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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十五話 父親
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  挿絵(By みてみん)



 ここが夢なのか現なのか分からない。

 目覚めた時に夢で良かったと、普通は胸を撫で下ろすものだと思う。だけどもう、夢の中に居る時間の方が長くなってしまって、その分悪夢に苛まれる。夢の方が残酷だ。

 目を開いていても同じように亡者に取り囲まれる。己を恨む者達が、呪いの言葉を吐きながら。

 だからあの男を殺してはならなかった。

 生かしたまま苦しませるべきだった。

 ほら、来た。

 刀を持って。鼻の無くなった顔で、あの厭な笑みを浮かべて。

 殿下も同じようにしてあげましょう、と。

 何を言っている。先にやったのはお前だろ?だから俺は同じようにお前の一部を切り取った。同じ苦しみを味わわせる為に。

 知っていますよ。では次は何処にしますか?選んで良いですよ。

 刀が翻る。輝きも何も無い、血で錆びた刀だ。

 その後ろに兄が見えた。助けを求めようとして、心臓が凍り付いた。生前と同じ薄笑いに。

 同じ世界に佞臣を送ってしまった。だから元に戻ってしまった。人の道を外した人ならざるものに。

 否、もう彼らは人では無い。悪霊。俺を地獄へ陥れる亡者。

 刀が下ろされる。太腿へ。両足を差し貫いた後は、腕へ。

 夢である筈なのに、幻だと分かっているのに、痛い。己の呻き声が耳に入る。なのに現実へ帰れない。何故だ。

 この痛みを現実に知っているから。

 悪魔が俺に教えた。

 あの時死ぬべきだったのに。

 では悪魔殿と同じようにしてあげましょうか。殿下がそうお望みならば。

 違う。お前じゃない。俺は、あいつになら殺されても良いと――

 助けて。

 お前しかいない。

 朔夜。

 お前しか――


 厳しかった寒さが徐々に緩んできた。

 それでもまだ春は遠い。溶け残って固くなった残雪の上に、今日はまた大粒の雪が積もる。

 昨日までは小春日和が続いた。お陰で街道の雪は通行可能になるくらいには解けたらしい。

 各地で行き場を無くしていた書状が一斉に届けられた。文官達はその仕分け作業に忙しい。

 そこから重要で緊急性の高いものがこの執務室に届けられる。

 この場所はこの場所で冬の間中ずっと、国の未来を左右する程の仕事をしている。

 王位を廃する為の仕組み作り。

 それを王その人が作り出している。

 前代未聞の事でもあり、決めるべき事は多い。政の仕組み、それを担う人選、王族の扱い、祭事への関わり等。

 それらを覚醒している僅かな時間で自らの筆で書き留る。全てを形にせねば後に無用の争いの種を撒くからだ。

 桧釐(カイリ)はそれを手伝いながら日々の実務もこなしている。

 今も受け取った膨大な各地からの書状に目を通し、ふと王へ目を向ける。筆が落ちる音がしたからだ。

 机上に突っ伏して肩を大きく揺らしながら息をしている。祥朗(ショウロウ)がすぐさま傍らに跪いて兄の顔色を見ている。

 いつもなら見て見ぬ振りで己の仕事に専念するが、桧釐は立ち上がって王へと近寄った。

 背中に手を当て、摩りながら声をかける。

「そろそろお休みになっては如何です?後宮まで運ばせますよ」

 緩く首が横に振られる。額を支える手とは逆の、だらりと宙に下げられた腕の先で、手が筆を探している。

 祥朗が拾い上げ持たせた筆は、しかしまた床へと落ちた。

