7、白く凍てつく氷の生き物
戦場が、血しぶきで真っ赤になった。
恐怖を含んだその光は、それに焼かれた兵士や民衆の心を狂気の底へと突き落とした。 彼らは敵味方の関係なく、近付く者全てを悪魔と恐れ、手にした武器をやみくもに叩きつける。 そして相手が立ち上がれなくなるまで、ひどい者はピクリとも身じろきしなくなるまで、決して攻撃の手を休めなかった。 そうしないといつ反撃されて自分が肉片になってしまうかわからなかったのである。
近付いてくる者がなくなると、彼らはてんでに逃亡をはじめ、そのあげくに逃げた先でまた別の相手と鉢合わせては死に物狂いで殺しにかかる。
「戦争なんて、勝っても負けても所詮は地獄」
日頃から口癖のようにそう言っていたフライオだったが、戦いと呼ぶにはあまりに無秩序なこの状態をどう表現すべきかわからなかった。
幸いにもこの光の影響を受けなかった者も多数いて、その中に後方から上がって来たばかりのピカーノ達がいた。 彼らはどさくさに紛れて王太子を手際よく馬から引き降ろし、縄をほどいて救出した。
その途端、どさりと音がして一同は目を剥いた。 軽くなった黒馬の背中の上で、ギリオン・エルヴァの体がゆっくりと傾き、そのまま棒切れのように地面に落ちたのだ。
「ギル!」
駆け寄ろうとしたフライオの目前を、数人の兵士が遮った。 彼らは後方から追いかけて来て、王太子に何かを訴えに駆け寄ったのだった。
「王太子殿下、今すぐここを離れないと危険です!」
叫んだのは、ギリオン・エルヴァの副官であったヴィスカンタである。 もとエルヴァ隊の兵士たちは、血相を変えて駆け寄って来たものの、地面に転がったギリオンの姿に気付くや硬直して黙り込んだが、王太子に促されて気を取り直し、口上を続けた。
「正気を保った物だけでいい。 ここを離れるんです。
あれをごらん下さい!」
ヴィスカンタの指差す先には、天空にそそり立つ光の柱があった。 先ほどトカロが爆発したその地点から、白い光がまっすぐに天に向かって溢れ出している。
その光はトカロの上に覆い被さった魔導師ジャデロの体を貫いて立ち上がっている筈であったが、最初バラバラに幾本もあった光が、今は大きな一本の光の柱となって天と地をつないでいる。
「ジャデロ宰相が制御しようと振り絞った最後の力が、もう尽きてしまったのです。
早くこの場を離れないと……」
「何が起こる?」
「断言はできませんが……」
きつく眉根を寄せて、ヴィスカンタは言った。
「あそこから、竜が出て来る。 というか、あれが竜なんです、あれが竜になるんだ」
「あの光がか?」
「魔導師の死が、です。 ああ、失礼!」
ヴィスカンタはついに痺れを切らし、強引に王太子を自分の馬に引き上げた。 ピカーノ達に声をかけ、部下に周囲を守らせて早急に離脱を開始する。 フライオも慌てて周囲を見回し、少々面識のあったギリオンの黒馬を発見するとそれにまたがって後を追った。
先頭のヴィスカンタに誘導されて、一同は全力で馬を飛ばした。 走りながら声を限りに逃げろ逃げろと騒いだので、少しでも正気を保っていた人間は、速やかに現場を離れて四散して行った。
「我々は城内で監禁されていた時に、極寒の地獄に落とされ、そこで青い竜を見ました。
その時はただ寒くつらいだけで何もわからなかったのですが、今、ジャデロ宰相の体を貫いた光を見て判ったのです。 ああやってあふれ出したものが、あの時の極寒の世界を作ったのだと。
同じ匂いがするんです、今溢れている光と」
走りながらヴィスカンタに説明されて、王太子は考え込んだ。
「魔導師が死ぬと、光があふれて地獄が出来る……?」
「そうです。 そしてできた地獄を、もっと上級の魔導師が術によって抑えて封印していたんじゃないかと思うんです。 広がらないように、暴れ出さないように。 それが、あの城内に出来た冬の世界だったのではないかと」
「しかし、魔導師と言うのは、いわゆる反竜神信仰の輩を指すのではないか?
