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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十八話 切望
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2

 目を開けると、隣で波瑠沙が胡座をかいて繕い物をしていた。

 なんだかちぐはぐな図だ。ついでに縫い目もだいぶちぐはぐだ。

「お、起きたか」

 目が合って、彼女は嬉しそうに言って立ち上がる。

 天幕の中だった。

 辺りは明るい。砂漠に体を置きっ放しにしては干上がってしまうからだろう。

 波瑠沙は器を持ってすぐに戻ってきた。

「水だ。飲め」

 上体を起こそうとしたが上手くいかず、彼女の手を借りた。まだ完治はしていないようだ。

 己の傷が治せないのは、矢張り力を使い過ぎているせいだろう。

 波瑠沙の腕に抱えられ、もう一方の彼女の手で器の水を口に流し込まれる。乾いていた体が生命の素を欲した。

 飲み終わると、彼女の胸の中に収まった。

 温かくて心地よい。また眠気が押し寄せる。

「朔」

「うん?」

 寝惚けた声。

「あまり無茶はしてくれるなよ」

 抱きすくめられながら、笑みを浮かべて。

「うん」

 くたりと眠る。

 あまりにも気持ち良さそうな寝顔で悪戯心が掻き立てられるが、ここは我慢した。

 半裸の体に目を移す。傷跡はまだ塞がっていない。出血こそ止まったが。

 それだけでも奇跡だと思い直してそっと寝かせ、また胡座をかいて彼の服を繕う。

 得意ではないが別に気にしないだろう。

 誰かの為に針と糸を持つなんて、初めてかも知れない。


 二日眠りこけて朔夜は目覚めた。

 傷に手を当てると、皮膚の膨らみがある。どうやら一応は塞がった。

 腕に力を込めて上体を起こす。無様に倒れる事は無くて安心した。

「波瑠沙」

 呼んでみるが、天幕の中に姿が無い。

 眠っている間、ずっと寄り添ってくれている気配は感じていた。だから安心して眠れていたのだけど。

 傍らに自分の服が畳んで置かれていた。不器用な縫い目。

「波瑠沙」

 もう一度呼んでみる。初めて不安に襲われた。

 何かあったのだろうか。

 とりあえず服を着て、帯を締める間も惜しく立ち上がろうとした。

 が、強烈にふらついて頭から落ちた。

 ずるりと上体を引き、ごろりと横に向く。

 吐き気が口を突いてえずくが、胃液すら出てこない。

 体の中に何も無いんだと思い知って、大人しく倒れておく。

 うとうとと眠っていると、足音がした。

 波瑠沙だろうかと薄目を開ける。

「朔夜君」

 その声と呼び名に眠気が吹っ飛んだ。

「おうさ…」

 思わず喋ったが、途中で吐き気に襲われた。今度は嫌な味が口の中に広がる。

「そのまま。少し待って」

 明紫安の手が胸に当てられた。

 それだけで息が楽になった。

「はい。あとは、これを」

 手が離れると吐き気が軽減され、頭の中を掻き回していたものも無くなった。

 明紫安は器を差し出していた。良い匂いがする。

「肉や野菜を煮込んで溶かしたものです。栄養を取らなくてはね」

「わあ…ありがとう」

 素直に礼を言って手を伸ばす。飲んでいる間、明紫安は器を支え続けていた。

「うまかったぁ。生き返るー」

 あっという間に器の中身を無くして、体に染み渡る嬉しみをそのまま表現した。

 明紫安は笑って器を置き、その手を両肩に乗せた。

「ごめんなさいね。こんな目に遭わせて」

 一瞬、真顔に直ったが、すぐに笑って首を振った。

「王様は悪くない。寧ろ…ごめんなさい、香奈多を救えなくて」

 明紫安は緩く首を横に振った。

「分かっていた事でした。それは暗枝阿も同じ。それでも何かせずには居られなくて、あの子は朔夜君に託したのでしょう」

「…やっぱり、分かってたんだ」

 未来を読む二人の事だ。大事な人の死期など、とっくに知る事実だった。

 それでも、無駄と知りつつも足掻いた暗枝阿。

 人の心が無いと思えた時もあったが、必ずしもそうではないようだ。

「あいつ、どうしてます?」

 問うと、明紫安は溜息と共に言った。

「消えました」

「えっ」

 驚いたが、思い直した。

「また戻って来ますよ、きっと」

 悲しみを他人に見せられないだけかも知れない。それを超えれば、すぐに戻って来ると思う。

「ありがとう、朔夜君。もう少し傷を治しておいても良いでしょうか?」

「あ、これ王様が…」

 彼女は微笑んで頷き、傷跡に手を置いた。

「波瑠沙は?」

 仰向いて天井を見ながら、一番知りたい事を訊く。

「香奈多の埋葬をしていました。少し…(こた)えたのでしょうね、矢張り親代わりであり師でもあるから」

「…そっか」

 何処か、他人に見られぬ所で彼女も泣いている。その傍らに居られない自分が悔しい。

 引き攣れていた傷跡の痛みが消えた。

 触ってみると、蚯蚓腫れも引いていた。

「さて、朔夜君。あまり()かすのは本意ではありませんが」

「分かってます。戔に戻らなきゃ」

 頷いて、明紫安は言った。

峯旦(ホウタン)平原ではまだ戦が続いています。戻る場所を無くした哥軍は死兵です。宗温将軍が防いでいますが、かなり苦しい状況です。しかし申し訳ありませんが我が軍に国境を越えさせる事は出来ません」

