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千里を歌う者  作者: 友野久遠
竜使いの牙
82/96

1、愛する者を守る歌

 予告なしで次の章に突入してしまいました。 戦いはこの章で終わると思うんですが。

 夜明けが押し寄せて来るのが判る時刻だった。

 フライオは、月明りに透けるような従弟の白すぎる頬に、そっと手を伸ばして触れてみた。 しかし指先に人の肌の弾力は感じられなかった。

 これまで何故、少しも気づかなかったのだろう。 ギリオン・エルヴァは、その場にいながらそこに存在していなかった。 彼の体は空気と同じ粒子の集まりに過ぎず、しかも今ではそれが少しずつ薄れて消えかかっているのだ。


 「魔道という物を、私は王都に来てから何度か見たのだが、どうも3つくらいパターンがあるようだな。 

  速度のある攻撃系と、力のある防御系と、それからこういった悪趣味極まりない物と」

 ギリオンは繊細な造りの顔をうつむかせて、腰のベルトから軍用の飯盒(トカロ)を外し、目の高さまで掲げて見せた。

 「導師ジャデロのお得意は、その悪趣味系の魔道らしい。

  死ぬ直前の体から、内臓を取り出して、まじないをかけた容器に入れておく。 体は彼の意のままに操られ、その間に内臓が本人の好きなことをやりにさまよい出るという訳だ」

 フライオは仰天してトカロを睨みつけた。

 「そう、この中には私の消化器官が入っている。 お前と飲み明かしたかったので、そうしてもらったのだ。

  あれは生涯で一番うまい酒だった」

 「3つの願いと引き換えに、魔導師の傀儡に……?」

 「そうだラヤ、覚えているのか? 『部下を家に戻す』『お前と酒盛りをする』『子供や非戦闘員を救う』だ。

  高望みをし過ぎたので、まだ1つしか叶っていない。

  魔導師のあざといところは3つの望みを聞いておきながら、魔法で叶えてくれるわけじゃないことだ。 さあ叶えておいでと体を貸してくれるだけだ。 自分で殺しておいて、恩着せがましいにもほどがあると思わないか」

 ギリオンは笑ったが、フライオは黙ってうつむくのが精いっぱいだった。


 セイデロスの砂山が出来た時に、すでにギリオンは死んでいた。

 ジャデロは死者の願いを聞くと言って、冷凍になっていた部下たちを解放し、ギリオンの体から魂を分離して野に放ったのだ。

 ギリオンの分身は、何とかフライオを助けようとあちこちに現れたが、移動に使われた「竜の力」に阻まれてうまく助けられなかった。 それで混乱が起きたのである。


 「お前のような呑気者に、戦の手伝いなぞ出来るわけがない。 もっと早く止めさせることができれば良かったのだが、かえって裏目に出てしまったな」

 「ギル……」

 歌人の肩が小さく震え、噛みしめた唇からかすかな嗚咽が漏れた。

 この偉大な従弟の死は、フライオにとっては思い出の死、故郷の損失だった。 自分と故郷をつなぐ糸が、今切れかかっている。

 「泣いてる暇はないぞ。 あの砂埃が見えるだろう。

  もうじき正規軍がやって来る。 戦闘で軍を率いているのは、なんとギリオン・エルヴァという野郎なんだそうだ。 こいつはもうすぐ簒奪者の手先になって、今世紀最大の名君になると歌われた王子王女(プリンチェプランツ)をあの世に転げ落そうとしている。 きっと後世に残る大悪役の剣士になるだろうよ」

 

 ギリオンの指差す山のふもと、田畑や田舎町の広がるその向こう。

 わずかに白んだ空の明るさと、月の白さに雲がかかっていた。 明るい部分が、兵士たちの行軍で起こった砂埃でかすんで灰色に曇っているのである。

 「先頭に立つ『私』の体は、幻でなく本物だ。 本当の肉体と頭脳を使って攻撃して来る。 手にした剣は、この前私がこっそり盗み出して借りていた『ドロッサの魔剣』だ。 使えなくしてやろうと思って持ち出したのだが、魔法で呼び戻されてしまった。

  私が自分で言うのもなんだが、あれを止めるのはイリスモント殿下の軍の現状を思うと無理だろう」

 「そんな」

 「だからラヤが、私を殺せ」

 歌人はギョッとして、涙に濡れた目で従弟の顔を凝視した。

 「私を殺さないと、イリスモント殿下に勝機はない」

 「いやだ! てか、第一俺にギルを殺すなんて無理だ!

