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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十九話 終焉
46/72

4

 今にも消えてしまいそうな温もりを大事に抱え続けた。

 こうする事で己の持つ温度を分けられるのではないかと思って。

 自分は死んでも良いけど、こいつは生かしたい。その思いは変わっていない。

 少し欲深くなっただけだ。出来れば二人、否、四人で生きていたい、と。

「酷い痩せようだが、飯は食っているのか?」

 波瑠沙が朔夜の横に胡座をかいて範厳に訊いた。

「最初は粥を持って来れば食べていたんだがなぁ。近頃は俺の手からは食ってくれなくなった」

「なんだ、嫌われたのか?」

 軽く笑って。

「それならまだ良いが。どうあっても生きる行為は取ろうとしない」

 そんな事だろうと思った。頑固で自虐的なこいつの性格なら。

「それでよく生きてるな」

「薬を吸って意識が飛んでいる時に何か食わされているらしい。まあ、それはそれで助かるけど」

「じゃあそいつは親切心でこいつに薬を吸わせて生かそうとしてるって事?」

 朔夜が問うと、範厳は肩を竦めた。

「親切心とは思えないが」

「でも飯まで食わせてくれてるんだろ?」

「どうしても生かしたい目的があるのか」

 波瑠沙が鋭く問う。

 若い二人を交互に値踏みするように見て。

「どうも、体目当てのようだ」

「…え?」

 朔夜は呆然と聞き返す。波瑠沙は嘆息しながら頷いた。

「お前の友が隠したかったのは、そういう事なんだろ」

 最初のあの反応。

「頭も体も襤褸襤褸にされてんだ。可哀想に」

 体を抱く手に力が入る。

 その生き地獄から、助けを求めて叫んでいた。夢の中にまで届く程に。

「…許せない」

 怒りを押し殺して呟いた時。

 腕の中で動きがあった。

 下ろした視線とぶつかる。

 掠れ、苦しそうな声で、龍晶は言った。

「帰れ」

 熱した頭に、冷や水を浴びせらせたような。

「早く…戔に帰れ」

 切れる息でもう一度言った。

「なんで…?」

 そう問い返すのがやっと。

「華耶を、守れ」

 言い返せなかった。

 この極限状態で言いたい事は、それだけなのだと分かったから。

 俺が死んだら華耶の事はお前に託す、と。

 それはずっと言われ続けてきた。だから。

 だけど。

「申し上げます!」

 鉄格子の向こうから、若い兵が声を掛けた。

「泰袁様の使いの方が来られました」

 腕の中で鋭く息が吸われた。

 目は見開かれている。抗えない恐怖を前にして。

「お前を苦しめている奴か?」

 問うと。

 すっと、表情が消えた。

「放っといてくれ」

「龍晶…?」

 途端に、信じられない力で突き飛ばされた。

 よろめいて、後ろに手を突いて。

 座り込んで顔を伏せ、肩で息をしている友を見る。

 そこへ、例の使いの者達が現れた。

「行くぞ」

 それだけ言って、二人がかりで両腕を掴み、身体を持ち去ろうとする。

「待て!」

 朔夜は立ち上がって止めようとした、が。

 振り返った顔が、ぬらりと笑った。

「止めるなよ。極楽へ行こうってのに」

 動きを止められてしまった。

 やっぱりあの薬を自ら求めているのか。そんな筈は無い。だって、先刻はあんなに怯えた顔をしていたのに。

 一瞬で考えが巡ったが、答えは出ず。

 真顔に直って龍晶は言った。

「じゃあな。もう来るな」

 呆然と、見送った。

 姿が消えると、へたりとその場に座り込む。

 どうして?もう正気じゃないから?だから今までの関係なんて全て崩れてしまった?

