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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十九話 終焉
48/72

6

 薄暗い回廊を歩いていく。

 屋敷中に花の甘い匂いが微かに漂っている。この中でずっと過ごしていれば、それはおかしくもなるだろう。

 自分は耐性があるが、彼女が吸わねば良いがと横の波瑠沙に目をやった。

 視線に気付いて、ふわっと微笑む。大丈夫だと言うように。

 朔夜も口元に笑みを作って頷いた。

 大丈夫。恐れるものは何も無い。

 俺達はただ、悪党を退治しに来ただけ。

 一つの部屋に通された。いくつもの燭台に火が灯る明るい場所だった。

 女官が出てきて、告げた。

「御身を検めさせて頂きます」

「ああ、その前に一つ」

 波瑠沙が女官を止めて、朔夜に目をやった。

「この子は腹違いの弟です。この見目ですから、驚かれる事の無いように言っておきますね。それと、こういう場は初めてなので、どうぞお手柔らかに」

「ああ、成程。そうでしたか。殿下からのご希望があったのですね」

「ええ。そう聞いております」

 にっこりと微笑む顔は慣れている。

 朔夜は落ち着かず波瑠沙を見上げる。その不安げな顔がちょうど良かった。

「大丈夫よ。殿下はお優しい方だと聞いています。あなたの器量ならきっと気に入られるでしょう」

 演技だと知りつつも女っぽい彼女に顔が歪む。勿論その言葉もだが。

 それがまた天然の演技になって、女官もまた微笑んで宥めてくれる。

「本当にそうです。こんなに綺麗なんですもの、きっと殿下の寵愛を受けるようになります」

「良かったわね。今日は介添えで私も共にしますけど、次からは一人で来させますから」

「街に宿を取っていらっしゃるのでしょう?こちらにお住まいになったら如何ですか?」

「それは有難いお言葉。そうして頂けると助かります」

「ええ。では支度致しましょう」

 波瑠沙の態度に心を許したらしい彼女は、深く調査する事なく扉を開けた。

「こちらが寝所となります。どうぞ」

 誰の視線も無い死角でちらりと彼女に目をやると、にやりとした笑いが返る。

 なんだかそっちの方が安心してしまって、狂いかけていた調子が戻った。

 寝所に足を踏み入れると、薬の匂いが一段ときつくなった。

 これはあいつの症状が再発するのも無理は無いと思いつつ。

 その空気中に僅かに残る血の臭いに気付いて、頭の中で何かが切り替わった。

 絶対に殺してやる。

 部屋の四隅に黒子のような男が控えている。監視の中でそうと気付かれずに()れという事だ。

 紗幕の中から声がした。

「皓照の奴に抱いてみろと言われたのは、お前達か」

 黒子達が動いて幕が開かれた。

 憎い男は寝台に寝そべっていた。枕元の香炉からあの匂いが立ち昇っている。

 朔夜は剣呑さを目元から消した。勘付かれては面倒だ。

 ここは早く去った方が良い。彼女の為に。

「こっちに来い。そこで脱いでからな」

「私からで宜しいでしょうか。この子は不慣れなもので」

 波瑠沙が問う。男は頷いた。

 見上げた朔夜に微笑み頷いて、波瑠沙は帯を解く。

 さらりと、衣擦れの音が落ちた。

 見たくなくて、朔夜は床に脱ぎ捨てられてゆく衣を睨んでいる。

 少しの辛抱だと自分に言い聞かせて。

 寝台に乗った女の裸体に、男は起き上がって手を伸ばした。

 甘い声。演技だとしても耳を塞ぎたくなる。

 早く終わらせようと思った。

「お前も来るか?嫌ならここで脱がせてやろう」

 動いた朔夜に男が下卑た声を掛ける。

 意を受けて、波瑠沙は襟元に手を入れて男の服を脱がせた。

 背後に回り込んだ朔夜は、波瑠沙と男の体を挟む形になる。

 腕を胸に回して、心臓の上に手を当てて。

 何も知らない男の手が、被っていた薄絹を退かした。

 顔の上に銀髪が落ちる。

