3、魔手術
深夜であるにも関わらす、長い廊下はずっと向こうまで見渡せた。 並んだ燭台に、ずらりと火が入って燃えているからだ。
使者は目隠しをしたミモランツァを、一番南側の突き当たりのドアへといざなった。
ギリオン・エルヴァは後ろをついて行って、手前のドアの陰に身を隠した。
春の離宮、と呼ばれている建物だった。 王太子の結婚と同時に開かれた宮である。
実際には空き部屋がほとんどのはずだった。
王太子夫妻にはまだ子供がなく、若い王子には囲うべき愛妾もなかったからだ。
ギリオンは、鍵が掛かってない空き部屋を探し出した。 その前で体を隠しながら待つ。
宮の中はざわついている。
召使があわてふためいて走り回る気配がある。 ギリオンはその侍女の中の誰かをつかまえて話を聞こうと面って身構えた。
ところが。
いきなり大変な人物と出くわしてしまった。
それは若い女性で、薄紫の上等なローブを身に付けていた。 プラチナブロンドの髪はうねって、腰の辺りまで伸びている。 そして見覚えがあるのは、北国人の特徴を持った青い瞳。 その目にも赤い唇にもほとんど表情はなく、女は半ば朦朧としたまま、よろよろと脇部屋から出て来た。
壁に背を預けて、肩で息をした。
ギリオンと目が合っても、どうしていいか判らぬ様子だった。
これが、王太子妃エウリアであることはひと目でわかった。
まさか、王族に手を触れるわけにはいかない。
ギリオンは駆け寄ると、相手の耳に口を寄せて囁いた。
「お静かに願います。 エウリア妃殿下であらせられますな?
怪しいものではございません。 この顔に見覚えはございませんか?」
被り物を取って、顔をあらわにする。
「エルヴァ准将‥‥」
エウリア妃の顔に、ほのかに表情が戻って来た。
ギリオンは王太子妃を伴って、空き部屋に身を隠した。 薬に体の自由を半分奪われ、エウリア妃はこちらのなすがままに動いた。 しかし、見た目より意識は確かなようだった。
「エウリア様!」
「妃殿下、どちらへおいでですか」
侍女たちが廊下を右往左往している。
一度だけ、ドアを開いて侍女の一人が顔をのぞかせた。
ギリオンはドアの陰の死角に二人分の体を貼り付けてやり過ごした。
侍女は二人に気がつかず、再び廊下へと出て行った。
周囲が静まると、呼吸の音が闇に浮かび上がった。
「エルヴァ准将‥‥」
エウリア妃が、恐る恐る声を出した。
「はい」
「そなたは、わたくしを庇ってくれるのですか」
「結果的にそうなりました」
ちょっと冷淡な言い方を、ギリオンはあえてした。
「私は妃殿下のお相手をしていた男と親交がございます。
彼が陰謀の餌食になっているのではと思い、乗り込んで参ったのですが」
「陰謀‥‥」
「この様子だと、妃殿下も被害者でいらっしゃるようだ。
例え王宮の措置でも、組織的に女性を陵辱するがごときは看過いたしかねます」
大きな溜め息が、エウリア妃の口から漏れた。
「なんとまっすぐな‥‥」
「いやしかし、まだ何もお力になれておりませぬゆえ」
武人が失笑したのに対し、王太子妃は真顔で首を振った。
「何もせずともよい、准将。 そなた、近衛の将校でありましょう?
