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千里を歌う者  作者: 友野久遠
地下牢の歌人
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10、決戦

 「その道をまっすぐ登った先に、殿下のご寝所がある」

 “砂漠のマルタ”の言に従って細い山道を辿るうち、フライオの胸は悪い予感で一杯になった。 


 旅人である彼は、夜間に軍隊と遭遇することも珍しくないが、慌てて進路を変えることもあれば、逆に野営地に入って行って商売をすることもある。 長年の勘で、近付いてもいい軍隊とそうでない軍隊が嗅ぎ分けられるのだ。 

 敵を待っている部隊と、故郷に帰る部隊。 食料や金を持っている部隊と飢えている部隊。 

 地形や布陣、兵士の雰囲気などからそれらを読み取って瞬時に判断できなければ、商売どころか命に関わる目に会う事もあるからだ。


 森の中をうねる小道は、尾根を外れて山向こうの斜面に続いていた。

 そこから先は大きな森はない。 今は夜なので見通しが悪いが、昼間なら「白糸の街道」が目下に一望できる斜面なのである。 

 山の標高こそ違うが、地形的にはフライオの故郷オーチャイスのあるあたりとよく似ている。 水場も遠く平面も少ない地形なので、普通ならそこで野営など行わない。 

 もしも兵士がそこに集まるなら、彼らがするのは野営ではなく、「待ち伏せ」だ。 そう、かつてモンテロスの大群が、渓谷に張り付いて夜明けを待っていたあの時のように。


 一瞬、マルタに騙されたかと思ったが、すぐに歌人の耳は至近で大勢の人の気配がするのを聞き取った。息をひそめてひしめいている、たくさんの兵士の呼吸の音を。

 息を飲む歌人の目の前に、渓谷の暗がりに身を潜めた兵士たちの姿が飛び込んできた。

 

 谷を埋め尽くした兵士は、甲冑を着込んで暗がりの中でじっと動かずにいた。 野営などではありえない、完全な臨戦態勢である。

 錚々たる人数の部隊であったが、以前の大移動を考えると、愕然とするほど小規模になっている。 もしかしたら別働隊がいるのかも知れないが、こちらが本隊であるならそれでもせいぜいこの2倍の人数という事だろう。 激減していることに違いはない。


 (死ぬ気か、モニー)

 唇を噛んだ時、いきなり歌人の腕を誰かが思い切り引っ張った。 続いて顔面を軽くどやされて、そのまま木陰の草むらに引きずり込まれる。 抵抗する暇も力もない強引さだった。

 地面に突き転がされ、夜空の月が視界でぐるりと一回転した。 

 その月の前に、月よりも白く輝く活力に満ちた顔が現れて、上からフライオを怒鳴りつけた。

 「馬鹿者! 何故、今さらのこのこ戻って来たのだ!」

 王太子イリスモントである。


 「そなた、全軍からいかに恨みを買っておるのか自覚しておらぬのか?

  下手をすれば今頃、袋叩きに会って命を落としておったところだ」

 「モニー……」

 腕を組んで怖い顔をして見せる王太子の後ろで、キャドランニも渋面をしている。 歌人の腕を掴んでいるのは、巨漢のピカーノであった。

 

 「すぐに出て行け。 歌人に頼むことはもう何もない」

 王太子はきっぱりと言って、斜面に向かって背を伸ばし、木立の向こうの暗がりを、細い指先で指し示した。

 「あの道、白糸の街道から、もうすぐギリオン・エルヴァがやって来る。

  国王の御旗を掲げて、正規軍を率いてだ。 それがそなたの責任かどうかなど、今となってはどうでもよいことだ。 ここから先の戦いは、魔導師を相手にするのとは違う。 剣と剣、力と力のぶつかり合いだ。

  そなたの歌で解決できるようなことは、この先もう起こらぬ。 突撃の合図なら、古いラッパが一つあれば事足りるのだから」

 「モニー」

 フライオは言葉を探しながら首を振った。 自分に何が出来ようはずもないのは、今に始まった事ではない。  それでも、この小さな王女を救いたいと欲したからこそ、彼は今までこの国に留まって来たのだ。

