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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十八話 切望
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4

 峯旦(ホウタン)平原は回収されない屍で埋まっていた。

 回収の為に兵を出せばそこを狙われる。敵はなりふり構う事を既にやめている。こちらに戦意があろうが無かろうが、少人数で動けばすかさず餌食となった。

 個々の戦闘力が圧倒的に違うせいだ。体格からして違う。馬を操る技術力など足元にも及ばない。

 いきなり現れて斬りつけて去ってゆく。生き残った者は皆そう証言した。

 そして敵は輜重(しちょう)を攻撃して奪ってゆく。

 いくら兵站が容易に取り易い峯旦でも、こんな事をされては飢える。

 陣中の士気は落ちていった。

「もうこれは戦ではない。どうすべきか…」

 宗温はまた輜重が敵の手に落ちたという報告を受けて頭を抱えた。

 脇に控える賛比は戸惑い気味に見上げている。

 総当たりでかかって来られれば戦いようがある。しかしこれでは、神出鬼没の盗賊を相手にしているようなものだ。

 このままでは皆が飢え死ぬ。いっそ北州まで退却すべきかとも思う。だが峯旦は死守し続けねば、被害は北州に及ぶ。

「総督、細作が戻って参りました!」

 北の様子を探るべく何人も放っていた細作が帰ってきた。これまで幾人もが死体で発見されていた。

「無事だったか!」

 自ら立ち上がって細作の男を迎えた。

 が、向き合ってそれは間違いだったと気付いた。

 男は重傷を負っていた。足を引き摺って歩き、宗温の前まで来ると、崩れるようにして跪いた。

「総督、北は…」

 言葉を切らして、大きな息を繰り返し、また声を振り絞って。

「敵は壊滅…国王軍が勝利…」

 それだけ言って気を失った。

「治療を!」

 宗温が叫ぶが早いか、彼は運ばれていった。

「それは、朗報では?」

 難しい顔をしている宗温に、思わず賛比が問う。

 生来優しい将軍は、相好を崩して微笑んだ。

「ええ、勿論。もう少しの辛抱です」

 もう少し。慢性化した空腹がもう少しで満たされる。

 食べ盛りの今の空腹は辛いが、そんな事を言っていられない。目の前の総督は自ら食事を削って兵らに食わせているのだから。

 王の事を考えているのだろうなと思った。

 上に立つ者から、自らの身を削って下の者を守る。

 そういう国に、この二人で作り替えてしまった。

「哥の朗報、陛下が聞けばお喜びになるでしょうに」

 賛比は無念さを滲ませて言った。

「恐らく向こうでお耳に入っているでしょう」

 本当だろうかと思う。そうであって欲しいだけなのかも知れない。

 新たな報告を持った兵が現れた。

「総督、輜重を運んでいた兵の遺体を回収出来ました」

「ご苦労」

 食糧を手に入れて敵は大人しくなっているのかも知れない。帰る場所を無くして、とにかく今は食う事だけに必死なのだろう。

 運ばれてきた二人の遺体を見て、宗温は大きく溜息を吐いた。

 並んで目にした賛比は泣きそうに顔を歪めた。

 苴を相手に共に戦った仲間だ。

 王はこの少年達を後方支援に回すよう命じた。だから輜重の運び手となっていたのだが、そのせいで命を落とすとは。

「…早くどうにかせねば」

 宗温の眉間にくっきりと悩ましい皺が刻まれる。

 悲しみに浸っている場合ではない。明日は我が身だ。


 馬を進めていて、何か違和感と言うか、気配を感じた。

 速度を緩める。片手を横に出して、同行者の馬も止めた。

「どうした」

 波瑠沙が問う。

「なんか、嫌な感じがする。この辺」

 見回しても草原ばかりだ。平原という名が付くのだからその広さは伊達ではない。

 所々に茂みがある。数頭の人馬なら隠れられる程の。

 波瑠沙に目配せして、朔夜はその茂みに近付いた。

