6、王宮の陰謀
「さて歌人、我々は食事を採るところであったな。 最初のサロンへの返答は、しばらく後に行くとしておけよ」
王太子イリスモントはそう言って、すっかり妙な雰囲気になってしまった城門前広場を、何事もなかったように歩き始めた。
なんと、これからさっきの続きをやるつもりなのだ。
広場中に身分が知れ渡ってしまった後では、誰も彼もさぞかしバツが悪いであろうに、王太子は全く気にならない様子で、さきほどの賜り商の店に近寄った。
「ああっ、先ほどは大変失礼致しました! お詫びにあっしから、一杯ご馳走させておくんなさいよ」
さっき地面に平伏していた亭主が、これまた変わり身の早さを発揮して、努めて丁寧過ぎない声を掛けてくる。 差し出されたのは、大きな汁椀の中で、うまそうに湯気を上げる山盛りの牛肉煮込みだ。
「どうぞ召し上がってください。 今年は香草の出来が過去最高なんだそうで、こんなもんでも案外いけますぜ」
「あらやだアンタ、こんなごった煮なんか差し上げて大丈夫なのかい」
奥にいた女房らしい女が、あわてて照れたような大声を出す。
「いや、有難くもらおう。 連れの分もひと椀もらえたら有難いが」
「お安いこって」
王太子は笑って汁椀を受け取り、フライオに送って寄越した。
「それとお二人に穀酒を一杯、こいつは広場の全員におごりの分でさあ。 あそこのやぐらの上が見晴らしもよくて食事にゃ持って来いですぜ。
楽しんでおいでなさい、ごゆっくり!」
さすがに土地っ子は切り替えが早い。 広場の商人たちも、集まった祭り見物の客達も、もう王太子を意識しないことに決めたようだ。
お陰で思ったほどの注目も集めずに、二人は花火見物用に組み上げられたやぐらに登って、てっぺんに腰を降ろすことが出来た。
「驚きました。 おひとりでおいでなのですか」
誰も供の者がついて来ないので、歌人は不安になって尋ねた。
「当たり前であろう、ぞろぞろ引き連れて歩いたのでは『お忍び』にならぬ」
「し、しかし無用心では」
「自分の身を自分で守ることぐらい出来る。
それより、その馬鹿丁寧な言葉遣いを今すぐ元に戻せ。 私と恋を語ってくれるつもりだったはずだろう?」
意地の悪い目つきで、王太子は歌人の瞳を横から覗き込んだ。
「‥‥あいにく恋の相手は女だけ、それも月の障りがある年代の女だけと決めてるんだ」
探りを入れるような言い方を、ワザとしてみた。
「ついでに既婚者も、ちょっとご遠慮だ」
「ふん、守りに入るのか。 つまらん」
「ホントはどっちなんだ? 男なのか? 女なのか? これでも口は固いんだ、ほんとのことを教えてくんねえかな」
「いいのか?」
逆に聞き返された。
「知ったら断れぬぞ。 私はこれからお前に頼みごとをしたいのだが、内容を話してしまうともうお前には拒否権が残らぬのだ。 服従か死か、それだけになる。 それでよければ話す」
「ちょ、ちょっとそいつは勘弁してくれ。 なんかたくらんでるんだな。
そうか、わざわざ女の恰好で俺の前に現れたのは、そういうたくらみがあったからか」
「怒るな、こちらも追い込まれての決断なのだ」
「とにかくダメだ、お断りだ。 国家規模の話には、絶対手を出さないと決めてるんだ。 悪いけど、この話はなかったことにしてくれ」
長居は無用と立ち上がったフライオを一瞥して、王太子の口からとどめの台詞が吐き出された。
「ギリオン・エルヴァが、彼の小隊ごと捕まったのを知っておるか?」
その言葉は、立ち去りかけた歌人の足をその場に縫い止めた。
「‥‥誰に?」
「聞きたいか」
悪巧みの似合う表情で、王太子が確認する。
「汚ねえやり方だな。 ‥‥ああクソッ、どうにでもしやがれ!」
フライオはまた腰を落とした。 ついでにやけくそで、椀の中身をガツガツと口に掻き込む。
熱い肉汁が口の中に広がって絶妙の味だ。 そのうまさが、今は逆にシャクに障る。
「エルヴァ隊をとらえたのは、白い狼ロンギースの率いる、盗賊『牙』の一味だ。 そのまま東の国境に送られて、そこでセイデロスに売りに出されるらしい。 ただし兵士達は解放されるように、エルヴァ准将が身を犠牲に頼んだ、という話だ。
まだ国境に到達しておらぬから、そこまでの情報なのだがな」
王太子はそこで言葉を切って、情報の内容が歌人の痺れた脳に浸透するのを待った。
「盗賊を討伐する任務で、逆に捕まったのか? ロンギースが食えねえ野郎なのは俺も知ってるが、それにしてもギルのやつ、らしくねえドジを踏むじゃねえか」
「ネムリバチをけしかけられたらしい。 軍隊ならともかく、盗賊としては異例の作戦だ。 意表を突かれたという事だろうな」
王太子は家臣を庇う口調になって言ってから、自分も食事に取り掛かった。
歌人よりは心持ち上品な仕草で、椀の中身を口に運ぶ。
「で、救出は可能なのか?」
歌人が問いかけると、
「救出してほしいのか?」
また、意地の悪い目つきで視線を返された。
「救出するかどうかは、国王である父上の判断で決まる。 だが、その前に私からその種の進言をしてやってもよいと思っておる」
「そいつは有難いこって。 ‥‥で、そっちは何を要求するつもりなんだ?」
フライオがさすがに警戒して恐る恐る尋ねると、天使の笑みを浮かべて、王太子が答えた。
「赤い、大きな荒ぶる竜を、1頭飼いたいのだが」
歌人が息を飲む音は、その時上がった花火の音にかき消された。
夜空に、轟音と共に、美しい光の花が広がった。
人々が歓声を上げて空を見上げる。
王太子も瞳を輝かせてそれを見ていたが、やがてこちらに向き直った。
「もうひとつ教えてやろう。 私の性別は、生まれながらに女だ。
どうしてこんなことになったのかは、救出のあかつきにそなたの兄からでも聞くがいい。
今すぐに決心はつかぬだろう。 お前もサロンへ行かなくてはならぬだろうし、明日の朝まで返答は待つ。 決心がついたら明日の昼までに、謁見の広間に来てくれ。
言っておくが、私はエルヴァ准将を微塵も憎んでおらぬから、その事だけは忘れないでくれ」
泥を飲んだような気分で、フライオは立ち上がった。
形としては、選択だの要請だの小ざかしいことを言ってはいるが、要するに命令なのだ。 貴族のサロン招待や、ベッドへのお誘いと同様で、拒否権はないのだ。
何が無礼講だ。 何が、土地っ子の粋だ。
「汚ねえぞてめえら! いい加減に恥を知りやがれ!」
立ち上がって空に向かってひと声、自慢の大声で怒鳴ると、フライオはやぐらを駆け下りた。