竜神を否定した彼らが何故、竜を出したり竜になったりする?」
「詳しいことは魔導師にしかわからないでしょう。 しかし殿下、竜神を否定した時点で、彼らは別の何かの力を求めたはずです。 でなければ竜に守られた我々を殲滅させるという目標は掲げられなかったはずだし、それをしたからこそ、小魔獣みたいな人間界にはないはずの生き物が、彼らに従って動いているわけでしょう?
その『別の力』が何であるのか、彼らは決して外部に漏らさなかった。 秘密が漏れる前に、上司が封印してしまったからです。
しかし今、魔導師ジャデロはその封印ごと崩壊しようとしています。 私の知る限りでは、彼が魔道界の頂点にいる男なのですが、彼の封印は誰がするのでしょう?」
「垂れ流しになると言いたいのか」
「封印はたやすいことではないと思われます。 ジャデロにしてからが、あえて竜をあの世界で飼い殺しにしていただけだったではありませんか。 完全に制御できるなら、遠征なんて迂遠なことをやる前に、竜を使って世界制覇を計ればよいではありませんか。
魔導師は竜を支配していたわけじゃない、大きすぎる力の一部を借用していただけなんです。 そんなことが誰にも彼にも可能なわけはないでしょう。
そのジャデロが死んだ今、彼の中で今までの封印がどうなっているのか」
馬は戦線を後にして、丘を駆け上がり、さらにその向こうの谷を下りつつあった。 丘の向こうに見え隠れする前線のあたりから吹き出す白い光は、どんどん太くなって今や視界の3分の1を覆うほどの勢いだった。
「ポータを呼んでくれ、ピカーノ」
王太子が命じた。
バラバラになって逃げて来たようで、指令のラインが多少なりとも残っていたのだろう。 少し手間取りはしたが、やがてピカーノに伴われて、貴族兵の若者ひとりが後方から上がって来た。 真っ赤なターバンを巻いてすっかり日に焼けた小さな男の子を前に乗せている。
「ポータ、元気そうでよかった。 なあ、困っておるのだ。
あの光をなんとか止めたいのだが、お前に出来るか?」
王太子が手短に説明して頼むと、ポータは即座に首を振って否定した。
「簡単に言わないでおくれよ。 おいら最上級魔法はまだ習ってないんだ」
「では、何が起こっておるかはわかるのか?」
「わかるよ。 トカロの中に入れた『思い』がでかくなりすぎたんだ」
「ギリオン・エルヴァの恐怖と後悔の念だな」
「そう、あれは『膨張』っていう上級魔法なんだけど、魔導師は入れ物にまじないをかけて置いて、相手の心臓を入れて封をするんだ。 その時に、心臓をガンガン動かすように、切り札を幾つか持っておいて、時々体に持たせてやる。 復讐をしたい男だったら、憎い相手の指を一本、体にくれてやるとかさ」
「そう言えば、首を背負った男もいたな。
今回、期せずしてそれが大きくなりすぎたと言うのか」
王太子はうなずくと、今度は少し声を落として聞いた。
「もう一つ聞こう。 あの光の中から竜が出て来ると、ここにいるお兄ちゃんたちが言うんだよ。
そんなことが起こるのかな」
ポータの顔にギョッとしたような表情が浮かんだ。
その口がくっきり一本に綴じられ、ブルブルと首が降りたくられる。
「そんな事は起こらないんだな?
