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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十六話 情欲
22/72

10

 浅い眠りは隣からの声で覚まされた。

 明瞭な声ではない。譫言(うわごと)だ。(うな)されて、その悪夢の中で叫んでいる。

 波瑠沙は重い瞼を開けてその顔を見た。

 泣いている。眠っているのは間違いないのだが、泣きながら魘され、母親を呼んでいた。

「朔」

 現実に戻してやるのが優しさだと思い、体を揺さぶる。

 声は止まった。薄く目が開いた。視線を彷徨わせて、波瑠沙の顔を見つけた。

 息を詰めて見つめ合う。

 波瑠沙は涙で濡れた頬を撫でて、微笑んだ。

「大丈夫だよ。まだ休んでろ」

 応えるように瞼は閉じられた。

 息を吐いて辺りを見回す。庭で寝かせる訳にもいかず、以前自分が使っていた部屋に連れ込んで、一つしかない寝台で寄り添って眠っていた。他の寝台を探す余裕が無かった。

 治して貰ったとは言え、大怪我のせいもあって体が酷く怠い。起き上がれば眩暈もする。貧血なのだろうと思う。

 賊に荒らされていた部屋で足場を選んで寝台から降り、外に通じる扉を開けた。

 辺りはすっかり明るくなっている。空は灰色の煙で覆われ、煤けた匂いが漂っていた。

 立て掛けていた刀を引っ提げ、外に出る。

 都の内に敵は居なくなったと聞いた。だから休む事にしたのだが、まだこの目では何も見ていない。

 香奈多ら、女官の無事も気になった。

 明紫安の部屋の前に知った顔を見つけた。

「燕雷」

 名を呼ぶと、おお、と笑みで応じる。

「朔は?」

「寝てる。お前は何をしてたんだ?」

 ぞんざいな問いに苦笑いして、部屋の中を指差した。

「人探しをしていた。昔馴染みが煙に巻かれて死んだら困るからな」

「昔馴染み?」

 きょとんとして部屋の中を見る。

 明紫安が一人の老人と向き合っていた。

舎毘奈(シャビナ)っていう爺さんだ。ま、俺より年下だとは思うが」

「なんか特別な爺さんなのか?」

 明紫安がわざわざ話をするのだから、何かあるのだろう。

「元々戔で通訳をしていた爺さんだよ。戔王の師でもある。一年前に王の命令で故国に戻っていた。こっちの様子を知らせる為にな」

「なるほど。戔王と繋がりを持つ爺さんだから陛下も気にしていたのか」

「王様は可愛がってるんだろ?龍晶のこと」

「実の子供みたいにさ。でも最近は心配ばっかりされてた。向こうは向こうで大変なんだろう?」

「まあ、な。あいつもなかなか深刻な病気持ちだから」

「朔夜も心配だろう、それは」

「早く会わせてやりたいが…さて」

 帰国はいつになる事やら。

 舎毘奈が明紫安との話を終え、こちらに出てきた。

 明紫安もその後に続いた。

「陛下に長年の労を(ねぎら)って頂きました。これでいつあの世に行っても悔いはありません」

 本当に天にも昇ってしまいそうな表情の旧知に燕雷は苦く笑って返した。

「その前にもう一人会わなきゃならん王が居るだろうが。お前の坊ちゃんは待ってるぞ」

「それを今、お願いしていました」

 明紫安が言って、にこりと笑う。

「舎毘奈さんに、こちらであった事を直接戔へ伝えて貰います。もちろん、龍晶陛下にもお会いして貰いたいので」

「有難い事です」

 別れ際に次に会う時はあの世だと突っぱねられたが、どうやら生きて再会が叶いそうだ。

「しかし、爺さんが長旅に耐えられるか?戔に着く前に行き倒れそうだが」

「なので、燕雷さん。共に旅してあげて下さい」

「えっ」

 思い切り嫌が顔に出ている。

