2、空戦部隊
「エルヴァに剣を抜かせるな」
今回の戦闘において、王太子軍はそんな台詞を合言葉にしていた。 ただでさえ数の上で不利な状況なのに、稀代の天才剣士に魔剣などを振るわれては更に勝率が下がってしまう。
「やつを剣士として相手取るのはやめよう。
その代わり、山育ちのやつには思いもよらない策を練ってやる。 もちろん、やつとこれまで渡り合ってきた山賊などにもできっこない作戦をな」
王太子はまず、傘下の貴族に命じて、王都から半日ほどの距離に位置する、パレガノという街の商人を買収させた。 商人らは人を雇って、「町に王太子軍が逗留している」という噂を流した。 実際に一個小隊ほどを街中に紛れ込ませ、わざとエルヴァ軍に発見させたりもした。
市街地を故意に戦火に巻き込むことは、正規軍であるエルヴァ軍にはできない。 ギリオンはパレガノの外に軍を展開し、4つの部隊に四方から囲ませて、中の王太子軍をあぶりだす作戦に出た。
そこへ、展開した4部隊それぞれに、王太子に買収された商人たちがにじり寄り、上官に内緒で兵士を屋敷に招待して大盤振る舞いをやったのである。
各部隊長が気づいた時には、兵士達の大半が酒仙の泉に首まで浸かっており、中には女をあてがわれて一晩戻らぬ者まで出る有様だった。 やむなくギリオンは、兵士の体から酒気の悪魔を祓う間、戦闘を延期せざるを得なかった。
その間、王太子軍はひたすら山に篭って罠を作っていた。
上からたたき落とす岩や丸太を崖の上に並べ、投石の準備をした上、突破して登って来た兵士をもてなすための落とし穴や竹槍をしかける。 沼や泥地は幌をかけて草を植え、わざとらしくそこまで道を付けた。
そのあと、パレガノの街をうろついていた小隊を追わせる形で、山の下までエルヴァ軍を首尾よく誘導して来たのである。
その後の奇襲作戦は、実に手際のいい出来だった。 まず岩で足を止め、上から丸太や石で単純な攻撃をしておいて、崖から離れようと下がった敵兵を、誘導担当だった小隊が弓矢で攻撃する。
「エルヴァが上がったぞ!」
魔剣を携えた金の髪の指揮官が、一隊を率いて斜面を登り始めると、待ちかねたように伝令が飛んだ。
山頂への道は罠だらけである。 全部隊で突貫工事をした後、工作班を率いたピカーノが、後ろ向きに山を下りながら、上から順に罠を完成させ、ふもとに降りた後で誘導部隊と合流したのだ。そのあとは誰もそこを通ることが出来ない。 水鏡で情報交換のできる彼等だからこそ取れた作戦と言えるだろう。
崖を迂回して山を登ろうとしたエルヴァ小隊は、まず手掘りの泥沼に馬ごと転げ落とされ、泥だらけで這い上がって来たところを、竹槍の雨に襲われて3割ほどが串刺しになった。
咄嗟に崖の方に逃れた者は、道に見せかけた敷き布を踏み破って崖下まで転落し、逆に頂上側へ回避した者は、ご丁寧にもうひとつ掘ってあった大穴に転がり込んで、上から丸太を落とされた。
「色男をこんな無粋な方法でもてなすのは気が引けるんだが」
キャドランニは頂上から兵士たちを指揮しながら肩をすくめた。
「魔剣が回収できるかな。 おい、やつはどっちに落ちた?」
「い、いえ、落ちていません!」
見張りに立つ兵士が声を張り上げる。
「落ちてない?」
「最初の泥沼に、馬が片足を入れた時点でエルヴァは馬を捨てて岸に飛び降りました。 駆け上がって来て竹槍は魔剣で両断。 たった一人、どちらにもよけることなくまっすぐ坂を上って来ます!」
「なんてやつだ」
キャドランニは緊張した。 あの状態で剣を抜くことが出来たのか。
山頂まで登って来られたら万事休すである。 狭い山頂にも兵士は詰めているが、決して大人数ではない。 だいたいあのギリオンと個人でまともに戦える者など、カラリアには数人しか存在しないのだ。
頂上に壕を掘って伏せていた兵士たちが、穴から剣だけ突き出して奇襲を開始した。 しかし一瞬でギリオンに見切られ、穴の上から次々と魔剣で串刺しにされた。
最後の坂道を上り始めたギリオンに、大ざるに20杯もの石が投擲されたが、これは子供だましと言うほかなかった。 木陰からの戦闘は、山育ちのギリオンの得意分野である。 木の幹に隠れながら石をやり過ごし、隙を縫ってじりじりと頂上に迫って来る。
「殿下、危ないですから私の後ろに入っていてください」
「断る。 敵の姿を見る事も出来ずに指揮が出来るか」
キャドランニの背後に庇われることを王太子は拒んだ。
「念のためですから!」
「譲らぬぞ」
王太子が思い切りよく剣を抜き放つ。 仕方なく、なるべく先に立つ様にしながら、キャドランニも剣を構えた。
ギリオン・エルヴァは速かった。
最後の坂を駆け上がるや、ほとんど踊り込むように歩兵に迫り、振り下ろした第一撃で、8人ばかりを地面に叩きつけた。 返す太刀で一閃、3人を後方へなぎ倒す。
たった2撃だ。 それだけで、歩兵の列の中を、一条の空間が走るように空き、道が開けてしまった。 その道のまっすぐ先に、イリスモントとキャドランニが剣を構えている。
(悪魔の眼になりおった……)
ギリオンの白い顔を見た途端、王太子は喉の奥で唸った。
