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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十九話 終焉
47/72

5

 牢に戻された体を見て愕然とする気持ちと。

 息をしている事に安堵する気持ちが一瞬で入り混じった。

 明け方、行きと同じように駕籠が屋敷から出て来て密かに後を追った。

 一行が去るのを確認し、出入り口の兵には早朝からの登場に怪訝な顔をされながら中に入って。

 金を渡されている見張り兵は何も言わず鍵を開けてくれた。

 そこに転がされている体は、裸のまま、細い荒縄だけが口と手足に巻き付けられていて。

 体中に鞭打ちの痣と、耐えられなかった肌が千切れて血が流れていた。

 腫れて紫に変色した箇所もいくつかある。骨が折れているようだ。

 波瑠沙が持っていた小刀で縄を切った。その痕は、擦れて皮が剥けている。

 覗き込めば顔だけは綺麗なままだった。自身の血が所々に散っている事を除けば。

 猿轡となっている縄を切ると、その口が動いた。

「朔夜…」

 意識がある。必死で耳を寄せて、何も聞き逃すまいと。

「殺してくれ…」

「あいつなら、やるよ。今夜」

「違う」

 思わず顔を見る。

 あまりに切実な瞳に、吸い込まれそうな。

「俺を」

 分かっていた。

 分かりたくはないけど、そうだろうとは思っていた。

 この地獄から救われる術は、友の手で死ぬ事なのだと。

 自分だってそう思っていた。だから首を刎ねてくれと頼んだ。

 同じなのだ。あの時の自分と。

「お前はやってくれなかった。だから断る。不公平じゃん」

 わざと不満げに言って、すぐに笑顔を作って。

「もう大丈夫だから。もうこんな目には遭わせない」

 それでも悲痛な目を避けるように、毛布を取って体に被せてやる。

 気持ちは分かる。痛いほど。

 だから、無理だ。絶対に、それだけは叶えてやれない望みだ。

「祥朗から薬を預かってきた。これで楽になれる筈だよ」

 視線が向いた。口元で、弟の名を呼ぶ。

「あいつ、所帯を持ったんだな。知らなかった」

「そうか…」

 小さく呟いて。

 安堵とも悲しみともつかぬ息を吐く。

「あ、水が無い」

 なんとも間の抜けた朔夜の気付きに、波瑠沙は苦笑いしながら腰に提げている竹筒を取る。

「これ使え」

 砂漠に生きる民の常で水の常備は欠かさない。

 それで初めて龍晶は彼女の存在に気付いた。

 その視線に、朔夜は笑顔を浮かべて説明した。

「波瑠沙っていうんだ。哥の王様の護衛をしてたんだけど、一緒に来てくれた。あ、王様は無事だから安心して。瀉冨摩の軍は消えて、戔の戦相手はこれで居なくなった」

「おい朔。それも大事だが話が逸れてるぞ」

 隣に座った波瑠沙に軽く叱られて、ああ、と頭を掻いて。

「その…ええと、彼女は、俺の、好きな人、です」

 緊張のし過ぎで口調が固くなっている。

「それはちょっと違うな」

「ええっ!?」

 否定に本気で驚いて。どんな駄目出しを食らうのかと思いきや。

「お前が好きなだけじゃなくて、お互いに好き合ってる関係なんだよ。済まんな王様、お前の親友を寝取っちまって」

「ちょ…」

 昨日の今日で冗談がきつい。事実なのだが。

 龍晶はしかし、ふっと笑って。

 俯くように首を曲げて口元を毛布の中に隠し、感慨深く瞬きを繰り返して。

「そっか…そうなのか…」

 呟いて、波瑠沙に目を向けた。

「頼む。こいつに色々教えてやってくれ」

 あっけらかんと彼女は答えた。

「もう大体の事は教えた。まだ自分からやる意気地は無いけどな。下手くそだし」

 朔夜は一人顔を赤くして口をぱくぱくさせている。

 今度こそ龍晶は本当の笑い顔になって、だが苦しいらしくすぐにそれは淡く消えた。

「…良かった」

 余韻を残した口で呟く。

「ここまで生き残ってて、良かった」

「龍晶…」

 そこまで言ってくれるとは思わなかった。

 つい一瞬前まで死を望んでいたのは確かなのに。

 地獄の中で束の間、安息を得たように。

「範厳の家から衣を借りてくるよ」

 波瑠沙はそう言って立ち上がり、朔夜の頭を優しく叩いて行った。

 呆然としていた頭を働かせて、竹筒の水の中に薬を溶かし込む。

 薬を包んでいた紙を見ると、文字があった。

「祥朗が手紙を書いてる」

 開いて見せる。

 お帰りを待っています、と。

 戔の皆の気持ちを教えてくれていた。

 龍晶はどこか不思議そうな面持ちでその文字を眺めている。

「飲めるか?」

 僅かに頷いた頭を支えて、口に水を少しずつ流し入れてやった。

 半分も飲めなかった。頭を起こす事も辛いようだ。