王宮の意志に逆らう行為は、処罰の対象になりましょうぞ」
「お気になさらず、殿下。
このような言い方は不遜に思われましょうが、私は国王陛下への忠誠心に燃えて、切望して近衛を志願した者ではありません。 あくまで国王陛下の方からお望みであったので従ったまで。
もう不要であると仰せられるのであれば、遠慮なく退役いたします」
「ああ‥‥」
王太子妃は、感動してもう一度溜め息をついた。
「そこまで申すなら、そなたに頼みがあります」
「何なりと、殿下」
「わたくしは、城の外へ出る手段を手に入れております。
昔の地下通路が、今でも使えることがわかったのです。
ただ、この通路の中は狭く恐ろしくて、一晩身を隠す気には到底なれません。
けれど、王城の外へ出たら、わたくしには行くところがありません」
「殿下、通路の出口は、城のどちら側ですか?」
ギリオンが尋ねた。
「東西南北、四方へ出口があるようです。
わたくしは、まだ東側にしか出てみたことがないのですけれど」
エウリア妃の言葉に、ギリオンはうなずいた。
「ではこういたしましょう。
私は現在、知人から小さな家を一軒借りており、これが城の南側にございます。
夜勤の都合などで、家に帰れぬ時があるので時おり利用するのみの場所です。
その鍵を、妃殿下にお渡しいたします。 そして出来れば、これからそこにご案内いたします」
「ほんとうにか‥‥?」
「ただし、地下通路の中は、妃殿下にご案内頂かねばなりませんが」
「願ってもないことじゃ」
「その前に、一つ伺っておきたいことがございます」
「なんじゃ?」
「何故このようなことになったのか、妃殿下はご存知あらせられますか?」
「何故と言うと?」
「まことに伺いにくいことですが‥‥。
もしやイリスモント殿下は、お体のお具合がお悪いのではと」
「お元気でいらっしゃいますぞ」
あっさりとエウリア妃が答えたので、ギリオンは苦笑した。 意味が通じてないようだ。
「ご夫婦の仲は睦まじく?」
「特に悪くはない、わたくしは国からの人質のようなもので、愛情といっても一通りのものではありますが」
「それはご寝所でも?」
「殿下もわたくしも睡眠は健康に取っております」
腹筋で笑いをこらえるのが一苦労だった。 この手の話は、通じないことがわかった。
地下通路の入り口は、作り付けに見せかけた大時計の後ろにあった。 暗がりに開いた更に真っ暗な入口に踏み込むと、鼻をつままれてもわからない真の闇がふたりを待ち受けていた。 蝋燭の光を頼りに、長い階段を足探りで下りる。
これは怖い。 武人は柄にもなく単身で来たことを後悔した。
狭く暗い通路は、見通しが全くきかない。 土の壁が果てしなく続く世界は、まるで地獄の一本道だ。
「よく、この様なところをお一人で通られましたな」
心から感嘆して言うと、
「意識が半分ありませんでしたので、とくに怖いとも感じなかったのです」
エウリア妃が答えた。 今の方が、より怯えているように見えた。
頭がつかえるほど低い天井に閉口しながら、それでも相当な道のりを進んだころ。
突然、広い空間に出た。
頭の上で、水の音がする。
「ここがちょうど中央部にあたります。 ここから、道が四方に分かれるのです」
王太子妃は、分かれている各トンネルを、灯りで示した。
「こちらが東側、以前わたくしが選んだ道です。
そして南側と言うと、多分こちらの」
「しっ」
突然、ギリオンがさえぎった。
「誰かいます」
その音は、西側に続く通路から聞こえてきていた。
何やら長い呪文のような、低く歌うような声だった。 地獄から湧いてくるような、長い呪法の声。
その不気味さに、エウリア妃の表情がこわばった。
「これは‥‥何か魔道を行っているのでしょうか?」
声を落として、ギリオン・エルヴァが尋ねたが、王太子妃は曖昧に首を振った。
「わたくしには判らぬ。
モンテロスには、魔道というものは存在せぬのじゃ」
ギリオンは声のするほうへそろそろと移動した。
灯りが一つしかないので、エウリア妃も引きずられて移動する。
西の出口の通路へ侵入した。
その時突然、とんでもない音量の悲鳴が地下道を震わせた。