  お前と来たら、あのイーノ・キャドランニを子ども扱いだったじゃねえか。 俺なんか100回死んだってお前と勝負になりゃしねえよ」

 「もちろん、『私』は殺せないだろう。 あれはもう死んでしまった者なんだからな」

 「だったらどうすんだ」

 「『私』の心臓を、ジャデロが保管している。 こんな風にして」

 ギリオンがもう一度、手に持ったトカロを持ち上げた。

 「王宮にある国王陛下の執務室の壁に、隠し扉があって、そこにこれと同じトカロが入っている。 トカロの方にまじないがかかっているので中の心臓は動いているが、もともと死んだ心臓だ。 容器から出すと止まるだろう」

 「そんなことができるもんか」


 いくら魔法の作用だとは言え、動いているギリオンの心臓を止める事など自分に耐えられるわけがないと歌人は思ったが、実際に口にした理由は、そんな争っても仕方ないような感情問題ではなく、もっと現実的な問題だった。

 「城にどうやって忍び込むんだ? クルムシータはいねえし、剣の使える味方はひとりでも多くモニーの側に置いとかなきゃならねえんだぜ。 俺ひとりで城の衛兵を全員相手すんのか? 

  おまけに城にはジャデロをはじめ魔導師どもがうじゃうじゃ居やがるんだぜ」

 言いながら、従弟の顔を見たフライオの背筋が冷たくこわばった。 ギリオンの顔の向こうにある森の木陰の暗がりが、うっすらと透けて見えるのだ。 彼の姿は次第に薄くなり、形を失いつつあるのだった。


 「ギルお前……」

 叫び出しかけたフライオを、ギリオンは手で制して話を続けた。 時を急ぐのは戦だけのためではないのだ。

 「ラヤは夕べ、天道虫の歌を聞いただろう? あの声を思い出せ。

  お前の歌を聞いているのは、人だけではないぞ。 それを決して忘れるな」


 朝日が一筋、空を明るく輝かせた。 その光の中で、ギリオンの姿が更に曖昧になる。

 「もう一つ、言っておくことがある。 竜のことだ。

  お前は竜を手なずけるつもりでいるが、故郷のことは忘れたがっている。 だから、竜と距離が出来てしまってうまく繋がれないでいるんだ。

  お前の母さん、マレーネおばさんはそれを心配して、あんな姿になってもお前のことを待ってるんだ。

  いいか、よく聞け。 竜は故郷だ。 故郷は母親だ。 どれもお前がどんな男になっていようがお前を守ってくれるものだ。 わかるか? 困った時は母親を呼べ」

 「母さんを……」

 「歌で呼……歌さえ……だっ……から」

 最後の声は、さすがのフライオにも聴き取れなかった。 虹の色が大気に溶けてなくなるように、ギリオンの姿もとうとう見えなくなってしまったのである。

 「待ってくれ。 何で消えちまうんだ。 まだ言いたいことがあったんだ。

  まだ聞きたいことがあったんだ。 

  まだ礼を言ってねえ。 謝ってもねえ。 頼む、もう一度出て来てくれ。 ギル! ギル! ギル!」




 はっと我に返ると、森の中には眩しい朝日が差し込んでいた。

 兄のいた場所には人の姿はなく、朝露のきらめく雑草の上に、さっきのトカロがポツンと置かれているきりだった。

 フライオは悪夢の中で歩く時のように、ぎしぎしと体を軋ませながら歩み寄ってそれを拾い上げた。 ふたを開けるかどうかを真剣に迷った挙句、そのまま近くにあった木の(うろ)に隠すことにした。

 

 その時、わあっと兵士たちの声が上がった。

 合戦が始まったのだ。 山の上にいた王太子の連合軍が、下の道に差し掛かった正規軍に襲い掛かったのである。

 

 フライオが斜面に駆け寄って見下ろすと、道一杯に並んで歩いていた正規軍に対し、王太子の軍はまず大岩を転げ落として足止めと分断を行い、上から油をかけて火まで放った後で、早くも投石に移っていた。 段差を利用した奇襲作戦としては満点の運びである。 数の上でも気持ちの上でも不利な状況を打破するためには、先手必勝の奇襲しかなかったのだ。 訓練された兵士でもない彼らにとって、弓矢よりも投石の方が効率が良いのだろう。