 いずれにせよ、本来のあいつではない。そう、分かってはいるのだが。

「泣いてる場合か」

 頭をはたかれた。

 目を見開いて波瑠沙を見上げる。

「後を()けるぞ。場所を突き止める」

 きょとんとする顔をもう一回はたいて。

「いつまで姫君気取ってんだ。私一人で行くぞ」

「え、いや違うって!俺も行くから!」

 急いで後を追ってゆく。

 波瑠沙は隠していた小刀を懐に入れ、闇の中に溶けそうな駕籠から目を離さず。

 出入り口の兵には愛想笑いを浮かべて一礼し、すっと入り組む道の角へ入り込んだ。

 朔夜が小走りに付いて来て横に並ぶ。

 友を乗せた駕籠は丘を登ってゆく。

「お前が声出すからだ」

 急に波瑠沙は言った。

「え?」

 何の事か分からない。

「奴らにバレちまっただろ。好色な主人の大好物がここに居るって」

「…はい?」

 物分かりの悪い相棒に舌打ちして。

「あいつはお前を守る為にわざとあんな事を言ったんだよ。お前に触手を伸ばさせない為に、自分だけを犠牲にするつもりで!」

「…あっ、…えっ、そういう事!?」

 ようやく理解した。

「行くぞ」

 十分な距離は取ったと見て波瑠沙は動き出した。

 朔夜は後に従う。

 彼女が居て良かったと、心から思った。そうじゃないと、誤解したまま立ち直れなかった。


 虚脱感。

 また心と体が大きく離れて行くような。

 もう涙も出ない。

 あいつに会えた。もう一度笑いあえたらという望みは叶った。だからもう、何も望んではいけない。

 死にたいという望みすら、きっともう許されない。

 泥沼の中で生かされる。やっと分かった。この身は戔を動かす為の人質でしかない。

 早く、どうにかして死なねばならない。

 隠されるであろうその報を、朔夜に持って帰って貰わねば。

 じゃあ今舌を噛み切れるかと言われれば、それも無理だった。

 まだ、何処かで諦め切れない自分が居る。

 生きる事に対してではない。

 あいつの手で死にたい。

 これも願ってはならない望みではあるが。

 いつもの場所で引き摺り出される。

 闇が濃くて未だに見えない顔を睨んで。

「どうした?今日は反抗的だな」

 せせら笑う声がいつもと同じだと確認して。

「…これ以上何をやらせる気だ?」

「ほう?」

「いくらお前らが書状を送ろうと、俺の優秀な家臣達は真意を見抜く。あの署名が操られたものだと気付くだろう。無駄だ」

「へえ。初めて喘ぎ声じゃないお前の声を聞いたよ」

 香炉が差し出された。煙を吸わぬよう顔を背ける。

 これ以上あいつを裏切れない。

「面白い。正気のまま犯されたいか。それも良いだろう」

 伸ばされた手を振り払って、逃げた。

 尽きかけた力を振り絞ったが、すぐに壁にぶち当たって、そこが体力の限界でもあった。

 黒子達の手で押さえ込まれ、腹這いにされて手足の自由を奪われる。

「衣を剥いで縛り上げてやれ。そうだな、逆さ吊りが良い。ああ、舌を噛ませるなよ」

 猿轡を嵌められた顎を、指先で持ち上げられる。

「私に逆らったら痛い目に遭うと学習して貰おう。今更薬が欲しいと言ってもやらんからな?お前がそう望んだんだ。今宵はとことん可愛がってやろう」

 それで良い。

 怒りは視野を狭くする。俺だけに目を向けていれば良いんだ。

 あいつに手は出すな。

 出した所で死ぬのはお前だが。

 だけど、もう、俺の為にあいつに人を殺させたくない。

 もう俺だけにして欲しい。

 お前達はこの身も頭も壊し切れば良い。今宵限りで。

 そうすれば、優しいあいつはきっと、楽にしてくれる筈だから。


「ここだな」

 一行が吸い込まれていった御殿を物陰から見る。

「どうにか忍び込めないか…」

 朔夜が言うが、また頭をはたかれた。

