11、天才魔導師
ヴィスカンタの案内で、全軍は地下通路へと行軍を始めた。
やっと動き出せてホッとしている歌人フライオとは対称的に、兵士たちの顔色は鉛のようだ。
それも無理の無い話で、司令官とはぐれただけでも心細いのに、彼らを戦地に誘おうという男は、戦場の管理などまるきり頭にない無責任男なのである。
今しがたも彼は、こう発言したのだ。
「敵が居るところに行きさえすれば、あとは敵と相談して何とでもなるだろう」
「ふざけるな。 ダンスの相手じゃあるまいし、音楽がかかったら仲良く踊ってくれってかよ」
「やってられねえぜ」
最初は威勢良く文句を並べていた兵士も、地下道の入口に着くと、言葉を失って立ちすくんだ。
軍隊を通すための道と言うから、もっと立派な地下通路を想像していた彼らの目には、その入口は子供の砂遊びのトンネルを拡大しただけにしか見えなかった。 砂山の底辺部に無造作に開けられた穴は、振動があれば遠慮なく崩れて来そうだ。
「ここは、地獄の一丁目‥‥」
「埋まって墓に入るのか、墓に入ってから埋まるのか」
情けない言葉が、つぶやきになって漏れてくる。
「母さん、待たせたね。 やっとそばへ行けるよ‥‥」
「ハンナ、すまない。 天国でも愛してるよ」
「ええい、祈るな辛気臭え。 さっさと入んな」
フライオが叫んで,竜弦を行進曲のリズムで爪弾き始めた。 途端に兵士たちの足が動き始める。
威勢の良い靴音に反比例するように、表情は半泣きの兵士が、次々と粗末な穴の中に消えて行った。
旗持ちの少年たちがやはり泣き顔になりながら、列のあちこちであわてて照明を掲げる。
2万人の兵士が全て通路に侵入し、外界の音も光も、気配でさえも消え果てて久しく思われた頃、異変が起こった。 松明の明かりが、ここでも前でも後ろでも、それぞれ揺らいで、ふっ、ふっとひとつずつ消え始めたのである。
頼みの綱とも言える光源に裏切られて、恐慌を起こした兵士たちが、悲鳴に近い声を上げる。もう平静を保つことが出来ない者が泣き出す。
そして更に恐ろしい感覚が、彼らに襲い掛かって来たのである。
身を切るような寒さ。
吹き付ける雪の感触。
風が吹くわけもないこの地下通路にあって、兵士たちの体は激しい吹雪に苛まれていた。
ガクガクと体を震わせるだけで、彼らに逃げ場は無い。 暑い砂漠から歩いて来たので、汗ばんだ衣服が凍ってガチガチに固まって行く。
「うわああああ」
突然大きな声で泣いて暴れ始めたのは、ヴィスカンタと共に極寒の魔窟から逃れてきたばかりのティティである。 彼は暗がりの中で闇雲に脱出しようと走り出し、何人かの兵士及び壁面と衝突した挙句、周囲に取り押さえられた。
「もういやだ、もう寒いのはいやだぁ! 勘弁してくれ、何でオレばっかり2回もこうなるんだよ!」
(またあいつがわがままを言い出したか)
ヴィスカンタは舌打ちして立ち止まった。 ティティの忍耐力の限界は他の者に比べて早すぎる。
しかし、この状態では全軍が同じ恐慌に陥るのは、時間の問題である。
ヴィスカンタは馬を静かに早めて、フライオと肩を並べた。
「歌人どの、どうするおつもりですか。
全軍の大半が、充分に防寒具を備えておりません。 このままでは出口まで保ちませんよ!」
「まあ、出口まで行く気はないからなあ」
歌人の返答はのほほんとしており、感情の起伏の少ないヴィスカンタでさえ危うく相手の襟髪をつかみそうになった。
「モタモタしてると死人が出ますよ!?」
「シーッ」
暗がりでわかりにくかったが、フライオは口に人差し指を当てて静かにしろと合図をしているらしい。
旅装束のマントの中に、ポータの小さな体をすっぽりと包んでやっていた。
そのマントから声がした。
「オッチャン、わかったよ」
「オッチャン言うな。 誰だ?」
「ルーテルだ。 捨て子の歌!」
「いっちばんセコい奴だな」
前奏は無かった。 歌人は唐突に歌い始めた。
兵士たちが、その声量と澄んだ声質にびくりと体を震わせる。
物悲しいメロディは単純で、後ろをエコーで追いかけられるように作られた歌だった。
雪の夜更け (雪の夜更け)
狭い路地で (狭い路地で)
母は言った (母は言った)
ここで待てと (ここで待てと)
食べる物は (食べる物は)
既に尽きて (既に尽きて)
母はそれを (母はそれを)
購うのだ (購うのだ)
もともとピカーノの部下たちは出発の時、歌人が歌う時に繰り返し部分を一緒に歌えと命令されている。 歌声が初めは静かに、少しずつ音量を増して歌人の音を追いかけた。
歌うほどに彼らは寒さを忘れ、脳裏に広がる情景に心を奪われて行った。
