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千里を歌う者  作者: 友野久遠
地下牢の歌人
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2、英雄の事情

 真っ暗な深夜の廊下を歩く軍靴の音。

 微かな明かりに浮かび上がるその男は、鎧のない略装の軍服を着て、右手にカンテラを下げている。

 左手に、果実酒のボトル。

 腰のベルトに、トカロと呼ばれる飯盒をぶら下げている。

  

 軍靴の足が、眠りこけている牢番の前で止まった。

 一旦、カンテラを下に置いて、床から鍵束を拾い上げる。 ついでに靴の先で、牢番の頬っぺたを軽く突付いて眠りの深さを確かめると、唇の端に少しだけ笑みを宿らせた。

 それから鍵束を小指にひっかけ、再びカンテラを取り上げて彼は歩き出した。


 子守唄を歌いやめて、歌人フライオは全身を緊張させた。

 鍵の開く音がする。

 フライオは立ち上がって、懐かしい客人を迎えた。

 「よう、ギル。 怪我はしてねえか?

  おっと待ってくれ。 そこから入る前に、ポッケの中身を出して貰おうじゃねえか」


 ギリオン・エルヴァは、開きかけた鉄格子を一旦閉めながら皮肉を言った。

 「随分豪勢な家に住むようになったと思ったら、身体検査までやるのか?

  ラヤに会いに来るのに物騒な装備はして来ないよ、軍人だから剣は持ってるが」

 言いながら剣を床に投げ出し、衣類に付いたポケットを裏返して見せる。

 「まだだ。 懐に何か持ってんだろ? そいつは?」

 「お前と私が酌み交わす酒のグラスだよ」

 「この飯盒は?」

 「椅子代わりに持って来た。 軍隊で煮炊きをする時に使うんで、持ち歩いてる物だ。 座る時椅子代わりにするのも軍隊式だ。

  こんなじめじめしたとこに座ったら、いくらこっそり来てもすぐバレてしまう」

 「飯に使うものを尻に敷くのか。 軍人さんってのはまったく」

   

 フライオは兄貴分の持ち物を全て回収して独房の奥に並べた。

 それから相手の手の中からカンテラを奪い取って壁に引っ掛け、ようやく格子戸を開けさせた。

 「用心深いことだ」

 「こっちは丸腰だぜ、これくらい当たり前だろ。 ギルは敵側に付いたんだ、信用できるか」

 「そうか? 牢番も囚人も子守唄で見事に眠っていたがな」

 「ちぇ。 刃渡り10と930のだんびらなんてあるかい。

  どんだけ幅広ずんぐりの短刀だよ。 バレバレだもんで冷や汗が出たじゃねえか」


 ギリオンはくすくす笑って手を出した。 フライオはグラスを自分で選んでその手に渡し、ボトルの栓を抜いてなみなみと注いでやった。  

 「ラヤは乾杯しないのか」

 「まずギルが飲んで見せろ」

 「疑うねえ。 かなり上等の酒を持って来たのに」

 ギリオンは長い睫毛を伏せて、ゆっくりとグラスの中身を飲み干した。

 「うまいぞ。 ラヤも飲め」

 「ふん」

 フライオはようやく自分用のグラスを手に取った。 

 「座ってもいいか?」

 「よし」

 そう答える頃には、歌人もこんな用心がなんの役に立つのかと馬鹿馬鹿しくなって来ている。

 長年信頼しあって来たこの男を疑うことの無意味さはよくわかっている。 ギリオンがフライオを裏切るとしたら、それこそ抜き差しならぬ事情があってのことだ。 彼ほどの男がすべてを捨てて敵に回るなら、どう用心したところで勝ち目はない。