 元通り寝かせてやり、被せていた毛布を捲った。

「酷い傷は治すから。何処が一番痛い?」

「さあ…。何もかも痛い」

「まあ、そうだよな」

 一番痛みを感じている部分には、手が届かない。

 それでも身体の痛みが和らげば少しは癒えるだろうと思った。

 上から順に、痣や傷が目立つ部分に手を当ててゆく。

 その間に苦しげだった息が深くなり、眠りについていた。

 朔夜も上半身の目立つ傷を治した頃にはくらりと首が傾いた。

 猛烈に眠い。

 首を振って足を毛布から出す。

 骨に異常があるであろう箇所を優先的に治していった。が、見ていくうちに眠気も冷めるような傷痕を見つけて慄然とした。

 人の歯形。噛まれている。

 思わず眠る顔を振り向いた。

 苦痛を一時的に置き去った、安らかな顔。

 出来れば全て忘れて欲しいと願った。

 治癒を終えると、流石にもう何も考えられない程に眠くなった。

 横に転がって、うとうととしながら。

 良かったという友の言葉を、何度も頭の中で繰り返し思い出していた。

 足音がして起きようかと思ったが、それが波瑠沙のものだと見ずとも分かったので眠気が勝った。

 安心しきっている。

「寝てんのかよ。ったくもう、しゃーないな」

 持って来た水桶を置き、肩に掛けていた衣を下ろし、街で買って来た軟膏を置いて。

 桶の水に手拭いを浸し絞る。そうしている間に朔夜は本格的に寝入っていた。

「本当はこいつにやらせようと思ったんだけど。失礼しますよ」

 意識の無い相手に言って、毛布を捲り、体を拭いていく。

 傷のある箇所は軟膏を塗ってやる。切りが無い程の傷の数だった。

 体を検めていて気付いた。

 皇后が子を成せない体だとしても、普通は養子ではなく側室を娶るだろうと訝しんでいたが。

 納得した。同時にまた疑問も湧いた。だがそれ以上に痛ましかった。

 想像を絶する過酷な運命を生き抜いてきたのだろう。それは朔夜も一緒なのだろうが、だからこそこの二人は固い絆で結ばれているだと知った。

 体を清め終わり、衣を着させて、ついでに布団の上まで運んでやって毛布を掛けた。

 そうなると一人寝こけている朔夜を、頬を叩いて起こす。

「ふぁ…波瑠沙…」

「一旦撤収だ。せめてここからは歩いて出てくれ。見張りに怪しまれるだろ」

「うー…わかった…」

 怠そうに体を起こして、目が開かないまま立ち上がりふらふらと歩き出す。

 やれやれと荷物を持って後を追う。一応振り返ると、改めて寝かしたままの姿でよく眠っている。

 これなら多少は大丈夫だと考えて、牢を出た。

 範厳の屋敷で、改めてお子様を寝かしつけてやろう。


 物音が耳に入って意識が戻った。

 それと共にじりじりと体の痛みが戻ってくる。出来れば目覚めたくなかったと悔いたが、この痛みのせいで眠りが浅くなっていたのだろう。

 朔夜達は流石にもう居なかった。その代わり、薬の溶かされた竹筒が置かれている。

 自由になった手を動かそうとして、激痛が走った。

 断念して、痛みによって切れる息を吐きながら考える。

 これは外傷ではない。治せる傷は全て朔夜が治してくれている。腐った腑が鞭打ちによって更に傷を開いたのだろう。

 それだけではない。体の内側を掻き回されるような、そういう行為を何度も受けて。

 思い出すだけでまたあの地獄に戻されそうで、もう一度竹筒へと手を伸ばした。体の痛みよりも、一刻でも全て忘れていたかった。

 横になったまま蓋を開けようとしたが難しく、疲れて脱力して筒は手から転がった。

 転がってゆくそれを受け取った手があった。

「よお。少しは生きる気になっか?粥を持って来たぞ」

 言葉通り粥の入った腕を横に置いて、まずは竹筒の蓋を開けた。

「起きれるか?」

 試みたが、痛みと闘わねばならなかった。体力も無く、体の動かし方も忘れている。

 背中に回された腕に支えられて、何とか座る形になった。

 竹筒を渡されて、やっと口に付けた。

 皆が生かそうとしてくれている。

 ただそこに善意と悪意があるのを、見極めねばならなかった。

「…範厳」

 久しぶりに口を利いた。

「ん?」

「お前達は戔南部を掠め盗るつもりなのか」

 相手は黙った。

 知らない筈が無いのだ。これは軍部無しには立たない計画だ。

「その為に俺を生かせと…命令されたか」

「うん…まあ」

 曖昧に肯定して。

「上からの命令だからな。お陰で色々やり易かったんだが」

 やっぱりかと落胆する。

 今更かも知れないが。

「でも命令だから生かそうと思った訳じゃないぞ?逆なんだ。俺の動きに気付いた上の奴らが利用してきただけで」

 光を失った目に気付いて、溜息を落とす。

「そんなの言い訳か」

「…いや」

 器に目を落として。

「薬が効いてきた。粥を貰うよ」

