14、朝露の森を抜けて
入り口に壊れた戸を立てかけただけの小屋の中は、しめやかな夜の冷気がゆっくりと押し入って来る。
その冷たさに絡まれないよう、フライオはイリスモントの体を固く抱きしめた。 借り物の粗末な夜具を被っただけで、二人の体はこの世で一番暖かな世界を作り出すことが出来た。
それは夜明けまで続く、長い恋歌の始まりだった。
二人の呼吸は一つになり、同じリズム、同じ旋律で室内の闇をかき乱す。 森の中で低く歌を詠じる夜涸鷹の声に、夜具の下からくぐもって漏れる甘いため息が絡みつく。 囁く声で互いの名を呼び、泣き顔と笑顔の間を行きつ戻りつしながら、王太子と歌人は最後の夜を過ごした。
互いを束縛しないこと、自分の意思を曲げないこと、そんな自分を許し、相手を許すこと。 それがその晩の2人の誇りだった。
抱き合いながら、何度も何度も互いの耳に、同じ言葉を繰り返す。
「だって、また会えるのだから」
早朝、歌人出立を見送ったのは、王太子ただ一人きりだった。
皆がまだ眠っている間に森を抜けることに決めたフライオは、小屋の外に走り出てきたイリスモントに、いつになく生真面目な表情で手を振った。
「じゃあ、行くぜ。 立派な国を作ってくんな」
「精いっぱいやってみる。 まず旧体制と話し合いをして、ドルチェラート叔父上と和解するところからだな。 その後の国内平定は、モンテロスやセイデロス、ロンギースどのの共和国をどう扱うかで割れるであろう。
私としては、広すぎる国土はかえって枷になると思う。 自治区で分けて合衆国のようにするのが良いのかもしれぬ」
フライオに難しい政治の話は判らなかったが、イリスモントの人柄と度量をもってすれば、何の心配も感じなかった。 頼れる部下もたくさんいる。
「カラリアはいったん崩壊して、これから新たに立て直す。 それが一番近道だったのだと、私は思う」
「俺もだ。 それが正しいんだってことを、みんなに判ってもらえる歌を、俺は歌って歩くよ」
「ありがとう、フライオ。 そなたの歌を、私はずっと聞いておるぞ。
いつも私に届くように歌ってくれ」
「うん。 モニーも、どこかでギルが生まれたのがわかったら、宜しく頼むぜ」
「ああ。 任せてくれ」
最後に固く抱擁を交わした時は、涙で前が見えなくなっていた。
森の中を歩くフライオのターバンに、立ち込めた朝霧が露になって、木立の上からぱたりぱたりと落ちて来た。 涙は顔にかかる雫と混じって、胸元に零れ落ちて行く。
歌人の唇から、古い歌の旋律が流れ出て来るのを、王太子は確かに聞いた。
珠玉の意志と 夢を持ち
優しき覚悟 胸にかざす
汝こそは 朝日の大帝
尽きせぬ風の君主なり