9、濡れ衣
「そこにいるのは誰だ?」
月明りに浮かび上がる人影に向かって、哨戒に歩いていた兵士が灯りを突きつけた。
眩しさに相手は軽くよろめいた。 ずいぶん疲れているらしく、もとより足元がおぼつかない歩き方なのである。
派手な赤い色のターバンに羽飾りがついており、それだけで戦闘員ではないと判る。 しかし、兵士は念のために剣を抜き、相手の喉元に突きつけた。
「動くな!」
「よせ、こっちは丸腰なんだぜ。 怪しいもんじゃねえよ」
「怪しいか怪しくないかはこちらで判断する」
兵士は相手に両手を上げさせ、衣服を探って武器の確認をした。 何か小柄の様な物を発見して引き出して見たが、それはただの棒切れが2本と、葦草の立派なものが1本だけだった。
「そいつは太鼓の撥にちょうどいいと思って土産に持って帰ったんだ。 葦の草は笛にするのさ。
あんた、すまねえが本部から誰か呼んで来てくんねえかな」
剣を向けられてもおかまいなく笛を取り返そうとする侵入者の顔をまじまじと見て、兵士はハッとした表情になった。
「お前は歌人だな。 虹のフライオだ、そうだろう」
「そうだよ。 戻って来たんだ。 本部に取り次いでくれ」
「よくも抜けぬけとそんなことが言えるな!」
兵士はいきなり、靴のかかとでフライオを蹴りつけた。
「貴様のせいで、何人死んだと思ってるんだ? よくものこのこ戻って来れたもんだな!」
「だ、だから、謝ろうと思ってだな……」
言いながら歌人は、飛び下がって木の陰に逃げ込もうとする。
「謝るだと? 子供の喧嘩か? そんな軽い気持ちで、俺たちを魔導師たちに売りやがったのか!」
歩哨の兵士は本格的に剣を振りかぶった。
「うわ! 待て待て待て! な、なんのことだ? 俺がお前たちを売った?」
白刃が闇の中で一閃、ザクッと音を立てて、フライオのマントが切断されて月光に繊維を撒き散らした。
「よせッ、一張羅なんだぞ! 俺はそんなことしてねえ。 行き先を間違えはしたが」
「ウソをつくな!」
第2撃で荷袋のひもを切られた。 歌人が木の根に足を取られて下草の上に転がる。
その上に兵士がのしかかり、刀を振り上げた。
「みんな言ってる! 貴様はギリオン・エルヴァとグルになって、俺たちをわざわざ魔導師の鼻先に運んだんだ!」
「そんな話になってるのか?」
ここでフライオはやっと納得した。 ただ軍隊を誘導し損ねただけにしては、ション・シアゴたち“牙”のメンバーからの怨恨が強すぎるような気がしてはいたのだ。
「裏切者め! 王太子を売れば、エルヴァを復帰させてやるとでも言われたのか」
「そ、そこまで想像の翼を羽ばたかせることねえと思うな!
事故だよ、単なるミスだって!」
悲鳴混じりに叫びながら、フライオは目を閉じて頭を庇った。 もうとても逃げ切ることは出来ないと思ったのだ。
しかし、剣先は襲っては来なかった。
こわごわ目を開けると、兵士の横にひとりの男が立っていた。 手に持った大きな酒瓶で、兵士の剣を腕ごと押しのけて動きを封じている。 そのまま男はゆっくり屈んで、フライオが地面に落とした荷袋を拾い上げた。
“砂漠のマルタ”ことマルタ・キュビレットである。
「プアルマ産の10年物。 なかなかいい酒を持ってるじゃないか」
酒仙マルタは、驚くべき嗅覚で、フライオの荷物の中から醸造酒の小瓶を見つけ出した。 寒い夜を戸外で過ごす旅人の嗜みとして、歌人が常備している秘蔵品だ。
「助けてやったのだから、こいつを私にくれんかね。 丁度、自前のが切れたんだ」
空っぽの大瓶をひょいと押し付けられ、フライオは大急ぎでうなずく。
歩哨の兵士が剣を構え直そうとするのを、マルタはもう一度、今度は掌で制した。
「この男をどうするかは本部の中で決める。
お前は哨戒に戻ってくれ。 出来ればあまりいらぬことをふれ回らんでくれると助かる」
最小限の言葉だったが、マルタは兵士に信用があったらしく、相手はうなずいて仕事に戻って行った。
「ありがてえ、恩に着るよ。
やっぱり本陣の連中は、俺のことをわかってくれてたんだな!」
フライオは感激したが、マルタの返事は予想外にそっけなかった。
「そりゃみんな知ってるさ。 あんたがそこまでの知恵はないだろうってね。
だけど、本部には行かない方がいい。
戦闘準備でみんな忙しいんだ。 どのみちあんたじゃこの先、なんの助けにもなりそうにないしな」
冴え冴えとした月が、空の上からまともにこちらを見下ろしている。
木々の為にほとんどふさがった空なのに、その一角だけがぽかりと開いて、大きな甘ったるい色の満月が、そこから顔を出しているのだった。
ついこの間、こんな美しい月の下で、金の髪の乙女に捧げるアリアを作ったことを思い出す。
たった数カ月の間に、なんとたくさんの変化が自分の身に降りかかった事だろう。
ため息をつく歌人の隣で、マルタがカンと音を立てて手の中の木の実を割った。 中の胚芽を崩して口に入れながら、小瓶の中身をちびりちびりと飲んでいる。 さすがの酒仙も、手持ちの酒がこれ一つとあっては、ペースを落とさざるを得ないようだった。
「そうか、クルムシータが死んだのか」
表情には出さないが、口調に無念をにじませてマルタが言った。
「いいやつだったのに」
「うん。 まあ死ぬってのとはちょっと違うんだってイニータは言うんだけどな」
