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月の蘇る-5-  作者: 蜻蛉
第二十五話 父親
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9

「桧釐」

 長く俯いた後、龍晶は己の足元をまだ見詰めながら口を開いた。

「苴から送り付けられた遺髪、まだ有るか?」

「ええ、取ってありますとも。持って来ましょうか?」

「頼む」

 ずっと黙って話を聞いていた鵬岷が、口を開いた。

「その遺髪、朔夜さんのお父さんのものだったんですね」

「…ああ」

 顔を上げて、歳の近い我が子を見て。

 その顔は、思慮深く考えながら、見た事も無い男の死を悼んでいる。

「僕も、朔夜さんを逃がす為に自分を犠牲にしたんだと思います」

 語り終えた孟逸に少年は言った。

 孟逸は微笑んで頷く。

「ねえ父上、そうですよね?」

 縋って問う息子の頭を撫でて、龍晶は砕けた口調で言った。

「俺ならそうする。あの男の考える事は分からんが」

 初めて撫でられた頭をきょとんとした顔で抑えている。

「ありましたよ」

 桧釐が戻ってきて、紙包みを差し出した。

 包みを開くと、指の長さ程の銀髪が、一束。

 それを孟逸に見せる。

「…間違いないでしょう」

 頷いて、龍晶は言った。

「これは月夜の悪魔のものだとして送られてきた。苴王の書状にもそう書かれていた。皓照の差金だな?」

「あの方が何か言わずとも、誰もがそう信じていたと思いますが」

「いや?お前以外にも気付いていた者は居た筈だ。月夜の悪魔と対峙した者は苴に少なからず居るだろう。あの蒋桂にしたって」

「彼は死にました。御前の場で。しかし陛下が言われる事も事実…」

 そうだ。蒋桂はあの時、気付いていた筈だ。

 襲撃者は、少年ではない、と。

「あれは月夜の悪魔ではないと誰も言わなかったのでしょうか」

「さあな。だがそういう声はあっただろう。少なくとも王は皓照に確認したんじゃないか?苴で一番朔夜の事を知っているのは皓照だろ」

「それで、嘘を…?」

「二人で相談の上じゃないか?人は信じたいものを信じるのが常だ。民には本人だと信じ込ませておいた方が良い。それを皓照は利用したんだろう。苴王も一緒になってな」

「何故ですか」

 問うたのは納得しない顔をしている鵬岷だ。

 親しく尊敬している皓照の名が、まるで別人のように悪く扱われる。

 龍晶は少年の目を見据えて告げた。

「その首はそのまま、戔を攻める口実だ」

 少年の顔が引き攣った。

「どうして攻めるんです?なんで皓照様が?」

「苴は戔が邪魔だし、皓照は俺が邪魔だ。だから戦で潰す、それだけの事だ」

「だって皓照様は、世の中から戦を無くすといつも言っておられるではないですか!そんな事をするなんて信じられません!」

「傭兵屋の元締めが笑わせるよな」

「父上!?」

 龍晶は片膝を立て、そこに肘をつき、その先の手で頬杖をつく。

 溜息。その直後に、口の端を歪ませて笑う。

「お前も信じたい方を信じろよ、鵬岷」

 少年から、桧釐、そして孟逸へと視線を流して。

「一人の人間が作り出す理想の世なんて、虚飾でしか無いだろ?」


「鵬岷が喜んでましたよ。父上がやっと子供扱いしてくれたって。でもそのすぐ後には落ち込んじゃって。父上の話は難しいって。見てて可笑しくて」

「普通は子供扱いされたら怒るもんだろ」

 それもそうね、と華耶は笑う。

 彼女は結局血の繋がらない息子を可愛がっている。息子と言うよりは弟なのだろうけど、それだって名目上だ。

 鵬岷の素直で健気な様を見て(ほだ)されたのだろう。龍晶とて人の事は言えない。

「やっぱり寂しかったんでしょうね。誰からも子供のように扱って貰えなくて」

「俺はただ、今日はそこまで気が回らなかっただけだ。取り繕う余裕が無かった。明日からは元に戻る」

「どうして?そのままで良いでしょ?せっかく打ち解けたのに」

「あれは重臣達に見せる為だ。あいつにはこの国での後ろ盾が何も無い。だが俺が礼を尽くせば皆それに倣う。そうすれば滑らかに国を渡せるだろう」

「じゃあ誰かに見せなくても良い時は砕けてお話できるって事ね」

「まあ…そうだけど」

「照れてるのよ、あなたは」

 そうずばりと言われれば確かにそうだ。

 閉口したついでに告げねばならぬ事を考える。この幸せな空気を一変させるのは気が進まなかったが。

「この髪の持ち主が分かった」

 例の紙包みを出すと、華耶の口元から笑みが消えた。

 その顔を見ていると、言葉が出てこなくなった。

 何故だろう。自分が悲しみを感じる筈など無いのに。

「…伝言があってな」

 言葉が遠回りする。直接名前を言えなくて。

「梁巴に墓は作ったそうだ。華耶の、父上の…」

 驚くでもなく、じっと、その銀糸を見つめて。

「どうして、苴から送られてきたのか…聞いて良いですか?」

 頷いて、孟逸から聞いた事を伝える。

「苴の王城を襲撃したそうだ。重臣や将を多く斬り倒し、あと一歩の所まで王に迫った。お陰で俺達は命を永らえたし、朔夜にかかる追手も消えただろう。あの人は――」

 彼女の頬から落ちる涙を目で追って。

「あの人は、本懐を遂げたと言って良い。王を討てなかった事は心残りだろうが、梁巴を襲った者の半数は討ち取ったんじゃないか。その為に生きてきたんだろ」

 華耶は、手で覆った顔で頷いた。

「分かってた。いつかこういう日が来るって。私は忘れて欲しかったけど、忘れさせてあげられなかった」

「華耶は…優しいな」

 横に振る頭を優しく包んで、額を付けて。

「俺はもう誰も恨まないと約束するから、安心して」

「うん。一人にしないでね」

 微苦笑を浮かべ、すぐに隠して。

「華耶は一人にはならないから」

 顔が離れ、大きな目で見られる。

 逃げるように龍晶は呟いた。

「朔夜は知ってるんだろうか。この事…」

 春の匂いのする夜の闇へ目を向ける。

 柔らかな色の月が世界を包んでいる。


 挿絵(By みてみん)



