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千里を歌う者  作者: 友野久遠
竜使いの牙
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6、トカロは歌う 懺悔の歌を

 今回、しっかり残酷描写を含みますので苦手な方はご注意ください。

 表現はソフトにしたつもりですが。

 どくん、どくんと空気が揺れていた。


 魔導師ジャデロは、マントの下で起こる心臓の音を何とか鎮めようと、印を結んだ片手で腰のあたりを押さえながら、押し寄せてくる民衆とも対峙しなければならなかった。

 「トカロを奪い取れ!」

 農民の一集団が互いに息を合わせ、鍬や鋤を振り上げて殴りかかる。 魔導師の片手が水車ほどにも広がってそれを受け止める間に、歩兵たちが駆け寄って農民を取り囲む。


 乱戦の中、主力であるはずのギリオン・エルヴァはまるで人形のように動きを止めてしまっていた。

 「フライオ」

 流れ矢に当たらぬうちにと、王太子は馬上から歌人に合図をして馬を引かせ、戦線の外に引き出させた。

 ジャデロの姿が乱戦の向こうに見えなくなっても、響き渡る心音は少しも小さくならなかった。


 「ギル。 あの時、俺がどこにいたと思う?」

 馬上のギリオンの腕を取り、フライオが尋ねた。 ギリオンの瞳がゆっくりと下がって、日焼けした弟の顔に注がれる。

 「俺はね、資材倉庫の天井の梁の上にいたのさ。

  あそこは仕事をさぼって隠れるにも、ひとりで泣くにも都合のいい場所でね。 日頃っから羊番を頼まれたくねえときは、そこに登ってぼんやりしてたのさ」

 「でも、鍵は」

 これまでと違う声の調子でギリオンが尋ねたので、王太子はハッとしてその顔を見上げた。 いくぶんではあるが、もと英雄の顔には表情が戻っている。

 「あそこには鍵がかかっていたはずだ。 子供が入って遊ぶと危ないので、大人たちとレアネ姉さんしか鍵に触らせてもらえなかった」

 「よく覚えてんな、ギル。 でも鍵なんていらねえんだ。

  俺が使ってた離れの二階の窓から屋根伝いに上がって、明り取りの窓から中に入るのさ」

 フライオが笑った。


 「みんなは俺のことを、起きてる間中歌ってるもんと思ってたんだろう、歌声が聞こえなくなると、ベッドを探しに来たもんだよ。

  でも、歌ってのはね、作らなきゃ歌えねえじゃんか。 作る時には、まず頭の中に流れて来るのを聞いてから歌うんだ。 歌うためには、黙ってなきゃいけねえ時間が結構いるのさ。 

  俺はいつも資材小屋の梁に鳥みたいに止まって、頭の中に流れる歌をじっと聞いていた。 下からあんな高いところを見上げるやつは滅多にいねえから、誰にも気づかれなくていい場所だったよ。

  だから、知ってるんだ。

  あの日、レアネ姉さんは、内緒で荷車を引き出して、川に落ちて流されて来た2人のモンテロス兵士を、倉庫にかくまって介抱した。 

  体を温めてやり、台所からスープの残りを持って来て飲ませてやった。

  レアネ姉さん、優しかったからな。 敵兵だけど意識がなかったし、怪我人だからまず手当てしてからと思ったんだろうな。

  そいつらがこれから攻めて来るなんて思ってもいなかったろう。 敵国ったってオルムソの頂上まではモンテロス領なんだものな」

 「それはいつのことだ?」

 「モンテロス侵攻の前日さ」


 ギリオンの眉間に深いしわが刻まれ、白皙の頬は胸の痛みにゆがんだ。

 彼がその二人のモンテロス人のことを知ったのは、姉が亡くなり、戦いが終わってしまった後のことだった。


 