 読み通り、その茂みから敵が現れた。

 飛んできた矢を躱して、馬上で低く姿勢を取りながら刃を構える。

 朔夜の得物では騎馬戦だと届かない。だから飛び道具を使う。掌大に研いだ刃だけの武器。

 薙いできた敵の槍は馬が賢く勝手に避けてくれた。朔夜は的を狙う事に集中する。

 槍を構え直そうと大きく腕を広げる。首元が開いた。そこへ投げる。

 ぐわっ、と声を出して敵は馬から落ちた。

 一方では波瑠沙が長剣を振るって敵の首を飛ばしていた。

 最後に残った敵を二人が囲む。

「波瑠沙」

 刃を手にした逆の手で手綱を引きながら、朔夜は提案した。

「言ってやってくれないか?投降すれば悪いようにはしないって」

 宗温なら多分大丈夫だろうという予想でものを言っているだけだが。

 北方の言葉で波瑠沙は敵に促した。

 相手はせせら笑った返した。

『貴様、軍に寄生していたあの女だろ?』

『知ってたか』

 今対峙している敵は元々国軍に居た兵達だ。

 波瑠沙にとって同じ釜の飯を食っていた仲間。仲間というには冷めた関係ではあるが。

『笑わせる。貴様が軍規を知らぬ訳ではあるまい。敵に投降するなど有り得ぬ』

『ああ。降るくらいなら自ら死ねってな。そう叩き込まれた』

 男は刃を振り上げた。波瑠沙は長剣を一閃させ、その胸へ斬り下ろした。

 どっ、と男が落ちる。

「…駄目だったか」

 伏した目で男の死体を見て朔夜が言った。

「これが哥軍だよ。気にするな」

 主を失って佇んでいる馬達に朔夜は手を伸ばす。

 鼻面を撫でると懐いて寄ってきた。

「馬は多いに越した事は無いからな」

 笑みを見せて朔夜は言う。

「なんだ。もう相乗りしたくないのか?」

「そういう訳じゃないけど」

「したいのかよ」

 笑って、馬腹を蹴る。

「一緒に来るか?」

 朔夜は馬達に問うた。言葉が通じたように後をついて来る。

 暫く走ると、異臭が漂ってきた。

「なんだこれ…」

 絶句する。

 敵兵も味方兵も混じり合ってそこに倒れて腐り始めている。

「どっちも遺体を引き上げさせるだけの余裕が無いんだろ」

 慣れているのか波瑠沙は平気な顔だ。

 並んで馬を走らせる。見れば見る程酸鼻を極める光景だ。

「波瑠沙は平気なの?」

 顔を顰めずには居れない自分と違って、彼女は涼しい顔のまま。

「同じようなのを見た事があってな。ちょうどこの近くで」

「それって…」

「確か、四年前か。戔と戦えるというから行ったのに、遺体を集めて焼く事ばかりやらされてうんざりしたよ」

 苦笑いする横顔を見て。

 分かって言っているのだろうかと疑問に思う。

 尤も自分にもあの時の記憶が無い。後からなんとなく聞かされただけで。

「慣れちまうもんだな。何だって」

 波瑠沙の笑みに自嘲が混じった。

「…俺は慣れないよ」

「それで良い。お前がそういう奴だから私は惚れたんだよ」

 己の所業を思い出しては胸に刀を貫かれたような痛みを覚える。泣き叫びたいが、もうそれも出来なくなった。

 波瑠沙がそう言ってくれるなら、そのままでも良いと思えた。

「俺の仕業だって分かってた?」

 流すべきか迷ったが、聞かずにはおれなかった。

「とんでもない悪魔が居るんだってのはその時知ったが…その実態を見ちまうとな。まさかこんなに可愛いとは思わないだろ?」

「ええ…?」

 またそういう事を言う。こんな時に。

「お前は狡いよな。女はそういう落差に弱いんだよ」

「えー…」

「今朝も笑ったなあ。こっちは先に起きて体洗ってるだけなのに、起きがけのお前の慌てっぷりときたら。半泣きでさ。置いて行く訳無いだろ。ったく、可愛いんだから」

 口撃に困り果てて、はうぅ、と子犬みたいな声を出す。それがまた逆効果なのだが。

「ああ、なんか見えてきたぞ」

 天の助けか、波瑠沙が遠方を指差した。

 戔軍の旗印。

「あそこに仲間が居る!戔に帰ってきた!」

 嬉しそうに叫んで朔夜は馬腹を蹴った。

 速度を上げて帰りたかった場所へ突き進む。

