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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十七話 相思
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 暗枝阿の率いる軍は東に向けて出発する。朔夜と波瑠沙もその中に混じって行く。

 その前に、朔夜は明紫安を訪ねた。

「陛下、朔夜が来ています」

 波瑠沙が繋いで例の部屋の中へ招き入れられる。女王は鉢に種を植えていた。

「性懲りも無く、人生の伴侶を作っています。今度は赤い花が咲きますよ」

 自らの行動を説明して、彼女は顔を上げた。

「あなたも良き伴侶を得て何よりですね。末永く共にありますように」

 朔夜はむず痒く頭を掻いて、赤面する顔を伏せた。

 横から波瑠沙に肩を叩かれる。彼女を見て、小さく問うた。

「喋ったの?」

「陛下は最初からお見通しだったよ」

 そういう能力の持ち主なのだから隠しようが無い。

「安心して下さい。全部が全部見ている訳ではありませんから」

 明紫安は上品に笑って、(たらい)で土の付いた手を洗った。

「まあ、二人ともお座りなさい。お茶でもどうぞ」

 侍女が陶器の湯呑みに紅い茶を注ぎ入れる。

卓の中央には見たことのない焼き菓子がある。

 波瑠沙に背中を押されて椅子に座った。菓子の甘い匂いと茶の不思議な香りが鼻を擽る。

 前は華耶にこれを食べさせたいと思った。今もそう思わないでもないが、さてそれは許して貰えるのだろうか。

「戔の事を聞きに来たのでしょう?」

 明紫安から先に本題を出され、朔夜は慌てて頷いた。

「あいつはどうしてますか?」

「龍晶陛下はお元気ですよ。皇后様も」

「そうですか…!良かった!」

 にこりと笑って明紫安もまた椅子に座った。

 部屋を埋めていた鉢植えを侍女が庭へと運んでゆく。

「あいつ、川に落ちたりなんてしてませんよね?前に変な夢を見ちまって」

 明紫安は不思議な笑みで答えた。

「虫の知らせですね。龍晶陛下もあなたが去ってから色々と苦労していました。精神的に辛かった部分が多かったんじゃないかしら。あなたが居ない分、孤独に苦しまされていて可哀想だったけれど、今はもう大丈夫です。お后様に救われています」

