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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十七話 相思
28/72

6

 残りあと一日。

 本当は華耶と一緒に居たいのに、向き合えば言葉に詰まってしまう。

 気の重さを紛らわそうと外へ出た。

 陣中へ足を向けると、たちまち若い兵に囲まれた。

 普段は宗温が(たしな)めるのにその場に居らず、いつも(そば)に付き従っている賛比が率先して囲んできた。

「何故に陛下を差し出して我々は撤退せねばならぬのですか!?」

 溜息を吐いて同じような目で囲む少年たちを見回す。

 宗温はわざとこれを黙認しているのだろう。

「そうせねば国が滅ぶ」

 一言で説明するが、納得はして貰えない。

「俺達は戦います!苴に国を取らせはしません!」

「苴に取られずとも哥に取られる。いや、恐らく二つの国に真っ二つにされる。それを防ぐんだ」

「俺達が負けるとお思いですか!?」

 真っ直ぐな言葉に龍晶は微笑んだ。

「ああ。こんな事でお前達の命を捨てさせたくないんだよ」

 同じく真っ直ぐに返すと、彼らは怯んだ。

 宗温が顔を出した。

「お前達は次王の世を支える者達だ。鵬岷を助けてやってくれ。頼んだぞ」

 陛下、と口々に少年たちが呼ぶ。

 それを振り切って、宗温に並び思い切り睨んだ。

「これで俺が折れると思ったか?」

「ご不快でしたら平に謝ります。彼らに撤退の説明をしたら自然とこうなったのです」

「全く…」

 気持ちは分かるけれど。

「北方では彼らは後方支援に当たらせてくれ。前線には出すな」

「畏まりました」

「南部は土地の者達で警戒させよう。苴が約定を守るとは限らないからな。俺の首を取ったとしてもそれで納得する者ばかりではあるまい。だが軍全体としての出陣はもう無いと思って良いだろう」