 オーチャイスの奇跡の日。

 その日は、幼いギリオンが生まれて初めて「戦」と言う命のやり取りを経験した日だった。

 人を斬ると言うのは恐ろしいことだったが、白刃の下をかいくぐって相手の隙を突くことに、得も言われぬ快感と達成感を味わった。 自分にはもしかしたら、他人と違う才能があるのかも知れないと思うと、体中の筋肉が踊り出しそうな気分だった。


 自分のしたことが罪深いとは思わなかった。

 戦いが終わり、姉の遺体を家に戻した時も、同じ戦いで父が亡くなり、母と伯母が重傷を負ったことを知った時も、感じたのはモンテロス兵に対する怒りと憎しみのみだった。

 

 事後処理の為に村にやって来た憲兵たちは、大人顔負けの戦いをやってのけたギリオンのことを「小さな勇者」と褒めたたえた。

 「僕はモンテロス兵と戦う兵士になりたい」

 ギリオンがそう言うと、

 「君ならきっとなれるよ」

 と言って頭を撫でてくれた。


 母の姿が見えなくなったのはその日の夕方の事だった。

 怪我人が多すぎるため、村長の家の離れに全員を集め、そこに憲兵の手配した医者が詰めてくれていたのだが、看護していたギリオンがちょっと目を離した隙に、母はどこかに行ってしまったのだ。

 彼女の怪我の部位は頭と肩であり、歩けないわけではなかったが、動くと危険な上に相当の痛みを伴うはずだった。

 「まさか家に帰ったってことは」

 幼いフライオの様子も気になっていたので、ギリオンは自宅に戻ってみた。 すると我が家の周辺には、スープと肉を香草で煮る、うまそうな香りが漂っているではないか。


 あの体で子供たちに食事を作っているのか。

 台所に駆け込んだが、そこは無人だった。 料理の匂いは、もっと奥の資材倉庫から流れて来るようだ。


 倉庫の扉に駆け寄ると、かすかな声が聞こえて来た。

 くぐもってはいるが尋常ではない調子の、鳴き声のような、うめき声のような。

 (ラヤが泣いてるのか)

 一瞬そう考えたギリオンは、小屋の扉を開けるのをやめ、節穴に目をくっつけて中を覗いてみた。

 

 

 血だまりの中に、母は立っていた。


 右手に持った血刀は、鳥や羊を屠る時に専用に使うもので、調理器具ではなく農具として認識されている大ぶりの刀だった。 

 彼女の足元で呻いているのは、裸にされたモンテロス人の男だった。

 両手両足を資材棚と荷車停めの杭にそれぞれくくられて、口には馬の食み布が噛まされている。


 「可哀想なレアネ。 可哀想な優しいレアネ!

  こんな悪魔に情けを掛けたばっかりに。

  きっとあの子は、この二人を迎えに来てくれって、山越えして来たあいつらに頼もうとしたんだね。

  牛や羊のように、言葉が通じなくたってわかって貰えると思ったんだね。

  なんて優しい、なんて不幸な娘だろう!」

 母は包帯を血に染めて、息を乱してふらつきながらも、手にした刃物を拘束されたモンテロス人に突きつけた。


 「あの子には将来があった。 あたしたちが大事に育てた、最高の娘だったんだ。 お前たち悪魔どもには、そんなことはわかるまいね。 お前もあの子を姦ろうと思ってたのかい? あんな幼い子を『いてきさん』は獣よりもひどい生き物なんだねえ。

  さあ、一思いになんて優しいことは言ってやらないよ。 

  あんたらの仲間があの子に悪さをした悪魔のお道具を、まず切り取ってやる。

  しっかり火を通してスライスしたら、豚のエサくらいにはなるだろうさ。

  そのあとは、その悪い魂がすみついている腹の中の物を、全部掻き出してこいつは炭火焼にしてやろう。

  それから2度と悪さが出来ないように、手足は取っ払ってあげようねえ」

 

