6、ジャンニ・ストーツの失墜と死
大変長らくご無沙汰をしてしまい申し訳ありませんでした。
お待たせしました、というか誰ももう待ってなかったのではないかと不安になっておりますが、これより「千里」再開いたします。 これまでのお話を忘れた方、お手数ですが戻ってお読みいただくしかもう方法がありません。筆者も書いた本人でありながらいろいろ忘れていたのでそうするしかありませんでした。
「ストーツ宰相に申し上げます! 場内で暴動が発生しました!」
息を切らした若い衛兵が、国王執務室の豪奢な扉の外から大声で報告した。
本来ならば国王にまず謁見を申し出るべき場面だが、すでに国王ドルチェラートが、何の意志も持たぬ生ける剥製である事は隊員間に知れ渡っている。 急ぎの用は、国王を飛び越して宰相の耳に入れろと言うのが、最近の衛兵隊内での新常識であった。
ストーツは大きすぎる頭を振って目を剥くと、黒の魔道衣をさばいて立ち上がった。
その様子を、豪華な卓を挟んで向かい合っていた同じく黒衣の男が、冷たい視線で観察している。 魔導省大臣次席、ジャデロである。
「何の騒ぎか」
小姓が開けた扉から走り込んで来た兵士に、ストーツが不機嫌に問う。
兵士は立ったまま口を開きかけて、室内に目をやるとギョッとした様子で急ぎひざまずいた。 部屋の一番奥の椅子に、現国王ドルチェラートの姿を認めたからである。 もっとも国王の方は、卓上に山と積まれた書類に決裁印を押す機械的作業に余念がなく、兵士の声などまるで耳に入っていない様子だったのだが。
「暴動とは何か」
ストーツが、団扇の様に大きな掌で卓を叩いて話を急がせた。 普段滅多に口をきかないので、痰の絡んだ耳障りなしわがれ声だ。
「は、申し上げます。 最初地下牢から3人の囚人が脱走しまして、彼らは逃げるついでに場内の牢や檻の扉を端から壊してしまいました。 その牢の中に、山賊の1個集団がおりまして、そやつらが武器庫の入り口を叩き割って、中にあった武器を脱走者全員に配ったあげく、駆けつけた近衛兵に刃向ってきました。
一方で、一部が調子に乗って食料庫を襲い、中の食料を喰らうやら酒を飲み始めるやら、収拾がつかなくなっております。 急いで兵士の増員をお願いいファヒっ……!」
言葉の最後の方は不明瞭になった。 ストーツの掌から迸った青白い光が、不運な兵士を後ろのドアまで吹き飛ばしたからだ。
ドアに叩きつけられた兵士の体が、ずるずるとそのまま床へずり落ちて動かなくなった。
「魔導師の行動を、一兵卒の貴様なぞに決められるとでも思うたか。 増員が必要かどうかはわしが決めるわ、たわけもの」
ゆがめた唇から苦々しく吐き捨てたあと、ストーツはジャデロに向き直って抗議を始めた。 ただしこれは音声によるものではない。 魔導師特有の身振りだけの言葉である。
(どういう事だ、導師ジャデロ。 場内の牢全てに魔法がかかっておるはずではないのか!?)
(第一級臨戦態勢をどこまでも続けろとでも?
それがどれだけの魔法を消費するかわからんわけではあるまい。 第一、そのくらいの魔法は自分でかけたらよいではないか、何でもかんでもこちらに押し付けるのでなく)
皮肉をこめてジャデロが答えた。 黒衣の中に真っ白な髪とひげがいっぱいに詰まっていて、その奥で枯草の中に落とした小石のような双眸がぎろりと光る。
ストーツは身を乗り出して怒りを表現した。
(魔道の管轄のことは自分に任せろと豪語したのは導師ジャデロ、ぬしではないか。
第一このわしとて、政治的なことを全て引き受けておるのだ。 忙しくて魔道にまで手が回るものか)
(ならば人事やその運用もそちらの管轄だろう。 牢番が統制できておらんから囚人が逃げる、こちらのせいではない)
(戦をやるたびに、ぬしがいたずらに捕虜を連れて戻るから、捕えておくのに人手が足りんのだ!)
(手駒が必要と言うたのは誰であったかな。 大体、政治は自分の管轄と言うが、砂に埋めたセイデロスも征服を果たしたモンテロスも、その後は無為に放りっぱなし。
政治とは何か、導師ジャデロにはわかっておるのか)
(なんだと。 それを言うなら国内平定が先だろう。 さっさとイリスモントを、あの生意気な小娘をわしの前に引きずって来んか!)