「お…おお」

 器と匙を渡して、まじまじと青年を見やる。

 ずっと見てきた絶望だけの表情ではなくなった。

「…俺はここで戦わねばならないからな。戔を守る為に」

 心変わりの理由を口にした。照れ隠しのように。

「お前はお前で国の為に動いているんだろ。それは仕方ない。守るべき国が違うだけだ」

「まあ…な」

 器を横に置いて、ゆっくりと横になる。

「あいつが居れば、何とかなりそうな気がする」

 微睡みながら呟く。

 何度だってあの手に助けられた。

 もう恥じる事なんて無い。縋ってでも、あの手を握って生きていこうと思った。


「治癒と同じだとしたら、心臓の上に手を置いてたら出来ると思うんだよ。多分」

「本当か?もし無理なら私が首の骨を折ってやる」

「それじゃバレるよ」

「その後お前が治せば良いんじゃないか?」

 昨日見た御殿へと足を進めながら、密かに物騒な相談をしている。

 (はた)から見れば美女が二人並んで囁き合いながら歩いているようにしか見えない。

 ただ日はとうに暮れている。女だけが出歩くには不自然な時間だ。

 不審に思った見張り兵が声を掛けた。

「失礼ですが…どちらの使いで?」

 使いに出た女官だと思われたのだろう。手燭に照らされた美しい顔に、兵は疑う気など無くした。

「泰袁様のお召しに預かりました。お屋敷はこちらで宜しいですか?」

 艶然と波瑠沙が問い返す。兵は何度も頷き、岡の上の建物を指差した。

「あの御殿です」

「ありがとうございます。行きましょう、もう少しです」

 優雅に腰を折って、朔夜の肩を軽く押して進む。

 彼女の化けっぷりに唖然としている。

 いや、普段が粗暴過ぎる。これが普通だ。うん。そうに違いない。

 しかしその粗暴過ぎる彼女が好きなのだ。と言うか安心するのだ。自分が野生児だから。

 今見せられた違和感には鳥肌しか立たない。

「なんだよ、その顔」

 当然、見咎められる。

「え、いや、その、俺はやっぱり普段の波瑠沙が良いなって…」

「知ってるよそのくらい。お前は強い私に甘やかされたいんだから」

「そーじゃないけどお…」

 否定しないと自分の中の砦が崩される。だけど既にこの砦の中は諜報員によって瓦解寸前、寝返り工作はばっちりだ。

 いやいや、そんな場合じゃなくてと頭を振って。

「こんな格好してると余計に疑われるんじゃないかな。だって調べられるだろ?」

「なんだお前、そういう事は分かるのか」

 武器の類を持っていないか、寝所に入る前に調べられるのは当然だ。貴人を相手にする暗殺者への難問だ。

「だって、まあ…今まで経験が無い訳じゃないから。俺の能力はそれに一番向いてるからさ」

「ああ、確かに。じゃあ餓鬼の頃にやったんだ?こういう事」

「繍に入りたての頃はな。悪名が流されると向こうも警戒するから難しくなったけど」

「嫌だったろ?」

「まあ。でも指示された通りに動くだけだから。どういう意味かも分かってなかったし」

「そうか?」

「考えれなかったし、感情も持てなかった。あの頃は。ただ自分のした事が恐ろしくて許されたい一心だった。だから方法に対して嫌とか思う事も無かったな。殺した事への自己嫌悪だけ。寝所で二人きりになったらすぐに相手の喉元掻き切って逃げるだけだし」

「…そっか。じゃあ、そこまでの手順は分かるな?」

「まあ、一応」

「後は任せろ」

「うん」

 少年時代の話を聞くにつけ、重い物を手渡されるような。

 それを口に出来る事は、恐らく今まで無かったのではないか。

 それで重荷を軽くさせてやれるなら、それに越した事は無い。

 屋敷の手前、昨日と同じ場所で皓照が待っていた。

「良いですね。よくお似合いですよ」

 この男に言われると何だか急に恥ずかしくなる。

「他に無かったのかよ。なんか、方法は」

「だって、君のその姿を見たら使わない手は無いでしょう?良いじゃないですか。可愛いですよ?」

「やめろ」

 波瑠沙に言われるのとは訳が違う。本気で寒気がする。

「うちの子に言葉責めしないでやってくれ。それは私の特権だ」

「その庇い方もおかしいだろ」

「あはは、失礼致しました。では、良い夜を」

 はあ?という顔を無視して皓照は屋敷の人間に声を掛けに行った。

 手招きされて、大きく溜息を吐いて。

「さ、仕事だ。割り切って行こう」

「分かってるけどさ…」

 彼女に引き摺られるように重い足を進める。

 ふと、気付いた。

 彼女も同じような事をやさられていたのかも知れない。だから何もかも熟知している。

 自分の甘さを反省して、言われた通り割り切る事にした。

 目的はあいつを救う事なのだから。


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