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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十六話 情欲
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 哥に進むと、決めた。

 龍晶を助けたいと思うなら、予定通り哥に行き明紫安王を救う事だ。その弟がどのような人間であれ、何を目論んでいるのであれ、関係無かった。

 苴の動きは気になるが、東部の拠点を潰して歩いたのが少なからず功を奏しているらしい。戦が始まったという話は聞かない。

「それも時間の問題だろうけどな」

 燕雷は炉に炭を入れながら言った。

 哥に接する苴国境の町、宰原(サイゲン)

 龍晶と旅した時以来のこの町に滞在している。

 あの時は一度別れると決めたものの矢張り耐えられず、再会したのがこの町だ。

 今は龍晶と再会する為の一歩としてここから国境を越えようとしている。

「見たか、国境の警備を。前とは比べものにならないくらい兵が減っている」

「なんで?」

「警備の兵を戔との戦に回すんだよ」

「兵を掻き集めてまで戔と戦をするのか」

「苴にとっては千載一遇の好機だろう。戔を守るものは無いに等しいからな」

「宗温が居るよ」

「あいつが頑張っても限界はある。苴哥二国に攻められたら例えどんなに軍が強くとも戔は陥ちる」

 朔夜は納得しない顔で腕を組んでいる。

 部屋の外が騒がしくなった。夕食の時間だからだろう。

 宿の旅人達が食堂や酒場に向かっている。

 燕雷は予め贖っておいた酒とつまみ、朔夜の為の主食である万頭(まんとう)を皮袋から出した。

 小麦粉を練って蒸しただけの素朴な主食は、冷気によって固くなっている。炉の炭の上に置いて温め直してやる。

 ついでに酒のつまみとして選んだ干した羊肉も炭の上で炙った。

「どうしてそこまでして戔を攻めるんだよ」

「金鉱脈が欲しいのさ」

 万頭を割って羊肉を挟んでやり、朔夜に渡す。

 自身は酒瓶を掴んだ。杯は無いから皿で飲む。

「戦して人を殺してまで欲しいものか?」

「欲しいだろうな。権力者にとっては」

「理解出来ない」

「しなくて良いよ。そういうものだって知るだけで良い」

「強欲な権力者が居なくなれば龍晶は悩まなくて良いんだ」

「うーん…」

 なんとも答えあぐねて酒を飲み込む。

 今の権力者達が消えても、また次に同じような輩が現れるだけだろう。

 それに金だけが目的ではない。恐らく、戔という国そのものを無くす事が目的でもある。

 隣接する大国が弱っているうちに消したい。それが苴の目的だろう。結果手に入る領土は将兵への報酬だ。

「哥王を助ける為には大臣を斬らなきゃいけないよな?」

 羊肉を噛みながら朔夜は問う。

「どうかなぁ。同じ場所に居るとは限らないんじゃないか?」

 燕雷も炙った羊肉を前歯で齧って答えた。

「俺達が勝手な事をしたら向こうから出て来るだろ。そこを狙えば良い」

「出て来ないよ、普通は」

 苦笑いしながら言ってやる。

「なんで?」

「命が惜しいだろ。そういう奴がわざわざ自ら悪魔の前に出て来るか」

「そっか。じゃあ探して斬らなきゃ」

「お前の役目は哥王の救出であって、大臣を斬る事じゃないだろ」

「えー、そんな事言うなよ。ついでじゃん、ついで」

「そんな気軽に言うな」

 やれやれと苦い顔で酒を飲む。

 どうやら紫闇から悪影響を受けているようだ。近くに居る人間に影響を受けやすい純粋さはこんな時に困る。

 その時、こつこつと扉を叩く音が響いた。

 二人は目を見合わせる。

 (おとの)うて来る者など居る筈が無い。

 居るとすれば、月夜の悪魔を知る何者か。

 苴軍が未だに本物を探している可能性は否めない。

 朔夜は脇に置いていた己の刀を引き寄せた。

 燕雷は頷いて、立ち上がりながら扉の向こうにも聞こえる声で言った。

「宿の者かな?」

 扉を開けた。かちりと朔夜の刀の鯉口が鳴った。

 が、抜かれる事は無かった。

「あれ…お前…?」

 顔に覚えがある。

旦沙那(タンサナ)…だっけ?」

 短い期間で覚えきらなかった異国の名前を口にすると、呆れたような顔をされた。

「邪魔をする」

 その間にずいと入ってきた女に二人は目を丸くした。

 締まった彫の深い顔立ちは北方民族のそれだが、南方の言葉を喋る。何より目を引いたのは背中に負うた大刀だ。女の華奢な体付きに不似合いだ。

 二人の数々の疑問を他所に、彼女はぐいぐい部屋に入り、炉を前にがしゃりと武具に音を発てさせて胡座をかいた。

