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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十七話 相思
25/72

3

 華耶はいつも通り笑顔で送り出してくれた。

 だから変に別れを惜しまず出て来れた。

 必ず帰る。今日は、必ず、彼女の元へ。

 宗温と(くつわ)を並べる。

 出来ればここに朔夜が居て欲しいと、ちらりと考えてしまった。

「俺も手段を選ばないからな。心しておいてくれ」

「は」

「何としても戦を止めねば」

 宗温に告げておくべき事はそれだけだ。

 後は何が起こるか分からない。二人揃って死ぬかも知れないが、それを避ける為の手段も選ばないつもりだ。

 まだ早い。それは今日ではない。

 だが万一の時は抜かり無い。宗温とて後の事を副官に頼んでいるし、龍晶も都に鵬岷と桧釐が居る事でなんとでもなると思っている。

 代わりが居ない訳ではない。ただ、お互いにとってお互いが唯一無二であるというだけで。

 敵陣地から矢の届かないぎりぎりの位置に、兵達が並んでいた。

 遠目にはかなりの威圧感だ。敵は警戒しているだろう。尤も、敵兵が少ない今、攻めれば勝つのはこちらだろう。

「ご苦労。そのまま奴らにお前達の姿を見せてやれ」

 兵らに声をかけて進む。

 近くで見ればそれはあどけない少年たちなのだが。

「龍晶陛下、どうぞご無事で!」

 一人が叫んだ。

 それを皮切りに口々に皆が叫びだす。陛下、陛下と合唱のように。

 宗温が慌てて止めようとしたが、龍晶は口の端を吊り上げてそれを制した。

 敵陣地に入ってもその声は聞こえる。

「これでいきなり矢を射かけられる事は無いだろう?」

 はっとして王を見る。

「ちょっと仕込ませて貰ったよ。彼らは素直で助かる」

 一人に叫べと命じておけば、自然に連鎖は起こる。

 これで敵陣は初めて王が来ると知った訳だ。

「どういう顔で出迎えてくれるのか、見ものだな」

「全く、あなたはいつも予想外の事をなされる」

 龍晶は声を上げて笑った。

 敵陣が目の前に迫った。見張りの兵は何も問わず陣中へ入る門を開けた。

 そこに一人の男が待っていた。

「戔の使者か?」

 屈強だが、威圧感は無い。話の分かりそうな男だ。

「いや?使者ではない。直接話をしに来た」

 馬上から龍晶が返すと、男は笑みを浮かべて頭を掻いた。

「本当に王が来るとはな」

「本物と信じるのか?」

「ああ。俺の友が戔王を知っていてな。確かに綺麗な顔をして何をしでかすか分からない若者だと言っていた。そのまんまだ」

 龍晶は笑みを浮かべた。

「孟逸の友人か」

「ああ。範厳という。孟逸によろしく伝えてやってくれ」

 頷く。そう言うからにはこの場は生きて出られるという事だ。

 龍晶は馬から降りた。宗温もそれに倣った。

 手綱を苴兵に預け、範厳に近寄った。

「知っての通り、俺は戔王龍晶だ。こっちは軍総督宗温」

「なんと、錚々たる顔触れだな」

「我らに何かあれば只では済まぬという事だ。まあ、お前が相手ならその心配も無さそうだ」

「さて。あまり見縊って貰っては困るが」

 範厳は踵を返して一つの天幕へ二人を案内した。

「俺はともかく、あの男は気をつけた方が良い」

 低く忠告して範厳は天幕を開けた。

 中にはもう一人、司令官らしき大男が座っていた。周囲を兵が取り巻いている。

「東威将軍 孟柤(モウソ)だ。この戦を指揮している」

 範厳の紹介を受け、改めてその男を見た。

 初老だろうが、静かな覇気を放っている――否、これは殺気だ。顔は積年の憎悪で歪んでいる。

 気をつけろという意味を飲み込んで、龍晶は机を挟んで男の前に立った。

「戦を停める為の話がしたい」

