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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十七話 相思
29/72

7

 口元を柔らかく塞がれる感覚で急に目が覚めた。

 じたばたと手足を動かし、体が開放されるとがばりと身を起こす。

 周囲から笑い声が聞こえた。見れば、その犯人たる彼女も笑っている。

「ちょ…波瑠沙あ」

 批難を込めて呼ぶと、悪い悪いと軽くあしらわれた。

 目を止めていた男達は冷やかすような事を言って動き始める。皆が馬を引いている。

「出立するから馬には乗ってくれ。乗ったらまた寝ても良いから」

 抱えてやるから居眠りしても良いと波瑠沙は言っている。

 そんなに寝過ごしたかと朔夜は目を擦った。

まだ寝足りない疲労感が体も頭も鈍くしている。

 ぼうっとしながら身支度する。その間に彼女は馬を引いて来た。

 先に波瑠沙が乗り、手を出される。

 その手を掴んで彼女の前に騎乗した。

 包まれる温かさでまた眠気が襲う。言葉通りになる悔しさはもう無い。

「よっぽど疲れるんだな」

 うとうとしながら頷く。前のめりになる所を、波瑠沙の手が押さえて自らの体に持たせかけてくれた。

 天国のような夢心地。なのに、辿る記憶は地獄の光景。

「本当はあまりやりたくないんだけどさ…」

「やらざるを得ないか。その力がある以上は」

「そう。戦がある限りは…」

 本音を吐いて口を閉じた。

 やがてその口から寝息を吐き出して。

 波瑠沙は馬を荒れさせずに駆る事に集中した。

 馬と共に移動し、生活し、戦う民族である自分達。家族同然の馬を意のままに扱えねば、一人前とは見做されない。

 同時に、戦いから逃げるような者は人として見做されない。

 戦中ならその場で味方に殺される。そうでなければ部族、そして家族からも追放される。

 だから当たり前に男は皆、戦いに向かう。

 やりたくないなんて言う事も許されない。

 それを口にした少年を侮蔑する気にはなれないけれど。

 これが他の男なら瞬時に見限る所だ。

 彼が幼い頃から見続けてきた戦場で何があったのかを考えれば、そのくらいの言葉など気にするものではないと思えた。寧ろ、いくらでも弱音を吐いて欲しい。聞くだけなら聞いてやりたい。