「阿呆。今忍び入った所で何が出来るんだよ」

「あいつを助けるんだよ、当たり前じゃん」

 流石に怒り気味に返せば、呆れた目で見返されて。

「少しは物を考えろ」

「はあ?」

「相手は王族なんだろ?ここで騒ぎを起こせばお前の友も範厳も、戔も危険になる」

「でも…」

「あいつはそれを恐れたから助けてくれって言えなかったんだよ。解れ」

 朔夜は不貞腐れた顔で考える。

「じゃあ、どうする」

「私が代わりを務めよう。その間にお前が救出しろ」

「代わりって…」

「女を抱く趣味もあれば良いんだがな」

「波瑠沙!」

 声を抑えて精一杯叫ぶ。

「駄目だ!そんな方法は絶対駄目!」

「お前の友を助ける為だろ?そのくらいは何でもない」

「そんな事したら俺は奴を殺す。本気で」

 波瑠沙はじっと恋人を見下ろして。

 諦めた笑みで息を吐いた。

「じゃあ、どうする?」

「朔夜君が傷を付けずに王子を殺せば良いだけの話ですよ」

 急に背後からぬっと出てきて。

「うわっ!?」

「こ、皓照!」

 驚き過ぎて二人とも普通に叫んだ。

 そうなると見つかるのは当然で。

 門を守る兵が駆け寄ってきた。焦る二人の肩に手を置いて、皓照はにこりと笑う。

「まあまあ、落ち着いて」

 兵が三人の姿を見つけ、松明で照らした。

「何者だ!?何をしている!?」

「泰伯陛下の知恵袋こと皓照という者です。ご存知無いですか?」

 図々しい自己紹介に波瑠沙は顔を顰める。

「は…失礼を致しました!」

 効果てきめんなのがまた変なのだが。波瑠沙はあんぐり口を開けている。

「いえいえ。ちょっと夜の散歩をしてたんです。ほら、このお二人を泰袁王子にお届けしようと思いまして。灌から取り成しの貢物ですよ」

 はあ?と声を上げたいのを我慢して。

「有難いのですが、今宵は既に…」

「お取り込み中ですね。では明日の夜こちらにお届けしますから、どうぞよしなに」

「畏まりました。主にお伝えします」

「行きましょうか」

 肩を押されて、踵を返す。

 距離をかなり取って。

「どういう事だよ…」

 最早怒る気にもなれず溜息混じりに朔夜は問う。

「そういう事ですよ。つまり、明日の夜君たち二人に王子を暗殺して頂きます」

「彼女を巻き込むのか」

 言われて皓照は初めて波瑠沙に目を合わせた。

「初めましてお嬢さん。そういう事になりましたので、どうぞよろしく」

「滅茶苦茶だな」

 苦笑いして、朔夜に告げる。

「無論、私は手伝う気で居るぞ?」

 納得しない顔をしている。

「殺したとして…お前は苴に俺達を突き出すつもりなんじゃないのか」

「ああ、処刑されるのが怖いからやりたくないんですか?あの月夜の悪魔とは思えぬ理由ですね」

「俺は良い。そこに彼女を巻き込む訳にはいかないから言ってるんだ」

 強い目で告げられて。

 皓照はにっこりと笑う。

「勿論、そうはなりませんよ。当たり前じゃないですか。しかしその為には、君に上手く殺して貰わねばなりません。殺したと分からぬように」

「…どういう事だ」

「傷口や外傷を残さないで下さい。あと血痕も。病死という事で片付けます。薬の吸い過ぎだと言ってね」

「外傷を…どうやって…?」

「生気を奪えば良いのです。治癒の反対をやれば出来る筈ですが。基本は同じです」

「簡単そうに言う…」

「繍に居た頃、君は植物相手にやってたでしょう?それが人間になっただけの話ですよ」

 確かに昔、植物に触れて枯らせ、そしてまた復活させる事をしていた。そうやって力の調整をしていた事がある。月の晩に暴走せぬように。

「不安なら練習してみます?」

「は?どうやって」

「試し斬りに使うと言って牢の罪人をちょっと貰って来ますよ?後で斬り傷を付けて返せば良いんですから」