 その髪を撫でるように顔の輪郭をなぞっていた男の手が、ふいに止まった。

 刺さるような視線を受けて。

「お前…」

 掌に、治癒とは逆の、氷のような感覚が。

 心臓を止める殺意を込めて。

「死ねよ、下衆野郎」

 誰にも聞こえぬ耳元の囁き。

 目が見開かれた。同時に、末期の息が漏れて。

 心臓は止まった。

 すぐに波瑠沙が顔に手を伸ばして瞼を閉じた。そして急に倒れぬよう寝具の中に体を下ろして。

 裸のまま、幕から出て監視の男達に声を掛けた。

「殿下はお疲れのようで、今宵は眠りたいと仰せです。どうかこのままお休みさせてあげて下さいますよう。我々はまた参ります」

「分かった。退がって良い」

 波瑠沙は悠々と服を着直し、朔夜に頷いて部屋を出た。

 暫くはこれで気付かれまい。気付かれても殺したとは思われぬだろう。

 屋敷を出ても朔夜は黙ったまま歩いた。

「何怒ってんだよ」

「別に怒ってはない」

「嘘だ」

 唇が尖っている。怒ってないのなら不貞腐れている。

 範厳の家に着いた。家主は留守のようだ。

 家は自由に使えという事だろう。朔夜はすぐさま風呂場に波瑠沙を引っ張った。

「どうした。何を焦っている?」

「早く薬を洗い流して。ついでにあの野郎の事も洗い流してくれ」

「はいはい。そりゃま、良い気はしないよな」

 湯を沸かす間も惜しく、水のままお互い体を洗って。

「頼むから、もう少し自分を大事にしてくれよ」

 背中を流しながら朔夜は言った。声が少し怒っていた。

「これじゃあいつと一緒なんだよ。自分を犠牲にして良いなんて思わないでくれ。俺が嫌なんだ」

 珍しく怒っている相方の顔を波瑠沙はきょとんと振り返る。

「そんなに駄目な事した?」

「した。もっとしそうで怖かった」

「そう?妬かせた?」

「そうじゃなくて…嫌なんだ。俺の為にお前が傷付くのは」

「別に無傷だよ?」

「でも嫌だったろ?」

「お前の為なら…ってそうか、それが嫌なのか」

 分かって貰えて、やっと表情が和らいだ。

「優しい子だな、お前は」

「子供扱い…」

「じゃあ大人の事をするか」

「ええっ…もう、それは…」

「良いじゃん。たまには慰めてよ」

 女の声で囁かれると、抑制が飛んだ。

「それで波瑠沙が良いなら…」

 彼女は悪戯っぽく笑って朔夜の腕を掴むと、風呂から出るなり体を拭くのもそこそこに、二階へ駆け上がった。

 床に敷いた薄っぺらい布団の上に座って。

「ほら、下手でも良いからさ」

 誘われるがままに覆い被さった。

 請われ、教えられるがままに動き、甘く鳴く声を聞きながら。

 罪悪感が消えている自分に気付いた。今はただ、彼女の為だけに存在していたい。


 翌日、昼間から近付いてくる足音に振り返る。

「よお、王様。お目覚めだな」

 昨日知り合った朔夜の彼女が一人でやって来た。

 慣れたように見張り兵に錠を開けさせ金を渡すと、中に入ってくる。

「朔夜は?」

「まだ寝てる。お疲れなんだろ。代わりに様子を見に来た」

「そうか…」

 彼女は枕元に胡座をかいて座った。

「なんか要るものあるか?」

「いや…。ああ、これ。礼を言う」

 竹筒に手を伸ばして渡そうとしたが、掴みかけた所で内臓の痛みに襲われ手が床に落ちた。

「あーあー、無理するな」

 ひょいと波瑠沙が竹筒を取り、中を確認する。

「全部飲んだんだな。新しいの持って来ようか?」

 荒く息を吐きながら龍晶は頷く。この痛みのお陰で眠る事も食べる事もままならない。

「分かった。待ってろ」

 一旦牢を出て、井戸に向かう。念の為そこの水を毒味して、竹筒に入れた。

 戻って来て、朔夜の荷から預かっておいた薬の包を取り出し、中に溶かす。

「はい。お待たせ。飲まそうか?」

「いや…それには及ばない」

 流石に気が引けて自力で起きあがろうとしたが、まだ無理だった。

「遠慮するなって。別にお前なら朔夜も文句言わないだろうし」

 言いながらひょいと背中を持ち上げる。