 勝手な越境は侵略と同じだ。それに、率いている各地の部族達は他国の事まで干渉する気は無いだろう。

 朔夜は頷いて上体を再び起こした。

「大丈夫です。俺だけでなんとかします。すぐにでも向かいたいんです…けど」

 気掛かりは。

「大丈夫。波瑠沙を頼みます。あの娘は何処までもあなたについて行く気ですから」

 言われて、朔夜ははにかんで返した。

「俺もあいつについて行くんです。海へ」

「そうですか。それは良いですね。きっと楽しい旅になります」

 笑顔で祝ってくれる明紫安に無邪気に笑い返して、今度こそ服を着込む。

 滅茶苦茶な縫い目がなんだか嬉しい。

 天幕が開いた。波瑠沙が戻ってきた。

「あ…陛下」

 声はまだ元気が無い。

「お邪魔していますよ、波瑠沙。朔夜君は元気になりました」

「王様に治して貰った。もう俺は大丈夫」

 口々に言われ、波瑠沙も口元に笑みを戻した。

「ありがとうございます、陛下」

「礼はこちらの方こそ。ありがとう、波瑠沙。よく戦ってくれました」

 彼女は親であり主である人の横に座った。

 まだ目には涙が残っている。その顔を、明紫安の手が包む。

「酷な仕事でしたね」

「いえ…」

 言葉少なに否定した顔を上げさせて。

「これからは好きな事をなさい。好きな所へ行って、好きな人と過ごせば良い。…そう、海に行く時は都に寄って、顔を見せて下さいね」

「陛下…」

 明紫安は微笑んで娘の頭を撫でると、立ち上がって二人に言った。

「あなた達の未来を寿(ことほ)ぎます。どうか幸多きものでありますように」

 哥王は去った。

 香奈多の最期だけは見届けようとここまで来たのだろう。都を出たのも随分久しぶりだったのではないか。

「波瑠沙はもう大丈夫?」

 睫毛を濡らしたまま彼女は頷いた。

「ひとしきり泣いたら区切りが付いた。お前のお陰で嘆く間も無かったからな。まあそれで良かったんだ」

「ごめん、世話焼かせて」

「良いんだよ。だけどもうこういうのは無しな?」

「それは…約束出来ないけど」

 無しにしたくても何度も繰り返してきた。

 朔夜自身は何も後悔していないけど。

 誰かを守れずに悔いるよりは、多少の痛みなんてずっと軽い。

「戔に行く。…来てくれる?」

「勿論。それを楽しみにしていた」

「もう一戦するけど」

「望む所だ」

 朔夜は頷いて、じっと波瑠沙を見る。

「どうした?」

「いや…ええと」

 挫けそうな心を叱って。

 不器用に顔を寄せて、思い切って口をぶつけた。

 そう、ぶつけた。勢い余り過ぎた。

「いった…下手くそ!」

「ごめん…ほんとごめん…」

「どうしたいきなり」

「波瑠沙がこの前怒ってた理由がやっと分かったから…」

「ずっと考えてたのかよ!?」

「だってすっげー怒ってたから…」

「ったくもう」

 笑ってしまう口をなんとか抑えて。

 これが手本だとばかりに、銀髪の頭を片手で支えて、顔を横に倒して、そっと触れる。

 やっぱり成されるがままなのは、進歩が無いけれど。

 まあ追々に、と考えつつ。

 だけどやっぱり笑ってしまった。噴き出して、お手本は失敗。

 一度笑い出すともう駄目で、涙が出るまで笑いが溢れた。

「波瑠沙ぁ」

 困っている。それがまた笑える。

「あーもう、十年早いわお前」

 ぐしゃぐしゃと銀髪を掻き回して立ち上がる。まだ笑いの余韻を残しながら。

