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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十八話 切望
39/72

7

 会いたい人が居ない都に帰ってきた。

 華耶もまだ戻っていないという。どこか虚しい気持ちを抱えて見慣れた景色を歩く。

「王宮は様変わりしていますので、兵舎の一室を使って下さい。あ、二部屋用意しましょうか?」

 宗温の気遣いに、波瑠沙は笑って返した。

「将軍、野暮は言いなさんな。一部屋で十分だ」

「そうですね。では、そのように」

「桧釐には俺の事言ってあるの?」

 笑う二人に割って入って、沈んだままの声で問う。

「ええ、勿論」

「怒ってるだろ」

「まだ直接話をした訳ではありませんが」

 前置いて、前方に(そび)える城を見上げる。

「今はもう怒る理由など無いと思いますよ?寧ろ、この窮地を脱する事が出来たのは朔夜君のお陰です。彼からも感謝されて良いと思いますが」

「いや…そんな事で許されないし…。そもそも俺がここに居る事が拙いだろ」

「あまりこういう事を言いたくはありませんが」

 何だろう、と目を向ける。

 らしくない前置きだ。

「もうこの世の中から月夜の悪魔は消え去ったのです。知っていましたか?苴が悪魔を捕らえ、処刑した。君が罪に思う事実と共に消えたのですから、何も後ろめたく思う事はありませんよ」