 振り返り、まだ扉の前にいる旦沙那に北方語で短く話し掛ける。

 恐らく入るように言ったのだろう。旧知の哥人の方が遠慮がちに女の後ろへ座った。

「その…これは、どういう事なのか説明して貰えるのか?」

 女は無遠慮に炙った羊肉に手を伸ばした。

「哥王の(めい)を受けてお前達を探していた」

 奥歯で肉を噛みながら器用に喋る。

 口に入りきらぬ干し肉が形の良い唇の上で舌の動きに合わせて動いている。

「哥王の家臣って事か?」

「そうだ。護衛をしている。名は波瑠沙(ハルサ)。この男の紹介は必要無いな?」

 頷いて、燕雷は訊いた。

「俺達を探し当てる為に旦沙那を連れて来たって事か。哥の王様がそう命じたんだな?」

「そういう事だ。私はお前達の顔を知らぬゆえ」

 面白いおなごだな、と燕雷は口元を緩めている。対して朔夜は借りて来た猫だ。硬直している。

 これまで出会った女性で出来上がった固定観念が見事に打ち崩されて未知の人類に出会ったような顔をしている。

「寒いな。酒も貰えるか?」

 肉は勝手に食ったのに酒は許可を求める。

「あ、済まん。杯が無い」

「構わん」

 燕雷の前にあった酒瓶を掴んでそのまま口に運んでいる。それを凝視する朔夜の口がぽかんと開いている。

『お前も飲め。温もるぞ』

 そして勝手に旦沙那へ渡した。

 酒を取られた燕雷は朔夜の顔を見て忍び笑いしながら彼女に言った。

「もう一本買ってこようか」

「一本とは言わず何本でも良い。金は渡す」

 懐を探ると衣の下の鎖帷子が覗いた。

 巾着から金貨を出す。

「これで足りるか」

「どれだけ飲むんだよあんた。流石に釣りは返すからな?」

「そうか。他国の物の値が分からんのだ。適当に買ってきてくれ」

「あいよ。その間にうちの坊ちゃんをよろしくな」

 燕雷が行ってしまう。行ってしまう!?俺一人!?

 ぶるる、と派手に身が震えた。

 旦沙那となら過ごせるが話せない。哥の言葉が分からない。

「坊ちゃん、な」

 女の目が意味深な色を帯びて朔夜に向く。

 まるで蛇に睨まれた蛙だ。先刻から形容が猫になったり蛙になったり定まらないが。

「陛下が言うておられたそのままだな。見た目も中身も子供のままだが、お前こそがあの月夜の悪魔なんだろう?」

「だったら、なに」

 乾いた舌で応戦する。

「まあ、そう構えるな。飲め」

 旦沙那の手にあった酒瓶を横取りして朔夜の手に押し付ける。

「酒、嫌い」

 緊張のあまり片言になっている。

「ほう?飲んだ事はあるんだな?」

「にがい」

 女が高い声で笑い出した。

 仰け反りながら朔夜を指差して、逆の手で床をばんばんと叩いている。声は音の良い鐘をめちゃくちゃに打ったようだ。

 於兎(オト)だってこんな笑い方はしない。それは顔に思い切り出ているが、波瑠沙は意に介さない。

「いや、面白いな!陛下から聞いて半信半疑だったが、本当に悪魔はお子ちゃまだったんだな!お前が苴軍を壊滅させたのは本当か?」

「それ、いつの話?」

 眉を顰めながらも問うてみる。

「無論、月夜の悪魔としてだが、そうだな最近も同じような事をしているな」

「知ってるのか?」

「勿論。全て陛下の予言にあった事だ。だから私達が遣わされた。お前達だけで哥に入っては何かと不便だろう?」

「じゃあ王様は元気なのか?変わりなくあの宮殿に居るんだな?」

 急に波瑠沙の顔が静まった。

 その事に朔夜は動揺した。

「え?ごめん…なんか駄目な事言った!?」

 口で答えるより前に、彼女は拳を握り加減の無い力で床を殴った。

 ただならぬ音が響き渡った。朔夜は恐れて座ったまま後ろにすっ飛んでいた。矢張り猫の動きだ。

「ご、ご、ごめんなさい…!!」

 訳の分からぬまま謝っている。

「陛下は確かに変わらず宮殿に居られる。…だが!」

 怒りを露わに彼女は叫んだ。

「一室に閉じ込められ、その周りを大臣の兵どもが取り囲み、我らは近寄る事さえ叶わん!お仕えしていた女官も全て牢に繋がれ、陛下はお一人で酷い仕打ちに耐えていらっしゃる。あんなに大事にしていたお庭に出る事も叶わず、草木も殆ど枯れてしまったそうだ…おいたわしや…」

 泣いた。

 えっ、と朔夜は焦って、何故か左右をきょろきょろと見て、またえっと言って。

 話の内容なんか吹っ飛んだ。目の前で女が泣いている。あの豪傑な彼女が。それが全てだ。焦りに焦っている。

「ちょ、あの、旦沙那」

 なんか言ってやって、と言おうとしたが言葉が通じない。その上、彼は冷たーい視線をこちらに投げるばかりである。

 頭を抱えているところに酒瓶が目に入った。

 そうだ、こういう時はこれだ!