 朔夜は瞬きを繰り返した。

「ええと…とにかく今は心配無いって事ですね。華耶と仲良くやってるならそれで良いです」

 解釈と理解を諦めた。

 明紫安はふっと笑って波瑠沙に問うた。

「朔夜君はあなたと同じくらい戔の陛下とお后様が好きみたいですけど、許してあげられますよね?」

 隣で本人がぎくりとしている。

 波瑠沙はその頭を上から鷲掴みにして答えた。

「勿論です。それを知った上での行動ですから」

「そう、良かった」

 それを言いたいのは朔夜なのだが、恥ずかしさが先立ってずずずと茶を飲んで誤魔化した。

「早くお二人に会えると良いですね」

 にっこりと笑顔で言われる。

 おずおずと朔夜は聞き返した。

「それがいつになるかって事は、教えて貰えますか?」

 口元は笑みを保ったまま、目元のそれは引いた。

「あ、ごめんなさい。無理なら聞きません」

「そうですね。あまり未来の事は知らない方が良いですから」

「そうですよね。ごめんなさい」

 しゅんとすると、今度はわしゃわしゃと頭を撫でられる。

「まああれだ。とっとと戦を終わらせるんだよ。そしたらお前は大手を振るって戔に帰れるだろ?」

「許して貰えるんでしょうか、俺」

「勿論。救国の英雄を許さぬ筈がありません」

「そんなんじゃなくて良いんだけど」

 そう大袈裟でなくて良い。ただ友に会いたいだけだ。

「戔王に会うなら私はお淑やかにしなきゃならないのかな。陛下はどう思います?」

 そう深刻ではなく波瑠沙は問う。明紫安も笑って答えた。

「龍晶陛下はきっと、そのままのあなたの方が気に入ると思いますよ。そうでしょう朔夜君」

「うん。間違いない。あいつはちょっと罵倒されるくらいが丁度いいんだよ」

「どんな丁度良さだ、それ」

 大いに語弊がある。

「波瑠沙、少し朔夜君とお話しますね。すぐにあなたの元へ返しますから」

 彼女は笑いながら立ち上がった。

「別にすぐじゃなくて良いですけど、あんまり虐めないでやって下さいね」

「分かりました。優しくしますから安心して」

 波瑠沙は笑いながら出て行った。

 二人きりになって、明紫安の空気が変わった。笑みが消えていた。

「…失望しましたか。暗枝阿の事」

 朔夜もまた表情を固くした。

「王様は全部知ってるんですね」

 彼女は頷いた。

「ずっと私に己の事を隠していましたが、あなたと会って以降は隠さなくなりました。意図的に彼は私に見せているのでしょう」

「どうして?」

「さあ…それは、想像するよりありません」

「話はしてないんですか」

「あなたなら、できますか?」

 己の凶行の、その動機まで、誰かに話した事があっただろうか。

 龍晶には何となくその事の話はしたが、華耶には当然無理だった。その必要も考えなかった。

「出来ないですよね。俺なら逃げてる」

「或いは聞いて欲しいのかも知れませんが」

「言い訳が出来る罪じゃない。王様に見せるのは、隠せなくなったからじゃないですか?」

「罪…だと、感じていてくれたら良いのですが」

 言葉に詰まる。

 あの様子からして、罪悪感を持っているとは考え難い。

 嬉々として人を殺している。そうとしか見えなかった。

 自分もそうだったのだろうか。

「何も感じないから隠す必要が無くなった…」

 明紫安は呟いた。

「でも、俺には女官を救えって言ってきましたよ!?何も感じないなんて事は無い筈です。救える人は救おうとしていたのは確かなんだから、常にそういう訳じゃ…」

 否。彼は自分で言っていた。

 人殺しに飢えている、と。

 常に飢え乾いている。

 だから、己に役に立つ者以外は。

「王様はどう見ているんですか…?」

 明紫安はふっと悲しげに笑った。

「戦場で初めてあの子は救われるんでしょうね。昔からそうでした。私にはどうする事も出来ない」

 朔夜はじっと己の手に目を落とした。戦場でしか生きられない己の手。

 あれが自分の未来の姿だと言われた。

 それがあるから、誰にも触れてはならないと思っていたのに。

「未来の事は触れてはならないんでしょうけど…教えて下さい。俺も本当にああなるんでしょうか」

 明紫安は矢張り答えなかった。

 答える気が無いのか、答えが見えないのか。

 それは分からない。

「波瑠沙に触れるあなたの手に、罪はありません」

 女王はそれだけ教えた。

「良いんですか。育てた子供みたいなものなんでしょう?」

「勿論。だから嬉しいのですよ。あなたが良い子だと知っているから」

 返す言葉を失った。

 明紫安は微笑みを取り戻して、言った。

「朔夜君、もう少し暗枝阿に付き合ってみてくれますか?この戦が終わるまで。あなたが龍晶陛下を助ける事にも繋がりますから」

「それは…そのつもりです。最初から…」

「終わったら急ぎ、戔に帰った方が良いでしょう」

 今までふわりとしていた言葉が、急に硬くなった。怖くなって急いで問い返した。

「何故ですか?」

「それは、勿論」

 声が柔らかさを取り戻す。気のせいだったかと思い直して。

「あなたの大切な人が待っていますから」


 苴の都では軍議が開かれていた。

 王を中心に軍部上層部が並び、孟柤、範厳が彼らの視線を受けている。

 その傍らに、皓照が壁に寄りかかって事の成り行きを眺めていた。

「王が投降するとなれば、実質的な敗北宣言だろう。領地で譲る必要は無い」

「そうだ。無視して攻め続ければ良い。大体、哥はまだ戦を続けているんだろう。こちらが先に止めればそれは裏切りだ」

 上官らの言葉に返せず、範厳は黙っているより無い。

「王の身柄を頂いておいて、相手が終わったと油断した所を突けば良い。南部はそれで軽く平らげられる」

 そんな卑怯な意見まで平気で(まか)り通る。

「あまり戔軍を舐めぬ方が良いかと思われます」

 やっと範厳は言い返した。彼らの言葉を許せば、犠牲は無限に増えてゆく。

 その危惧は嘲笑で弾かれた。