 体を使って支えてやりながら、竹筒を口元で傾けた。

「もういい…大丈夫だ」

「よし」

 竹筒を置き、両手で静かに下ろしてやる。

「ああ、王様…って呼ぶのも変だから、名前で呼んで良いか?」

「構わない。そっちの方が良い」

「じゃあ龍晶、うちの陛下…つまり明紫安様から伝言を預かっている」

「なんて?」

「生き延びた先に光はあるってさ」

 じっと波瑠沙を見、そして天井に目を移して。

 その先の彼方を見るように。

「…ずっと見ておられるんだろうか」

「そりゃ、気掛かりだもん。お前のこと。見ているけど手は出せないから代わりに私が来たって所かな」

「だとしたら心配ばかりかけて申し訳ない」

「良いんだよ。そんな事で悄げるな。それより少しは顔色が良くなったようだが」

「そうか?」

「最初は真っ青だったけど、ちょっと血色が戻ってきたな。こうして見ると紅顔の美少年というのも頷ける」

「は?誰が言ったんだそんな事」

最初(はな)っから朔夜の奴が言ってたぞ?お前の顔は綺麗だから見たら惚れちまうんじゃないかって」

「あいつ…」

「まあまあ、怒ってやりんさんな。事実だったし。お前の母上の像も見てきたが、確かにそっくりだ」

「北州に行ったのか?」

「ああ。敵を蹴散らしてから一旦落ち着いた場所だ。それから都にも行った。戔は良い所だ」

「そうか」

 世辞だとしても嬉しそうに龍晶は返した。

 やっぱり故郷なのだ。捨てるに捨てられない、己の居場所。

「早く帰してやりたいものだが、正直この先どうなるか分からん。お前の皇后や重臣達はどうにか助命の努力をしているようだが、それが実るのを待つしかない」

「別にその必要は無い。俺が勝手に来たんだし、首を落とされる事を望んで来たんだ。ただ…」

「ん?」

「どうも奴らは、俺を人質に戔を乗っ取る計画を立てているようだ。今後どんな書状が送られてきても気にするなと戔に伝えねばならん」

「ほう。範厳のおっさんに頼めば伝言は伝わるんじゃないか?」

「…あいつを全面的に信用は出来ない」

「なるほど。敵方の将には変わりないもんな」

「やっぱり朔夜には戔に帰って貰った方が…」

 言葉が尻すぼみになる。

「それは嫌だって、顔に書いてあるけど?」

 その顔を隠すように、口元まで毛布を引っ張り上げて。

「…矛盾してるよな」

 言い訳のように呟く。

「死ぬ気だったのに…これで終われると思ってたのに。あいつの姿を見たら、生きられるんじゃないかって…。あいつが去ってしまったら、きっと生きながらに狂ってしまう。もうだいぶ危うかったけど、またああなるのは御免だ。正気のままで居ないと国にも迷惑をかける。だから…」

「朔もそれを望むよ。あいつ、ずーっとお前の事考えてたから。何やっててもさ」

「お前が居るのに?」

 ちょっと意外そうに目が丸くなる。

「そうだよ。失礼しちゃうよな。抱いてやっててもお前に遠慮してたんだ。昨日の晩はやっと落ち着いたけど。片が付いたから」

「それは…悪かったな」

「その一言が聞きたかった。うん。これでお前の事も含めてあいつを好きで居てやれる」

「ああ…頼むよ」

 友の幸せに浸る嬉しさと、少し遠くなった寂しさと。

 きっと華耶との婚儀の時、同じ思いをさせていたんだろうと思いながら。

 二人で星を見上げていた少年時代は、もう帰って来ない。

「お前も皇后様に会いたいだろ」

 話が自分の事に及ぶと、目が虚ろになった。

「もう会えるとは思えない」

「そうかなあ?生きてればどうにかなりそうだけど?陛下の伝言はそういう事じゃないのか?」

 生き延びた先に。

 光。華耶は、光そのもの。

「なあ、ええと…」

「波瑠沙だよ」

 改めて名を教えられて、今度こそちゃんと覚えて。

「波瑠沙。俺は朔夜がいずれ華耶の元に帰ると思ってたから、正直ちょっと計画が狂ってるんだ。それは全然良いんだけど、朔夜が幸せなら。でも、そうなると華耶が心配になる。俺が死んだら彼女が一人になるんじゃないかって」