「戔国境は(いま)だに危険ですから、灌から入った方が良いでしょう。そうなるとあなたの顔の広さが役に立ちますよね?」

 確かに、南方諸国に哥で何が起こったかを正確に伝える必要がある。灌に伝えれば(おの)ずと苴にも伝わる。

「ったく、せっかく女っ気のある旅をしてたのに、今度は爺さんのお守りかよ」

 波瑠沙に愚痴を溢すと鼻で笑われた。

「爺さん同士で良いじゃないか。お似合いだ」

「すっ飛ばして行くから舎毘奈、覚悟しろ」

「はい」

 これだけ言われても舎毘奈は笑みを絶やさない。老齢の境地でもあり、戔に帰る嬉しさもあるのだろう。

「波瑠沙、朔の事だが」

「うん?」

「共に戔へ帰したいのは山々なんだが、流石にまだ早いからな。情勢が落ち着いたら戔へ呼ぼうと思う。それまで頼んで良いか」

「私にはお子ちゃまの世話をしろと?」

「お似合いだよ」

 言葉をそっくり返されて、満更でもない笑みを浮かべる。

「仕方ないな」

 足音に顔を上げれば、紫闇が不機嫌な顔で近付いてきていた。

「大臣は逃げていた。香奈多の姿も無い。どうやら戦地に連れて行かれたらしい」

 報告に一同は息を飲んだ。

「そうですか…」

 明紫安だけが気落ちした声で応える。

「俺は兵を率いて戦地に行く。お前はここで王の復活を民に知らしめるが良い。哥は滅びてはいないと南方にも見せつけねばな」

「しかし、王は暗枝阿、あなたです」

「いや、王は二人だ。お前が政を、俺が軍事を統治すれば国は治まる」

「ならばずっと哥に居てくれるのですね?」

「戦があればな」

 明紫安は笑みを閉ざした。

 紫闇は燕雷に向き直った。

「南方にはそう伝えろ。それから、謀反人 瀉冨摩(シャフマ)はこの俺が始末する。万に一つも生き永らえる事は無いとな」

 これは苴に向けた言葉だ。お前達と手を結んだ男はもう亡き者も同然だと宣言している。

「分かった。それを知れば龍晶も安心するだろう」

「間に合えば良いがな」

「…え…?」

 どういう意味かと問う必要は無い。考えれば分かる。

 二つの国に攻められ窮地に陥っている戔を、王たる彼がどうするか。

「舎毘奈…急ぎ発つぞ」

 間に合わさねばならない。散らさずとも良い命を失わぬ為に。


 戦地に着いて早速、陣営へ赴いた。

 兵は若く幼い者が多い。地下組織に(さら)われていた子供達を受け入れ、そこから更に子供でも兵になれると押し寄せた者も拒まなかった結果だ。

 その上に主力は北に向かわせている。ここに居るのはそこから外れた者と、地元の有志、そして苴軍に住む場所を追われた者だ。

 無邪気に己を受け入れる子供達に笑みを向けながら、内心は愕然としていた。

 彼らに自由を与えようとした。行く場所が無いというから兵役という名目を与えて住む場所と食べ物をやった。

 その結果、彼らを死地に向かわせようとしている。

「陛下」

 宗温に呼ばれて、子供達と合わせていた視線を上げた。

「皆にお言葉を」

 演説をしろと言う。彼らを殺す言葉を吐け、と。

「せねばならぬか」

「士気を上げる為です。各々が戦う正当な理由が必要ですから」

 重く溜息を吐く。

「ご気分が優れませんか」

「旅の疲れかな。熱っぽい気がする。…まあ、やるよ。この為に来たんだから」

 今更逃げていても仕方ない。

 彼らを死地に送る罰として、自分もそこへ向かうと決めているのだから。

 ゆっくりと振り返る。

 王への期待に溢れた視線。信じて疑わない、いくつもの顔。

 龍晶は口を開いた。

「戔は今、建国以来の危機に見舞われている」

 それは誰のせいだ。紛れもなく、俺が王となったからではないのか。

 その為に彼らを死なせても良いのか?