「筆を持つ力も無いのではしょうがないでしょう。休みましょう」

 もう一度促すと、か細い声で返答があった。

「後宮へは帰らん。そこの椅子で良い」

 示された長椅子に従者達が身体を抱き上げて運ぶ。桧釐はその傍らの床へ座った。

「どうして後宮を拒むのです。もう体力的に限界なのはご自分でもよく分かっておいででしょう?暫し仕事を忘れてゆっくり休めば良いのに」

 仰向けの顔は上を向いたまま苦く微笑した。

「仕事を忘れた心の隙に亡者共が付け入って来るんだ。だからここに居た方が心が安らぐ」

「忙しい方が楽って事ですか。我々は陛下の負担を減らすべく仕事をしているのに」

「悪かったな。どうせ出来る事は限られている。今後の為にもお前達が必要だ」

「いえ別に、文句ではないんですけどね」

 仕える官は徐々に増えてきている。桧釐が頼みとする側近も出来た。王を頼みとしなくとも政はそれで回っている。

 そこで更に地方からも人を集める事にした。身分は問わず優秀な者を選出して都に送るように各地方へ触れを出している。雪が解けた事で今頃その触れは各地へ届いている筈だ。

 そして集まった者の中から更に選抜し、それぞれから出された政策の吟味、決定をする組織を設ける。その基本指針を今、龍晶(リュウショウ)が考えている。

 俺は死ぬまでにこの体制を整えると言って。

「細くとも長生きして下さった方が我々には有難いのですが」

「こんな状態で長く生きられる方が迷惑だろ」

 言う事とは裏腹に、声に芯が戻ってきた。

「俺の事はいい。書状の内容を聞かせてくれ」

 言われて桧釐は手にしたままだった書状の束を開いた。

 いくつかに目を通し、軽く笑って告げる。

「やはり任官について身分を問わぬ事に反発する者が多く居りますな」

「想定内だ。役所で握り潰されぬよう、民に直接報せる方法を考えねばな」

「各地の学問所の開設を急がせましょう。そこで報せれば良い。どうせ読み書きの出来る者は限られているし、そういう者は必ず講師に招かれるでしょう」

「ああ。それで動いてくれ」

「畏まりました」

 次の書状を開きながら桧釐はやや緊張した声で言った。

舎毘奈(シャビナ)殿からです」

「何!?日付は?」

「半月前です。読まれますか?」

 師からの書状を差し出されるが、受け取っても手の痺れで上手く開けない。

 筆と同様、床に落ちた書状を拾った祥朗にやむを得ず頼む。

「済まんが開いて見せてくれるか?」

 祥朗は頷いて、仰向けの顔に見えるように書状を持ち、目の動きに合わせて開いてゆく。

 読み終えて、重い溜息を漏らした。

「矢張りあの方の言った通りだ。()王は大臣の一派に囚われ身動き出来なくなっている。王に近い者達も皆、投獄されるか都を追われてしまった。更に大臣は、壬邑(ジンユウ)に国境を接する地に兵を集めているらしい」

 桧釐が顔色を変えた。

「攻めてくる気ですか」

 龍晶は即答しなかった。

 かつての壬邑での記憶が押し寄せる。

 初めてこの身で体験した戦。朔夜(サクヤ)の力を当てにするも使えず、敗走し、一人戦地へ舞い戻った事。

 そして捕虜となり、記憶を失った朔夜と再会し、その力を目の当たりにして愕然とした。

 その後の兄の命令による無謀な戦。朔夜の怒りと、それを受けて切り刻まれた我が身。

 どれを取っても思い出したくない。そして繰り返すなど(もっ)ての(ほか)だ。

 敵も朔夜の力の恐ろしさは身に染みている。それを脅しにしてこれまで侵攻を阻んできた。

 大臣が力を持って侵攻を推し進めようとしているのは分かるが、朔夜が今この国に居ないと知っての事だろうか。

 そろそろ哥に辿り着いた頃だろう。()で何か問題でも起こっていない限り。――苴?

