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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十六話 情欲
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 一行は川に沿って都を目指す事にした。

 水は重要だ。川を離れれば人里で分けて貰うしか調達方法が無いのだが、人目に触れては拙い二人が居るので自然の恩恵に(あずか)るより無い。

 川沿いの集落に時折ぶつかるものの、旅人として足早に過ぎれば何の問題も無かった。食糧はそういう所で旦沙那がまとめて(あがな)ってきてくれた。

「悪かったな。軍に居れば着替えも風呂も男の中でやるから、そういうもんだと思ってた」

 目を回して川に落ちた朔夜は風邪をひいた。

 これも旦沙那に買って貰った薬を飲んで、古紙にちーんと鼻を噛んで、ずびびと鼻を鳴らす。つまり熱は無く鼻風邪なのだ。

「でもよ、王宮では蝶よ花よで育てられたんじゃねえのか?」

 燕雷の質問に波瑠沙は肩を竦めた。

「あまりその頃の記憶が無いけど、多分性に合って無かったんじゃないか?陛下と花を見る事はあったけど、退屈だから木に登ってた。軍は楽しかったなあ」

「そうか。でも軍は厳しいだろ。楽しくは出来てないと思うが」

「いや、楽しいよ。力いっぱい木刀で人を叩いても怒られないから。そうだな、確かに風呂場で揶揄ってくる輩は居たが、一発殴れば黙った」

 容姿を裏切る実力と容赦の無さで男達は誰も彼女に手出し出来なかった訳だ。

 王の肝入りという看板は彼女を助けたかも知れないが、その看板を出す間も無かったのではないか。

 ぶえっくしょい!と朔夜が大きなくしゃみをした。

 砂漠地帯とは言え、今は冬だ。否、砂漠であるだけ乾燥していて寒さは厳しい。戔の都の比ではない。

 それでも平気な顔をして波瑠沙は川に入って水浴している。

 流石にそれは日中の比較的温かい時間に限られるが、それでも水は冷たい。なのに水から上がって震える事も無い。

 今もその水浴の後だ。薄衣一枚を引っ掛けただけの姿で刀を研いでいる。

「鍛えれば誰でも出来る事なんだけどなぁ。風邪なんかひかないし?」

 波瑠沙は揶揄うように朔夜を見て、ふと顔を顰める。

「こんな軟弱な坊やが本当に本当に悪魔なのか?」

 何度目かの質問に朔夜本人が答えた。

「ほんとだよぉ」

 言いながら流れる鼻水を口に入れまいとしたら語尾が間伸びした。そしてずずっと啜る。

 説得力がまるで無い。

「だんだん冗談じゃなくなってきたんだが。こんな奴と一緒に陛下をお助けする?私はお子ちゃまの世話をしながら戦えるほど器用じゃないぞ」

「ご尤もだが、まあ大丈夫だ。それまでには治る」

「風邪の話じゃない」

 燕雷に真顔で釘を刺して。

「おい自称悪魔。手合わせしろ」

 え?と返したつもりだが訛って、べ?になっている。

「次の襲撃者なんぞ待っていられん。私が自ら確かめてやる」

 研いだばかりの刀の切っ先を朔夜に向けて。

 その前に燕雷は冷静に忠告してやった。

「姐さんあのな、その前に帯を締めて鎖帷子を着といた方が良い。刀でやり合うって言うのなら」

「私が斬られるとでも!?」

「こいつは斬らねえとは思うけど、寸止めも風邪ひいてりゃ狂う事があるだろ?止める寸前でくしゃみしたらどうすんだ」

「そういう問題か!?愚弄しやがって!」

「済まん済まん。だが勝負にならないからせめて帯は締めてやってくれ」

 怒りの余り立ち上がると羽織っていた薄衣が落ちて裸体となった。朔夜はさっと両手で目隠ししている。それなりに耐性が付いたようだ。違う方向に。

「全く、世話の焼ける!」

 怒りながら帯を結んでいる。いやそれは貴女の怠惰な癖のせいでしょうとは燕雷も言わない。

「ついでに鎖帷子も…」

「要らん!目を開けろ!刀を抜け!」

