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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十九話 終焉
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9

 目を開けずに、暫く辺りの気配を窺っていた。

 ここは何処なのか。重要なのは場所ではなく、ここに連れて来たのは誰なのか、だが。

 敵の手の内なのか。それとも誰か助けてくれたのか。でもそんな存在が思い浮かばない。皓照くらいのものか。

 奴がそんな親切をするかは甚だ疑問だ。

 そもそも奴がおかしな計画を立てるからいけないんだ。それで邪魔者を炙り出すつもりだったのか知らないが、それなら自分で手を下せば良いのに。

 お陰で波瑠沙まで巻き込んで。

 朔夜は目を開けた。

 どうしても彼女の生死だけは確認したかった。

 否、せねばならない。本当は知らない方が良いと思っている。

 救えた自信が無かった。

 暗い室内だ。否、窓から優しい光が差し込んでいる。

 月明かりは、ちょうど自分の体の上を照らして。

 治されている。まだ治ってはいないけど、それを知る誰かがこうして治癒を試みてくれている。

 首から下の感覚が無かった。多分、骨は粉々になったのだろう。

 だけど希望は持てた。敵ならこんな事はしてくれない。

 誰だろう。そして、波瑠沙は?

 僅かに首を傾けた。それ以上は無理だったが。

 微かな寝息が聞こえた。

 いつものように隣で寝ている。もうすっかり当たり前になった日常が、今もこうして。

 それだけで良かった。十分だった。

 幸せを噛み締めて、もう一度瞼を閉じた。


 悪魔は死んだと聞かされた。

「は?…嘘だろ」

 高熱に襲われて昏睡しているうちにまた場所を移されていた。今度は宮殿の一室のようだ。

 待遇は良くなったが喜べる事ではない。これでは朔夜達が来れないではないか。

 そう考えている中での一言だった。

 相手は第四王子泰執と名乗った。薬漬けにされたあの男のすぐ下の弟となる訳で、とても気を許せる相手ではない。

「嘘ではない。俺も見た。燃える軍本部の最上階から奴は飛び降りたんだ。生きている筈が無い」

 誰もが一夜にして悪魔がまだ生きていたと認識を改めた事になるが、龍晶は何があったのか全く知らない。

 だがとにかく、その口振りでは。

「誰も死体を見た訳じゃないんだな?」

「建物の残骸と共に燃え尽きているだろうからな」

「…順を追って話してくれ」

 話は泰袁の死から始まった。

 その夜に二人の女が同衾していた事、そのうちの一人は捕まえたが、もう一人は皓照と共に追悼会の場に現れた事。そいつは本当は男だと自分だけは気付いていた、そう泰執は言い足した。

 そしてその周辺に現れた三つの首の無い死体。

 そこから悪魔の仕業だと言い出す者が現れた。苴繍の戦で一度裏切った悪魔が繍兵の首を全て断っていたというのは有名な話だからだ。

 その時点では皆が半信半疑だった。

 捕らえた女を囮にして誘き寄せてみようという事になった。

 そして、悪魔の殺戮は現実のものとなった。

 焦った軍部は女官を一人殺して囮とした。本物を殺さなかったのは、二重に罠を仕掛ける為だ。

 囮の女と共に牢に閉じ込め、焼き殺すつもりだったが。

 何故か、悪魔は脱出したという。炎から辛うじて逃げた兵が証言した。その兵以外に生存者は居なかった。

 そして煙が回り脱出経路も無い場所に本物の人質を置いていた。つまり、最上階に。

 そこから飛び降りたと言うのだ。

「こんな事が出来るのは悪魔で間違い無いだろう?尤も、あの状況では如何に悪魔とて生き残る事は出来んだろうがな」

 薄く笑いながら泰執は話を締め括った。

 龍晶とてそうだろうとは思うが、何か腑に落ちない。

 信じたくないだけかも知れない。あいつが死んだなんて。

 その状況では波瑠沙も命は無いだろうが、それが益々信じられなかった。

「せっかくお前を追いかけてここまで来たのに、残念だったな」

 龍晶は黙って遥か窓の向こうに視線を投げていた。

 ここが何階なのか知らないが、相当高い場所にある。この窓から脱出するのは不可能だ。

 あいつなら?

