1、ギリオン・エルヴァの述懐
「疲れないか、ロンギース。 明日の朝には王都に入れるから辛抱しろ」
護送車を覗き込んで、若い軍隊長が 馬上から声をかけた。
カラリア国境まで、馬で四分の一日ほどの山あいである。
山間部の曲がりくねった道は、馬車の車体をきしませ、天上から降り注ぐ陽射しは、秋だと言うのに肌を刺す強さである。 通気性の悪い護送車の中は、蒸し風呂並みの暑さだろう。
白糸の街道と呼ばれる、大陸の移動においては欠かせないこの道は、遠い昔に涸れてしまった自然の水路を利用して、商業国オスラットの前国王ライドリガが整備したものだ。
おかげで、オスラットと国境を接する4つの王国のみならず、大陸を移動する諸国の旅人すべてが、大型の馬車やたくさんの兵馬を楽に運用できるようになった。
2頭の首の長い竜頭馬に引かせた護送車は、小さな窓が二つあるきりだ。 中の様子はそこからしかわからない。
馬車を護衛する兵士は、騎兵歩兵合わせて二十四名。 これはエルヴァ小隊の総員である。
カラリア王国兵士の甲冑は、各自の私物で不揃いなものだが、頭に巻いたモスグリーンのターバンは全員同じものである。
指揮官である小隊長ギリオン・エルヴァ准将のみが、純白のターバンと手甲を秋の日にさらしている。
彼のこの出で立ちは既にシンボル化していた。
昨晩立ち寄ったマイオの村では、村人がこの美貌の指揮官を一目見ようと、沿道に人垣を成した程だった。
「王都は祭りのたけなわだそうだ。
うまくすれば穀酒の一杯ぐらいにはありつけるかもしれん。 良いときに帰れるな、ロンギース」
「阿呆か。 道が混んでうれしいかよ」
指揮官の言葉に、囚人の返答は投げやりである。
しかし、つぶやくような低音は、車輪の音に消されて届かない。 ギリオン・エルヴァは馬車の中の衛生兵に問い直した。
「今、何と言った?」
まさか「阿呆」と中継するわけには行かず、兵卒の少年はどもりながらも声を張り上げる。
「はっ。 あの。 ま、祭りの間は道が混むので嫌だと言ってます」
「ふむ。 まだ腹に力が入らんのだな。 奴の傷はどうなんだ?」
「はいっ! 化膿等の兆候はありません」
「熱は」
「はっ。 今朝から平熱に戻っております」
ギリオン・エルヴァの唇に、苦笑のような表情が浮かんだ。 丈夫な男だと思ったのだ。
国境警備隊を長いこと悩ませ、自分の部下を何人も殺した盗賊団“牙”という集団を、彼は憎んでいたが、個人的に首領ロンギースへの憎しみがあったわけではない。むしろ、この男の頭の良さや統率力、戦闘にかける情熱の深さには尊敬さえ抱いていた。
ギリオンがこの首領に対して申し訳なく感じるのは、この時期王都に戻りたいがために、囚人の護送を急がせた自分の身勝手からである。
“牙”の解体には2年もかかったのだから、私情のみで時期を決定したわけでもないのだが、せめて傷が癒えてからの出発でも良かったものかとも思うのだ。
“白い狼”ロンギースは、巨木を思わせる大男だ。
隠れ家を急襲した10日前の深夜、周囲を完全に包囲したのにも関わらず、この巨漢を無傷で捕らえることは出来なかった。
10人がかりで大立ち回りのあげく、脇腹と眉間に深手を負わせた。
傷そのものよりも、それが原因で出た高熱の方が深刻だった。 ロンギースは3日3晩生死の境をさ迷い、軍医の勧めで地元の医者のもとに担ぎこんで体を冷やす等、囚人としては異例の手厚い看護を受けた。
今日下がる熱なら、今日出発にしてもよかったと、ギリオンは今更のように思った。
だが、それでは豊穣祭が終わってしまうのだ。
「ガキじゃあるめえし、そんなに祭りが見たいかよ」
不意に、護送車の中で囚人がつぶやいた。 この声もかなり小さく、
「何と言った?」
上官に問い返されて、兵卒は慌てた。
「あの、じゅっ、准将殿にその、祭りはお好きかと」
「いや、そうでもないが、私は都を追われた身だから、帰る口実が欲しいだけさ」
「岡惚れ野郎が帰っても、王宮は喜ぶまいさ」と、ロンギース。
「なに?」
「あっ。 ええとあの、よく聞き取れません!」