「待って俺、やるって言ってないよね!?」

 子犬のような悲鳴は無視されて、その場に刀が突き出された。

 今の今まで朔夜が座っていた木の根に切っ先が抉った。

 朔夜は跳んでいた。まだ刀は抜いてない。そのまま木の枝を掴む。

「おま…!猿か!降りてこい!」

 思い切り両手を伸ばして刀を縦に振れば足に届く。足首を落とされる前に朔夜は枝を軸に一回転した。

「ちょっと待てって!」

 回った勢いで次の枝へ飛び移る。今度は足を掛けてその上に立ち上がり、困ったように波瑠沙を見下ろした。

「燕雷の言う通りだよ。せめて鎖帷子を着てくれって。今の俺じゃ怪我させない自信が無い」

「舐めた事を言うな!着て欲しいなら先にお前が本物の悪魔だという証拠を見せろ!」

「証拠ねえ…」

 困った顔で考えようとした矢先、また大きなくしゃみに襲われた。

 反動が大きくて体勢を崩すと、枝から足が滑り落ちた。

 流石の波瑠沙もそこを串刺しにしようとは考えず、咄嗟に刀を落として腕を出していた。

 ぼすっ、と。

 朔夜は腕の中に収まった。

 が、人一人が落ちてきた重みに耐え兼ねて波瑠沙も前屈みに倒れた。二人で縺れ合うようにして地面に叩き付けられて。

「大丈夫か!?」

 燕雷と旦沙那が駆け付ける。

「痛った…」

 耳の近くで女の呻く声がして朔夜は跳ね起きた。波瑠沙の腕を下敷きにしてしまっていた。

「ごめん!ほんっとごめん!大丈夫か!?」

 彼女は起き上がってこない。強がりな彼女が。これは一大事だ。

「骨をやられたか?」

 腕を伸ばしたまま横に倒れている肩を燕雷が慎重に支えて上体を起こしてやる。痛そうな呻き声が漏れた。

 着衣が乱れて胸が殆ど露わになっていたが、朔夜は耐えて正面に屈んだ。

「触ってみるよ」

 異常があるなら腕に違いない。自分を受け止めてくれようとした両腕にそっと触れる。

 手首の方から二の腕へと掌を動かしていく。波瑠沙は恐々だが黙ってその様子を見ている。

 それにしても硬い腕だ。筋肉は天然の鎧だろう。確かにこれを侮ってはならない。

「骨は大丈夫だと思う。筋を痛めたんじゃないか?」

「お前は医者か?」

 確かにそういう物言いになってしまった。朔夜は苦笑いで答える。

「骨が折れた腕に触った事があるから、それとは違うなと思っただけ。治すよ?」

「治す?」

 龍晶の時と同じ要領でやれば上手くいく筈だと思った。あいつと初めて会った時の治癒。

 訝しげに見られている中、目を閉じて掌に意識を集中させる。

 すぐに温かな感触があった。だんだんと熱を上げ、それが相手の体へと入っていって。

「光ってる…」

 波瑠沙が呆然と呟いた。

 傷が酷くない分、時間は短く済んだ。

 朔夜が手を離すと、驚いた顔で腕を曲げ伸ばしして。

「治ってる!どうして?どうやった?」

「うん。後で説明する」

 にっこり笑って背中を向けた。

 波瑠沙は小さく「あっ」と声を出して己の姿を省みた。

「悪い。ちゃんと着るよ」

「そうしてくれると助かる」

「曝巻くからちょっと待ってて」

 己の荷物から先日洗って干した布を取り出す。先刻洗ったものは今、枝に掛けられて風に靡いている。

「これが面倒でさ。つい後回しにしてしまう。でもこれが無いと鎖帷子は着れないから。男には分からないだろうけど」

 言い訳のように波瑠沙は手を動かしながら語った。朔夜と背中合わせになるように胡座をかいて。

「男の体は便利だよな。って言うか女が不便に出来過ぎてるんだよ。確かに軍は楽しいばかりじゃなかった。そういう所を突き付けられるばっかりで。それで笑われる。笑われるだけならまだしも、男は女の体を好きに使って良いと思ってる。そういう輩が面倒だから鎖を常に身に付けなきゃいけないし。でも隠そうとしたら奴らは付け上がるから、堂々としてた方が良いんだって学んだ。周りは全部敵みたいなもんだから、そうやって戦い方を一つ一つ身につけていった。分かるか?」