「苴哥両国から国境を侵され、我が民が殺され攫われるという危機に曝されている。両国共に金に目が眩んだ蛮行だ。特に苴は長年の友好関係を破り、我らにありもしない難癖を付けて攻めてきた。誠に許し難い所業だ」

 全て原因は俺にある。俺が朔夜を救いたいと願ったから。それだけの為に何を犠牲にしても構わないと思ったから。

 こうなる事は分かっていた。

「諸君に頼む。苴軍を押し返し、南部地域の平安を取り戻して欲しい。もう理不尽に誰も殺され、糧を奪われ、住む場所を追われる事の無きよう、戦い抜いて欲しい。国境線を取り戻す!これ以上何ものも苴へやってはならぬ!良いな!」

 自分達を鼓舞する雄叫びが上がった。

 唇を噛んで彼らの顔を見、踵を返す。

 人目の無い所まで足早に歩いて。

「陛下!」

 宗温が追ってきた。

 背中を向けたまま彼に問うた。

「これで良いか」

「勿論です。これで我らは戦えます」

 それ以上、己の身を支える力を持てなかった。

「陛下!誰か!」

「呼ぶな」

 座り込んだまま、鋭く命じて。

「誰も…呼ぶな」

 気弱に繰り返す。

 宗温は息を飲んだ。

 王は泣いていた。拳を地面に叩きつけて。

「陛下…」

 宗温の呼び掛けに激しく首を振って、押し殺した叫びを上げた。

「俺が王になんかならなければ…!誰がこんな事を望んだ!?お前も本当は分かっていただろう!?こんな愚か者を王座に据えれば国は滅びると!」

 宗温は顔色を変えずに嘆く青年の横へ膝を折った。

「私は救国の為にあなたを担ぎました。それで戔は救われた。間違いありません」

「これでもそんな事が言えるのか」

「私の手落ちはあなたを救えなかった事です」

 視線がぶつかる。龍晶の怒りも後悔も猜疑心もない混ぜになった視線を、宗温は静かに受け止めた。

「…救うべきは彼らだ。俺はあの子達に生きろと言いながら死地へ向かわせる。どうしてこうなった…」

 龍晶は呆然と遠くを見ながら問うた。

「私の責任です。兵を集められなかった」

「その集めた兵が代わりに死ねば良かったか。そうじゃないだろう」

 緩く首を横に振って。

「そうじゃない…そうであってはならない…」

 矢張り俺のせいだ。

 止められなかった。戦はしてはならないと骨身に染みているのに、止めようとすらしなかった。

 逃げていた。逃げられもしない癖に、立ち向かう事もせずに、見て見ぬ振りをして。

 何も変わっていない。

 己の身を差し出し殴られる痛みだけで良しとして、現状を変えようともせず逃げていた昔と、何も変わっていない。

 本当はその裏で多くの人が傷付いているのに、自分の方がもっと酷い目に遭っていると自己満足で終わって目を背けている。

 それを変えたかったから彼らの手を取った。

 その筈なのに。

「宗温」

「はい」

「勝てるか」

「ええ。必ず」

 策はある。勝つ為に何をしても良いと言われたから、手段を選ばなくて良い。

 その方法は既に耳に入れている。王は頷いた。必ず成功させろと言って。

「早く終わらせて…俺を葬ってくれ」

 立ち上がり、歩いてゆく。

 その背中を跪いたまま見送った。

 孤独な背中。重いものを背負い続けた為に、成長する事も叶わなかった細い背中。

 小奈(サナ)の遺志を受け継いで守ろうとしていたが、結局、こうなってしまった。

 彼を守ろうとしていた事が、国を守る事に擦り代わっていた。

 守ろうとしたのが国ではなく彼自身だったら、それに途中で誰かが気付いていれば、何か変わっていただろうか。