「はい」

「…せめて北方の様子が知れたらな」

壬邑(ジンユウ)の?」

「いや…哥の」

 朔夜の、とまでは言わなかった。

 あいつが今どうしているか、無事なのか、それが知りたい。

「この身から解放されたら何処にでも行けるんだろうか」

 宗温は何も言わず、痛ましい目で見てくるだけだった。

 苦笑して踵を返す。正気を失っていると思われているようだ。

「帰るよ。明日は頼むな」

「…はい」

 それ以上は何も言われなかった。諦めたのだろう。

 屋敷に帰って華耶の姿を探すと、卓に着いた後ろ姿を見つけた。

 その前に、苴王からの書状が広がっていた。

「…読んだのか」

 背後から声をかける。華耶は振り返らぬまま言った。

「ごめんなさい。大事な書状を。でも全部は分からなくて。あなたを手伝いたくて勉強してきたけど」

 頬から涙が落ちた。

「教えて。明日何処へ行くの?」

 答える代わりに後ろから肩を抱いた。

 頬を擦り寄せると、どちらが泣いているのか分からなくなった。

 唇を重ねる。最初のように、不器用なまま。

「仲春」

 呼んで欲しいと頼んだ名が、今は痛く胸に響く。

 母に会える。もう少しで。なのに、彼女がこの再会を望んでいると思えない。

 目の前の人が泣いているから。

「少しだけ戔を離れる。すぐ帰るから」

「…本当?」

 頷く。そして微笑む。

 貴女にも笑って欲しい。

「俺が帰るまで、春音と鵬岷を頼むよ。鵬岷が戴冠すれば婚姻を考えてやって。華耶の手腕が問われる大仕事だから」

「私、お姑さんになっちゃうの?もう?」

 軽く笑って頷いた。

「早過ぎるよな。全く…」

 考えれば、笑えなくなった。

 人並みな体であれば、こんな事にはならなかった筈だ。

 この命の短さを義父は知っているから養子を寄越した。彼女の望みも存在も全く無視するように。

 だけど国の事を考えれば選択肢は無かった。

「ごめん…。華耶の人生まで俺は壊してしまったのかも知れない」

「なんで?そんな事無いよ」

「いや…」

 優しさで否定してくれる。それともまだ自覚が無いだけか。

「私はあなたと春音と暮らせればそれで良い。いつ帰って来れるの?」

「…分からない」

 寝台に身を投げ出して顔を覆った。

 嘘と隠すべき言葉で喉が詰まりそうだった。

 そっと、温度と重みが乗ってきた。

「大丈夫。安心して。ずっと一緒に居るから」

 失う恐怖をずっと抱いてきた。

 失わせる悲しみを、漸く知った。


 相変わらずの単身行動。否、後ろには波瑠沙が居るけれど。

 暗枝阿に命令された。お前は敵の背後を突け、と。

 確かに力を使えば大勢居る味方の迷惑にもなるから望む所ではあるが。

「暗枝阿様も無茶を言われる。これが一人でやる事か?」

「一人じゃないよ。波瑠沙が居てくれるから」

「そうじゃなくて、一部隊を使ってやる事だと言っている」

 真正面からの反論に苦笑いして。

「大丈夫だよ。俺はいつもこうだから。寧ろ、正面から大勢で攻めた事が無いからどうして良いのか分からない」

「それが月夜の悪魔って事か。奇襲で敵を殲滅させるんだろ?」

「なんだ。知ってるんだ」

「軍人なら皆知ってるよ」

 言って、つくづく不思議に思って前を行く少年を見やる。

 まだ何処かで少し信じていない。

 否、信じたくないのかも知れない。この幼気で優しい彼が。

「なあ、波瑠沙。俺の様子がおかしいと思ったら隠れててくれないか?巻き込んでしまうかも知れない」

「おかしいって?」

「俺が俺じゃない感じがしたら」

 波瑠沙は顔を顰めた。

「お前は色んなところに落差があり過ぎて分からん」

「いや、そういう事じゃないんだけど、うーん」

 説明が難しい。

「とりあえず、離れて戦おう。何なら見物してたって良いから」

 それが一番確実だと思われる。

「はあ?舐めるなよ。お前一人を敵中に放っぽり投げて一人のんびりしてる私だと思うか」

「思う」

 拳骨が頭を襲った。

 頭を抱えて蹲る朔夜は放って波瑠沙はずんずん進む。

 崖下を回り込むと敵が見えた。

 坂を降れば敵陣のど真ん中に出る。

「朔」

 声を潜めて呼ぶ。

