉じる。

 いつも悪夢に見る光景を思い出したかった。

 この悪夢の元凶を、やっと消せる。

 繍に居た頃、どれだけこの時を望んだか。

 悪いのは全て苴だと教えられていたから、憎い国を滅ぼそうと必死に戦ってきた。

 それが半分嘘だったと知った今も、憎しみが減る事は無い筈だ。

 悪いのは、苴も繍も同じ。

 戦を決めた王は最も憎むべき相手。

 何も迷う事は無い。

 死すべき相手に死を齎すだけ。

 それでこそ月夜の悪魔だ。

 目を開く。

 鏡の中の顔は、暗く、歪んでいた。


 無言でその時を待つ。

 先に入ってきた宦官らしい男達が、丸腰である事を調べ上げた。その男達は今、部屋の隅に控えている。後で殺すべき相手だ。

 服を脱がされたまま、寝台に横たわっている。殺す事以外に何も頭に無く、気にならなかった。

 本当は割れそうな心の悲鳴を抑える事で必死だ。

 何故こんなにも決意が鈍るのか。自分でも分からない。でもはっきりと分かる。

 幼い頃から変わっていない。誰を殺すのも、本当は嫌だ。

 でも、この相手を逃したら一生後悔するぞと幼い己を脅して。

 今更なんだよと自嘲して。

 近付いてくる声に耳を澄ました。

「わざわざお呼び立てして申し訳ない。陛下のご希望に沿うには王城は耳目が多過ぎてましてね」

 皓照の声。

「それはよく分かっておる。このくらい何という事は無い。儂はあの者の顔を見る為に牢にまで出向いたのだぞ?」

 思っていたより老いた声。そう言えば自分はその男の事を何も知らないんだと今更思い知った。

「あの者を傍近くに侍らしたいが為に灌王の無茶な要求も聞いてやったのだ。だのに灌に持って行くなど、言語道断」

「ええ、ですから、今宵は代わりの者をご用意しました。きっとお気に召されるでしょう」

「代わりだと?聞いてないぞ」

「まあまあ、一目見てやって下さい。それでも御本人をお望みなら、この後連れて参ります」

「前菜か。それなら良い」

 やっぱり反吐の出るような男だ。

 殺しても良い相手。何の躊躇いも無く、この世の為に消した方が良い愚王。

 己に頷いて、鈍りかけた刃を研ぎ上げた。

 扉が開いた。

「では、どうぞごゆっくり」

 皓照の声と共に、扉は閉まった。

 重みを受けて軋む床の音は近付いてきた。

 動かなかった。背中を向けたまま、閉じた瞼の裏に燃える故郷を見ていた。

 こんな男のせいで、梁巴は。

「眠っておるのか?確かに美しい寝顔だな」

 肩の上を、脂ぎった手が触れ滑った。

 撫でられながら、朔夜は目を開いた。

 殺意を微塵も感じさせない目。

 長年の経験と訓練のお陰か、それともまだ迷いが断てないからか。

「苴王陛下ですか」

 顔を見ぬまま呟くように問うた。

「いかにも。おぬし、何者だ?」

 固く微笑んで、身を起こした。

 初めてその男の顔を視界に入れる。老いてはいるが、頑強な男だ。六十代くらいか。

 十数年前のあの時も王位に在ったのは確かだろう。

 白く細い腕を脂肪の付いた背中に回す。それに応じるように裸の背中を抱かれた。

 耳元に口を寄せて、漸く問いに答える。

「梁巴の生き残りです」

 鋭く吸った相手の息をはっきりと聞いた。

 この男は、やはり己の内に罪を持っている。

「梁巴…皆殺しから生き残ったか、繍に囚われたか…」

 記憶を辿るように呟く声に、朔夜は鋭く問うた。

「何故あんな事を?」

 知りたかった。

 どうして自分達は殺され、蹂躙され、苦しみ続けねばならないのか。

 ただそこで生きていただけなのに。