 胸を潰し終えて振り返ると、燕雷の含み笑いだけがあった。

「えっ…朔?」

 座っていた場所に倒れている。

 驚いて飛び付き、その顔を見て。

「…寝てる…」

 舌打ちをして頬に平手打ちをかまそうと手を上げたが、やめた。

「戦ったり治癒の力を使ったりすると反動で眠っちまうんだよ」

 燕雷が説明してやる。

「治癒の力って、さっきの?」

「ああ。あれが悪魔である証拠さ」

「悪魔なのに?」

「人には無い力を持ってるって事だ。哥の王さんもそうだから分かるだろう」

「あっ…」

 思い当たる節があったのだろう。納得した表情に変わりかけた、が。

「いやでも、悪魔がこんな優しい奴って事が納得いかない」

「あー、それはまあ、そうだな」

 説明するのは面倒だ。そもそも燕雷も分からない所の方が多い。

「意外に優しいのは姐さんだろう。自慢の腕が使い物にならなくなる所だったぞ?こいつは無傷なのに」

 話をすり替えると、波瑠沙は顔を俯けて耳の辺りを掻いている。

 頬が赤く染まる。こうして見ると可愛らしい娘だ。

「人が落ちてきたら受け止めるのが当然だろっ」

 ちょっとムキになって言い返す。

 誤魔化すように立ち上がって衣を着る。鎖帷子を手に取ったが、元通りその場に置いた。

「惚れても良いが、こいつには好きな娘が居るんだよな」

 燕雷の言葉を背中で受けて、否定するでもなく波瑠沙は言い返した。

「見くびるな。私にも婚約を誓った男が居る」

「ほう。こりゃ失敬」

「今は敵同士だがな」

「…え?」

 白い薄手の衣に上衣を羽織ると、落としていた刀を拾って旦沙那の起こした火の前に座った。

 夜が近付いてくる。日が暮れると寒さが襲う。

「爺さんも孫を連れて来いよ。風邪が悪化するぞ」

 旦沙那は作業を続けている。木の枝を使って簡易な天幕を建てるのだ。焚火を囲い、その周りで寝る。そうせねば野宿で凍死してしまう。

 燕雷は朔夜を焚火の傍で寝かせ、更に毛布で包んでやった。鼻の自由が無いからか、苦しそうに口で息をしている。

「その治癒の力とやらで風邪は治らないのか」

「どうかなぁ。人より治りは早いかも知れないけど、基本怪我しか治せないらしい」

「ふうん。不便だな」

「怪我が治るだけでも十分だろ。そもそも便利か不便かで論じるものでもないと思うが」

「生まれ持った才に限りがあると分かればそれは不便だろう」

「姐さんはそれを超えようと努力したんだろ」

「努力で超えられないものもあるから悔しいんだ」

「うん。そうだな」

 旦沙那が木の骨組みを完成させた。大きな布を広げ、火も人も諸共に覆ってゆく。

 中央に煙取りの穴があり、白い煙が立ち昇ってゆく。煙が揺れれば星空が覗いた。

「他人が踏み慣らした道を外れれば苦労するばかりだ。それが例え才だとしても。こいつも苦労したんだろう」

「ああ。ちょっと苦労というには重過ぎるけどな」

「爺さんは?」

「俺は…いや待て。お前ずっと爺さん呼ばわりする気か」

「だってそうなんだろ?九十の爺さん。そう呼ばないと周囲も自分も忘れちまうんじゃないか?」

「いいよ。忘れてくれれば」

「私はお前が爺さんの方が良いなあ」

 旦沙那が天幕に入ってきて毛布を投げ寄越した。さっさと寝ろという事らしい。

 波瑠沙は大人しく横になっている。燕雷は諦め難く口を開いた。

「一つ訊いていいか」

「なんだ?」

「敵同士になっちまった婚約者ってのが気になって眠れそうにない」

「どうせ高鼾で寝る癖に」

「はは。爺さんへの寝物語だと思って聞かせてくれよ。どういう男なのか」

 別に野次馬精神だけで訊いている訳ではない。多分に興味はあるが。

 敵という事は、今後遭遇しないとも限らないのだ。それを知っているか否かで、相対の仕方が違ってくる。

 出来れば事が落ち着いた時、元通りの関係になっていて欲しい。

 その辺を察してくれたのか、波瑠沙も語る口を開いた。

「軍時代に兵舎で同室だった男だ。私を妹のように気遣いしてくれる、優しい男だった」

「だった…って、今は?」

「…分からない。あいつは事もあろうか陛下を囲み監視する兵の一人になってしまった。だけど私はまだあいつを信じて、陛下の様子を聞かせて貰っていた。夜中にこっそりと街の中で会って、二人だけが共有する情報を交換する。私から言える事は特に無かった。どうにかして陛下をお助けしたい、その為にこれから苴に向かうという事くらいしか。とにかく陛下の事が心配だから彼に宮殿の様子を尋ねた。庭が荒れたこと、女官達への酷い処罰、陛下がご心痛で(ほとん)ど食料を口にされない事も、全てあいつから聞いた。ここに来る前、明日は苴に向かうという夜…」

 波瑠沙は言葉を切らして大きく溜息を吐いた。

「私はただ別れを告げようと思っただけだった。あいつもそのつもりだったと信じているんだが…。急に敵に囲まれた。旦沙那が助けに来てくれたから良かったものの、下手をしたら捕まる所だった」

「別に裏切ったような事は言われなかったんだろ?」

「ああ。何も言わなかった。あいつはただ立って事の成り行きを見ていた。それが…怪しいと思ってしまう…」

 驚いた顔もせず、謝る訳でもなく、笑いもせず。

 ただ無表情でこちらを見ていた。

「私が甘いのは分かっている。あいつも軍人だ。女なんて切り捨てて当然だ。だけどあいつはそれをしないと信じてしまっていた。今もそう信じたいと思っている…」

 燕雷は荷の中に潜ませていた酒を彼女の前に転がして寄越した。

「信じてやれば良いんじゃないか?終われば全て元通りになるんだから」

「なるか?それこそ甘くないか?」

 波瑠沙は肘をついて腹ばいのまま、酒を開けて口に流し込んだ。

「そうするんだよ。未来はまだ決まってないんだから」

 酒瓶は再び転がって戻ってきた。

「ありがとう」

 彼女が毛布の中に潜り込み寝息をたてるのを、燕雷は酒と共に見守っていた。


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