 白い月明かりを見上げながら、他に考える事も無くこれまでの事を反芻する。

 全てはあいつの為だと、そう信じていた。

 苴は戔に攻め込む。近い将来、必ずそうなる。

 未来を見る男にそう言われれば、その通りに動くしかなかった。

 苴の軍事施設を襲って戦力を削ぐ。まだ片手の自由は利かないから、お前は火を放てと言われた。

 数人の歩哨を斬って手当たり次第に建物に火を付ける。中の武具を使えぬようにする為。

 その向こうで紫闇は兵を斬りまくっている。

 炎はあの日を思い出させて頭がおかしくなりそうだった。それなら別にお前も兵を斬れば良いと言って笑われた。悔しいが、体はその通りに動いた。勝手に。

 我に返って、炎と血で赤く染まる世界を見て。

 あいつの為とか、そういうものではないと。

 寧ろ、これをあいつのせいにしてはならないと思った。

 燕雷は何も言わずに近場で待っていた。

 無事ならそれで良いと頷いて、淡々と旅を続ける。

 繰り返すうちに、慣れてしまった。

 炎の中に梁巴を見なくなった。現実として、これはあの時の仇なのだと己を正当化して。

 街に近寄れば悪魔の噂を聞いた。

 月夜の悪魔がここに来ている。今にも俺達を殺そうとしている、気をつけろ――

 己を探す兵があちこちに現れた。

 人目の無い所で出会えば斬った。街の中なら雑踏に身を隠す。向こうは悪魔の姿なんか知らない。

 目に見えぬ悪魔が死体を増やせば増やす程、人々の恐怖が膨らんでいく。

 だがそれが、戔への怒りに変わっていくとは思わなかった。

 街の中で人々が集まり、戔への出兵を叫んでいた。それだけではなく、戔王を捕らえ、殺せ、と。

 頭が真っ白になり、足を踏み込もうとした。手は刀に伸びていた。

 その腕を燕雷が掴んだ。

 怒りのまま振り向く。

 彼は黙って首を横に振った。

 行くぞ、と紫闇が無情に告げる。

 歯噛みしてその場を離れる。

 なんでだよ。ああいう奴らこそ始末するべきだろ。心の中で食ってかかりながら、答えも知っていた。

 彼らをそう動かしたのは、自分だ。

 あいつのせいにしてはならない。そう思いながら、全てあいつのせいになってしまった。

 それでも襲撃は続いた。

 軍の力さえ落とせば戔には攻め入れない。中途半端ではあいつを危険に晒してしまう。

 そう考えて前にも増して苛烈に刀を振るった。右手も多少は動くようになり、闘いで我を忘れれば更に可動域は広がっていた。

 月夜の悪魔。

 己で己をそうした。

 後悔すら覚えずに。

 月明かりが優しく反省を促す。

 寝返りをうちたかったが、傷が引き攣れた痛みで諦めた。

 もう少しの我慢だ。もう少しで傷は塞がるだろう。

 そうしたら、あいつの望む通りに哥へ向かう。

 月夜の悪魔の皮を脱いで、今度こそあいつの為に、朔夜として動くのだ。

 人を救う為に。

 自分がまだ人であるとこの傷が教えてくれた。

 紫闇の行動に気付いたのはごく最近だ。たびたびふいと姿を消すからそういうものだと思っていた。

 襲撃で力を使えばその翌日は何もする気にならない。旅は続けねばならぬので気力で歩き続けるだけだ。

 そういう時に姿を消すのだから追求などする気にもならない。燕雷も放っておけと気にもかけなかった。

 だが、だんだんと引っ掛かりを覚えてきた。

 戻ってきた紫闇から、新たな血の臭いがする。

 俺に黙って何処をやってんだよ、連れて行け、と冗談混じりに問う。

 自分抜きで苴軍に当たっているのだと思ったからだ。

