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千里を歌う者  作者: 友野久遠
街道の英雄
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2、幼い日の約束

 名手は遠方より歌う、という諺がある。

 真の悪党は、悪事の表舞台には出て来ない、という意味の言葉である。

 これをギリオンは昔、従兄弟(いとこ)のラヤのことだと思っていた。

 昔と言っても本当に小さな子供時代のことで、ラヤと言うのも「フライオ」と発音できなかった幼児期の呼び名の名残である。


 ラヤの声は特別な成分で出来ていた。

 彼が歌うと、どんな遠方からでも人々はその声を聴くことが出来た。

 白く雪をまとった山々の頂に、その声がこだましていない日は、ただの一日もなかった。

 あの、呪われた運命が回りだした日でさえも。




 「虹のフライオに会ったことがあるのか? ロンギースよ」

 ギリオン・エルヴァは、護送車の奥まで体を進め、親しみを込めて巨漢の山賊に尋ねた。

 あまり近づいては危険だと、兵卒のユナイが後ろでオロオロし始める。

 山賊は苦々しく吐き捨てた。

 「ああ会ったともよ、2年前にな。 だが貴様の言う男とは違う奴かも知れねえ。

  俺の知ってる虹のフライオは、気障で、でたらめで、生意気なクソ野郎だった」

 「いや、それなら間違いなくうちの弟だ」

 ギリオン・エルヴァが真顔でケロリと言った。

 「もっとも、厳密には従兄弟になるんだがね。 同じ家で育ったから、弟のようなものだ」

 ギリオンが言うと、ロンギースは訴えた。 

 「あのクソ野郎は、湿っぽい歌で俺の手下を腑抜けにしといて、隙を見て商売モンをひっこ抜いて行きやがったんだぞ」

 「商売モン?」

 「人買いに渡すつもりだった女を連れ出して、味見をして返しやがったんだ!」

 「ああ。 なるほど」

 「女は次の朝、すっぱだかでふらふら戻って来て、ドレスを宿代に取られたとぬかした」

 「あっはっはっは!」

 ユナイ少年は目を見張った。 エルヴァ准将の高笑いなんて、一度も見た事がないからだ。

 

 「いや、笑ってすまん、ロンギース。

  おまえほどの盗賊の上前をはねるとは、あいつもいよいよ磨きがかかったなと思ったのでな」

 ギリオンは楽しげにくすくす咽喉を鳴らした。

 「そうやってバカをやっては歌を作って稼ぐっていう噂なんだがね。

  女の歌だけ、とりわけ恋のアリアだけは超一流なんだ」


 「だけじゃねえだろ? 隊長さんよ」

 ロンギースが、探るような声を出した。

 「貴様と一緒に育ったのなら、あのクソ野郎もオーチャイス村の出だって事だ。

  ‥‥あいつが、奇跡の竜使いってわけか?」

 ギリオン・エルヴァの顔が、一瞬で緊張した。 押し殺した声が警戒の色を帯びる。

 「‥‥首領よ、オーチャイスに竜などいないぞ。 私は一度も見たことがない。

  あれはただの伝説だ。 竜も、竜使いも」

 「そうかね」

 「そうとも」


 「武人のクセに(あめ)え野郎だぜ。 てめえらカラリアの国王オギア三世はもともと戦好きな男だ。

  今はモンテロスの力を重く見て手出ししねえ構えだが、もし竜使いを見つけたら、進軍ラッパ代わりに使いたがるだろうぜ」

 ロンギースがにやにやと笑った。

 「アリアより、あのクソ歌人には軍歌を封印しとくほうがいいと思うぜ。

  間違えても、王城の注目を浴びることがねえようにな」

 ギリオンは金色の髪をゆすって首を振った。

 「首領よ、フライオは軍歌なぞは歌わない。 あれは享楽的な歌人なんだ」

 「そうかね」

 「そうとも」


 山賊の咽喉からは、まだ低い笑い声が漏れ続けた。

 「愛するものを守るためでもかよ?」

 「‥‥どういう意味だ?」

 ギリオンはいぶかしげに問い返した。

 答えはなかった。

 かすかに、笑い声の尻尾のようなものが、耳に残っただけだった。

 「おい、ロンギース! どういう意味だ?