 そろーっと彼女の前に酒瓶を差し出してやる。と、瞬時にひったくられてぐびぐびと煽った。

 っあー!と声を出して手の甲で口を拭う。

「強い酒だなこれは。なんて酒だ?」

 瓶に書かれているのだが、流石にその文字までは読めぬらしい。

 それより瞬時に涙が乾いている事にまた朔夜はびっくりしている。

「蛇酒だって」

 書かれた文字を素直に読んで教えてあげる。並の女なら悲鳴を上げそうな名前だが。

「おお、毒蛇を漬けた酒か!哥にもあるぞ。流石に私は普段飲まないがな。お前の相棒は今晩何をするつもりなんだろうな?」

「へ?」

 意味が分からない。その顔でまた笑われた。

 燕雷は寒いし急いでいたからあまり瓶を見ずにただ強いものを選んだのであって他意は無い。多分まだ自分が何の酒を買ったのか知らない。

「おお、追加が来たぞ」

 廊下を歩く音で聞き分けているらしい。野生的な感覚の持ち主だ。

 期待通りに燕雷が現れた。酒瓶と瓢箪を縄で括っている。

「ああ、いかん。杯を忘れていた」

「構わん構わん。このままでいい」

 額を叩いた燕雷はどうでも良いらしく、その手にある瓢箪を早速縄から外して栓を開けている。

 燕雷は苦笑いしながら諦めて元通り炉の傍らへ座った。

 その横へわざわざ朔夜が寄ってきて、隠れるように座る。

「どうした」

「どうしていいか分からない」

 不思議なあまり蛇酒の瓶に書かれた効能を読んでいて、やっと何となく意味が理解できたのだが、そういう事を言う女が理解出来ない。

 その様は見慣れぬ人間を陰から窺う猫だ。

 燕雷は更に苦笑いを深めて女に訊いた。

「哥の王様が俺達が来ると察知してあんたらを寄越したのは分かった。で、王さんは俺達に何を期待していなさる?」

「無論、陛下を私と共に救出して貰う」

「姐さん一人でも出来そうだが」

「こう見えても私は生身の女だ。大臣の軍を相手に一人で立ち回る事は出来ない」

「知ってる知ってる。言ってみただけ」

 腕の程は知らないが気の強さだけで勝てそうな気がする。

「姐さんは幾つだい?」

 よもや香奈多のように不死なのではないかと疑ったが。

「女に歳を訊くか?不躾だな」

 怒られた。確かにそうだ。

「悪い悪い。気にするとは思わなかった。見た目は若いのに剛気だなと思ってさ」

「悪かったな。まあ教えてやろう、二十三だ。どうだおっさん、申し分無いだろう?」

「な、何が?」

 いきなりおっさん呼ばわりで燕雷もびびっている。

 波瑠沙は転がっていた酒瓶を掴んで燕雷に見せた。

「相手はしてやっても良いが高くつくぞ。場合によっては無事では済まんがな」

「げっ」

 漸く何の酒だったか知ったらしい。

「違う違う!これは偶々そこにあったのを選んじまっただけ!九十の爺様だから俺は!そんな事考えてねえって!」

「九十の爺様?」

「そうだよ!そちらの王さんや香奈多の姐さんと同じだよ!」

「そういう事か」

 納得はしてもらえた。どうやら本当に彼女は普通のおなごらしい。ここの普通とは、人間として寿命が存在する、という意味だ。

「ふうん。じゃあそこのお子ちゃまも見た目より年嵩なのか?」

「こいつは実際にお子ちゃまだ…いでぇっ!」

 燕雷は二の腕を抓られた。

「なんだよ、同じ事をこの姐さんも言ってるじゃねえか!」

「お前が言うから駄目なんだよ!」

「何だよその理不尽!」

 あははは、とまた大きな声で波瑠沙は笑う。

「分かった分かった。それで、そのお子ちゃまは本当は幾つだい?」

「ん、はたち」

 あっさり朔夜は答える。が、燕雷が眉根を寄せた。

「は?年齢詐称だろお前」

「なんでだよ!本当だよ!」

「お前が二十歳とか有り得ないんだけど。本当は十歳くらいだろ?」

「はああ!?孫の成長が早くてついて行けないジジイだろお前はっ!!」

 ぽかぽかと叩く朔夜を止めるべく燕雷は腕の長さを活かして胴を押さえて離す。波瑠沙はけらけらと笑い転げ、旦沙那は迷惑そうに酒を飲んでいる。

 止める者の居ない大騒ぎの酒宴は深夜、宿の主に怒られて終わった。


  挿絵(By みてみん)



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