 自分から目的を切り出すと、ゆっくりと獰猛な目が己を捉えた。

「戔王か」

「ああ。そうだが?」

「成程」

 口が歪む。笑っているのか。

「奴と同じくらいの年頃だな」

「奴、って…?」

 嫌な感触だった。

 この憎悪が向かう先を、きっと俺は知っている。

「友という名目で飼い慣らしたか?かつて同じ事をした男を俺は知っている」

 龍晶は男を睨んで乾く口を開いた。

「友は友だ。俺はあいつを利用した事は無い」

 それが事実かどうかはまた違う。今でもあいつは俺の為に哥に居る。それを利用というか否かというだけだ。

 だが苴の将たるこの相手にはそう言い切らねばならない。

「その男は飼い慣らした筈の悪魔に殺されたがね」

「…何が言いたい」

「警告してやっているんだ。悪魔に近付けば必ず死ぬ、と」

「何を寝惚けた事を。悪魔はもう居ないんだろ。お前達が消した」

「直接奴と対峙した俺にそんなまやかしが通用すると思うか?」

 孟柤が軽く手を挙げる。それを合図に兵らが刀を抜き、二人に突き付けた。同時に宗温も刀を抜き放っていた。

「お止めなされ!」

 範厳の怒鳴り声で事態は硬直した。

 一人座ったままの孟柤は、乾いた笑いを発して言った。

「俺は悪魔が生きている限り奴を許す気は無い。奴に手を貸して故国を荒らしたお前も同罪だ。死して償って貰おうか」

 龍晶はおもむろに席に座った。

「その話をしに来た。言葉が通じる以上は刀を収めて貰おうか。さもなくば、俺の兵がここを陥す事になるが」

「肝の据わった餓鬼だな。嫌いじゃない」

 孟柤は再び手を挙げた。兵が刀を収め、元通り天幕の端へと引いた。

 龍晶はゆったりと椅子に背を預け、足を組んだ。挑発的な笑みまで浮かべて。

 宗温はやっと刀を収めた。王の態度にそうすべきと察したからだが、内心で舌を巻いていた。

 この王は自国でもこんなに尊大な態度は取らない。寧ろ病のせいもあっていつも縮こまっているのに。

 演じている。全てが交渉の内なのだ。

「俺は戦を停める為の話をしに来たと言ったぞ。本題に入っても良いな?」

 孟柤は相変わらず口の端を歪めて頷いた。

「貴様が死して償うというなら話を聞いてやっても良い」

「そのつもりだ」

「何?」

「俺の身をやるから兵を退け。こちらが言いたい事はそれだけだ」

 孟柤から見下した笑いが消えていた。が、すぐにそれを戻して。

「信用できるか。毒を持って戦を制するような卑怯者の言葉など」

「卑怯なのはどっちだよ?でっち上げの事実で他国を侵略するお前達に手段なんか選んでやらねぇよ」

「なんだその、事実とやらは」

「貴様は知っているんだろう?あの首は偽物だと」

 孟柤は冷ややかに相手を見遣った。

「悪魔が関わった事実は無い。無論、戔も、俺自身もな。貴様らは戔を支配したいから攻めただけ。とんだ義戦だ」

「貴様、死にたいのか?」

 孟柤が脅すが、龍晶は鼻で笑った。

「だからそう言ってやってんだろ?貴様らが退くに退けない状況を救ってやろうって言ってんだよ。この身と引き換えに」

 老将は黙った。

 悪魔憎しの感情でこの男が動いているのなら、この戦に引っ掛かるものはあった筈だ。

「だが、あの手口は間違いなく悪魔のものである筈だ…」

「そうかも知れないな。だが今は関係無い」

 龍晶は身を屈めて卓に両肘をつき、顔を寄せて孟柤に言った。

「三度言う。俺は戦を停めに来た」

 顔を歪めた男は逆に退いて腕を組み、部下に目配せした。

 意を受けた範厳が口を開く。

「具体的にはどのように?」

 龍晶は宗温を呼んだ。彼は持参した地図を卓の上に広げる。

「我々が望むのは苴軍の完全撤退です。国境線を戻して貰いたい」

「馬鹿な。戦を続けて勝つのは我々だ。その戦果を譲る訳にはいかない」