 己に課せられた、見えない傷を癒すという命題は、そういう行為の積み重ねなのだろう。


 王の装束を着せられながら、これは死装束だなとぼんやり考えていた。

 身なりだけは立派にして送り出したいという周囲の気遣いだ。それは有難いが、己を葬る為の戦略の内でもある。

 最早ここまで来て本人か否かを疑われはしないとは思うが。

 華耶は隣でずっと手を握っていた。それだけの繋がりがあれば、最早言葉は不要だった。

「お迎えに上がりました」

 宗温がやって来て、跪いてそう言った。

 龍晶は頷いて、立ち上がった。

 整えられた姿形はまるで人形のようだった。中身の空虚な、他人の意のままに動くしかない人形。

 馬車に乗ると、隣に華耶が付いて来た。

「お見送りします。それくらいは許して下さい」

 止めようとすると、断固とした口調でそう言われて龍晶は折れた。

 二人きりの馬車の中で、今朝方まで抱き合っていた体を寄せて。

「…朔夜も居れば良いのに」

 華耶が言った。

「俺もずっとそう思ってる」

 答えて、遠く北へ思いを馳せる。

 あいつに報せは行くだろうか。

「そうだ、仲春」

 言いながら華耶は自らの髪を解いた。

 その手には、朔夜とお揃いだという組紐。

「朔夜には効果がありそうだったから、これは仲春に」

 友と同じように右手首に括られる。

「早く、無事に帰って来れますように」

 願いをかけて、顔を上げ、にこりと笑う。

「きっとまた三人で会えるよね?」

 何も言えなくて。

 代わりに涙が溢れて止まらなくなった。

「やだ、泣かないで。泣かせちゃった、どうしよう」

 困ったように笑いながら、最初は袖で顔を拭いていた。が、ふと華耶は顔を寄せてその涙を舐め取った。

 そのまま唇を重ねる。束の間、初めての夜に二人は戻った。

 互いにその顔を、頭を、両手で包んで。

 鼻が触れる近さで、龍晶はやっと言えた。

「華耶、ありがとう。借りてた時間を返すよ」

 あの夜言った言葉、その終結。

 華耶は首を横に振った。

 馬車が止まった。

「幸せで居てくれな。永遠に」

 扉が開かれ、暴力的な光が二人を照らした。

 龍晶はすぐさま馬車を降りた。その袖を華耶が捕まえたが、絹は滑って手から逃げた。

「やだ…」

 呟いて、華耶は急いでその背中を追った。

 周囲には自国の兵が並んでいる。対面するように、少し向こうに見慣れぬ鎧を来た兵も並んでいた。

 宗温が王の背中を支えるようにそちらに向かわせている。

「待って!お願い、待って!」

 華耶は叫んだ。周囲の兵が躊躇いがちに止めるが、その手を掻き分けて夫を追った。

「私が行く!そこには私が行くの!あなたは行ってはいけない!」

 遠去かる背中が止まった。

 兵達の間を駆け抜けて、その背中に触れられる所まで迫って。

 その背中は、冷淡に家臣へ告げた。

「宗温、皇后を取り押さえてくれ。体に触れる事は許可する」

 王の命令通りに宗温は動いた。

「やだ!やめて!離して…行かないで!仲春!」

 また、進み出す。敵兵が取り囲み、駕籠が用意されて。

「仲春!お願い!聞いて!」

 肩越しに振り返る。

「私も行くから!だから…」

 ふっと笑う。

 あの、悲しい笑みで。

「春音のこと、頼むな」

 駕籠に乗り込む。簾のような簡単な扉で姿は消えた。

 もう止める言葉も無かった。

 叫び尽くした喉は悲嘆の叫びを絞り、嗚咽に代わった。

 宗温の腕の中で崩れ落ちる。

 駕籠は、敵兵の中に消え、やがてその軍勢も去って消えた。

 なにも無くなった。

「皇后陛下…帰りましょう」

 宗温の声を聞いて、初めて彼女は怒った。

「あなたは恋人を失ったんでしょう!?なら分かるでしょ!?どうして止めたの!?」

 己を止めた腕を叩いて、更に胸を叩いて、そこから逃れようと藻掻いて。

 軍人の手は離れてくれなかった。

 更に泣き声を上げても無視され、元通り馬車に押し込められて。

 そこにまだ残っている微かな温もりを掻き抱くように毛皮を抱いて、顔を押し付けた。

 そこに宗温が入ってきた。

「僭越ながら、供をさせて頂きます」

 華耶は怒りをぶつけるべき男を睨んだ。

「私が舌を噛むと思うのなら縛れば良い。好きになさい。でも一人にして」

「そういう訳には参りません」

 馬車は進み始めた。二人で来た道を、一人で。

「…彼が生きている限り私は生きます。でも万一の時は共に逝きますから」

 だからまだ監視は必要無いと、そう言って黙った。

 宗温はそれでやっと口を開いた。

「陛下は何処まで話されたのでしょう」

 冷たく見返して、華耶は首を振った。

「何も。あなた達が仕組んだ事でしょう」

「それは…」

 否定しようにも出来ない。主導したのは王自身だが、そこまで追い詰めたのは自分達だ。

 華耶は毛皮の毛氈を抱いて鼻に押し付けたまま動かない。目から涙だけが溢れ、毛皮の上を滑ってゆく。

 小さく宗温は息を吐き、独り言のように言った。

「私は見送る事しか出来ない。彼女も…彼も」

 改めて向き直って、皇后に告げた。

「私は陛下から、皇后様にご説明申し上げるよう命じられていました。その任、果たしても宜しいでしょうか?」

 華耶は諦めたように頷いた。

 なるべく事務的になるよう、宗温は話した。

「陛下は哥苴ニ国から攻められたと知った時には既に、この計画をお持ちでした。民と兵を守る為に、自ら率先して犠牲となる事を…。戔を守る為にはそれしかないとお考えのようでした。確かに、戦をして勝てる力は今この国にありません。言い訳がましいようですが、私はお止めしました。戦の責任は私にありますので。しかし、どうしてもお聞き届けにならず先日、自ら苴将を相手に交渉をなさったのです。苴の義戦の元となる憎悪を自らの身を持って受け止め、戦を停めようと」

「…王の責任を果たすと彼は言っていました。こんな方法なら私が止めれば良かった。いえ…」

 初めて宗温を正面から見返して。

「私が止めても無駄でしたね。彼は意志の強い人だから」

「…桧釐殿に頼んで、灌王に助命嘆願の書状を送って貰っています。皓照殿の耳にも入るように」

 華耶は目を見開いた。

「それがどこまで効果があるのか分かりませんが…。実際、私はこの交渉が反故(ほご)になるのではないかと甘く考えていたのです。しかし苴王は受け入れた…助命は届かなかったのか、或いは…」