(かようなことは造作もないこと)
(なんだと)
眉一つ動かさず、ジャデロは殊更にゆっくりと噛み砕くように話し始めた。
(ただ捕えて連れ戻すだけなら、10度も機会はあったのだ。
しかし、導師ストーツは、連れ帰ったイリスモントを即日処刑せよと言うたではないか。
王族の即日処刑など、軍を率いて現国王に牙を剥いた事実でもなくては成立せんだろう。
やつらに挙兵させてこちらと遭遇戦に持ち込ませるのにいくら手間がかかったと思うのだ?)
(では処刑せずに幽閉するのが良かったとでも言うのか?)
(処刑など、とらえた後でどうにでもなる。 もともと身分詐称の罪があるのだ、そのあたりから崩してゆけば処刑の理由は見つかろう。 それこそが政治的手腕という物)
ジャデロの唇が不敵に歪んで、明らかに相手を馬鹿にした表情を作り出した。
(それとも、導師にそこまで期待した俺が甘かったという事かな)
「きさま!」
ついにストーツは声を出して椅子から立ち上がった。
「偉そうにほざくな。 貴様ならもっとうまくやれたとでも言うつもりか」
(さっきからそう言っておるのがようやく通じたか)
ジャデロはわざと冷静に無言で答える。
「やれるものならやって見るがいい、やれるものならな!」
言うが早いか、ストーツはその巨大な掌を閃かせた。 指先からなじみのあるあの青い閃光が発されたが、ジャデロは難なく片手でシールドを作ってそれを受け止める。
これはお定まりの、いわゆる見かけだけの攻防で、魔導師たち本人にとっては大して危険な行為ではなかった。 しかし、ストーツは気づかなかったのである。 ジャデロがあらかじめ国王のすぐ前に自身の席をしつらえ、ストーツにその正面を与えた、その意味を。
「何をなさいます、宰相閣下!」
ジャデロがわざと声を上げて叫んだ。
「衛兵! 衛兵! ストーツ宰相閣下をお抑えしろ!
恐れ多くも、国王陛下を弑し奉らんと攻撃をなさいましたぞ!!」
なだれ込んで来た兵士たちに両腕を押さえられ、ストーツは真っ赤になって怒り出した。
「冗談にもほどがある! ジャデロ許さんぞ。 ええい離せ!」
閃光を弾けさせて衛兵を弾き飛ばし、ストーツはそのままジャデロに詰め寄った。 瞬間、ジャデロが攻撃の姿勢を取ったので、ストーツも反射的に掌を構える。 それを待っていたように、ジャデロは国王に駆け寄ってその体を庇うような動きを見せた。
「危ない、陛下!」
その時、実際にはストーツは攻撃をしなかった。 だが、その場にいた衛兵たちは全員、その後の事情聴取で「宰相が国王陛下を攻撃したのをジャデロ殿が庇い、やむなく『彼』が宰相を後ろから斬った」という言い方をした。
背後からジャンニ・ストーツを斬り捨てた男は、尋常ならぬ美貌の金髪の男だった。 彼がいつ室内に入って来たのか、誰も気づいていなかった。
衛兵が呆然とその名を呼ぶ。
「エルヴァ准将……」
たったの一撃で、ストーツは絶命していた。 その体が衛兵の手を離れ、ゆっくりと床に倒れ込む。
ギリオン・エルヴァは無表情だった。
宰相を斬り捨てた刀の血のりを静かに懐紙でぬぐって鞘に納める。 その冷静さに誰もが声を失っていた。 いかなる事情があれ、一介の将校が国王の執務室で宰相を殺めたのだから、これは一大事である。 しかし当のギリオンの態度からは、その重大さが感じられないのだ。
「国王陛下、ご無事であらせられますか」
沈黙を破って真っ先に声を出したのはジャデロだった。 国王ドルチェラートに黒衣の導師が駆け寄る。
「大事ない、ジャデロ。 そちが庇ってくれたからの」
国王の返答に、衛兵たちは再度目を見張った。 これまで気の抜けた風船のようだった国王の口調とは別人のそれのようである。
「ストーツ宰相は執務に忙殺されて、疲労疲弊の余りに乱心したのであろう。 エルヴァ准将、そちもよう駆けつけてくれた、おかげで命拾いした。
さあ准将、もう少し近くに参れ、ここへ、ここへじゃ」
明朗な笑顔でギリオン・エルヴァを手招く国王は、どこから見ても操られた木偶には見えなかった。
周囲の者にはこの変化が、ストーツの死によって傀儡の糸が切れたためと思われたのだが、実際には国王を操っていたのは最初からジャデロであり、今もそれに変わりはないのだ。 上級魔導師ジャデロにとって、得意とする傀儡の術の精度を人知れず上げることなど、顔を洗うよりも簡単に出来る技なのだ。
足元にひざまずいたギリオン・エルヴァに対し、国王ドルチェラートは手振りで顔を上げさせた。
「エルヴァ准将、そちに長い間、王家の為に汚辱にまみれた辺境の軍服を着せ置いたこと、余は心苦しく思っておったのじゃ。
こうして余の時代になり、イリスモントとの確執も実は意味のないものであると世間に知られることとなった今、そちを粛正する意味もなくなった。
どうじゃ、近衛隊に戻って来る気はないか?
