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千里を歌う者  作者: 友野久遠
竜使いの牙
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8、心の闇と氷の世界

 「歌人を見なかったか?」

 王太子イリスモントは「砂漠のマルタ」に尋ねた。

 雪は激しい吹雪になり、すでに足首が埋まるくらいの積り様だ。 近くに村があれば、分散して暖を取らせてもらおうと探しに行った兵士たちが、まだ戻って来ない。

 林の一部を伐採して、急遽作った広場には、わざと残した樹木の枝と間に張ったテント布がうまく雪よけになっている。 兵士たちはそこに人を集め、壕を掘り数か所で火を焚いて、人々が吹雪に埋まって凍死するのを出来るだけ遅らせようとしていた。

 「フライオなら殿下が一番近くにおいでになったのでは?」

 集まった人々に手早く薪を配布しながら、マルタが答えた。


 「歌人の居場所を知らぬか?」

 王太子が質問すると、山賊たちが一斉に鼻にしわを寄せて見せた。

 彼らは林の外側に雪で塀を作り、その塀に杭を打ち込んでいるところだった。 赤い竜の皮は熱を通さないので、杭にそれを取り付けて張れば防寒になるという事だった。

 「よせよせお嬢ちゃん、あの野郎は風が吹きゃどっかへ飛んでッちまうんだ」

 「ちぎれた羽根飾りを探すようなもんだ、時間の無駄だぜ」

 首領ロンギースとション・シアゴが口々に吐き捨てた。

 (目を離すのではなかった。 歌人は明らかに様子がおかしかったのに……)

 王太子の心に、苦い後悔が広がった。


 「そこの人! 虹の歌人を見かけなかったか?」

 人の輪から外れて、雪の中で何かを探すようにうずくまっている甲冑姿に声をかけて見た。

 相手はゆっくりと顔を上げ、そして飛び上がった。

 「イリスモント殿下!」

 「イーノではないか。 そなた無事だったのだな!」

 「一部を除いてですが」

 言っている先から、もと親衛隊長イーノ・キャドランニの左腕は、彼の意志を全く無視して、突然王太子の胸を掴んだ。 甲冑があったのでほとんど実害はなかったが、腕の持ち主本人がたちまち色を失う。

 「もももも、申し訳ございません、これ、これは私の意志ではなく腕が、腕がもうさっぱり言うことを聞きませんで」

 「泣かんでもよいから少し離れておれ。 足はいう事を聞くのだろう?」

 「はいもちろん。 は、離れます」

 「とか言いながら何故抱き寄せる?」

 「かかか、重ね重ねご無礼を……」

 「イーノ!」


 離れるどころか、左腕はキャドランニが引っ込めようとすると興奮するのかますます元気に暴れて手が付けられない。 王太子は悲鳴と共に地面に仰向けに押し倒された。

 その一瞬、王太子の瞳は見慣れた物を映し出した。 くすんだ金髪に、派手なターバンをつけた人影。

 すぐ頭上の木の枝から、フライオは王太子を見下ろしていた。

 こんなところに、と思う間もなく、樹上から一塊の雪が落ちて来て、キャドランニの全身を真っ白に埋めた。 降り立ての雪でまださほど固くなかったが、それでも結構な重量と衝撃があり、暴れまわっていた彼の左手の動きが止まる。 


 「フライオ、待て!」

 「王太子殿下、もうおやめください」

 飛び起きて歌人を追おうとする王太子を、雪の下からキャドランニが止めた。

 「歌人に頼るのはもうおやめになるべきです。 奴がこの期に及んで逃げ回っているのは、結局あの氷の竜も操れないからでしょう?

  よくお考え下さい、今回無辜の民衆を犠牲にした事も、正しい事と言えますか? 彼は我が国にとって害になる事しかしていないのではありますまいか」

 「黙れ、イーノ! それならば私やそなたは、何か大きなことが出来ておるとでも言いたいか」

 王太子がぴしゃりと言った。

 「歌人ひとりで戦に勝たねばならぬ謂れはどこにもない。 操ると言うのなら、そなたは自分の腕一つ制御出来ぬし、私は部下ひとり抑えられなかった無能者だ。

  よいかイーノ、これは命令だ。 ウダウダと人に文句をつける前に、その腕に必要な躾を施して、明日の朝までに司令部に戻って来い! 出来なければそなたを側に置くのはもうやめる」