死んでも口に出来ない言葉を、少年兵は必死で回避する。 盗賊は低く笑った。
「今頃は、王太子妃に貞操帯でも着けさせてるぜ」
「えっ?」
「ね、眠ってしまったようです!」
兵卒の少年はついにヤケになり、変声期を抜け切らぬ声を裏返して嘘をついた。
「狼のくせに狸寝入りか」
ギリオン・エルヴァは、皮肉っぽい笑みを浮かべて馬車から離れた。
空が青い。
王都クレイヴレスタまでは、まだひとつ山を越えなければならない。
山かげの野営地に入ると、虫の音が耳を打った。 この季節は夜になると突然、もう秋なのだと思い出す。
エルヴァ隊は夜営の準備を始めていた。
兵士たちはそれぞれの担当分を黙々とこなす。 テントを張る者、焚き木を集める者、水を汲む者、食事の用意をする者。
一つ一つの作業が淀みなく、手慣れた迅速さで進んでゆく。
警備隊設立以来、幾度となく繰り返された光景であった。
ギリオン・エルヴァは、護送車の後ろに腰を下ろし、当番兵が運んで来た冷たい水で唇を湿した。 換気のため、護送車の横窓を開けに来た兵士が、思いがけぬ場所に上官の姿を発見し、慌てて敬礼してゆく。
「医師の話では、2・3日の内に歩き回れるようですよ」
副官のヴィスカンタが、予定や通信の為の書類を携えてやって来て、護送車を手振りで示しながら報告した。
「本当に丈夫な男だな。 あやかりたいくらいだ」
ギリオンは率直に感心して見せた。
「自分はどうも腑に落ちないのですが、隊長ちょっとよろしいですか」
副官が遠慮がちに呼びかけたのは、あまりにロンギースに近すぎる場所なので、話がしにくかったからだ。
黒髪に黒い瞳を持つこの小柄な青年兵は、普段から決して目立つ存在ではないが、補佐役としては非常に重宝な人物である。 ともすれば“近寄りがたい英雄”のイメージのまま孤立しがちな上官と部下の兵士たちとを、さりげなくつないでくれる実務的な配慮がありがたい。
ギリオンは立ち上がって、副官の差し出す書類を受け取った。
そのまま歩き出す上官に、ヴィスカンタが従う。
「自分は、はなはだ疑問です。 なぜロンギースを処刑せず、王都まで引いて行くのですか。
政府の要人というのならともかく、奴はただの山賊です。 現に“牙”の他のメンバーは、ことごとく処刑されたではありませんか。
我々の手で処刑して、首を王都に届ければ事は簡単でありましょう」
「理由は二つあるな」
ギリオンは書類をめくりながら、食事の支度をする兵士たちの間を抜けた。
「一つは、私に信用がないからだ」
「国王陛下が、准将どのをお疑いなのですか?」
「私に限らず、この部隊に、報告だけでロンギースが死んだことを証明したことになる人物がいないということだ。
そして、ロンギースという男は、ただの盗賊ではない。 場合によっては、政府要人なんて連中よりよっぽど始末が悪いのだ。 つまり、それが二つ目の理由さ」
「‥‥例のスパイ疑惑ですか」
「そんなところだ。 牙”が普通の山賊と違うのは、詐欺師まがいの頭脳犯罪を併用する手口にある。
通行人から詐欺まがいのリベートを取る。 要人を誘拐して身代金を取る。 罪人の国外逃亡を助けて、金品を巻き上げる。 逆に逃亡を通報して、報酬を要求する‥‥。
巨体に似合わず、総身に知恵の回った悪事を働く男なんだ、ロンギースという奴は」
「でも、思うように金が取れなかったら、結局追いはぎに変身するのでしょう?」
「そうだが、それにしても情報が命だろう、そういう犯罪を仕掛ける時点で」
「確かにそうですね」
「どこから情報を入手するか。 また、どこに流すのか」
「どこかの国か、大きな団体が後ろ盾になっているということですか?」
「それは可能性としてあるだろう。
もしそうであれば、かの首領の頭の中をのぞいてみたいのは、わが国王陛下だけであろうかな? 他国の支配者にのぞかれて困る事が、わが国には皆無であろうかな?」
意味ありげな視線で瞳を直視されて、ヴィスカンタは下を向いた。
強烈すぎる美貌というのは一種の暴力だ。 そんな趣味は毛ほどもないのに、この上官に真顔で見つめられるとつい顔を赤らめてしまう。