 朔夜は唇を噛み、長く溜息を吐いた。

「その首が誰なのか、ここの皆は知っているのか?」

「ええ。陛下も桧釐殿も、皆知っています。孟逸殿が全てを見て伝えて下さいました。私も後で聞かされました」

「じゃあ無意味だよ、そんなの。俺のやった事は消えない。桧釐もそれを知ってる」

「いいえ。彼は政をする人ですから」

 訝しい目で宗温を見上げる。

「民衆や諸国と同じものの見方で考えるのが政です。真実は二の次」

「みんな嘘を信じてるから良いって?」

「ええ。良いんです、それで」

 納得しない顔を、波瑠沙の掌が鷲掴みにした。

「小難しく考えるな。将軍が良いって言ってるから良いんだよ。自分を責め過ぎるのはお前の悪い癖だ」

 掌で塞がれた口で何か反論しているが、聞き取れないので無視。

「貴女の言う通りです。うちの陛下も同じなんですよ、ご自分を責め過ぎる悪癖がある」

 呆れた笑いで宗温は言った。

「だろうな。似た者同士だろ。だから私はこうしてやる」

 一旦手を首筋に移し、くすぐりの刑。

「ぎゃはああ、やめてー!」

 笑いと絶叫と泣き声が混じる。

「ま、王様には使えない手だけど」

「これを見たら誰だって和みますよ」

「そっか。こんなの見たら悩み事なんて吹っ飛ぶよな、いくら王様でも」

「や、め、てー!!」

 酸欠になりそうなので解放してやる。

 そこに凹んで肩で息をしている朔夜に、宗温は爽やかに告げた。

「桧釐殿に帰りを告げてきますね」

 何も言えずに伸ばした手も力無く地面に落ちた。

 その横に腰を下ろして、波瑠沙は問うた。

「首の話は聞いてない。誰だったんだ、その首の主は」

 俯く顔の口が尖っている。

「お前の代わりに誰かが処刑されたって事だろ?それで皆がその首をお前だと信じている。可能なのか、そんな事が」

「…少しは顔が似てたせいだろ。…父親だから」

 流石に波瑠沙の目が驚いている。

 朔夜は顔を歪めて座り直した。笑っているのか、泣いているのか。

「別に、父親が死んだからって何とも思わないんだ。ずっとお互い憎み合ってた親子だから、好きに死んでくれって感じ」

「どうして」

「あいつが俺を悪魔にした。そのまま、何も始末を付けずに先に逝きやがった…」

 やっぱり泣いていた。

 口では誤魔化せても、素直な心根は顔に出る。

 波瑠沙はその頭を抱え込んだ。

 頭や頬を撫でてやると、朔夜は目を瞑ってされるがままになる。

「なあ、朔。素直なのがお前の良い所だよ。嘘吐かずに思う所は吐き出しておけ。そうしないと、後で腹が腐るぞ」

 腕の中の頭が振られる。

「あいつについて言う事なんてもう無い。さっさと忘れたいんだ、あんな親…」

「だからこそだろ。忘れたいなら口から出しておいた方が良い」

 目を開けば、不貞腐れたような顔で。

「あいつのせいだ。何もかも、あいつが逃げたから…」

 命の消え去った故郷の光景と。

 真っ白な母の死骸と。

「あいつが、俺を殺してでも止めていれば、あんな事には…」

 十年、ずっと呪い続けた怨嗟。

 首を振った。

 もう、その繰り返しは要らない。

「波瑠沙は分かってくれるかな…」

 見上げた顔を撫でて彼女は頷いた。

「自分の父親の顔も知らないが、お前の気持ちは想像出来るよ」

 痛みに耐える子供の顔で朔夜は頷くと、そっと口を開いた。

「大好きだったんだ。どれだけ虐げられても、自分の餓鬼じゃないって言われても、俺にとって父親は燈陰しか居なかった。大好きだったんだ。あいつの言う事なら何でもしたいと思ったし、役に立てれば嬉しいと思って…多分、それだけで、俺は、人を殺す道を選んだ」

「朔…」

「だから憎いんだ。あれから俺がどれだけ後悔しても苦しんでも、あいつは何もしてくれなかった!その手で始めたなら、その手で終わらせて欲しかったのに…なのに、勝手に自分だけ死んで…」