隊長のエルディガンを、ストーツが腑抜けにしてしもうたので、実際に隊を動かせる司令官がおらず統制が取れてないようじゃ。 余の旗本隊の大将軍の位も空いておるぞ。
魔道で征服したモンテロス、セイデロス両国の平定にも、国内の治安維持にも軍隊は必要じゃ。 ギリオン・エルヴァ、そちの力を余に貸してくれ」
国王の言葉に、ギリオンはさして心躍る様子も見せなかったが、儀礼を欠くことなく速やかに頭を下げた。
「陛下のご厚情痛み入ります。 私に出来ますことであれば、どのようなことでも致します。
陛下のご命令のままに」
このニュースは、稲妻の速さでカラル・クレイヴァ城内を席巻した。
ジャンニ・ストーツの遺体を運び出した衛兵たちが、大喜びで会う者全てに触れ回ったからである。
「ギリオン・エルヴァが戻って来る!
おい、やったぞ。 エルヴァ准将が総大将だ。 カラリア軍は敵なしになるぞ!!」
2重3重に大騒ぎになった周囲の様子を見ながら、ジャデロはほくそ笑んだ。
(どうだ、ストーツ。 政治的手腕とはこういう事を言うのだ!!)
「何だって? ギルが大将?」
歌人フライオは、思わず叫んでしまった。 途端に白刃が閃き、身を隠してくれていた古い板切れが粉々に砕け散る。
「そこにいたか、腰抜けめ!」
衛兵たちが叫びながら振り下ろす刃の下を、這うようにしてかいくぐり、フライオは石畳の中庭を逃げ回っていた。 一緒に牢を出たはずのギリオンもイニータも、あの目立つ大男のロンギースまでも、暴動の乱闘の中で見失ってしまい、あとは会う者全てが敵になったかのような状態である。
山賊が調子に乗って牢という牢、檻という檻を叩き壊してくれたおかげで、駆けつけた衛兵に斬りつけられ、逃げ出した魔獣に襲われ、魔道士見習いの子供にまで電撃を喰らって何が何やらわからない。 おまけに歌人は“牙”の面々から「裏切者」として相当な恨みを買っており、ション・シアゴをはじめとするロンギースの部下たちの顔を見たら、すっ飛んで逃げなければならなかった。
他の脱走者も混乱状態は似たようなものらしく、臆病なものほど手が早くなり、会う者を誰かれなく殴りつけたり、やたら火をつけようとしたりするので危なくて仕方がない。 戦闘力の低い歌人はひたすら物陰に隠れるしかないという情けなさだ。
「これじゃ、何のために牢を抜け出したのかわかんねえな!」
口の中で運命を呪いながら、人目を避けて逃げ込んだ屋根の下は、いわゆる「馬車庫」であった。
きちんと手入れされた馬車が何台も並べられている。 その中の1台にそっと体を滑り込ませ、座席の下の物入れに隠れようとしたところ、そこにはすでに先客がいた。
饐えたような体臭と、震える痩せこけた体。 かなりの老人である。
「ころ、殺さんでくれ。 わしを殺すとえらいことになるのじゃ、本当じゃ。
わしは証言すると約束したんじゃ! 殺せんはずじゃ!」
老人はガタガタ震えながら、意味不明のことをか細い声で叫び続けていた。
再開早々、むさい爺さんの喧嘩のシーンばかりで、最後も臭い爺さんが出て来ておわると……なにこの華のなさ!
でもでもこの先、王宮の秘密も明らかになりますし、重要なシーンが目白押しなんで我慢してください。 色っぽいシーンもちゃんと入るんですよ、でもかなり先か(汗)