「必要無い」

 即刻答えて、相手を睨む。

「要は傷さえ付けなけりゃ良いんだろ?…あともう一つ…何故お前が苴の王子を殺す事を容認する?苴王とは仲良くしてるのに」

「邪魔だからですよ」

 当たり前のように。

「粗暴で強欲なあの王子は邪魔なんです。放っておけば必ずこの国の害悪となります。既に害虫も同然ですけどね。立場が立場だけに持ち上げる者が居るのがタチが悪い」

「苴王が悲しむんじゃないのか」

「え?別に良いじゃないですか」

 言葉を失って相手を見る。どうも理解し合える気がしない。

「君は王子を殺したいんでしょう?それで間違い無いですよね?」

「お前の言う事が信じられないから訊いただけだ。だって、お前は苴の味方だと思ってた」

「ん?味方ですよ?彼が邪魔なだけです」

 もうあれこれ考えるのはやめた。自分と皓照の利害は一致しているという事だ。あとは実行するのみ。

「ああ、二人に確認して欲しい事があるんですけど、ちょっと来てもらえますか」

 さも思い出したかのように言う。

「確認?」

「首実検です。私は哥の元大臣の顔を知らないもので」

 二人は顔を見合わせた。

 そして波瑠沙の方が強い口調で皓照に言った。

「見せてくれ」

 城の敷地内の、野原の片隅に、それは桶ごと打ち捨てられていた。

「それなんですけどね。まあ見てやって下さい」

 言うだけ言って皓照は少し離れた所で立ち止まる。

「無理するな」

 朔夜は気遣ったつもりだが、波瑠沙は口の端を吊り上げて返した。

「無理?何がだよ。親同然の人の仇だぞ。死体を確認しなきゃあの戦は終わらない」

 捕らえられた所までは見た。その先は知らなかったが。

「確かに暗枝阿は苴に首を送ると言っていた。だからそれは…」

 朔夜が先回りして皓照に告げた。何となく、蓋を開けずに済むならその方が良いと思って。

 だが波瑠沙は、首桶を蹴り倒して開けていた。

 中から、どろりとした球体が転がり出る。

「…こんなもん、分かる訳…」

 異臭に顔を顰めながら言いかけた朔夜の言葉を遮って。

「瀉冨摩で間違いない」

 眉一つ動かさず波瑠沙は言い切った。

「そうですか。分かりました」

 袖で鼻と口を押さえて皓照は応え、さっさと背中を向けた。

「おい!」

 呼び掛けた朔夜に後ろ手でひらひらと手を振って、腐臭から逃げて行った。

 波瑠沙は仇の首だった物を一瞥して、朔夜に言った。

「帰ろう」

 歩きながら、波瑠沙は考えていたが。

 ふと口を開いた。

「瀉冨摩に私達が勝った事で、苴の中でも風向きが変わったんじゃないか?」

「戔には勝てないって?」

「その前に戔苴の戦は終結していたんだろ?王の犠牲によって。だけど瀉冨摩まで簡単に負けたとなると、今度は逆に攻められる危険性が高まった」

「戔が苴を?有り得ないよ。龍晶が許さない」

「そんな事は分からんだろう。この国の連中は」

「…確かに」

「侵攻を防ぐ為の人質として生かされているんじゃないか?お前の友は」

「…なるほど…!」

「だから、無体な事をしても殺す事は絶対に無い。有り得るとしたら、それに気付いたあいつ自身が死に急ぐ事だ」

 見上げてきた顔は切羽詰まったような、恐怖に怯える表情で。

「…屋敷の前で待つか」

 提案に、必死に頷いた。

 近付くと、声が聞こえた。

 壊れたような男の笑い声と。

 一定の間隔で響く、高い悲鳴。

 聞いた事の無い声。だけどそれが他の誰かのものではないのは確かだった。

 波瑠沙がそっと、耳を塞ぎつつ顔を両手で包み込んだ。

 知らず、泣いていた。今はそれしか出来なかった。


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