「それでは、国王陛下じきじきに尋問なさるお考えであらせられる、と?」
辛うじて気分を建て直し、副官は声を改めて訊いた。
「それは間違いないだろうな」
「そして、我々が警備しているのは、山賊の残党が襲ってくるからではなく、他国の刺客が狙っているからだと、いうことなのですね」
「さあて、全てが可能性の問題だからな。 あらゆる危険から警備している。 そこは限定すまいよ」
「はっ、おっしゃるとおりです」
ギリオンはうなずいて、読み終わった書類の束を副官に返し、次のひと束と交換した。
「というわけで、夜間も油断はできないぞ。 総員に、武装を解かず、事あらばすぐに動けるよう準備を徹底させてくれ」
「はいっ」
ヴィスカンタは勢いよく答えて立ち去りかけたが、ふと動きを止めた。
何か不思議な音を聞いたような気がしたのだ。
彼の上官も、新しい書類をめくりかけた手を止めて、視線を周囲にめぐらせている。
「今、何か聞こえましたね」
「ああ、聞こえたな」
二人は数秒の間、口を閉ざして耳を澄ました。
が、何も起こらないので、再び頭を元の状態に戻そうとした。 その時。
もう一度、それは聞こえた。 今度は本当に聞こえたのだ。
作業中の兵士の中にも、一人、また一人と、手を止めて空を仰ぐ者がいる。
それは音ではなく、声だった。
静かに、かすかに、甘やかに、どこからともなく夢のように流れて来る、歌だった。
どこから流れて来るのか。
男の声なのか、女の声なのか。
天から人を導く声なのか。
地の底へ人を誘い込む声なのか。
何もわからないが、ただ、その歌の愛撫に身を任せているとたまらなく心地よい。
いつしか兵士の作業は全て止まってしまった。
歌はさらさらと流れる水のように続いた。 耳元でささやく風のように、微かだがはっとする響きで兵士達を釘付けにして放さなかった。
そして唐突に、つかみ損ねた煙のように空気の中へ溶けて消えた。
歌が終わったことがわかると、兵士達の中に吐息がざわめきとなって広がった。 彼らは全員がしばらく呆然とし、そのあとは緊張の解けた反動から饒舌になった。
辺りに、活気と活動が戻って来た。
ギリオンは兵士の様子を確認してから副官と別れ、護送車のところまでひとりで戻った。 ロンギースの看護をしていた兵卒の少年が、水筒に水を汲むために馬車から出て来た所だった。
「あの、バカ!」
突然ギリオンが叫んだので、少年は飛び上がった。
「もももッ、申し訳ありません!!」
「え?」
そこでギリオンは、はじめて少年に気付いた。
「ああ、すまない。 ユナイに怒ったのではない」
「ぼ、僕しかいませんが、隊長どの」
「独り言だ。 私の弟があまりに言う事をきかないからな」
「弟さまもこの部隊においででありますか?」
「いや、あの馬鹿は流しの歌人だ。 豊穣祭が始まるものだから、浮かれて歌いたい放題歌っているのだろう。
あれほど、私が行くまでアリアの曲目は封印しておけと言ったのに」
「なぜアリアを歌ってはダメなんでありますか?」
「我々の再会を祝した乾杯のひと時が、サロンの連中に盗られてしまうからさ! まったく、去年で懲りたかと思ったのに、節操がないにもほどがある!」
「仲がおよろしいんですね、弟さまと」ユナイ少年が微笑んだ。
「私は怒っているのだぞ」
「お言葉ですが、隊長殿は笑っておいでであります」
思いがけない部下の言葉に、ギリオン・エルヴァの目が丸くなった。
その時不意に、野太い声が護送車の開いた窓から聞こえてきた。
「貴様‥‥“虹のフライオ”と兄弟か」
ユナイ少年がもう一度飛び上がった。
ギリオンは馬車の後方から扉を開け、中を覗き込んだ。
馬車の中の蒸し暑い暗がり一杯に、特別仕立ての大きなベッドが入れてある。
その上に小山のように大きな人間の影が見えた。
大男のロンギースは、包帯に囲まれた片目をこちらに見開いていた。 体を横たえたまま両手を高く挙げて、車両の角にくくりつけられている。
縛られても尚、闇の中にうずくまる肉食獣の気配を発散していた。