そうか、では我々は泡を食って逃げなくてもよかったわけか。 そうだとしたら、これから戻ってエルヴァの遺体を回収したいのだが、誰か行かせても大事ないな? ……ほう、ダメなのか。 やはり危険は危険なのだな?」
ポータは下を向いて、ただ首を振り続けている。
「竜の事は言うなと、誰かに命令されているのではないのか?」
そろりと、イリスモントがもう一押しする。
するとポータはいきなりその顔に唾を吐きかけ、捕えようとしたピカーノの腕をすり抜けるや、その巨体に電撃をお見舞いした。
「あ、おい待て!」
ポータが逃げ出した先には、あの光の柱がそびえ立っている。 そして折りしもその瞬間、光は突然たわんで四方に裂けた。
天上で裂けた光は4つの首となり、そのまま地上に落ちて来る。 その1本が上空から、こちらへ向かって一直線に突っ込んで来た。
「危ない! 戻れ」
「殿下ダメです!」
ポータを追おうとするイリスモントを、ピカーノとマルタが追いかける。
王太子は驚きの身ごなしでポータに追いつき、1度振り払われてもう1度組み付いた。 瞬間、電撃を浴びてひっくり返ったが、その手がポータの体を離すことはなかった。
王太子は全身でポータの体に覆い被さり、襲って来る白い光の鎌首を睨みつけた。
白くまばゆい光。
視界が真っ白になった。
その中央に、口を開いた白竜の姿を見たような気がしたのは、彼女の錯覚だったかもしれない。
体に叩きつけられた圧力は、異常な冷気だった。
吹き飛ばされそうになるのを、地面を抱きしめて耐える。
王太子が目を開けると、辺りは真っ白な雪景色になっていた。
そして彼女の目の前には、白い大きな雪像が立っていた。
馬に乗ってマントを広げた、大男の像である。
「ピカーノ!」
巨漢の忠臣ピカーノは、光が王太子とポータに襲い掛かる瞬間、馬で駆け寄って自分の体を盾に二人を庇ったのだ。 王太子が振り返って見上げると、白い光は地面を削ってから、生き物のように空へ駆け上がって行くところだった。
四方に別れた光の1本1本が、今や大きな蛇のようにうねって地を這い空を駆けながら、そこらじゅうの物を白く凍らせている。 ほどなく冷気が空を覆いつくし、上空からは大量の雪が舞い落ちて来た。
王太子の腕の中では、ポータが盛大に泣きわめいている。 こういうところはまだほんの子供なのだ。
「よかった、お前が凍ってしまわなくて」
王太子はポータを抱き上げ、ヴィスカンタの馬に預けた。
「おしまいだあ、もういやだあ!
せっかく逃げて来たのに、今度こそ俺たち死んじまうんだあ!」
少し離れた場所で、同じくらい子供っぽい声で泣きわめいている男がいる。 エルヴァ隊のティランティーノである。 ヴィスカンタが駆け寄って、ポカリと一発頭を殴るや叱りつけた。
「ティティ、ぎゃあぎゃあ喚くな! 小さい子の前でみっともない。
死にたくないならまず火を焚いて、そこにみんなで集まるんだ。
お前たちは山賊相手に野営が板についてる、率先して準備しろ。
それとヤノ! 物資の中に外套があったはずだ。 集まった者に、出来るだけでいいから配れ。 テント布や敷物も放出しろ。 そうだ、竜の皮がまだあったはずだ、あれを寒さよけに張るといい。
グズグズしてるとこの軽装ではすぐに凍死者が出るぞ、急ぐんだ」
「はいっ」
「我々があの時の経験を生かさずして、誰がこの場を救うことが出来る? 気張れよ!」
「セイ・ヤー!」
「ギリオン・エルヴァにそっくりだ」
その場にいた何人もの兵士が、ヴィスカンタの動きを見ながらそう思った。
空にはうねる白い光が4本、歓喜の舞いを舞う大蛇のように踊り狂っていた。
冷気は大きな菓子生地のように膨らんで白い層となり、今やカラリア全土に覆い被さろうとしていた。
世間では春の訪れを喜んでいると言うのに、ここでは冬になってしまいました。 出来ればもう少し早く書きたかった箇所でしたね。
そして実は、そろそろラブシーン入る予定だったのを入れられず、密かに無念の涙を流しております。
もういや、むっさいおっさんと汗臭い兵隊さんばっかり書くのは。
まあ、次回はさわやかに氷の世界だし、せめて汗臭さはなくなるわよね!