 

 「この人数じゃ、死にに行くようなもんだ。 やめろよ、モニー」

 「なんだと」

 背後で怒鳴りかけたキャドランニを、王太子が片手で制した。 彼女の返答は迷いのない物だった。 

 「死ぬ覚悟はできている。 だからと言って、死ぬつもりで戦う訳でもない。

  戦うと決めた以上、状況が変化したからと言って投げ出すわけにはいかない。 

  今回ここに残ってくれたのは、私の正体を知って、王家の呪いを知っても、なお私に従うと言ってくれた者たちだ。 彼らを信じてともに戦うだけだ」


 「あんたがやらなくてもいいじゃねえか!」

 フライオは納得できず、子供のように駄々をこねた。

 「戦ってのは武人の仕事だし、魔導師の恨みは先祖の責任だろう。

  モニーは王子でも王女でもなかったんだ、こんな下らねえ戦なんか、捨てて逃げちまえよ!」

 「そうだな。 私でなくとも、魔導師どもの標的になる者はたくさんいる。

  だが、ここにいるのが私でよかったと今は思うのだ。 そうでなければ、今も私は離宮の隅で、誰にも会わずに隠れて過ごさねばならなかったのだからな。 私の姿を見たと言うだけで、人が殺される光景を見ながらな」

 

 ハッとして言葉を継ぐことが出来なくなったフライオを、イリスモントは静かに見つめた。

 それから小さな声で、背後に控えるキャドランニに何かを囁いた。

 「いや、しかしそれは」

 「すぐ済む」

 短いやり取りの後、キャドランニは渋々、ピカーノを促してその場を立ち去った。 と言っても、尾根沿いの一段低いところに身を隠しただけで、厳密に言えば離れたわけではなかったが。

 

 二人きりになったのを確認すると、イリスモントは数歩だけ歌人に歩み寄って、下から愛しげに顔を覗き込んだ。

 彼女の小さな体に、甲冑は食い込むように馬鹿でかく見える。 ひどく痛ましい姿に思えて、フライオは顔をそむけたくなった。

 「歌人に一つだけウソをついた。 今更だが謝りたくてな」

 「ウソ?」

 「ウソというよりも、話せずにいたことだ。 王家の呪いについて」

 イリスモントは更に2歩、歌人に近づいて耳元まで口を寄せた。


 「王家の呪いは、男子にのみ引き継がれるものと思われておるが、実はそうではない。

  イニータが精霊に預けられた頃はそのことが判らず、女児ならば呪いを受けずに済むからと、私が身代わりに王子として育てられたのだが、のちに王室付きの占い師に問うて事の重大さがわかった。

  女にも呪いは宿っておるのだ。 自分にではなく、自分の産んだ男児にその呪いを宿す者として」

 細く冷たい指でフライオの腕を取り、イリスモントは歌人のその肩にふっと頬を寄せた。

 「王太子を名乗った時点で、私は呪いを受けている。 一度、血液を新しい物と取り換えて見たが効果はなかった。 私の血は王家の物ではないが、呪いは王家の物を頂いたのだ。 だから私の産んだ男子は、これまでに亡くなったt王家の男児と同じ運命をたどることになるだろう。

  妻であるエウリアに、人道にもとると判っておっても早く出産させたかったのはそのためだ。 魔導師の目の届かぬところで育てれば、あるいは無事に済むかもしれぬと」

 「イニータのように?」

 「そうだな。 せめて外国で育てるとか、そういうことが出来ればと思った。 叶わぬことになったがな」

 フライオはイリスモントの肩を抱き、その冷たさにひそかに身震いした。

 

 「王家の呪いを外に波及させるわけには行かぬ。 だから私は、たとえそなたと結ばれることが出来ても、子をなすことは叶わなかった。

  そのことを今まで隠していた。 すまぬ」

 「モニーのせいじゃねえ!」

 歌人は叫んだ。

 「モニーが背負う事じゃねえじゃねえか。 そんなに頑張らなくっていいじゃねえか。

  なあ、俺と逃げよう。 俺と一緒に逃げてくれ。

  前やったみてえに、町娘の格好をして、一緒に旅をすればいい。

  俺が頑張って日銭を稼ぐから、あんたも踊りを覚えて二人で働きゃいいじゃねえか。 な、モニー」

 