 出来るのではないか。

 朔夜の時はともかく、悪魔となった時にはその動きは正に神出鬼没だった。壬邑の城でこの身を切り裂いた後に窓から飛び降りて戦場に向かったと桧釐から聞いている。

 ひょっとしたら一度命を失っているかも知れないが、また蘇っている可能性もある。

 とにかくあいつが死んだとは思えない。

 目の前に首が据えられるまでは信じない。

「泰袁兄上の遺品の薬があるが、必要なら持って来てやるぞ?」

 龍晶は相手を横目に睨んだ。

「必要無い」

「強がってるな。ま、そのうち吸わせてやろう」

「やめ…」

 去ってゆく背に言おうとした拒否は途切れ、視界が明滅して倒れ込んだ。

 声が聞こえる。お前も死ね、と。亡者の声が。

 禁断症状が始まったのだと昏くなる意識の中で悟って、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように頭を抱えた。

 今まで散々味わってきたのと同じだと、自分に言い聞かせて。

 だが怖かった。これまで以上に壊された頭がどうなるのか、予測は付かない。

 殺せ、と。

 扉の向こうに叫んでいた。


 白昼にもう一度目を開けた。

 陽の光が眩しかった。おまけに凄く暑い。

 南部の夏が本格化したのだろう。

 何かが視界を遮って、ひんやりとした感覚が額に触れた。

 え?と思い上目使いにそれを見ようとすると。

 視界に現れた顔が。

「…華耶?」

 あれ?これは夢なのか。

 夢ってこんなに感覚がはっきりしているものだっけと思いつつ。

 引き攣れる体の痛みが走ってこれは現実だと有難くない教えを受けた。

「大丈夫!?」

 焦る声も聞き慣れた彼女のもの。

 うん、と唸るように頷いて。

 くっくっと、横から喉で笑う声が聞こえた。

「せっかく夢見心地だったのにな?」

 いつもの波瑠沙の口調。

 共に居る筈の無い二人がここに居る。混乱したが、とにかく嬉しい。

「波瑠沙…無事だった…!?」

「お前ほどじゃないけど骨折だらけだよ。ま、足は元々奴らに折られてたし、お前のせいじゃないから。…寧ろ」

 少し感覚の戻った手に触れる手。

「ありがとう。お前のお陰で命拾いした」

 やっと、目が合った。

 どういう顔をして良いか分からなくて。ただ、流れるものは止められない。

「良かったね朔夜。ほんと、良かった。一時はどうなるかと思ったけど」

 分からないのはそこだ。

「華耶は、どうしてここに?」

 彼女は潤んだ視界の端ではにかんで答えた。

「義父上と燕雷さんと一緒に苴に来てたんだ。そしたら範厳さん…だっけ?彼が知らせに来てくれたの。二人を家に匿ってるからこっちに移して欲しいって」

「え…範厳…?」

「孟逸さんのお友達なんでしょ?飛び降りた二人を部下と一緒に探し出してくれたんだって。あ、皓照さんも協力してくれたみたい」

 思わず波瑠沙の顔を見る。

 彼女はにやりと笑って言った。

「お前の脅しが効いたらしいぞ?悪魔を怒らせた奴らが悪いってよ」

「…要は安全な方に付いたってだけかよ」

「賢明だと思うね?少なくとも私達には幸運だったんだし」

「そうそう。範厳さんが居ないと会えなかったよ、私達」

 好きな二人にやり込められて、朔夜は納得せざるを得ない。

「…俺が寝てる間に仲良くなったんだ、二人は」

 彼女達は目を合わせて、同時に噴き出した。

「だって、朔夜の恋人だよ?私と気が合わない訳ないじゃない」

「そうそう。お前は龍晶とべたべたなんだから、こっちはこっちで仲良くならなきゃな?」

「べたべたって…」

 苦笑いして、笑みを掻き消して華耶を見る。

「どうなった?あいつの事」

 華耶は嬉しげにぽんと手を叩いて、満面の笑みで報告した。

「義父上が苴王を交えて話をしてみるって!その結果次第だけど、命は助かるみたい」

「本当か!?」

「うん!なんだか苴国内でも若い王を殺すのは可哀想だって意見が増えてるんだって。だから苴の王様も遠慮したみたい。遠慮って変ね。でもとにかく最低限、処刑される事は無いって義父上が言われたの!」

