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千里を歌う者  作者: 友野久遠
竜使いの牙
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4、黒竜は歌う

 王宮の廊下に緊迫した空気が流れ、あちこちで悲鳴が響き渡っていた。 這いまわる虫と、それを追って集まる小動物たちが小間使い達を卒倒させ、各部屋の扉から、廊下の騒ぎを見ようと人が走り出て来る。

 そして彼らは、そこで世にも珍しい光景を目にして仰天することとなったのである。


 格好をつけて横並びに執務室への廊下を塞いだ魔導師たちは、結局活躍の場を失った。 歌人とその周囲の虫たちを攻撃する前に、城の中から集まって来た新たな虫の集団に、手厚い歓迎を受けてしまったのだ。 背後から虫の大群に這い登られては、さしもの魔導師たちも、尋常ならぬ声を立てて拒絶のダンスを踊らざるを得なかった。

 いつもしかつめらしい顔をして目で物を言っている魔導師が、突然おかしなステップを踏み始めたので、集まった人々は思わず笑い出した。 そしてようやく我に返り、虫たちの中心にいる男が、歌人フライオであると言う事に気付いたのだった。


 魔導師を襲った虫たちは、閃光の攻撃を受けても少しも怯まなかった。

 一緒にいるフライオには彼らの心の状態がよくわかった。 一見して臆病に見える小さな虫は、実は少しも恐怖心という物を持ち合わせていないのだ。 あるのは単純ないくつかの使命感のみである。

 生き残ろう、という思い。

 寄り添いたい、という願い。

 守ろう、という意思。


 それらの使命を果たすため、彼らの小さな口は食べ物を求めて貪欲に動き、手足は本能的にその体を目的地に運ぶ。 先頭の者が倒れても、続く者は微塵のためらいもなく、先達の(かばね)を踏み台に、恐れず執拗に前進を続ける。

 彼らを支配している感情は、勇気でも向上心でもなく、ただまっすぐな意思だけだ。 生き残り、仲間と寄り添い守り合おうとする本能だけを動力に、虫たちは屍の橋を渡って進むことが出来るのだ。


 魔導師たちは次第に虫に埋もれて動けなくなり、フライオはその体をまたいで廊下の奥に踏み込んだ。 虫たちを見習って、出来るだけ黙々と魔導師の形をした黒い塊を踏み越えて歩く。

 人間は哀れな生き物だ、と不意に思った。

 人間は、怖がったり憎んだり、うらやましがったり期待しすぎたり、いつも大事なことがまっすぐに勤まらない。 威張って生物の王のように振る舞っているが、人間など創造主たる神の目から見ると、虫たちに比べできそこないの駄作に過ぎないのではないか。 もしもどちらかを滅ぼさねばならぬ時を迎えたら、神は迷わず人間の方を滅ぼすのではないか。 より神の声を従順に聞いている、虫たちを残して。


 「こっちです! こちらが執務室です」

 中年の小間使いが、廊下の先で大声を上げ、一室の扉を指さした。

 意志の力を持ったその明朗な叫びを聞いて、戸惑いの残った人々の心が、この瞬間ふうっと前へ押し出されたようだった。

 「歌人フライオ! 俺も連れて行ってくれ」

 「俺も行く」

 若手の衛兵たちが叫んで歌人の後を追い、ついでに軍服から身分証に当たる飾り帯を千切って床に投げ捨てた。

 「いいのかよ、あんたら城内の衛兵だろう」

 廊下を進みながらフライオが気にかけてやると、兵士たちは一緒に走り出しながらゲラゲラ笑った。

 「護衛が務まらなかったんだからどのみちクビさ。 毒くらわば皿までってやつだ」

 「俺はもともと、イリスモント殿下を敵にするのは嫌だったんだ。 あのお方には、城勤めの間中お世話になったし、癒されもしたからな」

 「俺もだ。 故郷(くに)のお袋に泣かれなきゃ、とっくにあっちの陣営にいたんだがな」

 

 フライオの胸の奥に、涙の香りを含んだ温かい感情が広がった。 溢れる好奇心で瞳をきらきら輝かせたイリスモントが、カラル・クレイヴァの場内を元気いっぱいに駆け回っている姿が目に浮かぶ。 それは夜明け前に見た、痛々しい甲冑姿と重なって、歌人の胸をぎしぎしと痛ませた。


 「とにかく、魔導師どもはダメだ。 あいつらは国民が飢えて死ぬと聞いても攻撃しようとした。 上に立つ者のやる事か」

 「そいつはまあしょうがねえや。 魔導師ってのは、何日も食べなくても死なねえ魔法を習ってんだろ。 俺たちなんていなくてもやってける人間なのさ」

 フライオの答えに、兵士たちはうなずいた。

 「今まで俺たち兵士にとって、貴族や王族は威張り腐って嫌な奴だった。 それでも連中は俺たちがいなきゃおまんまの食い上げだ、俺たちのことを死んでもいいと思ってなかっただけましな政治が出来たんだよ。 