 泣き声は、胸の中に埋めた。

 解った。どうしてこんなに似合わない事をしているのか。似合わない呼び名が世の中に広まって、勝手に人々に恐れられて。

 全て父親の為。振り向いて欲しいが為。ただこうして抱き止めて、頭を撫でて、お前はそのままで良いと言ってやるだけで良かったのに。

 それだけの事を求めて幼いこの身は悪魔となった。

「辛かったな」

 しゃくり上げたのか、頷いたのか。

「辛かったな…」

 受け止めて、言葉に換えてやる。それしか出来ない。

 記憶の無い母親にそうして貰ったように、背中を叩いて、ゆっくりと体を揺らして。

 少しずつ落ち着いていく息を聞きながら。

「波瑠沙」

「ん?」

「ごめん…こんな奴で」

 噴き出して笑って。

「今更だよ」

 胸の中で笑う。

「そっか。今更か」

 抱き締める腕の力が強くなる。

 やっと、核心に触れられた気がして。

 癒す、なんて柄でも無いと正直思っていたけど。

 満更でも無くなった。その方法を、はっきりと見つけたから。


 夜になって王城に呼び出された。

 見慣れた執務室。でも、あいつが居ない。

 今やその室の主となった桧釐が卓に座っている。

 そろりと扉を開けると、一瞥して当然のように言った。

「来たか」

 中には既に宗温、そして孟逸の姿がある。

 宗温に招かれてその横に落ち着いた。

「怒ってないでしょう?」

 冗談ぽく言われて、苦笑いで頷く。

 それで緊張の鎖が(ほぐ)れて、孟逸に向き直った。

「戔に来てたんだな。怪我は大丈夫か?」

「ああ。もうすっかり治った。あの事が遥か昔のようだ」

 たったの半年前の事だが、その後が激動だった。

 朔夜も頷いて、一番問いたい事を口にした。

「龍晶に繋ぎが取れるのか?」

 孟逸は懐から一片の紙を取り出した。

「苴に範厳という友が居る。人目に付かぬよう細作を使ってやり取りしている」

 朔夜は紙を受け取って内容に目を通した。

 皇后の送った薬によって体は回復しつつある。残り少ないのでまた送って欲しいという旨だ。

「…生きようとしてるんだな、あいつは」

 少し意外ではあった。あの意固地な友の事だから、己を生かそうとする薬は拒むとも思えたからだ。

 だがそれを飲むという事は、まだあいつは可能性を探っているのかも知れない。

 ならば、それに応えてやりたい。

「あいつを…救ってやれそうなのか?」

 誰に問うた訳でもないが、言葉は桧釐に向いていた。

 重い溜息が返された。

「朔夜君、陛下は…」

 説明しかけた宗温の言葉を遮って、桧釐が言った。

「あの人を死地に送ったのは俺達だ。同じ口で戻せとは言えんだろう」

 弾かれたように朔夜は桧釐を見た。

「お前…」

「意味が無いんだよ。今更あの人に戻って来て貰う意味が」

 掴み掛かろうとした体を横の宗温が止めていた。

 抱き止められていても、喚いた。

「お前がやった事なのかよ!?自分達が生き残る為にあいつ一人を犠牲にしたのかよ!?意味が無いってどういう事だよ、あいつの存在が邪魔だって言いたいのか!?」

「朔夜君、落ち着いてください!全ては陛下の決断です。桧釐殿は灌王に助命協力の書状を出しています。それがあるから今日まで処刑の報が無いのだと、私は信じています!」

 朔夜は力を抜いて、桧釐に問うた。

「信じて良いのか…?」

 彼は直接には答えず、問いで返した。

「お前に都合の良いのはどっちだ?」

 朔夜は睨みながらも、真っ直ぐに答えた。

「俺は…悪魔の手からあいつを守ってくれたお前のままだと信じたい」

 頭上で宗温がふっと笑った。

「ならば大丈夫です。桧釐殿がこういう物言いしか出来ないお人だという事は、君もよく知っているでしょう?」

 朔夜は宗温の顔を見上げ、納得したように声を出した。

「そっか。従兄弟だから天邪鬼も似るんだな」

「やめろよ。そんな所は一緒にするな」

 朔夜は軽く笑って椅子に戻った。

 笑いが苦いものになる。

「あいつの天邪鬼を止めてやらないとな」

 宗温、そして桧釐に向き直って。

「苴に行ってあいつと話がしたい。お前達があいつを生かしたいと思うなら、許可してくれ」

 桧釐は息を吐きながら天井を仰いだ。

 宗温は眉間に皺を寄せて考えている。

「俺だってなるべくあいつの意に沿うようにするから。苴を怒らせるような手荒な真似はしない。でもあいつを死なせる訳にはいかないんだ。分かるだろ、お前達なら…」

「問題はお前のその言葉が信用出来るかどうかだ」

 桧釐の一言で朔夜も口を噤んだ。

 同じような場面で、龍晶にも信用されなかった。初めて哥王宮を訪れた時の事だ。

 誰も殺さないという約束。頷いたけど結局、王宮には連れて行って貰えなかった。

 その、同じ事を、今度は友の命と戔の命運を賭けて。

「守るよ。…ちゃんと約束は守るから」

 肩に手を置かれた。

「別に許可など必要無いのでは?陛下はよく言われていたではないですか。朔夜君は戔の家臣でも何でも無い、思った事すれば良い、と」

「おい、宗温」

 明らかに狼狽した桧釐の声。

「朔夜君がそこまで言うのです。私は信じます」

「向こうにどう利用されるか分かったもんじゃないぞ」

「そうでしょうか?人死にを出さねば何も言えないでしょう?少し会って話をするだけです。人目に付かぬようにね」

 宗温は孟逸に向き直って問うた。

「この事、藩厳殿に伝えて頂けますか?向こうで頼りになるのは彼だけでしょうから」

「分かりました」

「そこまでする意味があるか?」

 三人の目が、問うた桧釐に向けられる。

 分かっているだろうとばかりに。

「…例えば」

 宗温が考えつつ口を開いた。

「向こうで陛下が絶望のあまり死に急ぐような事があるかも知れません。もしかしたら今がまさにそうなのかも知れない。虜囚の生活は過酷ですから。そこに一縷の希望を持たせられるなら、きっと陛下も思い留まるでしょう」