「私が義父上に直接掛け合います」

 はっきりと、強い意思を持って華耶は言い切った。

「灌に行きます。行かせてくれますよね?」


 以前より遠くなった敵陣に入り、駕籠から出された。

 そこに立って迎えたのは範厳だ。

「本当に来たな」

 龍晶は口の端で笑って返した。

「ああ、そうだ、これ」

 虎の鞘の刀。

「お前が持っておくという訳にもいかんだろう?後で戔軍の陣に送らせるが、それで良いか?」

「ああ。頼む」

 宗温は首を傾げるかも知れないが、華耶が見れば分かるだろう。

 彼女だけでも、朔夜を待って貰わねばならない。

 兵が縄を持ってやって来た。龍晶は大人しく両腕を差し出した。

「これから都まで送る。丸一日の旅になるが、まあ辛抱してくれ」

 範厳の言葉に頷いて、縛られた己の腕を見る。

「慣れてるからな、こういう事には。遠慮は無用だ」

「慣れてるって、王なのに」

「王だから、だよ。ここまで死なずに来れた事が奇跡だ」

「へえ?ま、ゆっくり話は聞かせて貰おうか」

 賓客を運ぶような馬車が用意された。

「…どういう扱いなのか分からんな」

「こっちもどう扱うべきか分からんのだよ。何せ例が無い」

 龍晶は可笑しそうに笑って、手を使わず器用に馬車に乗り込んだ。

 後に範厳も続く。見張りも兼ねているのだろう。

 死地へ向かって馬車は動き出す。

 範厳は改めてしげしげと他国の王を観察した。

「若いな。幾つになる?」

「二十一」

 答えながら、そんな歳だったかと我ながら驚く。

 もっと年月を生きていたような気がするし、もうそんなに生きていたのかとも思う。

「誰も惜しんでくれる者は居なかったのか」

 龍晶は笑みを浮かべて肩を竦める。

「どうだろうな。皆で俺の望みを叶えてくれた訳だから。后だけは泣かせてしまったが」

「当たり前だ。そんな若さで未亡人とは哀れ過ぎる。子は居たのか」

「二人とも養子だから、何とも。実父は近くに居るんだし、血の繋がらない親は別に必要無いだろ」

「そうやって投槍になってるから身を売ろうなんて考えになるんじゃないか?」

「まあな。それは当たりだ」

 あっさりと肯定する口元には、感情を窺わせない笑みがある。

 自ら志願してきたのだから、悲嘆に暮れるのも確かに違うと思うが。

「怖くないのか」

「何が?」

 問われるとは思わなかった。待っているものは一つだろうに。

「死ぬ事が、だよ」

 殊更はっきりと強調して答える。

 もしかしたら分かっていないのかとも思えて。

「どうせ斬首だろ?それなら一瞬だからな」

「死に方の問題か」

「まあ別に、どんな酷い殺され方をしても同じだけどさ」

「だからそれは、怖くないのか?」

「さあ…どうだろう。生きてるよりマシかどうかかな。死ぬのは楽しみだけど」

 狂者を見る目。もう慣れた。

「死んだら会いたい人が居るから」

「そういう理由か」

「誰だって居るだろ?向こう側で会いたい人が」

「だからってそれを理由に死ぬ奴は居ないけどな」

「まあ、確かに」

「そんなに生きるのが辛いか」

「いや?近頃マシになった」

「じゃあ、何で」

「国の為って言い訳は通らないのか?」

「自らを捨ててまで守るものじゃないだろう」

「大勢の他人の命が?」

「普通は誰が死のうが自分が生きてりゃ良いってもんだろ」

「そうかな」

「それが分からんのか」

 綺麗事を言おうとしている風は無い。

 保身の意識が根本から欠けている。

「お前さん、絶望的に国王に向いてなかったな」

「それは知ってる」

 少し笑って返す。

「だけど、俺がこうなったのは王家に生まれたせいだ。当たり前に家族が皆死んで、自分も何度も死にかけたら、こうなるのは必然だよ」

「…生まれを間違えたか」

「間違いだったのかな。周囲にとってはそうかも知れないけど、俺は満足している」

「今までの話で満足できるような要素が一つも無いんだが」

「話してないだけだよ」

「じゃあ何なんだ、それは」

 その悲劇的な人生を覆して満足したと言わせるものが気になる。

「命の使い方を選べた事だ」

 範厳はまた変な顔をした。

 鼻で笑って、小窓に目を移す。

 青々とした木の茂る並木道。生の盛る季節。

「あとは…友の存在だな」

 相手に聞こえたかどうか、聞こえぬならそれでも良いと思いながら呟いた。

 朔夜が居たから。自分の人生の中であいつと出会えたから。

 それだけで満足だ。

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