  ユナイ! 彼はどうした?」

 上官に手招かれて、ユナイ少年は馬車に乗り込み、囚人の様子を調べた。

 その後なにやら落ちつかなげに立ったり座ったりしてから、おどおどと報告した。

 「きゅ、急に眠ってしまったようであります。

  おそらくさっき飲んだ薬が効いてきたのだと‥‥。

  いえあの、今度はウソじゃありません!」

 言ってしまってから、少年はあっと両手で口を塞いだ。



 

 甲冑を着たまま護送車の後ろで、当番兵が運んで来た食事を掻きこむ。

 任務中はいかに外見にそぐわないと言われても、上品についばんでいたのでは仕事にならないので、彼の食事時間は極端に短い。

 食べ終わると周囲をぐるりと歩いて、地形の把握をする。

 これから就寝をして、朝が来るまでの時間が一番襲撃を受けやすい。

 もちろん哨戒と見張りの兵は出しているが、小規模な襲撃なら一瞬で始まってしまうだろう。 見落としは許されない。


 胃の中がどっしりと重く感じるほどの後悔を、ギリオン・エルヴァは感じていた。

 彼も武人のはしくれであり、戦の日が近いことは薄々気付いていた。

 そのことを従兄弟に告げようとしたのはすでに一年も前の豊穣祭(クラステ)の時のことだ。

 10年ぶりの再会をたった一瞬でぶち壊したのは、成長した従兄弟の人気だった。

 サロンからの招待状を持った貴族の小姓たちが一個小隊ほどもくっついて来て、しぶる従兄弟を暴力も辞さぬ勢いで引きずって行ってしまったのである。


 (ラヤはひとつめの約束を守った。

  国内のどこにいても、噂が耳に入るだけの歌人になった。

  だが2つめの約束はどうなったのだ?

  あのイカした可愛い怪物を、お前は飼い慣らすことが出来たのか?)


 知りたい。 それを知るために、是が非でも豊穣祭(クラステ)に行かなければならない。

 それ以外に、お互いの連絡を取る方法を決めなかった子供時代の失敗が、今になって悔やまれるのだった。

 そしてもうひとつ胸を貫く痛みをもたらすことは、自分自身があの日の約束を果たせなかったことだった。

 どこにいても、国内で知らぬ者のいない武人になる。

 その約束は、数年前に一時的に果たされた。

 しかし、現在ではそれを果たしたとは死んでも言えぬ境遇に陥ってしまっているのが、ギリオンの痛みの原因だった。

 ギリオン・エルヴァという人物は、英雄に成るべくして成った英雄として有名になった。

 しかし、堕ちるべくして堕ちた英雄としては、さらにその名を知られてしまったのだった。


 

 若い指揮官の脳裏には、故郷の山々の頂が映し出されていた。

 幼かった従兄弟はその峰に向かって、毎日大声で歌っていた。

 羊や牛を追い、草を食ませては丘に咲く花の白さを歌った。

 夕暮れの谷間に向かい、沈む太陽のはかなさを歌った。

 その声が今でも、ギリオンの耳に響き続けている。


 彼は歌い続けるだろう。 そうしないと生きていられない男なのだ。

 だから、天国に行こうが地獄に落ちようが、彼の居所はきっとわかるだろう。

 そこでも彼は必ず歌い続けているからだ。

 けれど自分は彼より先に死ぬことは出来ない。

 自分が地獄に行った後は、探してくれる者はいないからである。

 口の端に皮肉っぽい笑いが浮かんでくる。 その表情は、硬質で近寄りがたい彼の外見に、はからずも人間的な温かみを加えるものだった。



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