「希望か」

「ええ、希望です」

 おもむろに桧釐は立ち上がった。手に紙と筆を持って。

 朔夜の前の卓にそれを置く。

「一筆書いてやれよ、あの人に」

「手紙?」

「ああ。薬と一緒に届けて貰えば良い」

 桧釐は孟逸に視線を送る。彼は微笑んで頷いた。

「なんて書こう…?」

 筆を取りながら首を捻る。

 文字は読めるが滅多に書かない。全く書けない訳ではないけど、難しいものは無理だ。

「何でも良いが、自分の名前だけは忘れるなよ。それこそ意味が無いからな」

 桧釐に笑われて、分かってると頬を膨らませながら。

 子供の手習と同じで紙からはみ出んばかりの字を書いて。

「これで良い?」

 大人達が覗く。

 まっとけ

 最初は暗号に見えた文字が、頭の中で意味を成すまで暫しかかった。

「おい、名前」

「あっ」

 急いで書き足す。それを三人が笑いを噛んで見詰める。

 乾かして、畳んで。

 孟逸が受け取り、彼は恭しく懐に収めた。

「決まりだな」

 桧釐が言って、宗温ににやりと笑いかける。

「問題はどうやって安全に苴に潜り込むか、だ」

「幸い、協力してくれる方を朔夜君が連れて来てくれました」

「ほう?」

「共に苴へ行くつもりなのでしょう?」

「あ、うん。波瑠沙もそう言ってくれてる」

「哥人?女か?」

「うん、めっちゃくちゃ強い」

 答える朔夜の口が緩んで締まらない。

 歴戦の桧釐はそれで全て察した。

「ほおー。お前も餓鬼だと思ってたら、いつの間にかやる事やってんだな」

「え、いや、やる事って、なにそれ知らないけど…」

 挙動不審。

「顔が赤いぞ。まだその辺餓鬼のままかよ」

「そんな事ないっ!」

「於兎に言ってやろ」

「やめてー!!」

 本気の悲鳴。大人達に笑われて、朔夜は波瑠沙の元へ逃げ帰った。


「で、苴には行けるんだな?良かったじゃねえか」

 風呂上がりだというしっとりと温かい肌に包まれて、うん、と頷く。

 これも宗温の計らいで、兵舎の風呂ではなく、総督府の風呂場を使わせて貰える事になった。つまり宗温の自宅のようなものだ。

 賛比が頑張って磨いた風呂に、主人に先んじて入らせて貰っている。

「二人で旅する事になるけど」

「勿論、それは嬉しい」

「あと、その…お願いがあって」

「何だ?」

「俺が誰も殺さないように見張ってて欲しい」

「ああ、成程。そういう状況になったら止めろって?」

「ちょっと頭冷やしてくれるだけで良いから。それで止まらなかったらその時は放っておいてくれ」

「危険だから?それ程ぶち切れてるって事?」

「まあ、そういう事」

「分かった」

 わしゃわしゃと頭を撫でて、その背中を叩いた。

「よし、お前も風呂入って来い。旅の汚れを全部流して、難しい事はまた明日考えるぞ」

「はーい」

 軽い足取りで出て行く。朔夜は兵舎の風呂で済ませるから、すぐに戻って来るだろう。

 もしかしたらそこでかつての教え子達に会って、質問攻めを食らうかも知れないが。

 波瑠沙は食堂からくすねてきた酒に手を伸ばした。

 どうも、異国に来たという感じがしない。

 長く兵舎で暮らしていたせいか。

「誰も殺さずにねえ…」

 守るべき友を前にして、朔夜にそれが出来るのか。

 波瑠沙としてもそれは疑問だった。でも、なるようになれば良いと思う。

 それで戦になるなら、また二人一緒に戦うだけだ。

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