 波瑠沙も笑って後に続いた。拾った馬達もついて来た。天性の優しさは動物にも伝わるのだろう。

 嬉しさのあまり陣中に飛び込もうとしたが、直前で何とか踏み止まった。見張りの目の厳しさにたじろいだからだ。

 そしてやっと思い出した。自分は罪人で、国外追放となったのだった。

 さて、どうするか。

 波瑠沙が追いついて首を捻った。

「何してる?入らないのか?」

「その…追い出されたらどうしようと思って」

「はあ?」

「俺、国外追放になって戔から出されてるんだよ。龍晶との建前上は」

「はあ」

 生煮えの返事を寄越して波瑠沙は堂々と兵らに近付いた。

「我々は哥国王軍の使者だ。このたび貴軍と共通の敵を排除して参った。友好の印として哥の馬を進上し、貴軍の司令官と話がしたい。案内を頼む」

 兵は瞠目して、お待ちを、と言いながら中へ飛んで入った。

 後ろの朔夜も目をぱちくりとしている。

「ま、こんなもんかな」

 振り返って波瑠沙は得意げに笑う。

「流石だなあ」

 朔夜は素直に感嘆する。

 ややあって出て来たのは。

「朔兄い…!?」

「お、賛比か?」

 駆け寄って来る少年に応じて、朔夜は馬を降りた。

朔兄(さくにい)!本当に朔兄だ!」

 目前で止まって、何度も名前を読んで確かめるように。

「髪が短いから一瞬分からなかったよ!あれから大丈夫だったんだ!?」

 最後に会った時の記憶を思い起こすと、顔は自然に苦みを帯びる。

「ああ。あれから色々あってな。ま、生きてたから大丈夫だ」

「良かったあ…!宗温様の所へ行こう!俺、あれからずっとお(そば)に仕えてるんだ」

「ああ、勝手に戦場に出た罰だ」

「これが罰なら皆受けたがるんじゃないかな」

 賛比が顔を曇らせた。

「どうした?」

 少年は首を振って、笑顔に戻った。

「ご案内します。どうぞこちらに!」

 馬達を陣中の厩に預け、賛比を先頭に進む。

「なんか、思わぬお兄ちゃんぶりだな?」

 にやにやと笑いながら波瑠沙が言った。

「前に子供相手に稽古つけてやってた事があって。だから妙に懐かれてる」

「どっちが子供だか分からんな。いやどっちもか」

「もー。そうかも知れないけどぉ…」

 意地悪く笑って、そしてしみじみとした表情に変えて波瑠沙は言った。

「しかし、良かったな。お前の帰還を喜んでくれる人を見ると、私も嬉しいよ」

「うん。忘れられてなくて安心した」

「さて、問題はここからだ。君は私の事をどう紹介してくれるのかな?」

「え、使者で良いじゃん」

「却下」

「なんでだ…」

 それこそ子供の前で下手な事を言いたくないのだが。

 賛比が天幕の入口を開けて待っている。

 中を覗いて。

「宗温!」

 期待通りの顔があった。

「矢張り、朔夜君でしたか」

 にこりと笑って彼は応じた。

 哥王軍の使者と聞かされて予想はついたらしい。だから賛比を寄越したのだろう。

「宗温…なんか、痩せた?」

 印象の違和感を口にする。

「ご心配なく。ここ数日の事ですよ。詳しくは追って説明しますが…そちらは?」

 波瑠沙に目を向ける。問題の瞬間だ。

「ええと…哥王の警護をしてる側近で、名前は波瑠沙って言うんだけど」

 それでやり過ごそうとしたが、宗温から見えない所で腕をつねられた。

「まあ、ちょっと色々あって」

「色々、ですか」

 薄々勘付いた宗温がわざと聞き返す。

 賛比は不思議そうに二人を見ている。

 つねる手は一向に力を弱めてくれない。

 窮地に陥った朔夜は咄嗟に(ひらめ)いた。

「俺が惚れる程、腕っ節が良いんだ。だから一緒に戔に来て貰った。龍晶たちに紹介しようと思って」

「ああ、なるほど」

 一応合格点だったらしく、腕を虐める手は離れた。波瑠沙はその実力を誉めてやれば喜ぶ。

 これなら賛比にはそれほど腕が良いとしか聞こえまい。多分。

 だが世の子供が皆、それほど純ではないという事を朔夜は知らない。と言うより自分を基準にしてはいけない。

 和んだ宗温の顔は、次には険しくなった。

「朔夜君、陛下は今、戔には居ません」