 冷たい甲冑の上から、歌人は王太子を抱き寄せた。 金色の髪に頬ずりすると、漂ってくる香りがやはり女らしいことに、何故かひどく腹が立った。

 「なあ、今なら走って逃げられるだろう。 行こうぜ? こんな奴らほっといてさ」

 王太子は、くすぐるような笑い声を立てた。 涙を含んだ声だった。

 「そなたのそのいい加減なところ、私は嫌いではないぞ。 戦に必要なくなりはしたが、男として魅力がなくなったわけではない。そなたはいつも私を熱くさせる」

 

 イリスモントはゆっくりとフライオの首に腕をからめ、唇を重ねた。 短いキスの間中、彼女の全身が小刻みに震えているのが歌人にはわかった。

 「少しはうまくなっただろう?」

 そう言って笑う王太子の頬を、涙が一滴転がって落ちた。


 

 「見えました! ギリオン・エルヴァの正規軍です!」

 斥候が尾根を走り、報告に上がって来た。 

 イリスモントはフライオの体を離し、眼下の暗がりに目を転じた。 物陰に隠れていたキャドランニとピカーノが立ち上がり、こちらに近づいてくる。

 「さあ、お開きだ、歌人。 巻き込まれぬうちにここを離れた方がよいぞ」

 「いやだ」

 「ああ、そうだ。 あの歌を歌ってくれ。『大帝の歌』を。

  あれは元気が出る。 私だけに聞こえるように、そっと歌っていてくれ。 出来るだろう?」

 歌人は首を振った。 こんな時に、何を歌う気持ちになれると言うのか。

 

 これまでの人生、自分のことだけを考えて生きて来たフライオだった。

 人を愛しいと思ったことはあっても、その人の役に立とうとしたことはほとんどなかった。 そんな感情は、幼い日、あの洞窟に母親と一緒に置き去りにしてきたはずなのだ。 

 明日は他人になる女とばかり恋をして来た。 女たちはいつでも、比較的簡単に歌人にすり寄って来たし、比較的簡単に金や宝石をくれ、いつでも力になると言ってくれた。 歌人はただうなずいて礼を言い、彼女らの望むことをしてやればよかった。

 

 暗がりに甲冑を纏って立っている王太子イリスモントの体は、改めて見ると驚くほど細く小さく、大の男が剣などふり回したら、その風圧だけで吹き飛ばされてしまいそうに思えた。

 「歌ってくれぬのか」

 残念そうに苦笑を浮かべ、王太子は歩き出した。 イーノ・キャドランニは小さく首を振って、フライオに早く行けと合図する。 ピカーノが軽く手を挙げて、歌人に挨拶をした。

 立ち去る3人の口元から、一つのメロディが紡ぎ出された。 彼らは低い微かな声で、一緒に歌っていたのだ。



  鋼の意志と 肉を持ち

  黄金の誇り 剣にかざす

  我こそは 夜空の大帝

  湧きたる大地の君主なり



 (やめてくれ)

 フライオは耳を塞いだ。

 (やめろ、頼むからだれか止めてくれ!)

 それ以上見ていることは出来そうになかった。 

 フライオは走り出し、山の斜面を辿ってさっきの森の中へ取って返した。


 どうすればいいのだろう。 戦いに行くのは死んでほしくない女。

 その相手になるのは、自分の兄なのだ。

 (そうだ、ギルに頼んでみよう……)

 もうとっくにそれどころの話ではなくなっているのは分かるのだが、他に方法が見つからない。

 来る時に乗って来た大鹿の姿を探して、明るくなりかけた森の中を見回していると、不意に誰かの視線を感じた。

 行く手の斜面に、金髪の男がひとり佇んでこちらを見ているのだ。


 「ギル」

 そこにいるはずのない人物だった。 彼は間違いなく、軍を率いて白糸の街道を行進しているはずだ。

 その姿を見た途端、歌人はようやく、これまでの不可解な現象について納得したのだった。


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