 兵士の口からは、悲鳴と命乞いの言葉が交互に湧いて来ていたが、無論モンテロス語のわからぬ母には家畜の鳴き声よりも無意味な声でしかなかった。

 耳をつんざくような叫び声がほとばしった。

 その声に、母のヒステリックな高笑いが重なって響いて来る。


 ギリオンは自分の見ている物が信じられなかった。

 悪い夢だと心のどこかが否定しようとしている。

 母はいつも優しかった。 勝気で口うるさくはあったけれど、家族のために笑顔を絶やさない、優しい母親だったのだ。 今、血刀を掲げて笑い転げている魔女のような女は一体どこの誰なのか。


 よろめきながら笑い続けたあげく、母はついに床に崩れて動けなくなった。 もとより、歩き回れる体調ではなかったのである。

 ギリオンは扉を開けて母に駆け寄った。 魔女に見えたその顔が、もとの母の顔にい違いなかったので安堵しながら抱き起した。 母の呼吸は切羽詰って荒く、その体は火のように熱い。 遠目で見るより数段も体調が悪化していることが判った。

 「ああ、ギル。 ギリオン。 あたしの自慢の息子!

  レアネ姉さんの仇をよく取っておくれだったねえ。

  あたしはもう長くないけど、これから後はおまえがやってくれるだろう」

 「母さん! なんで寝てないんだ。 何でこんなことをした?」

 「あたしだってレアネの仇を討とうとしたんだ。 でもなかなかお前のようにはいかなかったよ。

  麻酔入りのスープを飲ませて縛り付けるまでは簡単にやれたんだけど、力仕事は骨だった」

 「復讐なんて! そんなの憲兵に任せておけばいいんだ。

  母さん、村長さんちに戻って横になってくれ、頼むから」


 ギリオンが荷馬車を用意しようと立ち上がるのを、母が震える手で止めた。

 「あたしの事なんか今さらどうやったって同じだ。 お医者様に長くはもたないって言われたよ。

  せめてレアネの仇を取ってから死なせておくれよ。

  あたしはもう動けない。 さあギル、おまえが」

 大ぶりの刃物を、母の手が息子に押し付ける。

 「冥途のあの子にお土産にするんだ。 モンテロスの豚どもは2人とも地獄に送りましたってね。

  任せたよ、ギリオン」

 それだけ言うと、母は床に倒れて意識を失った。


 「2人?」

 事の次第を知らないギリオンには、その言葉が奇妙に思えた。 この小屋の中には、囚われているモンテロス人が1人しか見えない。 さっきから母が「お前たち」と言っていたのは、モンテロス兵全員を指すのだと思っていたのだが……。

 床を見ると、不自然なほど大量の血だまりがある。

 母の持っていた刃物にも尋常ならぬ返り血がある。 昼間の戦いで、さんざん血を見て来たギリオンにとってその衝撃はさほどの物ではなかったが、であればこそ、あとひとりはどこに行ったのかが気になる。