「で、その子はこれからどうするんだ? こっちが本物の王子だろう?」
「そうなんだが」
イリスモントが本物の王太子ではないと言う話を聞いても、マルタに動揺らしきものは全くなかった。 あるいは親衛隊員はそういうことも想定していたのかも知れない。 それでも精霊が本当の王子だと聞き、こちらの事実にはびっくりしたようだった。
「あの娘はもう精霊としてしか生きてけねえからなあ。 人間としての知識もねえし、王宮に行く気もない、森を離れるのも嫌だって言ってんだ。
追手がかかるかもしれねえから心配だったんだが、あんたらならともかく俺がそばに居たって、足手まといにしかならねえと思って、森へ残して来ちまったよ。 あの子も精霊になったんだから、森の中の方が、イザって時に力を出せるだろうし。
別れ際にでかい鹿を貸してくれたよ。 俺はそいつに乗ってここまで来たんだ」
「そうか」
マルタは口数こそ多くなかったが、要領よくまとめて説明する術を知っている男だ。 月を仰ぎながら、王太子の軍の内情をぽつぽつと語ってくれた。
それによると、大所帯だった貴族連合軍は、今や3分の1程度に減ってしまっているという。 それはフライオの失敗による敗戦のせいだけではなく、その間の政情の変化にも大きな原因があった。 王城の政権交代に伴い、貴族側の意識も変わりつつあったのだ。
そして、人数が少ないほど戦いは不利になる。 おそらく、状況の悪化を読んで、この先はもっと急速に人数が減るだろう。 そればかりか、王太子が偽物で、その討伐の為に次の戦が始まると判れば、王太子の殺害や捕縛をたくらむ兵士も出て来るのではないかと思われた。
「ジャデロの罠は狡猾だ。 王家を乗っ取るために、変革を何段階にも準備している。 人の心は、一瞬では変化しないことをよく知っているのだね」
「段階ってのは?」
「まず、旧国王を暗殺し、実権をストーツに握らせた。 そして旧国王と王太子を詐欺師として糾弾し、旧体制を全否定した、新国王はストーツの操り人形。 これが最初の段階」
「うん」
「次にストーツを新国王殺害未遂で排除、ついでに新国王を操縦していた事実も明るみに出し、宰相を全否定して自分が成り上がる、これで国王と宰相が交代した。 しかも悪い膿を出し、改善されたかに見える」
「確かにそう見えらあね、他人を矢面に立たせては斬り捨ててんだもんな」
「そして、この混乱の中で、国民は真実の英雄を求めている。 ジャデロはそこへあんたの兄貴を立てたんだ」
「ギルは利用されたんだな」
「そう、そしてギリオン・エルヴァに王太子殿下を倒させ、国民の英雄をたたえる。 これによって王政の衰退を狙ってるんだ。 魔導師の世の中が到来しやすくなるようにね」
「王族を否定するのか」
「そう。 そのためにもう一段階罠があると思う」
「それは?」
「あのイニータのことだ。 虫使いだと言っていたな。
おかしいとは思わなかったか? あの前国王オギア3世の暗殺のすぐあとで、イニータは山賊に売られていた。
せっかく精霊の所で幸せに暮らしていた王太子が、なんで下界に降りて人間どもの間にいたんだ?」
「まさか、あの子に国王を暗殺させたのか」
「じゃないかね? そのあたりをまたストーツにでもおっかぶせて国民に広めれば、もう誰も旧体制に未練を持たなくなるよ。 王族が互いに殺し合いをしているバカバカしさに乗じて、魔導師は国民に有利な国政をきわめるふりをすればいい」
「なるほどねえ。
で、どうすんだ? 真面目に戦う気なのか」
「イリスモント殿下はそのおつもりだ。 ただし逃げるものは好きにさせろと仰せになった」
「逃亡者を罰さねえのか」
「これは殿下にとっては、避けて通れない戦いだ。 どのみち逃げ回っても追われて連れ戻される。
しかし他の者に、同じ運命を生きろとはとても言えないと」
(死ぬ気か、モニ-)
歌人の胸が鋭く痛んだ。
「さて、そろそろ時間切れだ」
そこでマルタはゆっくり振り返った。
部隊が駐留している森の中から、ちらちらと小さな灯りが揺れながら近づいて来るのが判る。
「イーノが探してるな」
マルタは立ち上がった。
「どうする? イーノにも会って行きたいかね」
問われてフライオは大急ぎで首を横に振った。
「あいつは石頭だ。 この非常時に笑顔でヤアヤアってわけにはいかんだろ。
めんどくさそうだからやめておく」
「ならイリスモント殿下にお会いしたいかね」
「モニーに会えるのか」
「わざわざお呼びするわけにはいかんが、ご寝所の場所なら教えてもいい」
フライオは目を剥いて、酒焼けしたマルタの顔を、穴が開くほど見つめた。
「あんた、変わった奴だったんだな。 今まで目立たねえからわからなかったが、変な奴だ」
「どこかおかしいかね」
マルタは心底不思議そうに答えた。
「おかしいも何も! 今までどんな事情があるったって、俺に女の寝場所を教えようとするやつなんか一人もいなかったんだぜ!」
マルタ・キュビレットは目を瞬かせて曖昧に笑い、残った酒を名残惜しそうにキュッとあおった。
次回は開戦前夜という事になります。 ご寝所を訪ねるのはやっぱこういう場合でも夜這いっぽくやるべきなんでしょうか。いろいろあって最近色気のあるシーンと縁遠くなってますから、じょーずに書けないかも知れない! 最近自分が信じられない(泣)