 対するギリオン・エルヴァの取った行動も、応戦としてはセオリー通りの物だった。 大きな盾を持った兵士を前へ出しながら、立木のあるあたりまで兵士を下がらせ、盾の隙間から弓矢で応戦させたのだ。

 一方で、彼は素早く別働隊を組み、部隊の後ろ半分を率いて脇道から山へ上って行った。 前半分はおとりになって、殊更に大声を出して矢を射かけ、弓矢を投げ放つ。


 王太子のいる山の斜面からも、すぐに戦いの声や音が聞こえ始めた。

 「ギリオン・エルヴァだ! こっちに本隊が来たぞ」

 「加勢しろ!」

 「うわあっ」

 剣のぶつかり合う音に混じって、兵士たちの叫び声が響き渡る。 その中に、凛とひときわきらめくようなイリスモントの指令の声を、フライオの耳は痛みと共に聞き取っていた。


 

 気が付くと彼は走っていた。 カラル・クレイヴァの王城へ行かねばならないのだ。

 山道を、戦闘とは別の道筋から駆け降りる。 その口から無意識に、不思議なリズムの歌が刻まれている。

 

 胸が痛い。 どうしてそうも心がうずくのかわからない。

 大きすぎる甲冑を身につけた、イリスモントの細い肩が目に浮かんだ。

 王宮を去ることになった日に、彼女が枕に一粒落とした涙のしずくが思い出された。

 カラリアの祭りで見せた生き生きとした表情、ロンギースと踊りながら笑い転げていた顔。

 必死の形相で歌人に剣を突きつけたあと、涙ぐんだ顔を見られまいと下を向いた。 王太子の表情一つ一つの記憶が次々とフライオの脳裏を駆け抜ける。


 「愛する者を守る歌だ」

 少年の顔をしたあの日のギリオンが、月明りの中で笑っている。 もう見ることのできない笑顔だ。

 イリスモントとギリオン。 どちらも失ってはいけない者だ。 そして、どちらも争う理由のない者同士だ。

 なのになぜ、こんなことになってしまったのだろう。


 フライオは泣いた。 

 泣き声は歌になり、歌は風に乗って鳥の声になった。

 声は木の葉に絡まり、草の上に広がって虫の音と混じった。

 音は大気を揺すり、日の光に溶けて風に変わった。

 いつしか彼自身がその風になり、その鳥になり、その薫り高い草のざわめきになって山を転がり、畑を駆け抜けて街を通過し、そして瞬く間に王城へと到達したのだった。



 「なんだ、あれは」

 「人、のようだが」

 「あの雲の様な物は?」

 「魔導師か?」

 城門を守る二人の兵士が交互に叫び、異様な光景に目を剥いた。

 城門前広場をまっすぐ突っ切って歩いて来たのは、真っ黒な霧に包まれた人影だった。 


 最初はただ黒い雲が沸いてきたように見えていたのだが、近付いて来るにつれ、中央に人がいることが判って来た。 そして次第に、それが若い男であるらしいこと、旅人の服装をしていることも見て取れるようになった。

 最後に、その雲がただの雲でなく、大変小さな塵のような物の密集した塊であることが判ったところで、兵士たちは嫌な予感に駆られて、互いに持った槍を組み合わせ、城門の前で男を足止めした。


 「ここより先は王城の許可なく通ることは出来ん」

 「引き返せ!」

 交互に怒鳴る衛兵に対して、男は返事をしなかった。 ずっと歌を歌っていたし、第一しゃべる暇もなかったのである。 黄色い悲鳴が、兵士たちの口から次々に溢れ出た。

 「ダ、ダ、悪魔の虫(ダフラム)だ!!」

 男の周囲を真っ黒になるほど取り囲んでいるのは、先の国王を暗殺した寄生虫、ダフラムの親虫であった。

 

 「千里」は初めから結構「虫パニック」物なのにお気づきでしたでしょうか。

 松明にたかる羽虫、国王を殺した寄生虫、鱗の代わりになった貝殻蝶。 オンディーノの爺ちゃんの顔にもたかってましたっけ。

 なんでこういう事になったのかよくはわかりません。 気に入っちゃったんでしょうか、私。

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