「お教え下さい。何故、梁巴だったのか」

「おぬし…」

 肩を掴まれ押し返し、相手が顔を覗いてきた。

 その目には、紛れもない殺気が漲って。

 朔夜はその手を振り払い、寝台の上に立ち上がりながら相手の顔に膝をめり込ませた。

 同時に立ち上がった見張り達へ見えぬ刃を飛ばした。

 一人は胸から血を溢れさせ、一人は半身が捥げ、もう一人は首が飛んだ。

 そんな屍など目もくれず、寝台から転げ落ちた王の横に降り立って、無様に倒れる体を踏みつけた。

「答えてみろよ。大罪人の豚野郎が」

 酷薄な笑みが口の端を歪める。

「梁巴の惨状はこんなもんじゃなかったぞ。てめえがこの城でぬくぬくしている間に、俺達は殺され、犯され、何もかも奪い取られた。どれだけ屍が折り重なっていたか、せめてその呆けた目で見るべきだったな」

「…復讐か。たった一人で…無意味な…」

 朔夜は腹を踏みつけていた足で王の鼻を踏み折った。

「無意味?それは貴様の命だろ」

 屈んで、鼻血に塗れた顔に顔を寄せて。

「それに、たった一人で俺は貴様の軍を皆殺しにしてやった。やり返したんだよ。お陰で同胞も巻き込んだけど。全部てめえが悪い」

「きさ…きさま、あく…」

「今頃気付いたか。俺が月夜の悪魔だよ」

 怯えきって、体を這わせて王は逃げようとした。

 その腹を蹴り上げた。重い体が浮く程に。

「最初の問いに答えてくれよ。どうして梁巴をあんな地獄にしたのか」

 涎を垂らしながら咳をする王の、今度は後頭部を踏んで朔夜は再び問うた。

「ぐ…軍事的な、きょ、拠点だ。繍を、狙える」

「そんな事が今更知りたい訳じゃない。そこに住む者の事を考えなかったのか?」

「か、考えた。考えていたとも。手厚く保護するよう軍には命令していた。あれは、軍の暴走だ。現地民が抵抗するから仕方なかったと聞いている」

「嘘吐く時は饒舌だよな、人間って」

「本当だ!信じてくれ!」

「少なくとも千虎はそんな事しねえよ。あいつはきっちり軍を統率していた。そういう命令だったのなら、自分の兵を罰してでも守らせていた筈だ。だが現実はそうじゃない。最初から現地民を殺せと言われていたからだ。お前の軍はそれを忠実に守り、行動した」

 言葉すら無くして足の下の頭は横に振られていた。

「反省してくれたら楽に死なせようと思ったんだけどさ」

 言いながら、見えぬ刃を落とした。

 刃はまず、右手を貫いた。

 痛みを受けた荒い声が上がる。

「次はどこにする?ちょっとずつバラバラにしてやるよ」

「やめ…やめてくれ!すまなかった!この通りだ!反省している」

 朔夜は鼻で笑って、左腕を切断した。

「もう遅いよ。言った言葉は消えないし、死んだ人は帰って来ない」

 足首が体から離れ、脇腹から血が迸った。

 王から意味のある声はもう出なかった。

 朔夜は言った通り、何度も見えぬ刃を振るって十分に痛みを味わわせてから。

 最後に心臓を貫いた。

 息が止まった。

 塵でも見るかのように一瞥して。

 踵を返して脱がされていた服を羽織った。

 屍と血に塗れた部屋で、寝台に体を投げ出して休む。あとは雑魚の到着を待つだけ。

 うとうとと半分寝ながら、故郷の夢を見る。

 炎と刃と屍ではない。明るい日差しと美しい山並みと、清い川のあった、あの大好きな故郷。

 永遠に失われた帰るべき場所を。

 帰りたいから手を汚した。そのお陰で、また遠くなった。


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