「えっ…?」

 この戦時中に国を離れるなど、普通は有り得ない。

 宗温は溜息の後、覚悟を決めたように口を開いた。

「苴に居られます。まだその筈です。自ら、戦を止めるべく我が身を犠牲にされて」

「そんな」

 言葉が続かない。

 思考が止まっているようで、一瞬であれこれに思いを巡らせる。

 哥苴に進軍され戦となり、苦しい戔をどう救うか。龍晶なら、どういう選択をするか。

 友の性格を知り尽くしているつもりだった。何故気付かなかったと、己を責める。

 もっと早く戻っていれば、殴ってでも止めたものを。

「皇后様は?」

 朔夜に代わって波瑠沙が問うた。

「義父上様に助命嘆願すべく、灌へ行かれています。燕雷殿が供をしていると聞いております」

「華耶が動いてるのか…」

「お前はどうする?」

 波瑠沙に問われて、後悔に塗り固められそうだった思考が前を向いた。

「苴に行きたいところだけど…まずはここの敵をどうにかしなきゃならないだろ、宗温?」

 彼は頷いた。

「君ならそう言ってくれると信じていました」

 総司令官は卓上に地図を広げた。

「君達のお陰で本陣を無くした敵は、生き残る為の戦いを強いられています。本格的な戦闘は五日前この峯旦で行われましたが、不自然な時に敵が退却しました。恐らく…」

「本隊が潰れた事を知ったんだろ。俺達が敵を壊滅させたのも五日前だ」

 波瑠沙も頷く。

「矢張りそうですね。その後は突発的に数人で戦意の無い我々の兵を襲っています。その場所をこの地図上で記録しています。最初は戦での死傷者を調べていた兵が狙われました。この陣の北にある印がそれです。しかし、近頃は」

 指が下へと滑る。陣の南側に印が集中している。

「兵站線が狙われています。輜重を奪い、それを運ぶ兵を惨殺している。今朝も二人犠牲になりました」

「一緒に朔兄に剣を習ってた二人が犠牲になったんだよ」

 すかさず賛比が訴えた。

「二人だけじゃない。輜重を運んでるのは大体あの時の仲間だ。それが、次々と…。せっかく苴との戦で生き残ったのに…!」

 朔夜は、自分でもそうと分かる程顔色が変わるのを感じた。

 血の気が引いて、怒りだけが頭に残るような。

「…宗温」

「はい」

「お前達は纏まって北州に退却すると良い。このままここに居ても良い事は無いだろ」

「私もそう思います。しかし…」

「殿軍の代わりを俺がやる」

 断固とした口調だった。

「囮になるような荷駄を俺の近くで運ばせてくれ。その兵を犠牲にはしないから」

「お前一人でやるのか?」

 全員の疑問を波瑠沙が言葉にした。

 朔夜は目の奥に怒りを宿したまま、口元は笑う。

「ごめん波瑠沙。今回は俺一人が良い。ちょっと…抑えられそうにない」

「ああ、そうだろうな」

 子供達を思う優しさが、そのまま怒りとなって、悪魔の力に直結すると言うのなら。

 近くに居る事も危険だ。瀉冨摩のお陰でその事はよく分かった。

「私は荷駄を運ぼう。近くで出来るだけ静観するが、何かあったら手を貸す」

「悪い。それで頼む」

「朔兄…本当に大丈夫?」

 こいつには前に相当情けない姿を見せているから心配されるのだと、朔夜は察して苦笑した。

「大丈夫だ。もう腕も治ったし、全力を出せる俺に(かな)う奴が居ると思うか?」

 少年は素直に首を横に振る。

 朔夜は頷いて、賛比に言った。

「お前は絶対に宗温の側を離れるなよ。生き残れ。青惇(セイトン)や、死んでいった皆の為にも」

「分かりました。絶対に総督から離れません」

 誓いを受けて、その宗温は。

「…君がその覚悟なら、止める言葉は無駄ですね」

「ああ。よく知ってんだろ」

 出会った頃、同じようなやり取りを壬邑(ジンユウ)でした事がある。

 あの時も退却戦だった。

「君の力に頼ります。存分に刀を振るって下さい」

 四年前と同じ言葉。

 自信の無かったあの時とは正反対の、不敵な笑みで頷いた。


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