「苴が教えたのか…大臣に…!」

「へ?」

 突然の言葉に桧釐がぽかんと口を開ける。

「朔夜は今この国に居ない、今が攻め時だと、大臣に教えたんだ。だから、今…!」

 苴と哥の大臣側は繋がっている。

 だから朔夜を取引の材料にして、その間に哥王一派を失墜させ準備をし、いよいよ障壁となる朔夜を戔から取り除くと戦に持ち込む。

 二国のそういう連携があっての、この流れ。

「哥が攻めて来るとしたら雪解けの後だ。道が通れるようになり次第、雪崩のように攻めてくる筈だ」

「迎え撃つのですね?戦をするので良いのですね?」

 頷く動作が出来ない。

 繰り返すのか。それで良いのか。

 だが他に(すべ)が無い。

宗温(ソウオン)を呼んでくれ」

 桧釐は背後に控える従者へ使いを頼んだ。

「…北州(ホクシュウ)は、守らねば」

 龍晶が呟く。いつかと同じ事を。

 相手の狙いが金鉱脈である事は明白だ。街ごとくれてやる訳にはいかない。

「爺さんやお母上の眠りを妨げないようにしないとですね。大丈夫ですよ、陛下。義は俺達にある」

 力強く桧釐は言ってくれるが、義の問題では無い事も分かっているだろう。

 力の大きさが国の命運を決める。

「桧釐、戦を避ける術は考えるべきだ…。例え無駄になっても。俺が大臣と直接話しても良い」

「まさか、陛下」

 桧釐は半笑いで返す。

「机からここまで自力で動けない人が何を言ってるんですか。大臣がここまで来る訳が無いし。そういう勇ましい事を言う前に早く体を治して下さい」

「勝てると思っているのか」

 冗談で包まれた悔しさから、つい本当の事を言ってしまった。

 桧釐は真顔に直った。

 言ってはならぬ事を口にされた、怒りを抑えた無言。

 それでも王として国を守る為に、言わねばならなかった。

「勝機は薄いぞ」

 無い、とははっきりと言えなかった。

 まともに両軍がぶつかれば物資、人員共にこちらが圧倒的に少ないのは明白だ。兵達の実戦経験も少ない。士気だけはやってみなければ分からない所ではあるが。

 桧釐がますます憮然としたとき、扉が叩かれた。

「宗温です。入ります」

 中の様子を見、横たわる王とその枕元に座る事実上の最高権力者に目を留めて、少し驚いた顔をする。

「陛下…後宮でお休みになられた方が良いのでは…?」

「同じ事を何度も言わせるな。桧釐、説明しろ」

 桧釐は立ち上がって宗温を近くに招き、祥朗が手にしたままだった書状を受け取り、そのまま宗温へ渡した。

 舎毘奈からの書状を読ませる。それが一番手っ取り早い。

「分かりました。こちらも壬邑に兵を集めましょう。私も行きます」

 宗温の言葉に龍晶は首を横に振った。

「お前は残れ」

「しかし…」

 他国との戦は未経験の軍だ。総大将が前線に居る事で士気は上がるだろうし、長く()の地で戦をしてきた宗温ほど的確な指揮ができる将は居ない。

 それは龍晶とて重々承知だ。だが。

「敵は哥だけとは限らんからな」

「は…!?」

 宗温、そして桧釐からも訝しむ声が漏れる。

「哥の大臣は苴軍と結託していると思った方が良い」

「しかし、孟逸(モウイツ)が言ってたじゃないですか。苴軍は哥を敵視していると」

「あの時はな。だが考えてもみろ。哥と戔、戦をして利があるのはどっちだ」

 広大なばかりで砂漠の多い哥と戦をしても不利なばかりで益は無い。

 対して戔は今、力が足りないのは明白だ。そして金鉱脈、鉄鉱脈などの資源が獲れる。

「哥と苴で金を山分けしようと画策している…そこまで有り得るだろ」

「そんな…だって、元々敵国だったんですよ?仲良く戦して利益を分け合おうなんて、出来ます?」

「両国を近付けたのは俺だ」

 哥に行き、親書を届けて、国交を結ぶきっかけを与えた。苴には哥の言葉を解読する書まで与えて。

 それが己の首を絞めるとは。

「…孟逸に会えないだろうか。何が起きているのか、あいつから聞きたい」

「苴へ書状を出しましょう。しかし…」

 それが事実なら孟逸も敵国の人間となる。

「苴へ間者を出して探らせましょう。国境の警備も強化します」

 宗温の提案に頷く。

 彼は続けて問うた。

「陛下は何故、両国が結託していると思われたのですか」

 確認するような問い方だ。己の考えとの答え合わせがしたいのだろう。

 龍晶は自分からは答えず、口の端を吊り上げて頷いた。

「月夜の悪魔…ですか」

 宗温は敢えてそういう呼び方をした。

 苴と哥が敵視する存在。それは朔夜という少年ではなく、不気味で強大な悪魔の力だ。

「何だよ、あいつが居ないと俺達は何も出来ないと思われてんのか」

 桧釐が面白く無さそうに言い捨てる。

「事実ですよ、桧釐殿。あの力があったからこそ今まで戦にならぬ抑止力として働いていた。無くなった途端にこれです。内乱から間も無い我が軍が成熟するまではまだ時間が掛かる。そこを狙わぬ手は無いでしょう」