断末魔の女の悲鳴。
エウリア妃が小さく声を上げ、ギリオンの背中にしがみついた。
殺したな、とギリオンは思った。 戦場を駆け回った武人の勘である。
行く手に小さく灯りが見えていた。 光が途切れ途切れの細い線で四角を描いている。
通路がドアか板か何かで塞がれていて、その向こうから灯りが洩れているのである。
ギリオンは手の中の蝋燭を吹き消して、その灯りに近づいた。 背中にしっかりくっついてしまったエウリア妃の肩を抱いて、自分の隣へ回してやる。
二人で、洩れる明かりを覗き込んだ。
そこにはとんでもない光景が存在した。
部屋とは言えぬくらい狭い空間に、3人の人間がいた。
黒い衣装を着た魔導師がふたり。 そのうち年かさの一人が今しも、魔道刀と呼ばれる大太刀で女の首を切り落としたところだった。
助手らしい若手の魔導師が、管の付いた漏斗のような器具を構えている。 女の首からほとばしり出る血を、その中に集めているのだ。
おびただしい血が、頭部の無くなった女の首から流れ出て行く。
もう一人の人物は、寝台に横たわっていた。
位置が悪くて顔は見えないが、ひと目で誰だか判った。
明るい色の金髪に、小柄な体。 王太子イリスモントである。
その体にかけられた布には、呪法図というまじないの模様が描かれていた。
女の首から体中の血液が出て行ったのを確認したあと、魔導師は女の体を仰向けに床に転がした。
その裸の胸には、赤い文字が浮かび上がっていた。
何かの呪文らしいその文字の上を、少し小ぶりの魔道刀で、たて一文字に切り裂く。
切り口に手を入れて大声で呪文を唱えると、魔導師は女の胸から、真っ赤な心臓をつかみ出した。
それを、カンテラそっくりの形のガラス容器に入れ、両側に管を一本ずつつなぐ。
「では殿下。少々失礼いたしますよ」
魔導師は、王太子の体の上に掛かった布に手を当てた。
「好きにやるが良い。
ただし、これが最後だ。 判っておるな?」
王太子が穏やかな声で言った。
「御意でございますとも」
魔導師は呪文を唱えながら、布の上から王太子の胸をゆっくりと撫でた。
そして、その上に、一気に魔法刀を突き込んだ。
ウン、とひと声、王太子がうめいた。
魔導師は、布越しに刀を一直線に切り下ろした。
そして、死体と同様の手順で、王太子の心臓を取り出してしまった。
ガラス容器にそれを収める。
二つの心臓を並べて、寝台の枕元に置いた。
ギリオンにしがみついていたエウリア妃の腕の力が、不意にゆるんだ。
「妃殿下」
あわてて抱き止める。 あまりの残虐さに、王太子妃は気を失っていた。
ぐったりした体を支えながら、ギリオンは続きを見ずにはいられなかった。
魔導師は、女の血液が入った袋と女の心臓のガラスケースを管でつなぐと、もう一方の管を王太子の胸の穴に差し込んだ。
王太子の心臓にも2本の管が取り付けられた。 その一方を胸の穴に、もう一方は寝台の下に置かれた桶の中に垂らす。
助手の魔導師が皮袋を抱えてポンプのように圧迫すると、管の中を血液が移動し、王太子の体に入って行った。 同時に王太子の心臓につないだ管からは、真っ赤な血液が桶の中に流れ落ちていく。
ギリオンは呆然とその光景を見守った。
これは‥‥手術か?
なんと、血液を入れ替えている!
「ご気分はいかがでございますかな」
全ての血液を注入し終わると、魔導師は王太子に尋ねた。
「良いわけがなかろう。 早いところ、その生臭い内臓を所定の位置に戻せ」
王太子の声は、息苦しげである。
「これが最新のやり方でございますよ」
「わかっておる。 つまり、これでダメなら現代の魔道ではお手上げということだな。
そうなれば、潔くあきらめるとしようぞ。
私の代で王家の血筋が途切れても、呪いの拡散は防がねばならぬ。
エウリアには申し訳ないが、ミモランツァ・メンディーロの子なら、私の子供として世間に通用するはずだ」
「それは魔道の敗北でございますな。
申し訳なく思いますが、こればかりはどうも‥‥」
「良いから早く心臓を戻せ!」
その晩、夜半も過ぎてから。
王太子妃エウリアは、新妻のようにギリオンに抱えられて、王城南側の隠れ家に到着した。