 自分で言っておいて何だが、十年は待てない。早く成長して欲しいものだ。

「行くか?」

 気軽に問う。

「うん、行こう」

「馬は何頭借りる?一頭で良いか?」

「いや、そこは二頭で」

 波瑠沙は笑いながら手荷物を引っ提げて外へ出た。朔夜も刀を提げた外套を羽織って続く。

 多くの血を吸って随分薄汚れた外套に、真っ白な糸が、時に瘤を作りながら通されていた。


 灌王宮でまず呼ばれたのは、皇后 燿蘭(ヨウラン)の開く晩餐会だった。

 後宮で行われるという事で燕雷は立ち入れない。華耶は少し心細そうな顔をした。

「いきなり伏魔殿の中心地に踏み込むんだもんなぁ。まあ、無理はするなよ」

 燕雷は冗談ぽく言いつつも気掛かりではある。

義母上(ははうえ)と食事を共にするだけですから」

 気丈に華耶は言って向かったが、この誘いがどこまで目的に影響を及ぼすのか分からない。

 燿蘭は灌王の正室だ。だから義理の母ではある。勿論、建前だけの関係であまり顔を合わせた事は無い。

 鵬岷を(うと)んで戔にやったのはこの皇后で間違い無い。それだけでも人柄が見えようというものだが。

 侍女達と共に灌王室の後宮へと入った。

 謁見の室内に入ると、卓上から溢れんばかりの豪華な酒肴が並んでいる。

 それらを前に待っていると、ぞろぞろと女官が現れ、その最後に一際着飾った皇后が現れた。

「義母上、お久しゅうございます。この(たび)はお招きありがとうございます」

 華耶が向き合って丁重に挨拶をする。

 皇后は見下げながら返した。

「これは陛下より頼まれたのです。先に女同士打ち解けて話をするが良い、と。まあ、その魂胆は見えていますけどね」

「魂胆、とは」

「陛下は私を(てい)よく遠去けている間、あの女と会っているのですよ。あなたはその為に利用されただけ」

 華耶は唇を引き結んだ。友好的に話が出来るとは思っていなかったが。

「どうぞ、お座りなさい。食事を共にしたという事実は作らねばなりませんから」

 燿蘭の正面の席を、侍女が椅子を引いて待っている。

 華耶に選択の余地は無く、二人の皇后は向き合った。

「相変わらずの田舎娘」

 燿蘭は吐き捨てて、酒盃を手にした。

「生憎ですが、私には経験が無いので未亡人を慰める言葉を持ちません。惨めなあなたの言葉を聞く事は出来ますけどね、少しの間なら」

 燿蘭の皮肉よりも、華耶は事実が知りたかった。

「灌に報せがあったのですか?彼の事…」

「何の報せかしら?」

 言葉に詰まる。自ら口にしたくはない。

 燿蘭は嘲笑った。

「ああ、戔王の死の報せという意味?」

「…無いですよね?そんな事…」

「その報せの意味がありますか?分かりませんね。自ら首を落とされに行った人でしょう。もう死んでいるも同然」

「そんな事はありません!」

「猿みたいに叫ばないで。煩いわ」

 重く溜息を落として、華耶は言った。

義父上(ちちうえ)にお会いしとうございます。義父上ならば、苴に向けて助命の話をして下さるでしょう。義父上は私よりも寧ろ、彼の事を気に入っていらっしゃるから」

「甘いのね。それが田舎娘だと言うのです」

 何故、と顔を上げる。

「仮にも親子ですから教えてあげましょう。あなたの夫など、見目が良いだけの操り人形ですから。我が陛下はそれを利用したに過ぎません。確かに気に入ってはいるでしょうね。少し甘い言葉をかければすぐに懐くんですもの。こんなに操り易い王は居ない」