  魔導師は貴族よりなお悪いや。 あいつらの頭の中にあるのは、カビの生えた復讐のことだけで、自分たち以外の民衆が一人残らず死んだって、過去に仕返しが出来りゃそれでいいって考えなのさ!」


    


 執務室の扉は、見も知らぬ小姓の少年が、自分から開けに来てくれた。

 早朝のことなので中は無人だ。 かしこまった造りの執務机と、金糸の刺繍を施した椅子の後ろに、問題の棚がある。 これも歌人と面識のない若い小間使いが、すぐに駆け寄って棚の扉を開けてくれた。

 しかし、その中にあるべき飯盒(トカロ)は発見できなかった。

 「トカロなら、ジャデロ宰相様が持ってお出かけになりましたよ」

 小姓の少年が利発そうな口調で言った。

 「戦場(いくさば)へ? 確かか」

 「僕がご用意いたしましたから」

 「王太子殿下を捕えにか」

 「はい。 それと役人に、処刑の用意を命じておいででした」

 

 廊下で様子を見守っていた使用人たちの口から、動揺の声が迸った。 

 彼らの多くは王族を煙たく思ってはいたが、それは身分や制度に対してであって、王太子個人を嫌っていたわけではなかった。 むしろこの城の中で働く人々は、イリスモントの気さくな人柄や、さっぱりした気性を快く思っており、それゆえこのたびの討伐に対しては、複雑な思いをしていたのであった。


 フライオが城を出て行くと、衛兵や使用人がぞろぞろとついて外へ出た。

 城門前でまた衛兵が前へ出て来たが、今度は足止めのためではなかった。 彼らは黙って門を開け、鍵束を投げ出して行列の仲間入りをしたのである。 制止しようとした魔導師は、集まった群衆の足の下に沈んだ。


 城門前広場では、工具と木材を積み上げ、屈強の男たちが公開処刑の準備をしているところだった。

 城から流れ出して来た群衆と虫の集団に、男たちが目を丸くする。

 「おい、なんだあの集団は。 城の連中だぞ。

  ああ、こっちへ来る。 何だか怒ってるぞ。 お、おいよせ。 よせ! わああああ!」


 虫を鎧代わりにした歌人を先頭に、ぞろぞろと出て来た人々は、川の流れのようにゆっくりと進んでいるように見えたが、その実とんでもない力でどんどん近寄ってきて、工事中の建設物に踏み込み、乗り上げ、ついでに叩き壊して更に前進を続けた。 あわてた大工たちが数人を殴り飛ばすと、すぐに別の者が前進して来て大工たちを蹴り倒した。 倒れた大工たちの上を、無数の人の足が踏みつけてさらに前へ前へと進んで行く。

  

  息子達よ 娘たちよ 我らが(かばね)を越えて行け

  我は人、この世の円の一部なり

  同胞よ 我らの体を橋にして まだ見ぬ世界へ渡って行け

  我は人、この世の円の一部なり

  神の定めの尊さを 雪と積りて道とせよ  

 

  ふるさとの愛しき娘よ わが命を惜しんで泣くな

  我は人、この世の円の一部なり

  老いたる父母よ 子の腕は 神の作りし小さき部品

  我は人、この世の円の一部なり

  我が靴底のこの土を 未来を超える道とせよ  


 


 のちに共和国(パイラカーン)の国家に制定されるこの歌は、城門前広場から国中に広がって行き、人々の行進は次第に長い行列となった。 虫たちが上空を舞い、鳥がその上を飛び交って、更に獣までが周囲を囲んだこの行列は、黒い大きな川のように空と地を覆った。


 「何事が起きたのだ」

 地上をゆく歩兵たちが大騒ぎで、行く手の道を指さしている。 魔導師ジャデロが眉をひそめて、歩兵を城下の確認に走らせた。

 兵士たちは城へ帰還する道のりを地道に歩いていたが、ジャデロとギリオン・エルヴァの一騎だけは、魔道の力で白糸の街道上空を飛んでいる。 あと少しで王都に入ると言うあたりで、この大行列を発見したのだ。

  

 王太子イリスモントは、ギリオン・エルヴァの馬に拘束された状態で、上空からこの様子を目にして突然笑い出した。

 「見よ、竜だ。 私の愛する竜使いは、竜を2頭も呼んでくれたぞ!」


 確かに、地上を歩く群衆の流れは、大きな黒い竜のように見えた。 その竜を見下ろす空の上を、鳥や虫が密集してもう一つの竜を形作っている。

 「おまけに、ははは、歌っておる。 伝説の竜は歌を聞くのが好きだったそうだが、自分で歌う竜がおるとはなんと愉快なことだ。 ジャデロ、歌う竜は無敵だぞ。 そなた、あれを撃退できるのか?」

 地上から湧き上がる歌声が、上空まで響き渡って遠雷のように轟いて来る。

 ジャデロの顔が緊張のためこわばった。 その手が、黒い魔道衣の下で、隠し持ったトカロを無意識に握り直していた。    

 

 今回少々短めですが、切りが良いのでここまでにします。

 大詰めになって参りました。

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