「子供と老人ばかりの軍を舐めるなと?自分が負けたからってそこまで言うか」

「お前達は敗軍の将だ。毒なぞにやられおって。懲罰が無いだけ有難いと思え」

 唇を噛んで耐えるしかない。

 が、孟柤はやおら口を開いて言った。

「手段を選ばぬとあの餓鬼は言いおった。次は悪魔を使うのではないかと思う」

 一瞬、空気が凍った。

 引っ掛かる笑いが、すぐに沈黙を破った。

「何を血迷うておる、孟柤。悪魔は死んだ。お前も首を見たろうが」

「笑止。あれを本物と見ているのか?この中で本物の悪魔の顔を見たのは俺だけのようだな」

 誰もが気まずく黙った。

 孟柤にとって彼らは上官とは言え、歳は下の者が多い。

 軍上層部は例の首の主に多くを殺された結果、総入れ替えという形になったせいだ。

 繍との戦いで実際に悪魔を見た者は少なくなった。

「皓照殿、どう思われる」

 鶴の一声のように王が声をかけた。

 彼は壁から背中を浮かせて歩き、諸将の周りを巡った。

「実は灌に報せが入りましてね」

「ほう?」

「哥王は救出され、復権を宣言したようですよ。それも、王は二人となってね」

 空白が空いた。

 彼らの理解を超えている。そもそも哥王が何者なのか、彼らはよく知らない。

「つまり…それは…」

「苴には悪い報せですねぇ。何せ瀉冨摩殿は都から逃れ、今は所在不明…まあ、恐らくは自軍の元に走ったのでしょうけど」

「瀉冨摩殿が居なくば我々は連携出来ぬではないか!」

 高官の一人が声を上げる。それを抑えるようにまた別の一人が意見した。

「しかし、戔は哥軍と戦い続ける事に変わりあるまい」

「ええと、紛らわしくなるので瀉冨摩軍としましょうか。ええ、北方の戦が無くなる訳ではありませんが――」

 皓照は言って、小娘のように首を傾げる。

「瀉冨摩軍は戔軍と哥王の軍に挟撃を喰らう事になります。そしてこの哥王という人が滅法強い」

「なんだと?」

「私がもう一人居ると思って下さい」

 その場に居る誰もが息を飲んだ。その意を知らないのは範厳くらいだ。

「よって、瀉冨摩殿は諦めた方が良いですね」

 あっさりと結論付ける。

「ならば苴はどうすれば良い。哥との連携が望めぬのなら、このまま攻めても良いものか」

 苴王は狼狽の色を滲ませて問う。

 皓照は肩を竦めた。

「降りるなら今が絶好の機会ではありませんか?戔は敗北同然の停戦を申し込んできている。王の首さえ取れれば民は溜飲を下げる。ついでに金もいくらか差し出して貰えば十分でしょう」

「何の為に戦を始めたのか…」

 呻くような声に、皓照は笑った。

「夢を見過ぎましたねぇ。しかし、世の和平の為には役に立ちましたよ。ご存知の通り戔王は気を病んだ狂人です。放っておけば先代、或いはその前の王よりも酷い治世となった事でしょう。それを防げたのは収穫でした」

「結局は戔の為なのか…」

「いえいえ。この皓照、皆さんに損はさせません。領地については考えがあります。気を長くしてお待ち下さい」

 場はどよめいた。

 王が目を丸くして訊いた。

「戔の領地を取る術がお有りか?」

「ええ。その為に今は戔王を頂いておきましょう。料理次第で美味しくなりますよ。何せまだ若い肉ですから」

 不気味な笑いに包まれ、身震いしながら範厳はその場を去った。

 皓照という男をよく知らない。孟逸が繋ぎをしていたのは知っているが、このような軍議の場にまで顔を出し、その場を纏めてしまう程の存在だとは。

 孟柤が後に続いて出てきた。

「どう思いました?」

 歴戦の猛者に印象を尋ねると。

「くだらん。実にくだらんな」

 矢張りそういう答えで範厳はほっとした。

「現場で指揮を執る我らの意見など最初からどうでも良いんですよね。利に聡い連中ばかりだ」

「領地も金も勝手にすれば良い。俺が欲しいのは悪魔の首一つだ。あの野郎、はぐらかしやがった」

「そこまでしてあれは本物だという事にしたいのですかね。嘘で固めた所で危険は去る訳でもないのに」

「あの首は本物ですよ」

 背後からの声にぎくりとした。

 振り返ると、皓照が微笑んでいる。

「あれは悪魔の首です。見たでしょう?多くの将官が殺戮されるのを」

「…あれは父親なんだと、孟逸は言っていたが」

「ですから悪魔である事に違いはないでしょう?悪魔が一人だとは限らない。私の力に匹敵する者が他に居るように」

「あの小僧は今何処に居る」

 皓照は笑みを深くして答えた。

「哥ですよ。ですから残念ながら、戔王は囮にはなりません。遠過ぎて間に合わない」

 孟柤は舌打ちした。本当にそういう考えだったのかと範厳は目を丸くする。

「尤も、本当に来られても困りますね。今度こそあなたは命を取られるでしょうし、国まで滅ぶ事態となったら目も当てられません」

「貴様…!」

 孟柤は刀を抜いていた。

 その、筈だったのだが。

「やめましょうよ。私を誰だと思っているんです?」

 刀は柄だけを残して折れていた。

 地面に力無く刃は落ちている。

 流石の将も目に見えて青ざめた。

「その…皓照殿」

 範厳はおずおずと問いかけた。

「悪魔を放っておいても良いのでしょうか。更なる被害に繋がりはしませんか…?」

「さて」

 皓照は腕を組んだ。

「私があの子猫ちゃんの悪戯をどこまで許すか、ですよね」

「子猫…?」

 この人の物言いはなんだか突飛だ。

「まあ、飼い慣らしてはあるのでご心配なく」

「え…」

 皓照はひらひらと手を振って去って行った。

「何が子猫だふざけやがって!」

 孟柤の怒鳴り散らす声を隣に聞きながら、範厳は少し興味を惹かれた。

 悪魔と言いながら子猫とも言われる、一体どんな人物なのか。そもそも人なのか。

 あの綺麗な顔で狂気に塗れた王と何か相通じるものがある。類は友を呼ぶと言うが。

 見てみたくなった。

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