 不意に心臓が悲鳴を上げた。 背筋を冷たい汗が流れる。

 嘘であってくれ、夢であってくれと願いながら、部屋の隅で湯気を上げて煮えている、大鍋に近づいた。

 母の手製の、いつものスープの香りがこぼれ出ている。

 伸ばした自分の指先が、冗談のように大きく震えている。 

 持ち上げた鍋の中から、真っ白い湯気と共に現実がさらけ出された。


 スープの中から、恨めし気にこちらを見ている人間の目玉。

 髪の毛が付いたままの頭部と、大きな足の裏が白く濁っている。

 「お前らの方が悪魔だ」

 煮えたぎった頭がそうしゃべったのように聞こえたのは、幻覚か。


 ギリオンは自分が大声を上げているのに気付かなかった。

 振り上げた刃が何を傷つけたのかもわからなかった。

 気が付くと、人の体に馬乗りになって、盛んに嘔吐していた。


 後ろから両腕を押さえられて我に返った。 振り向くと、血だらけになったモンテロス兵が、自力で縄を解いてギリオンを止めに来ていたのだった。

 「イイ、モウ、イイ。 アリガトウ」

 片言のカラリア語で相手は言った。 股間から血を流し、真っ青な顔をしてこの男も瀕死の状態である。

 それさえも現実の事かどうか、ギリオンにはもうわからなかった。

 「ケンペイ、呼ブイイ。 ワタシヤッタ、言ウイイ」

 「え?」

 「キミ、ヤラナイ。 ワタシ悪イ、言ウイイ」

 モンテロス兵士はギリオンの体の下にいる人物を指さして盛んに何かを伝えようとしていた。

 ギリオンはぼんやりした意識を振り絞って、自分が組み敷いている相手を見た。


 母だった。


 母の胸には、大きな家畜用の包丁が深々と刺さっており、その柄の所をしっかりと握り締めているのは、ギリオン自身の手であった。

 何故そんなことになったのかは少しも覚えていなかった。

 兵士はギリオンの体を押しのけ、自分が母の上に馬乗りになった。

 「ケンペイ、呼ブイイ」

 もう一度、諭すようにギリオンに言った。

 ギリオンはうなずいた。 頭の中は空白、全ての思考は停止してしまっていた。 


 憲兵を伴って小屋に戻って来たギリオンが見たのは、母の体に馬乗りになったままこと切れている兵士の死体だった。 彼は母の体から引き抜いた刃物を、そのまま自分の心臓に突きたてたのだった。

 少年を庇うためそうしたのか、股間の痛みに耐えきれなくなったのかはわからない。

 「お前らの方が悪魔だろう?」

 その死体もそう言っているように思えた。





 どくん、どくん、とトカロは叫び声を上げる。 

 

 罪を。 罪を。

 私の罪を誰か取り除いてくれ。

 私を英雄に祭り上げるのはやめてくれ。

 私は悪魔だ。

 悪魔だ。

 悪魔だ。

 悪魔だ。





 どどっ、どどっ、どどっ、どどっ。

 戦い続ける兵士や民衆がどよめいて、両手で耳を塞いだ。 それほど大きな音で、トカロは振動していた。

 雷のような鼓動の音に貫かれ、ついに戦いは中断した。


 鼓膜が破れんばかりの轟音と共に、魔導師の腰のトカロから眩しい閃光があふれ出した。

 それは光で出来た剣のように、魔導師の体を貫通し、周囲の兵士の甲冑を貫いて四方へ広がった。

 魔導師ジャデロは咄嗟にトカロの上に覆いかぶさり、光の拡散を防ごうとしたが無駄だった。

 黒いマントに無数の光の穴が開き、そこからとんでもない明るさの真っ白い光線が天へ向かって伸びて行ったのだ。


 そこかしこで悲鳴が起こった。

 光を浴びた人々は、突然恐慌に襲われたのだ。

 言いようのない激しい恐怖が人々を包み、居ても立ってもいられなくなったものが狂乱の行動を起こし始めた。

 大声でわめきながら狂ったように泣き、自分の頭を地面に打ち付けて血まみれになる者。

 自分で自分の喉を掻き切る兵士。 馬で走り去る者、穴を掘る者。

 恐怖の余り、やみくもに剣を振り回す者も多かった。 斬る者も斬られる者も、どちらも同じくらい相手を怖がり、自分を保てなくなっていた。


 殺し合いが始まった。

 もはやそれは戦争ではない。 その場のすべての人々が繰り広げる見境いない殺戮は、敵と味方の区別なく、凶器の織り成す暴力は、自分以外のすべての相手に向けられた。


 ギリオン・エルヴァの心臓から流れ出て来たのは、何もかもを覆い尽くすほどの強大な恐怖と悲しみだった。

 全ての罪を自分の物として感じる痛みが、大きな恐怖を更に倍加して人々の心を覆い尽くそうとしていた。 

 

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