「そっか…!」

 華耶につられて喜んだが、朔夜は既にその結論は知っていた。その裏側も。

 敵はあいつを人質に戔を掠め取ろうとしている。

 それを知ったあいつが延命を素直に喜ぶ筈が無い。

 また自死を図らねば良いのだが。

 灌王が話をするというのも気になる。一体どんな魂胆なのか。

 波瑠沙の冷静な目が己を観察している事に気付いた。

 彼女も何か知っているのだろう。

 体の痛みが本格化してきた。顰めた顔に気付いて華耶は立ち上がった。

「薬を持ってくるね。仲春のものだけど、今の朔夜にもぴったりだから」

「あー…ありがと…」

 確かに痛み止めと熱冷ましが必要な体だ。

「ごめん波瑠沙。俺がこんなじゃなかったらすぐに傷を治すのに…」

 二人きりになってまず謝った。

「良いから良いから。その分こうして並んで寝ておける訳だし」

「うん…それは俺も嬉しい。こんな体じゃなかったら、波瑠沙も居て華耶も居て、滅茶苦茶幸せなんだけど」

「こいつ」

 波瑠沙が動く手で耳を引っ張った。

「いだい…」

 体が引き攣れて冗談ではない痛みだ。

 彼女は悪戯に笑って手を放した。

「懲りたかこの野郎。華耶が見えた瞬間でれっとした顔しやがって」

「そんなだった?そんなつもり無かった」

「ま、私を見た時の方がよっぽど良い顔してたから許してやる」

「引っ張られ損…」

「ああん?」

「ごめんなさい」

 訳が分からなくとも謝った方が身の為。それはこの数ヶ月で学んだ事だ。

 波瑠沙は本当に可笑しそうに笑って、腕を伸ばして銀髪を撫でた。

 その感触だけで、何か癒されていくような。

「本当にごめん。巻き込んで」

「うん、良いって」

 体が動けば抱き締めていた。もう離さぬように。

 それは無理だけど、言える事はある。

「こんな目に遭わせても俺はお前と一緒に居たい。一緒に生きていたい。…駄目かな」

 さらさらと、銀髪が掻き回されて。

「どうして駄目だと思うんだよ?私にはお前しか居ない。お前が一番だ」

 そう返されたいんだと、流石に朔夜でも分かった。

「俺も。波瑠沙が一番好き」

 満足した笑みで頷く。合格点だったようだ。

 じゃあ華耶は二番目なのかと問われたら悩む所だったので、それで終わったのは幸いだった。

「それにしても華耶は良い事だけをお前に伝えているのか、本当に何も知らないのか…」

「戔を取る為に龍晶が人質にされてる件?」

「お前も聞いていたか」

「その会合に連れて行かれた。皓照は俺にその面子を殺させる気なんだ。一夜で大半は殺したと思うんだけど」

「皓照は戔の味方をしているのか?」

「分からない。多分、ただの掃除なんだと思う」

「掃除?」

「こういう話に飛び付くような邪魔者を消したいんだ。その先の目的は分からないけど」

「そういうよく分からない目的の為にお前は危うく死ぬ所だった」

「…ごめん。波瑠沙を巻き込んだのは本当に反省してる」

「違うよ。そんな事が言いたいんじゃない。お前は本当にそれで良いのかって言ってんだ」

「…え?」

「心配なんだよ。お前は無茶をするから。このまま奴に使われて、次はどうなるか」

 朔夜は何も言えずに天井を見ていた。

 気を紛らわすものが無くなると、体の痛みが押し寄せる。