 四つ足で這って朔夜は下を覗いた。痛くて立てないだけだ。

 視線を投げて味方の位置も確認する。正面に遠く、巨大な塊が見えた。

 敵の数は千ほどだろうか。正面から戦っても勝てるだろうが、暗枝阿はここで兵を減らしたくはないのだろう。

 西に日が暮れつつある。決戦は夜だ。

「どうする?」

 波瑠沙に訊かれ、朔夜は四つ足のまま後ろに下がった。

「先に腹ごしらえしとこう。次に飯食えるのがいつか分からないし」

「はあ。まあ良いけど」

 腹が減ってはとも言うし、波瑠沙は拍子抜けしつつも頷いて来た道を戻った。

 敵の目につかぬ洞穴に潜って、懐から万頭と干し肉を出す。万頭は割って二人で食べた。

 波瑠沙の体温で温められた万頭は、甘く柔らかく、食べ頃だった。

「いつから一人で戦ってたんだ?」

 波瑠沙の問いに、首を傾げて。

「繍に使われだした時だとしたら…あれ何歳だったんだろ、忘れた」

「おいおい、自分の歳だろ?」

「そんなもん数えてられなかったからさ。十歳くらいだったとは思うけど。あの頃は危うく自分の名前も忘れそうだったし」

「どういう扱いをされてたんだよ」

 信じない半笑いで波瑠沙が言った。問うつもりでは無かったが、朔夜は答えた。

「あの国は化物を飼い慣らして戦の道具にしていた。道具だから育てる気も無い。使い捨てだよ」

 波瑠沙は黙って朔夜の頬に手を伸ばした。

 白く柔らかな、子供のままの顔を撫でて静かに言った。

「辛い事を思い出させたな、済まん」

「いや…別に。あの頃の事はもう何とも思ってない。ちゃんと食わせてくれなかったから腹は立つけどね」

 他に辛い事があり過ぎた。

 悲しみを背負わないように日々を生きるしか無かった。

 今は大切な人を失いたくない。

 出来るだけ伝えるべき事は伝えておこうと思い直した。

「波瑠沙、ええと、説明しておくと…俺は月に憑かれる」

「はあ?」

「月に憑かれたら周囲の人間を殲滅させるまで戦う。敵も味方も関係無くなる。俺の意識は殆ど無くなるから。だから、変だと思ったら逃げて隠れておいて欲しい」

「はあ」

「信じてないな」

「見なきゃ分からん」

 ご尤もだ。朔夜は頭を掻いた。

 干し肉を噛んでいたら外はすっかり暗くなった。

「はぐれたらここで落ち合おう」

 波瑠沙の提案に頷いて、洞穴から出る。

 不気味な静けさ。嵐の前のそれ。

 先刻の道を辿り、上から敵の陣容を見下ろして。

 まさか背後から狙われているとは考えてはいない。敵は皆、背を向けている。

 互いに沈黙のまま頷いて、一気に坂を駆け降りた。

 そこに居た兵をまず波瑠沙が斬り、朔夜はその横を走って幔幕を目指した。

 まだ敵は気付いていない。静寂のうちに見張りをしていた兵を斬り、幕を斬り裂く。

 崖を背にしていた将らしき男が立ち上がった。

 北方語で何やら叫んだ。が、その場に居る兵は少なく、あっという間に皆倒れた。

 朔夜はその男を振り返る。と、降ろされた刃が身を掠めた。

 朔夜は当然のように身を翻し、後ろ手で首元に短刀を沈めた。

 引き抜くと、呆気なく敵将は倒れた。

 幕の外で高い金属音が響いた。

「波瑠沙!」

 異変に気付き前線から引き返した兵を彼女が相手していた。

「朔!来たぞ!」

 言葉通り、人の壁が迫ってくる。

「偉そうな奴は倒した。それを奴らに言ってみてくれるか?」

 あの男がこの一団を率いていたとしたら、このまま瓦解する可能性もある。それに越した事は無い。

 波瑠沙は北方語で呼びかけたが、その効果は無かったようだ。

「指揮官が居なくなっても戦うのが我々だ。気をつけろ、朔」

 波瑠沙の言葉に納得し、朔夜は刀を握り直した。

「仕方ないから、行ってくる!」

 敵の中に走ってゆく。

「朔!」

 彼女の叫びが耳に入ったかどうか。

 戦いの愉悦に身を沈めた。


 周囲に斬るべき人間が居なくなって我に返った。

 遠くで剣戟の音は響いている。味方本隊に敵は取られたようだ。

 戻ろうとして、屍を踏んだ。溢れた腑で足を滑らせた。

 血塗れの地面に倒れて。

 やっぱり嫌なものだと思った。暫く忘れていたけど。