「まあ、気落ちはするよな。どうしたって」

「もし俺がここでお役御免になって処刑されれば、きっと彼女は後を追うと思う」

「…うん。それは理解できる」

「お前に頼むのはお門違いだとは思うんだけど、少し気にしてやって欲しい。朔夜もこればかりは当てにならない。あいつが一番余裕を無くすだろうから」

「暴走するお子ちゃまを止めながら死のうとするお后を止めろって?無理難題だな」

 身も蓋も無い言い方に苦笑いして。

「頼むよ。ちょっと気にかけてやるだけで良いから。後は朔夜に託す。…ああ、それも許してやってくれ」

「程度によるけど」

「それは心配無い。あいつらは普通に子供のままの関係だから」

「そうかい。ま、なんかあってもちょいと朔を殴り飛ばしてやるだけだけどさ」

「…うん。まあ、大ごとにならない程度にな」

 本人が居なくて良かったとつくづく思った。

 瞼が重くなる。瞬きのつもりでも、数秒意識が途切れるようになって。

「ちょっと寝るか?また朔を連れて来るよ」

 頷いたまま、ことりと眠りに落ちた。

 足先に毛布を掛け直してやり、手の届く所へ薬の入った竹筒を置いて。

 子供のような寝顔に、親友同士そういう所まで似るものなのかと思いながら。

 きっとこの顔を愛する人は、今も先の見えない不安と戦っているのだろう。

 一目会いたいという切実な願いは、本人に会った事は無くとも伝わってきた。

 牢を出る。薄暗い場所から急に太陽の光が直接目に飛び込んで、目元に手を置いた。

 ちかちかとする視界を慣れさせると、不穏な空気を感じ取った。

 兵に囲まれている。その輪の中心に、昨夜言葉を交わした女官が居た。

「この人です。間違いありません」

 彼女が言った。

「一人か?」

 女官の横の男に問われて、波瑠沙は頷いた。

「来い。昨晩の話を詳しく教えて貰う」

 兵に両腕を掴まれそうになり、咄嗟に抵抗した。

 身を翻して逆に腕を掴み捻り上げ、もう一人の男に回し蹴りをお見舞いする。

「ほう。只者ではないな」

 男の感心に口の端を吊り上げて応じた。

「怪我する前に用件を先に話せ。何の話だ」

「昨日お前達が同衾した泰袁様が身罷(みまか)られていた。夜のうちに息絶えていたらしい。そこで昨晩の様子を聞きたいと思ったが…どうやら当たりのようだな」

「私達は無関係だ。お疲れの様子だったからさっさと帰った。見張りに聞けば分かるだろう」

「君達から直接話を聞きたいんだよ。その様子だと何か裏がありそうだしな」

「急に女の腕を掴めばこうなるだろ」

「ただの女じゃなさそうだが?」

 波瑠沙はざっと敵を見回した。今倒れている二人と、女官、そして喋っている将らしい男を除けば敵は三人。

 刀は持って来なかった。龍晶と喋るだけだと油断していたのは否めない。

 じりじりと包囲が狭まる。

「捕らえろ」

 男の言葉を合図に。

 波瑠沙は一度地面に沈み込み、敵の手を躱すと同時に倒れている男から刀を抜き取った。

 そして下から斬り上げ、包囲を脱出し駆け出した。

「追え!」

 怒鳴り声を背中で聞く。走ってくる足音は二つ。

 角を曲がり、足を止めて。

 まさかそこに留まっているとは思わなかった二人を立て続けに斬り、再び逃げた。

 何処へ行くべきか――何も考えられないが、朔夜の元に戻らない方が良いだろう。

 そもそも、城の敷地から出る事は困難だ。見張りが多く、城壁の壁が高過ぎる。

 動くなら夜だ。夜陰に紛れれば脱出出来るかも知れない。

 崩れかけた物置き小屋を見つけ、埃と蜘蛛の巣の中に身を潜めた。


  挿絵(By みてみん)


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