 ここまで襤褸襤褸になってもまだ生きる体。

 だから死ぬ程の無茶をしても何とも思わない。それを繰り返してきた。

 波瑠沙の心配の意味が正直理解出来ない。

「大丈夫だよ、俺は。それより皓照に逆らう方が怖い」

 朔夜もまた全てを言葉にしなかったが、こうして止めようとする波瑠沙を皓照が邪魔だと感じたらどうなるか、それが怖かった。

 邪魔者は消すのだ、あの男は。

 その片棒を担いでいる自分ですら、立場は危うい。

 波瑠沙の溜息が聞こえた。

「…この一件が終わったら、奴とは離れるよ。国とか政とか関係無い所に行こう」

 溜息に応じる答えはそれしか無かった。

「うん。そうだな」

 波瑠沙の相槌を聞いて、少し安心して。

 そんな事で関係が断ち切れるとは思っていないが、逃げ隠れる自分達をわざわざ引っ張り出すほどあの男も暇ではないだろう。

 当面はそれで良いと思った。後は龍晶の動向次第だ。

「お待たせ!」

 華耶は共に世話をしてくれている女官達と共に帰ってきた。

 手には盆を持っている。その上には。

「あ!握り飯!」

 朔夜の声が弾んだ。

「ああ、これが?」

 初めて握り飯を見た波瑠沙の納得した声。

「ちょっとはちゃんとしたもの食べなきゃね?だから、朔夜の大好物」

 華耶は二人の傍らに盆を置いた。

 痛む足を引っ張るように波瑠沙は身を起こす。

「お前は動けんだろ?私が食べさせてやる」

 一つ手に取って、朔夜の口へ運ぶ。

 朔夜が齧って、それを自分の口にも運んで。

「美味いな」

「でしょ?」

「ああ、良かった!」

 華耶の笑顔が弾けて、その笑みは少し切なく萎んだ。

「…こうなる前に、戔の兵士達に二人で握り飯を作ったんだ。彼は初めて作ったって。形になるかどうか、見ててはらはらしちゃった。ご飯がばらばらになってさ…」

「龍晶が?そりゃそうなるよ」

 彼の家事音痴を知る朔夜は半笑いで言った。

「あいつ米も研げないし」

「お前の故郷は米があったのか?」

 波瑠沙に問われて、朔夜と華耶は同時に頷いた。

「田んぼばっかりだった」

「畑もあったよ」

 目を見合わせて、笑って。

「ふーん。じゃあ私も教えて貰おうかな。米と、握り飯の作り方」

「勿論!波瑠沙さんからも哥のお料理を教えて貰って良い?」

 満面の笑みで華耶に問われて、ちょっとしどろもどろに頷く。

「そりゃ勿論良いよ。立てるようになって、お后の都合さえ良ければな」

「わあい。早く体治して下さいね!」

 波瑠沙と朔夜は顔を見合わせて苦笑した。

 華耶はこうなると立場を完全に忘れる。

「あ、朔夜、そろそろ薬飲む?」

 握り飯は食べ終わったと見て華耶は茶碗を手に取った。

「あ、じゃあ飲む」

 返事を受けて華耶が匙で掬って口に運び始めた。

 波瑠沙が受け取ろうとした手に気付かないまま。

 それを分かっていて朔夜は何とも言えない顔で匙を舐める。

 華耶は龍晶の看病が当たり前になっているから、この行動も自然なのだろう。

 それを波瑠沙は知らない。

 彼女はちょっと憮然として横たわった。

 後でなんて言おうか朔夜は悩みつつ、甘美な時間を味わった。


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