母を待つ幼い子供は、雪の中でも言われるままにそこを動かず待ち続ける。
朝を迎え、次の日の夜を過ごす頃には、体が衰弱して生命の危機に瀕している。
見かねた町の者が、店先に入れて暖を取らせてやるが、子供は母が迎えに来た時に発見して貰えぬことを不安がり、またもとの場所に戻ってしまう。
その際に空腹に負けて、店の物をひとつ盗んで行くのだが、これがばれて打ち据えられ、店の前に転がっていると、立派な馬車に乗った男に寄り添って、豪華な身なりをした女が通りかかる。
子供と一瞬目を合わせ、すぐに逸らしたその女は、その子が待ち望んだ母だった。
子供の心に憎しみがせり上がり、その口を罵倒の叫びで満たす。
女はあわてて男を急かして、馬車を駆って行ってしまう。
子供は泣き叫び、地面を思い切り叩く。 叩いた地面の上で、凍傷を起こした小指が腐り落ちる。
その指を拾い上げ、1人の魔導師がその子供に言った。
「母を殺せる呪文を教えてやろう」と。
魔導師ルーテルはそうやって生まれた。
彼は腐り落ちた指と引き換えに、母親に復讐する術を得たのだった。
歌声が、魔導師の名前を呼んだ途端、吹雪がピタリとおさまった。
凍てつく寒さがウソのように消え、どんなに工夫しても灯らなかった松明の先に、炎が静かに盛り上がって来る。 明るくなった地下通路の行く手には、ひとりの魔導師が仁王立ちになっていた。
彼は伸ばした両腕で次々と呪印を結ぶが、何故かどの印も効果を表さない。 顔色を変えて兵士たちと自分の背後の闇を交互に見る魔導師ルーテルに向かって、フライオが言った。
「あんたの『誓恨』は今、破られたんだ。
俺たちになんの魔道もきかねえよ。 あきらめてここを通してくれ」
オレリオ情報でわかった一番重大な事実は、魔導師が魔界と契約している、その方法だった。
彼らは自分の一番苦しかった思い出をひとつ、誓恨として魔王に捧げ、上位の魔導師にその弱みを握らせることで、魔道の世界と契約している。
自分の誓恨を握る相手には魔法が通じないので、彼らは自分のそれを決して他人に知られないように口を閉ざしているのだ。
魔導師はあきらめなかった。
懐から出した黒い懐剣のような物を投げようとして、駆け寄ったヴィスカンタに取り押さえられた。
「殺しますか、歌人」
「やめとけ、労力の無駄だ」
「しかし危険でしょう。 ほらこのナイフ、毒が塗ってあります」
「でも殺したってミンチになるまで追っかけて来るんだろ」
「そうですよね。 箱詰めにして置いて行きたいですね」
ヴィスカンタが取りあえず馬の食み布でルーテルの両腕を後ろでに縛っていると、
「兄やん、ちょっとおいらに見せてよ」
ポータが馬を飛び降りて駆け寄って来た。
「おい、この餓鬼ゃあ。 なんで俺がオッチャンなのにこいつは兄やんなんだよ?」
馬上からフライオが怖い声を出す。 どうでもオッチャン呼ばわりが許せないのだ。
ポータは歌人を無視して、転がったまま悔しさに地団太を踏んでいる魔導師ルーテルを見下ろした。
「箱詰めは無理だけど、おいらが『まあるく』しようか?」
「まあるく、とは?」
ヴィスカンタが問い返す。 ポータはうまく説明できないらしく、瞬きを繰り返してから首を傾げた。
「わかんないけど、ちっちゃくして、まあるくして。
そうだな、ここには女の人がいないから、馬の腹に入れちゃえばいいよ。
そしたら来年は子馬が生まれるよ」
「そんなことが可能なんですか?」
「そいつはずいぶん上級の魔法なんじゃねえか?」
ヴィスカンタとフライオが顔を見合わせる。 どう考えてもこんな子供が使う術としては高度すぎるように思えるのだ。
「上級とか下級とかは関係ないよ、おいらしかできないんだ。
妹が赤ちゃんの時に病気で死んじゃって、母ちゃんが泣いてるからなんとかしたくってさ。
まあるくして母ちゃんの腹の中に戻したら、それから3日経って、魔導師が迎えに来たのさ」
つまり、魔導師の修行をしないうちに、この子は魔法が使えたということなのか。
「知らなかった。 お前、天才児かよ」
感心して口をぽかんと開けたままのフライオの目の前で、ポータはルーテルの体に魔法をかけた。
薄緑色の光に包まれたルーテルの体は、徐々に小さく丸くなって行き、最後には握りこぶしくらいにまで縮んだ。
ポータはそれを杖の先でそっと持ち上げ、フライオの乗った母馬の腹に静かに差し込み、
「兄やんの乗ってるその子に、弟が出来るよ」
そう言ってくすくすと笑った。
ううう、狭い地下通路に2万人。
そもそもこんな作戦不可能か?しかも全員がコーラス要員でしかないってのは。
せめて踊るとか‥‥いや、とにかく狭くてダメなんですよう!