 カンテラの光に揺れる独房の中で、お互いのグラスをカチンと鳴らした。



 その酒は確かに、美酒と呼ぶべき逸品だった。 牢の粗食に耐え慣らされた胃の腑が縮み上がらぬ程度の濃度と、芳醇な香りに生き返る思いがする。

 あっという間に空になったフライオの杯を、ギリオンがすぐに満たしてやった。

 「‥‥で? 話してくれるんだろうな。

  なんだってギルは魔導師の味方なんかしてるんだ?」

 「おいおい」

 ギリオンは苦笑と共に自分の杯もいっぱいにした。

 「国家軍人が現国王の命令で軍務を遂行するのにいちいち尤もな理由は要らんだろう。

  私にしてみれば、ラヤが王太子の味方をしている方がよっぽど意外な気がするがな」

 「うーん」

 言われて見ればその通りである。 いくら陰謀の結果と言っても、正規の手続きを経て政権のトップにあるのは、王太子イリスモントではなく彼女の小父の現国王ドルチェラートなのだ。

 王族個人の私兵である近衛隊や親衛隊であるならともかく、国家軍人が政情の変化を理由にいちいち主を変更していたら、政権交代のたびに国内は大混乱になってしまうだろう。

 「さあ、そういうわけだから、説明はラヤがお先に」

 フライオはボリボリと頭を掻いた。 どうも、この従兄弟の前に出ると調子が狂う。

 


 地下牢の粗末な石造りの壁に、高らかな笑い声が跳ね返った。

 「そんなに笑うかよ、ギル」

 歌人フライオは鼻にしわを寄せた。

 「あんまりお前らしくて笑うしかないじゃないか。

  女の子引っ掛けたら、実は王子様だったので捕まったって?

  いったい、どのへんから突っ込んだらいいんだろうな!」

 

 ギリオン・エルヴァは腹を抱えて笑い転げた。

 こんな姿を、副官のヴィスカンタや兵卒のユナイが見たら、開いた口が塞がらぬだろう。

 「ちぇっ」

 フライオは空のグラスに酒を注いであおった。

 「まあ好きに笑ってろ。 わかってんだぜ、俺は。

  この話、実は一番笑えねえのは、ギルなんだろ?」

 「なんのことだい、坊や」

 弟の手から酒瓶を奪いとりながら、ギリオンが問い返した。

 「とぼけるな。教えろよ。

  王太子妃エウリアは、寝室を抜け出して王太子の替え玉から逃げ回ってた。 ギルは王太子妃に頼まれて隠れ家を提供したんだ。 で、巻き込まれたんだろ」

   

 ギリオンは、口の端をひねって苦笑した。

 そういう下卑た表情は普段の彼にはないものだった。

 そして、そういう表情を浮かべた顔は、なるほどフライオとよく似ていた。


 「さすがに、そういう話になると勘が鋭いのだな。

  そう、お前の言う通りエウリヤ妃は夫の替え玉に気付いて、逃げ場を求めておられたのさ。

  薬香を焚いて意識を弱らせていたようだが、ああいった薬は、繰り返し使うと効かなくなるからな」

 「もったいねえことしやがるぜ」

 フライオが本心から残念そうに言うので、ギリオンは失笑した。

 「替え玉の正体はミモランツァという男で、わたしの友人だ。

  近衛隊では先輩だった。

  彼に相談されたのが、そもそもの始まりなんだ」

 

 「なんだ、ギルがエウリア妃の浮気相手をしたからじゃねえのか」

 「お前と一緒にするな」

 「ちぇッ、つまんねえな」

 「そう言うな。これはこれで、結構面白い話だぞ。

  ‥‥ところで、もう酒がない。

  しくじったな。トカロがあるのだから、もう1本突っ込んで来るべきだった」

 

 「牢番が1本持ってるぜ」

 フライオが、いたずらそうに片目をつぶって見せた。

 「そこの通路の蝋燭立ての窪みに、1本隠してやがんだ」

 「でかした、ラヤ! お前は恐竜の腹の中だって生きて行けるぞ!」

 ギリオン・エルヴァが大喜びで立ち上がった。



 