 息を飲むキャドランニを置き去りに、王太子は樹上を見上げ、歌人に向かって語りかけた。

 「フライオ、今私は竜使いとしてのそなたには、何の要求もしておらぬ。 ただ話がしたいのだ。

  そなたの兄の事を教えて欲しい。 いや、その時のそなたの事も含めて、彼の心臓が何を望んでいたかを教えてくれ。 彼の心の冷えが、この寒さを作り出したのであれば、我々はそれを知らねばならぬ」


 長い沈黙があった。

 その後で返って来た歌人の声は、深いため息に彩られてはいたが、思ったよりもずっと静かな物だった。

 「わかった、モニー。 今下りるから、雪をかぶらねえようにちっと離れていてくんな」

 王太子が大木の側から離れると、枝が大きく揺れて雪の塊が立て続けに落ち、その後でフライオがマントを器用に枝に巻きつけながら降りて来た。 その表情は髪の毛と同じくらいくすんで、いつもの調子の良さの片鱗も見られない。 王太子が駆け寄ると、歌人はついと目を反らした。

 「イーノの言うのが当たってら。 俺は無能者だ。 

  軍隊を引っ張るのは失敗、こんなに人を集めたのに勝つどころか凍えさせてるだけだし、だから今暴れてる白い奴をなんとか操れねえかとやって見たんだが、どうすることもできなかった。 モニーに合わせる顔がねえ」

 「合わせてくれるならその顔で充分だ」

 王太子が笑った。

 「そなた、ひとりで戦をしておるつもりだったのか? 現に私の処刑は止まったし、ジャデロの独裁もなくなったではないか。 みんなで1歩ずつ前進しておるのだ。 

  責任云々をグズグズ考えるなど、そなたらしくないからやめて置け」


 王太子は強引に歌人の手を引っ張り、一番近くの焚火の側まで連れて行った。

 その火を管理していたのは、夕餉の支度に走り回っているヴィスカンタと、もとエルヴァ隊の隊員たちである。 彼らは王太子の姿を見ると歓声を上げ、駆け寄って接待をしてくれた。

 出来立てのごった煮を軍用皿に盛り込んで強引に持たせ、火の側に布を敷いてそこに腰を下ろさせた。

 「フライオさんどこにいらっしゃったのですか? 全身びしょびしょだ、すぐに着替えないと凍死してしまいますよ」

 ヴィスカンタは雪だらけになった歌人のマントや胴巻きを別の物に着替えさせた。


 「すまぬな、さっきからポータも押し付けたし、雑用がみんなここに来てしまった」

 王太子が言うと、ヴィスカンタは人のよさそうな笑いを浮かべて、焚火の向こう側で焼いたパンにかぶりついているポータを指さした。

 「動き回るので目が離せませんが、だいぶ落ち着いて来たので心配ありませんよ。

  時に王太子殿下、ユナイをお見かけになりませんでしたか」

 「いや、見ておらぬが」

 「何処かで見かけたら、ここに戻るようお伝えください。 あいつが一番子供の扱いがうまいんです」

 そう言いながらヴィスカンタは、歌人の濡れた服を棒に通して火の側に立てた。 


 「初めて会った日を思い出すな、フライオ。 

  あの時も二人で火の側に座った。 そなたは歌を歌ってくれた」

 椀の中で芳醇な湯気を上げる煮物を、王太子は嬉しそうに口に入れた。 

 その隣でフライオは、悲しげに椀の中の食物を見つめた。

 「当分、こういう物が食えなかった」

 ぽつりとつぶやく歌人の声に、王太子がハッと顔を上げる。


 「オーチャイスの食事の定番は、羊肉を干したやつを薄切りにして、香草のスープに入れた薄味の吸い物なんだ。 あの日大鍋でモンテロス兵を煮ていたやつもそれだった。 

  俺が天井の梁の上でうたた寝をしている間に、スープは完成しちまっていた。

  ギルが伯母さんともみ合って、はずみで殺してしまった時も、そのあと憲兵を呼びに行ったあとも、俺はずっと梁の上で動けずにいた。 吐き気をこらえて涙が下に落ちないように祈りながらただ見ていることしかできなかった」

 「モンテロス兵が自害するところも見ていたのか」

 「ほとんど見ちゃいられなかったが、逃げ出す事も出来なかった。 そうしたらな、死ぬ覚悟をしたモンテロス兵士が、神に祈ろうとして上を見上げたんで、もろに目が会っちまったんだ」