「利用して…どうしようと言うのです」

「あら?まだ分からない?私としては鵬岷を引き取ってくれて有難く思っているのだけれど。あの汚い顔をもう見ずに済むと思えばどんなに清々しかったか」

「酷い…」

 真正面から華耶は呟いていた。

 愛想でももう頷けない。言った言葉を後悔はしない。

 杯の酒が顔に掛けられた。

「あなたも汚い顔ね」

 冷たく燿蘭は言った。

「夫と一緒にその顔、切って並べれば良いのに」

「そのつもりです」

 一言、強く言い切って、華耶は立ち上がった。

 振り返りもせず客間に帰る。自分の部屋ではなく、燕雷の部屋へ寄った。

「おお、早かったな。どうだっ…」

 問おうとして言葉を飲んだ。

 どうだったか、顔に全て書いてある。

「燕雷さん」

「はい」

 怒りから来るただならぬ圧を感じて燕雷は縮こまる。

 それを感じ取った華耶は、怒りを仕舞って溜息に変えた。

「…ごめんなさい。つい、頭に来ちゃって」

「華耶ちゃんを怒らすなんて相当だな」

「私だって怒りますよ。今までそういう人に出会わなかっただけ。幸運だったんです」

「並じゃない苦労をしてるのに?」

「繍でも朔夜が居るから幸せだった。こっちに来てからは勿論彼…陛下と共に居て幸せだったんですけど…。私、今すごく後悔してます。彼の苦悩を何も分かってなかった。燿蘭皇后の言葉を聞いてやっと分かりました。鵬岷を迎え入れた事が間違いだったとは言わないけれど…」

「灌王家は最初からそれが目的だったって事か」

「燕雷さん、分かってたんですか?」

「いや。帰ってみたら鵬岷が戔に納まってるから、それでやっと分かった。どうして皓照の奴が華耶ちゃんを皇后にしようと働きかけたのか」

「それがきっかけだったんですね」

「華耶ちゃんは何も悪くないからな」

 彼女は答えずに遠くを見た。

「…せめて、私がそれを分かっていたら、彼をここまで追い詰める事は無かったと思います」

「そうかなぁ。こうなったのは龍晶の性格上の事だと思うけどな」

「そうだとしても、彼の性格を知っていながら離れてしまった私の責任です」

「離れて?」

「燕雷さん達が戔を発った後、物凄く険悪だったんです、私達」

「ええ…?想像出来んな」

「最初は些細な行き違いだったんですけど、鵬岷を迎えるかどうかでどうしようも無くなっちゃって。彼を孤立させてしまいました。きっとそれがあったから、この世にもう居たくないと思わせてしまった」

「…馬鹿だな、あいつは」

「そう。馬鹿な間違いはやり直しさせてあげたいじゃないですか」

 燕雷は目を瞠る。

 厳しく優しい言葉。今までの彼女からは想像もつかないが、今の彼女ならば分かる。

 それを言える強さをもう、持っている。

「それが彼の望みだとしても、私はそれを聞いてあげられる優しさは持っていません。灌が駄目なら私一人でも苴へ行きます。良いですよね?」

 危険だからと皆で揃って灌に留めていた彼女はもう居ない。

「そうなったら、俺も行くから一人じゃないけどさ」

 燕雷は言って、笑う。

「ありがとう、燕雷さん」

 華耶も言って、微笑んだ。

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