 ミモランツァ・メンディーロという男は、竹を割ったような性格の人物だった。

 軍人としても優秀で、小柄で華奢な体形からは想像もつかない様な、冴え渡った剣技の持ち主である。 明るい金色の髪の色と背格好が王太子イリスモントによく似ており、仲間内では、絶えず「替え玉ジョーク」が囁かれていた。

 

 「おい、閲兵式に殿下がお出ましだぞ」 

 「いやいや、今日はお忙しいので、ミモランツァに代行させておいでなのさ」

 

 近衛の兵士の中では、王太子イリスモントは実に人気があった。

 気軽に顔を出し、気さくに話しかけてくる人柄も好まれた。 閲兵式を見ているうちに、いつの間にか兵士に混じって行進をしていたりする、冗談好きなところも好かれていた。

 その王太子に似ている、というのは、決してあざけりの言葉ではない。


 ミモランツァ・メンディーロが近衛隊を除隊したがっていると聞いて、ギリオンは驚いた。

 近くの酒場に誘って、事情を聞いたが最初はガンとして口を割らなかった。

 ギリオンは彼に酒を飲ませ、彼が酔いつぶれる寸前にやっと事情をつかむ事が出来た。

 「俺はどこか遠くへ逃げる。 殺されるのを待つのはいやだ」

 ミモランツァは、消え入りそうな声で言った。


 事の発端を聞き出すのに、また骨が折れた。

 「ある日、俺んとこへ城から遣いが来てな。

  ある高貴なお方のために一肌脱いで欲しい、と頼むのだ。 相当額の報酬も持って来た。

  俺は、お前も知っての通り、結婚を約束した娘がいる。

  一緒になるためには、まだまだ資金を貯めたいものだと思っていたからな。 危険な仕事ではないと言われて、つい引き受けてしまったのだ。


  約束の時間に城に行ったら、入り口で目隠しをされ、そのまま侍女に手を引かれて、城の奥の一室に連れて行かれた。

  そこで着替えを済ませ、明かりを落とされた。 そしてこう言われたんだ。

  『これから連れて来られるお方は、ある高貴な身分の女性です。

   その方と情を交わして頂きます。ただしお声はお出しにならないよう』と。


  いまさら逃げることも出来なかった。 連れて来られたのは若い女性だった。

  いや、顔なんかわからない、真っ暗なんだ。

  ただ彼女は、薬を飲まされてでもいるのか、意識が朦朧としていた。 何をしても夢の中にいるような具合だった。

  俺は3日に一度、城からの使者に連れられては、その女性とベッドをともにした。


  ところが、十回めぐらいの時だった。

  連れて来られた女性の様子がなんとなくおかしい。 どうも、夢が醒めてる感じなんだ。

  そして、俺の顔を見て言ったんだ。

  『あなたは誰?殿下じゃないわ!』

  真っ暗だから、顔が見えたわけじゃないと思うんだが、別人だとわかってしまった。


  それから、その女性は、いろいろ反抗を始めたのさ。

  俺が呼ばれて待っていても、侍女が連れて来れないんだ。 何処かに隠れてしまうらしい。

  ついに夕べ、俺は彼女に会えずに帰宅した。

  でも、あれは誰の身代わりだったか、俺は気がついてしまった。 殿下と呼ばれる人物はやたらとはいないからな。 誰にも言ってないが、このことが知れたら、命にかかわるだろう?」


 「わかった。この次に王宮から使者が来る日は、私に連絡してくれ」

 ギリオンは言って、取り急ぎ王宮の見取り図を作った。

 ミモランツァと話し合って、問題の部屋がどこなのか、だいたいの見当をつける。

 

 使者が来た時、ギリオンはすでにミモランツァの屋敷の前で待機していた。

 馬車の先回りをして城へ行き、使者がミモランツァに目隠しをしているうちにドアに取り付いた。

 秘密の通路は、扉の番をするものがおらず、ギリオンはミモランツァの後をついてこっそり城内に潜入した。  


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