 憑かれた時の高揚と、終わった後のこの光景。疲労で霞む頭と、気怠い体。

 吐き気までする心の重さ。

 何度繍で味わってきたか。そして後悔して、自らに刃を立てて。

 死ねずに、今がある。

「朔!」

 呼ぶ声。

 月ではなく、俺の名を。

「朔、何処だ!?」

 声の必死さに、どうやら屍の仲間入りをしたと思われていると察した。

 口の端を吊り上げて、なんとか足を立たせて。

 地獄のような世界の中で、二人は向き合った。

「朔…朔夜だな?」

 頷く。小さく微笑んで。

「良かった…」

 歩み寄ろうとしたが、矢張り足元を取られた。

 屍の上に折り重なるように倒れる。

 波瑠沙が叫んで、走り寄った。

「大丈夫か!?」

 抱き上げられて見上げた顔に、朔夜は言った。

「眠い…」

 波瑠沙は目に涙を浮かべながら、声をたてて笑った。

「おぶされ」

 また背負われて、でももう恥ずかしさも情けなさも無く、ただ背中が心地良い。

 戦地を迂回して帰り道を辿る。もう味方は傍目にもかなり押している。勝利は目の前だろう。

 波瑠沙の首筋に鼻を押し付けて、どこか懐かしい匂いに包まれて。ずっと遠回りしてくれたら良いのになと思いながら。

 夢現に訊いた。

「嫌いにならなかった?」

「いや?嫌ったらこんな事しないだろ」

「化物の姿を見たら嫌われると思った」

 喉が震えて彼女は笑っていると知った。

「私は北方の女だからな。強い者が好きだ。世界で一番強い男と、世界で一番可愛い男がこの手中にあるのが嬉しくて堪らない」

「そういうもの?」

「ああ。そういうものだ」

 世界で一番強くは無いけど、と思いながら眠気に負けて言い返せなかった。


 赤い朝焼けを二人で見ている。

 時を惜しんで眠れなかった。眠らなかったと言っても良い。互いに求め合い続けた。時間が足りない程に。

 差し込む光に気付いて窓を開けた。

「まだ…夜だよ。そうだよね?」

 華耶が胸に縋って言う。

 頷いて、背中に腕を回し再び倒れ込んだ。

 正午までは時がある。まだ。

 陶酔の渦から一度逃れ、腕枕に華耶を乗せて、気怠く心地よいこの一時を惜しむように。

 襲う眠気を振り払うように華耶に訊いた。

「望みは果たせたのかな」

 彼女は笑んで頷いた。

「ありがとう。私はあなたの努力が嬉しかった」

「これで忘れられる?」

「うん。勿論。あなたの記憶だけで埋まっちゃった」

 笑って、顔を撫でて。

「ねえ、ずっと気になってた事訊いていい?」

「何?」

「いつから好きになってくれてたの?」

 華耶としては、突然婚姻の話が舞い込んで半信半疑のまま嫁いできたのだろう。

 灌で出会い過ごした短い時間で、何を見ていたのか。

 龍晶は記憶を呼び覚ました。

「初めて会った時から」

「嘘」

「本当だよ。流石に出会った瞬間とまでは言わないけど。これが朔夜の好きな人なんだと思ってたから」

「じゃあ、なんで?」

「あの時華耶がさ、お兄さんと分かり合えたら良いですねって言った、その一言が刺さって。それが俺の本心だって、自分でも初めて気付いたから。この人なら俺を理解してくれるんじゃないかって思った」

「私、何も知らないで言ったのに」

「それが良かったんだよ」

 何か少しでも知っていたら、そんな一言は出てこなかった。

 だからこそ、誰かに言って欲しい一言だった。

「そこからたくさん迷惑かけた。ごめん」

「謝らないでよ。朔夜には怒る癖に」

「あいつはしつこいから。のべつくまなく謝ってくるし」

「あなたも最近よく謝ってるよ?」

「それは…今、言っておかないとって思うから」

「やめてよ。そんなの、今じゃなくて良い」

「でも…」

 言葉通りに上から口を塞がれた。

 また体を重ね合う。際限無く、時間の尽きるまで。

 永遠が欲しかった。死んでも良いから手に入れておけば良かったと悔やんだ。

 馬鹿げた願い。生きる時間を途切れさせる事を自ら望んだのに。

 夜が明けきってから、やっと薄っすらと眠る。

 血の色をした蜜の中に二人で堕ちる夢を見た。


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