 にやりと紫闇は笑った。

 燕雷は大きな溜息を溢していたと思う。勝手にしろとばかりに。今思えば、だが。


 闇に乗じて動くのはいつもの事だ。

 今夜は特に闇が濃い。月明かりも無ければ星明かりも無い。空は厚い雲で覆われている。

 北に行けば行く程、夜の寒さが厳しくなるのは当然で、この空気は戔の都を思い出させた。

 道には雪が残る。この雲だとまたそれを厚くさせるかも知れない。

 紫闇が吐き出す煙が雪道に溶ける。その臭いを避けようと風上に並んだ。

「そんなもん吸って、姉貴は嫌がらないのか?」

 彼の周りで嫌がりそうな人を探せば、あの優しげな哥王しか思い浮かばなかった。勿論、彼女が文句を言う所は想像出来ないのだが。

「お前も吸えば気にならなくなる」

「嫌だ」

 鼻で笑ってまた煙を吸う。

 紫煙と共に彼は言った。

明紫安(メイシア)は海の向こうから良い草を買い付けてくれた。流浪の身だと手の届きようがない。それだけが惜しい」

「惜しいのは煙草だけ?」

「そうだな」

「王様も香那多(カナタ)さんも、あんなに会いたがってるのに」

 だからそれに応じて彼女達を救いに行くのだろうとは思うのだけど。

 紫闇はまた黙々と煙を吐きながら歩いた。

「こんな所に軍の施設がある?」

 人家も無い山道だ。朔夜が疑って問うた時、景色が開けた。

 小さな集落。無論、軍に関係しているとは見えない。

「何処まで行くんだよ?」

 ただの通過点だと思ってまた問おうとした。が、隣を歩いていた筈の姿はもう無かった。

 煙だけがそこに蟠って。

 風が紫煙を吹き飛ばした。

 その風は、黒煙を孕んでいた。

 村の中に炎が立ち(のぼ)る。

 人々の叫びが聞こえた。家から出てくる人影は朔夜から遠い。

 その人影に、更に真っ黒なものが迫って。

 悪魔だ、と悲鳴が上がった。

 朔夜は地面を蹴って走り出した。炎の上がる村に自ら入ってゆく。

 そこここで炎に舐められる死体は煙に巻かれた訳では無い。全て人為的に息の根を止められた者だ。

 大小様々なその黒い影を目に入れて、叫んだ。意味を為さぬ声で叫んでいた。

 あの男はまだ人を殺している。

 後ろから、後先考えず斬り掛かった。

 刀は硬質な感触で止められた。その勢いの強さに後ろへ飛ばされる。

 崩れた材木の熾火の上に着地して、舌打ちしながら再び跳んだ。

 斬ってかかりながら紫闇の後ろの人間達に叫ぶ。

「逃げろ!早く!」

 剣撃はまた跳ね返された。相手の得物が見えず、躱す事も許されない。

 今度は燃える炎の中へ飛ばされた。己の起こした風で炎の方が避けてくれたが、瞬時にまた跳ばねば焼ける所だった。

 体中がひりひりと痛む。火傷は免れない。

 黒煙の向こうでまた死人が増える様を見た。

「どうして…」

 目は男を止める術を探りながら、口から言葉が滑り落ちる。

「どうして?」

 さも可笑しそうにその男は言った。

「お前もよく知る事だろ?」

 同じ事をした癖に。

 目を見開いて、しかし刀を持つ手には一層の力が入った。

 人間の死を欲する悪魔。俺達は、そういう存在。

 だから、己の死を願う。

 (うずくま)る子供に目を止めた紫闇に斬り掛かる。

 鼻で笑うように彼は見えぬ刃を飛ばした。それは刀を滑り、朔夜の身を抉った。

 それを狙っていた。

 血を吐く口元が笑う。走る足は止まらない。

 刀は相手の懐へ滑り込んだ。


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