それまでにも、冷たい美貌を「彫像のよう」と評されて来た「元・英雄」であったが、現在の彼の瞳には、冷たさに加えて、一種残忍な意思が宿っているように見えた。 その目が、振り上げた血刀の陰でギラリと光ると、思わず背筋が凍りつく。
キャドランニが、王太子を庇うために自分から間合いを詰めた。
しかし勝敗は一瞬で決した。 一陣の風と共に、銀色のきらめきが王太子の脇をかすめて通り抜けたかと思うと、親衛隊長の体は、後方に大きく傾いた後、ゆっくりと地面に倒れた。
「イーノ!」
駆け寄ろうとして、イリスモントは咄嗟に剣で顔を庇った。 本能的にしたこの行為が、結果的に彼女の命を救った。 悪魔の顔をした英雄が、ためらいもなく剣を振り下ろす。
次の瞬間、ギンと重みのある衝撃が両手を痺れさせ、何が起こったのかわからないまま2合ばかりを打ち合った。
「危ない!」
「殿下!」
「この裏切者めっ」
至近にいた歩兵や将校が割り込んでギリオンに打ってかかる。 殺到する兵士たちの隙間から、いつの間にかそばまで寄って来たマルタ・キュビレットが、細剣を抜いてギリオンに突進して行くのが見えた。
その時、空がにわかに暗くなった。
同時に地上のあちこちで怒号が響き渡り、激しい風が木々の枝から木の葉の雨を降らせた。 何か大きな物が、空から大量に舞い降りて来たのである。
灰色の体毛を生やした、大きな蝙蝠のような生き物だった。
勢いよく滑空して降りて来るその背中に、半裸の男たちが乗っている。 真っ黒な肌をした屈強の戦士たちだ。
彼らは巨大な蝙蝠の背中に器用に籠を付けて乗り、片手でたづなを操りながら、もう片方の手で、背中に背負った手投げの短剣を投げてギリオンを牽制した。
彼らが通り過ぎる瞬間、数人の男たちが地面に飛び降り、だんびらを構えながら王太子に駆け寄って来た。 乗り物である蝙蝠の方は、瞬く間にその場を通過し、そのまま隊列を成して山のふもとへと飛び去って行く。
ギリオン・エルヴァは殺到して来る歩兵たちを何度も斬り捨てたが、マルタと山賊まで参戦したのでさすがに閉口したのか、身を翻して坂の下へと走り去って行った。
「ようお嬢ちゃん、無事だったか」
「ロンギース!」
一目でわかる巨体を目にして、イリスモントの声が喜びに弾んだ。 “牙”の首領ロンギースは、ごつい岩のような顔に人懐っこい笑みを浮かべて王太子の肩を抱いた。 王太子も巨漢の背中を抱き返す。
「首領、来てくれて助かった。 王城から逃げられずにいると思って心配しておったぞ」
「いや、どさくさに紛れて逃げるのは造作もねえが、連中を国境まで迎えに行っていて手間取った」
「今の戦士たちだな。 どこの民族なんだ?」
「アフチョバだよ」
「ダリマナ王妃の実家か! 連絡を付けてもらうことが出来たのだな」
「おうよ、それもあの乾燥地帯で、奇跡的に水鏡で連絡できたってんだ。 滅多にあるもんじゃねえぞ」
「竜神のご加護だな」
崖下から戦闘の響きが聞こえて来た。 空からの攻撃に恐慌を起こしている敵兵の、悲鳴に近い咆哮が混じっている。 アフチョバの民は、熱い砂漠の土に足を付けずに移動するために、アリ塚のように泥で固めた半地下の洞窟を掘り、そこで蝙蝠を品種改良して育て、移動手段にしていた。 戦いも地面に下りずに行うので、彼らの攻撃は一撃離脱の繰り返しであるらしい。
飛来する蝙蝠部隊に、上空からリズミカルな手投げ短槍の断続攻撃を受けて、エルヴァ軍は崩れ始めていた。
戦況が好転したのを見届けてから、王太子は倒れたキャドランニに駆け寄った。 すでにマルタが抱き起して介抱を始めている。 後方に控えていたユナイが衛生兵として手慣れた作業をしていた。
「イーノ! おい、しっかりしろ。 どこをやられた?」
王太子が声をかけると、キャドランニは意外にしっかりした声で、
「ご心配をおかけしました。 命に別状はありません」
と笑って見せた。 ユナイが眉をひそめ、包帯を巻き終わった部分を見せた。
キャドランニの左腕は、肘から下が消失していた。
「何てことだ。 せっかくいい打楽器奏者だったのに、フライオが泣くぞ」
「殿下、この期に及んでそこしか惜しんでいただけんのですか」
キャドランニが憮然として文句を言いながら立ち上がる。 怪我のダメージが嫌に少ないのは、魔剣で斬られた者の特徴であるらしい。 戦闘中に足が無くなったのを気づかずに、なんて走りにくいんだと文句を言いながら戦い続ける兵士もいたくらいだ。 王太子は下草の生えた地面にかがみ込んだ。
「ドロッサの魔剣で斬られたのなら、腕の方もまだ元気でそこら辺を飛び回っておるはずだ。 探してつないでみようじゃないか」
「もしかして、あれですか」
ユナイが木立ちの向こうを指さした。 何か小さな塊が、小動物のように警戒に跳ねながら、柄だけになった剣を振り回している。 あまり暴れ回るので、仕掛けた罠が作動して上から竹槍が落ちて来た。
「捕まえろ!」
兵士が二人掛かりで、ぴょんぴょん跳び歩く腕を追って、罠に足を突っ込みながら斜面を駆け下りて行った。
フライオくんの方を書く予定だったのですが、次章に伸びてしまいました。
決算期の仕事が忙しくて筆速が落ちていますがご勘弁願います。