「ああ、そこを勝ってやればもう何処も手を出せなくなるって訳だな。やるぞ宗温。俺達は何が何でも勝ってやる」

 宗温と龍晶が目を見合わせる。

 個人の喧嘩で負けを知らぬ桧釐だからこんな無茶が言えるのだろう。朔夜の力を前にむきになっているとも見える。

「…戦を避けられる可能性は、まだ、ある…」

 ぽつりと龍晶は言った。

「ありませんよ陛下。もうこうなったらやるしかない」

 自棄(やけ)のような桧釐の言葉を無視して、宗温が王の口元に耳を寄せた。

「我々は何をすれば?」

 小さく首を横に振られる。

「出来る事は無い。待つだけだ」

 後ろで、はあ?と桧釐が声を上げる。

「何を待つのですか」

 冷静に宗温が問うた。

 龍晶は確信に満ちた目で、しかし声音は悪事を親に申告する子供のような弱々しさで言った。

「朔夜が哥王を救い出す…そうすれば…」

 一瞬、時が止まったように。

 ぎこちなく、宗温が確かめるべく口を開いた。

「朔夜君が?哥王をお救いする、と?」

 龍晶は薄く笑って頷いた。

「今までお前達には黙っていたが、俺はそのつもりであいつを送り出した」

「有り得んでしょう!」

 桧釐が怒鳴った。

「だって苴は現に、あいつを受け取っている筈だ!今にも報せが来ますよ!悪魔の首を落としたと…!」

 無言のまま、龍晶は桧釐を睨んだ。

 その凄みに口を閉じる。

「…朔夜君は一人で哥に向かったという事ですか?」

 宗温が重ねて問う。

「いや。燕雷(エンライ)と、哥王の弟君が一緒だ」

「…哥王の弟君?」

 二人にとっては全く寝耳に水の存在だ。

「哥王には双子の弟が居て、生き別れて以来長くその存在を探しておられると俺は陛下から直接聞いていた。そのお人が朔夜の前に現れ、その力で共に哥王を救いたい、と。俺に止められる筈は無いだろう」

 宗温は思わず桧釐を振り返っていた。

 信じられない顔をしているのは二人一緒だ。

 無言のうちに二人の意見は一致した。

 これは、そうであって欲しいという狂人の妄言だ。

 宗温は取り繕って王に言った。

「分かりました。しかし朔夜君の働きをあまり当てにしてもいけないでしょう。我々は戦の支度を始めます。お許し頂けますね?」

「ああ。善処してくれ」

 宗温は頷いて立ち上がった。やるべき事は多く、時は迫っている。

 残された桧釐は、恐る恐る従弟へ目をやった。

 朔夜の死を口にした時の目が、本気で怖かった。

 王は耳を塞ぎ、苦悶の表情を浮かべていた。

 また亡者の声が聞こえると言うのだろう。正気ではない。

 祥朗が薬を飲ませるべく、既に動いていた。

「桧釐…」

 魘されるように口を開く。

「はい。ここに居ります」

 目を固く閉じている。傍らに座り、肩を撫でた。

「苴から何か報せがあれば漏らさず見せろ…必ずだ…」

「承知しました」

 果たして、何処までが正気の言葉なのか。

 桧釐は眉根を寄せた。その前で、祥朗が淡々と兄に薬を飲ませる。

 まるで糸が切れるように強張っていた力が抜け、王は眠りについた。

 かつてのあの戦で、宗温は笑いながら言った。

 今宵は龍晶様に知って頂きましょう。あなたが眠っていても、戦は出来ますよ、と。

 その後の悲惨な展開は記憶から消す事は出来ないが。

「なあ、祥朗」

 思わず桧釐は言った。

「この方をずっと眠らせておく事は出来ないかな…。戦が終わるまで」

 祥朗は目を見開いていた。当然だ。

 桧釐は軽く笑って冗談だと言い添えた。

「だけど、その方が良いと思うんだよ」

 現実を見せたら、また壊れる。

 これ以上壊れたら、本当に永遠に眠ってしまうだろう。


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