「そう言われると思いまして、妥協点を探ろうと思いこれを持参しました」

「ほう。準備の良い事だ」

「俺は今占領されている場所は捨てても良いと思っている。但しここは緩衝地帯だ。兵を入れる事は許さん。お前達の領地はここまでだ」

 龍晶は言って地図に予め朱線を引かれていた箇所を指でなぞり、範厳を見上げた。

 彼は首を振った。

「狭い。こちらの犠牲に釣り合わない」

「勝手に死なせたのはそっちだろうが」

「そうだとしても、ものを言えるのは勝った方だ」

「勘違いしてるな。俺達は負けた訳じゃない」

 言って、懐から何かを握って卓上に投げた。

 それが何かを認めて、二人の将は(おのの)いた。

 投げられたのは、人の目玉。

「分かっただろ?俺達は手段を選ばない。自分の家族、仲間を守る為なら何だってする。いくらでもお前らを殺してやる」

 血に汚れた掌を見せて龍晶は告げた。

「…狂ってる」

 孟柤の呟きに龍晶は凍るような笑みを浮かべた。

「そうだよ。知らなかったか?」

 敵将達は探り合うようにお互い視線を合わせ、範厳の方が溜息混じりに告げた。

「分かった。とりあえずその旨を都に伝えよう。確かに戔王の首さえ取れれば我々も納得して刀を収められる」

「頼むよ。これ以上の犠牲は互いに無益だからな」

「本当に投降する気があるのか?」

 初めて、その口に浮かんでいた笑みの挑発的なものが、悲しいものに代わって戻った。

「お前達は狂った頭を抱えて生きる苦しさを知らないだろう?」

 範厳は息を飲んだが、孟柤はまた見下すように笑って問うた。

「死にたいのか」

「それが妥協点だ」

 椅子を蹴って立ち上がり、宗温に目配せして天幕を出る。

 範厳が追ってきた。

「都から返答があり次第、また使いを寄越そう。繰り返すが、本当に身柄を渡す気があるんだな?意を翻す事はもう出来ないぞ」

 聞きながら馬上の人となった龍晶は、顔を顰めてその男を見下ろした。

「疑うのか」

「当たり前だろう。王が自ら身を差し出すなど、聞いて信じられるものではない」

「確かにな」

 鼻で笑って龍晶はまた懐に手を入れた。

 範厳は構えたが、出されたのは鞘の付いた刀だった。

「大事な物だ。これを担保にしておく」

 虎の彫刻の成された鞘。

「これは…」

「俺はこいつを友に返さねばならない。必ず取りに来る。引き換えにこの身を渡す。それで良いだろう」

 思わず範厳は頷いた。龍晶は笑って、馬首を巡らせた。

「ああ、孟逸をこっちにやってくれた事には礼を言う。持つべきものは友だな」

 それを言い残して、戔王は馬腹を蹴り敵陣を去った。

 宗温もまた一礼してその後を追った。

 短刀を握ったまま範厳は二人を見送った。

 のそりと、その横に孟柤が立つ。

「千虎の刀か」

 範厳は首を傾げて上官を見返した。

「亡き千虎将軍のものなのですか?これが?」

 孟柤は答えず、既に消えた背中を視線で追うように言った。

「あの餓鬼の言う事、俺には分かる」

 鞘の中の虎が睨む。あの男と同じように。

「俺はこの刀に狂わされた」


「皆、終わった!帰るぞ!」

 馬を駆けさせたまま、集まる兵に高らかに宣言した。

 歓声が上がる。王を追いかけるように皆が走りだす。

 先頭で龍晶は高らかに笑っていた。楽しくて可笑しくて仕方がないというふうに。

 或いは狂者にも見えるかも知れない。また或いは、あどけない少年のようにも。

 隣を駆ける宗温に彼は叫んだ。

「見たか!?あの顔!歴戦の将が顔を強張らせていたぞ!」

 宗温は苦い物を飲み込んで頷いた。

 敵兵の屍を一つ用意してくれと頼まれてはいたが、そんな使い方をするとは。

 狂っている――そう思ったのは宗温も同じだ。この笑いすら、狂気の証としか聞こえない。

 そしてその狂気に敵が怖気付いたのも事実だ。