 忠実にその為に動いていたのは朔夜だけだったのかも知れない。

 そういう彼を追放して、これは必然だったのだろう。

 皆で一人の青年を追い詰めた。

 自ら死を求めるしかない場所まで。


 逗留している屋敷に戻るとすぐさま華耶を求めた。

 彼女が来るのを待たずに寝台に倒れ伏す。

「仲春?」

 やって来た華耶が驚いた顔を見せるが、浮かせた手にすぐ察して握ってくれた。

「…ごめん。熱が出て」

 手を握る手とは逆の手で額を押さえる。水仕事をしていたのか、ひんやりとして気持ち良い。

「本当だ。疲れたんだね」

「今なら旅も出来ると思ったのに」

「大丈夫。休めばすぐ良くなるから」

 額を冷やそうと必要な物を探す。

「待って」

 厨に行こうとした時、か細い声で呼び止められた。

 華耶は心得たように微笑んで頷き、廊下に控えていた女官に水盥と手拭いを持って来るよう頼んだ。

 寝台へと引き返して、枕元に座る。

「ここに居るよ。大丈夫」

 子供が母親にするように腰に腕を回して取り付く。

 華耶は拒まず少し動いて、頭を膝に乗せてやった。

 肩から背中を撫で摩り、その間もずっと微笑みを浮かべて。

「…自分が死ぬのは構わないけど、他人を死に追いやるのは…嫌なもんだな」

 ぽつりぽつりと心情を吐き出す。

「嫌なんてもんじゃないか。なんか、こう…寒気がする。(はらわた)を喰われているのに、その腑はもう既に無くなってる、そんな感じ。悪寒ばかり走ってどうしようもない」

「熱のせいだよ。疲れると何でも悪い方悪い方に考えちゃうから」

「うん…」

「仲春がそれだけ民や兵の事を大事にしているのは知ってるけどね。きっと彼らの為なら自分の身なんていくらでも捧げたいと思うんでしょ?でもあなたは一人しか居ないの」

「一人で何千、何万の人を救おうなんて、思い上がりだな」

「ううん。あなたはそれが出来るから。出来てしまうの。…私は嫌だけど。私一人のあなたじゃなくなるのは」

 腰に回す腕に力を込めて、身の中に顔を埋めて。

 その言葉を否定するように。自分は華耶だけのものでありたかった。

「ねえ仲春、私…」

 言いかけた時、女官が頼まれた物を持って来て二人は離れた。

 華耶は女官に礼を言って、布を絞って熱い額に乗せた。

「どうした?」

 続きを聞こうと龍晶は水を向けたが、華耶は笑って首を横に振った。

「一緒に寝ようか」

 弱々しくも、何の混じりけも無い純な笑みで頷いて、龍晶は妻が入る為の空間を空けた。

 並んで横たわり、一つの毛布を掛けて。

「華耶が居ないと寝られないって泣きつかれたのが懐かしい。まだ一年ちょっとしか経ってないなんて、そんな気がしないけど」

「そんな事、言ったかな」

「言ってたよ。忘れちゃった?それとも忘れた振り?」

「うん…忘れた振り」

「もう、仲春たら。素直じゃないんだから」

「華耶の前では頑張って直してるよ」

「知ってる」

 互いに笑って、口付けて。

 この温もりだけあれば良いと思えば、辛い現実を忘れられる。そうやって一年を凌いできた。何も信じられなくなって遠去けた日々もあったけれど。

 今持っているもので惜しむとしたら、この時間だけだろう。

 本当は許されないのかも知れない。この一瞬たりとも幸せであってはならないのかも知れない。きっと、本当はそうなのだ。

 罰を受けるのなら甘んじて受ける。元よりその覚悟だ。

 ただ、彼女の幸せだけは奪わないで欲しいと、そう願っている。


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