 「何かしゃべったか」

 「モンテロス語で意味はさっぱり判らねえが、耳で覚えた響きは今も残ってる。

  奴は俺の顔を見て驚いたようだったが、ニヤッと笑って『ソアマテルス』だか『ソアマンテロス』だか、そんなことを口の中で言ったんだ。 そのあと自分の胸を刺して息絶えた」


 「ソアマンティ・ロースという言葉はあるぞ」

 王太子が言った。

 「どういう意味だ?」

 「『天使に感謝』。 神の恩恵を喜ぶ言葉だ。 梁の上にいたそなたが、お迎えの天使が待っておるように見えたのかも知れぬ」

 王太子は少しためらってから、熱い煮物を再び口に運び始めた。 

 今それを食べながら話をするのは結構な勇気が要る事だったので、フライオは息を飲んで彼女の口元を見つめていた。


 「それでそのあと、そなたはどうした?」

 「散々泣いた後で、自分(てめえ)の母親を竜に預けに行ったよ。 お袋には、伯母さんみたいになって欲しくなかったんだろうな。 

  とどのつまり、俺はわが身の事だけで精一杯だった。 ギルにお前のせいじゃねえって言ってやることが出来なかった。 ギルにはそれが出来たのに。 別れ際に、お前のおかげで強くなれたと言ってくれたのに」

 

 フライオの胸を長いこと塞いでいた(つか)えは、別れ際にかけられたその優しい言葉に対する罪悪感に他ならなかった。 

 それまでフライオは、ホッとしていたのだ。 自分の歌のせいで村中が人殺しの罪を負ったが、最後にギリオンが母親を殺したのは、フライオの歌のせいではなくギリオン自身の過失だった。 そのことが歌人を自身の重荷からわずかながらも遠ざけていたのだ。

 「10年経ってギルに会うのは怖かったよ。 あいつはなんていうか、凄くご立派な男だからさ。

  あいつが英雄のままだったら、約束なんてほったらかして会いにも行かなかっただろう。

  ギルがエウリア妃殿下との噂で更迭されて国境警備に回されたと聞いて、またホッとしたんだ。

  俺は卑怯だった。 今もそうだ」

 フライオは椀を置き、自分の頭を膝の上でしっかり抱えて丸くなった。 話し終わってひときわ大きな息を吐き出す。

 その肩が小刻みに震え始めた。

 「寒い」

 唇の隙間から、カタカタと歯鳴りの音がする。

 「寒い。 何でこんなに寒いんだ」

 

 王太子は自分のマントを広げてフライオにかけようとしたが、ぎょっとして一瞬でそれを止めた。 歌人の体は真っ白な霜に覆われて、そこからとんでもない冷気が立ち上って来ているのだ。

 「フライオ! 考えるのを止めるんだ!」

 王太子は叫んだ。

 「これは魔法だ。 そなたはあの白い竜に共鳴しておるのだ!」

 「でも、俺は卑怯者だ」

 「それがどうした? そなたはほんの子供だったではないか。 

  子供は親の庇護のもとで、堂々と卑怯者になる権利があるのだ。 それをさせないのは世の中が悪い。 国を統べるものが未熟だからそんなことが起こるのだ。 ひいては王族、今は私の罪だ!」

 

 王太子が言い切った時、竜皮に覆われた結界の外、吹雪に閉ざされた林の中から、一つの小さな人影が入って来た。 それはひとりの少年で、全身に真っ白に雪を張り付かせた姿で、手製の(そり)を引いている。 異様な寒さのため橇はすぐに地面に張り付き、少年は一歩ごとに足を止めて両手で橇の綱を引き直さねばならなかった。 

 よろよろとやって来た少年は、結界の中に入った途端に緊張の糸が切れてその場に膝をついて立てなくなる。 凍えかけているのだ。

 「ユナイ! お前、どこに行ってたんだ!」

 ヴィスカンタが駆け寄った。 それから橇に乗せられた物に目をやって、大きく目を見張る。

 「エルヴァ隊長!」


 慌てて様子を見に行った兵士の中から、近衛隊の隊員だった男が戸惑った様子で駆け戻って来た。

 「王太子殿下! ギリオン・エルヴァの遺体です。 今ユナイが運んで来ました……。

  ど、どうしましょう? 仮にも敵将ですが」


 周囲の者が一斉に立ち上がる。 

 寒さが一段と強くなった。 


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