 計算なのか、相変わらずそれが分からない。

 一行は自陣に雪崩れ込んだ。

 まるで戦に勝ったかのような宴が始まる。

 馬を降りても宗温だけ、硬い表情を崩さない。

「不満か」

 王は問うた。

「いえ。そういうものでは…」

 言い淀んだ言葉に、溜息一つ落として、彼は悲しく笑った。

「なあ宗温。もう俺は死んでるんだよ。小奈が死んだその時にもう、俺自身は居なくなった」

 目を見開いて首を振る。

「お止めください…小奈が浮かばれません」

「うん。でも、お前が見てるものはそういうものなんだ」

 顔に陰が差す。日が暮れようとしている。

「もう誰も小奈のようにはしたくないから、この身を切って売ってきた。もう良いよな?もう汚れきって首しか売れないから、終わらせて良いよな」

 濃い陰の中の、茫漠とした笑み。

「疲れたんだ」

 子供のように言って、華耶の待つ屋敷に向かって歩き出した。

 救えなかった。

 掴もうとした時からそれは、砂のように指の間を滑り落ちていたのだろう。

 掌に残った僅かなそれを、それでも大事に持ち続けるか、それとも。

 小奈なら、最後の一粒まで大事に抱えているのだろうけど。


 華耶は心底安堵した笑みで抱きつこうとしたが、龍晶はそれを止めた。

「待って。済まん。汚れてるから」

 華耶は平静を取り戻して、でも隠せない笑みを浮かべたまま、訊いた。

「お風呂に入る?」

「そうする」

 風呂で落とせる汚れではないけれど。

 とりあえず掌に付いたままの血は落とさねばならない。

 体を流して湯船に浸かると、ぴたりと華耶が付いてきた。

「…心配かけたな」

「ううん。仲春は言った通りの事をしてくれた。私は待ってただけ」

 そうやっていつも朔夜を待っていたのだ。帰るかどうかも分からないあいつを。

 同じ事をしている。

「これでここの戦は終わると思う。勿論まだ向こうの承諾待ちだけど」

「みんな無事なまま終われるんだね?」

 答えられなかった。

 華耶が願っているのは、その一つだけだろう。

「華耶」

「なに?」

 もう分かっている癖に。

 そう思っても、一縷の望みを奪う勇気は無い。

「凄く汚れてるけど、抱いていい?」

「なんで?もう綺麗になったよ?」

 言い返しながら、体を委ねる。

「…もう手遅れなんだ」

 耳元に言葉を落とす。

「もうずっと前…華耶や朔夜に出会う前から手遅れだった。そのくらい汚れてる。二人に会えたから、なんとか人として保ってこれたけど」

「大丈夫。私、あなたが何をしていても構わない」

 血に汚した手を握られる。

「汚れたとしても表面だけだよ。あなたの中はずっと綺麗なままなの、知ってるから」

「華耶…」

 肩を押さえて、距離を取って。

「大好きなんだ。好きなんだけど…駄目だ。このままじゃ、辛い」

「じゃあ嫌いになれば良い?」

 首を振って、少し笑った。

「そうなれたら良いのに」

 なれる筈が無い。

 華耶は結局何も訊いてこなかった。

 どうしてそんな事を言うのか、普通なら気になるだろうに。

 察しているのに、目を背けている。

 龍晶もまた、この感情のやり場に困り果てていた。

 ずっと独りだった。いつ死んでも良いと思っていた。なのに、この最期の最期で知ってしまった。

 他の全ては冷たく笑って捨てる事が出来る。

 でも、これだけは。

 肌を重ねたまま、明け方の光を見ている。

 胸の上で眠る彼女の髪をずっと撫でていた。

 永遠に感じても、時間は止まってくれない。

 紫色の朝焼け。

 同じ色を、朔夜と見た。

 あの時死にたくないと言ったのは、多分、あいつに出会ってしまったからだろう。


  挿絵(By みてみん)


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