9、合流
さて、歌人フライオが、敬愛する従兄弟との再会を喜んでいた、丁度同じ頃。
歌人と同行するはずであった、ピカーノ分隊2万余人の兵士たちは、得体の知れぬ民衆に取り囲まれ、沸き起こる熱狂的な歓声にさらされて途方に暮れていた。
異様に気温が高い。
黄ばんだ色の空からは、さえぎる物のない太陽の輝きが大地をからからに乾かしている。
「この暑さ‥‥。 予定通り、セイデロスに来れたんだよな、俺たち‥‥」
「たぶんそうだろう、ほら、あっちに噂の砂山が見えるぜ」
王都を飲み込んだ砂の山は、近くで見ると思った以上に巨大で、圧力を感じさせる代物だった。 この大きさなら、国内のどこにいても山の姿が目に入るだろう。 そしてその日陰のあちこちが、現在のセイデロス市民の新しい生活の場になっているらしく、山のふもとには粗末なテントの集落が見えた。
兵士と市民たちが居るのはも、そんな山陰の一角だった。
砂漠と同じ材質の砂の上に、転々と民家が出来ている。 その真ん中にある広場のようなスペースに、彼らは集まっているのだ。 そして、高いやぐらの上に居る数人の人影を見上げながら、兵士たちを囲んで大騒ぎで何かを叫んで笑っているのである。
兵士には、自分たちがまとめてここに移送されたということはわかっている。
同時に、何故だか分隊司令官のピカーノがいないこと、頼みの綱の歌人フライオの姿もないらしいということも、辺りを見回しているうちにわかって来ていた。
しかし、何故その状況で、セイロデの市民がこれほどまでに熱狂し、涙を流さんばかりに喜ぶのかとなると、さっぱり見当がつかないのだった。
難民となったセイロデ市民たちは、擦り切れた雑巾のような服をまとい、顔中に生活に疲れた皺を宿しながらも、大声で歓喜を叫び、笑い、踊っていた。
「これ絶対、バンザイ、バンザイ、とか言ってるよな」
「多分そうだろうな」
「俺たちを見てか」
「だろうな」
「なんでだ?」
「俺に聞くな」
市民の言葉がわからない兵士たちが、互いに不毛な会話を重ねているうちに、歓声はひときわ大きくなった。
次の瞬間、突然静寂が訪れた。 あまりに見事に静まり返ったので、自分のカラダがおかしくなったかと勘違いした兵士たちが、耳をほじったり首を振ったり、「あー」と声を出したりしはじめた。
人々が沈黙したのは、やぐらの上に台座を置いて座っていた初老の男が、立ち上がって手を挙げ、皆に挨拶を送ったからであった。
辺りが静かになると、男はその沈黙に感謝して頭をひとつ下げ、胸を張って演説を始めた。
凛と張り詰めた声、落ち着いた口調は風格を感じさせる物ではあったが、言葉のわからぬ兵士にとっては呪文と同じである。 それは彼らの耳には、こんな風に聞こえた。
「シークァ! イロナワン・カェスタリ・ヨドニロ・ミースロイデン・ニアン・イニエハリツワーロ・イーノワン・カ・ミトスゴーラ!」
「ミトスゴーラ!」
市民が一斉に唱和した。
「お、おい。 今、竜神と言わなかったか?」
「‥‥い、言った。 きっと‥‥多分」
「なんで竜神だよ? セイデロスに竜神信仰って‥‥あ、あるのかな」
「俺はよく知らん」
「お、俺もだ」
兵士たちが動揺してまた口々に囁き始める。
「ロアネ・スイタイド・エーレン・ゾフレントニーア・ノイン・セレイターラカットス・イーノワン・カ・ミトスゴーリオン!」
「ミトスゴーリオン!」
一斉に唱和する声を追って、はじけるような拍手が沸き起こった。
「聞いたか? 竜使いがいるらしいぜ」
「まさか俺たちのことじゃないだろうな」
迫力と不安に怯え、兵士たちは極力固まって寄り添うように立ち尽くしている。 2万という人数にはとても見えないささやかな空間にひしめいたその中に、ひとつの声が次の波紋を投げかけた。
「おい! あの後ろにいるふたりは、カラリア人に見えないか?」
あの後ろ、と言うのは、やぐらの上に立った長老らしい男のすぐ背後にあたる場所である。 そこにはふたりの青年が、背すじを伸ばして立っていたが、その服装は確かに、カラリア正規軍のそれに酷似していた。
「あれがカラリア人なら、俺たちに通訳を……」
言いかけた言葉が、嵐のような喝采に引き裂かれた。
兵士たちが仰天して沸き立つ群衆に目をやり、その結果、市民の視線が今度は間違いなく自分たちに注がれているのを知って蒼くなった。
「なんだこいつら。 俺たちに何をやれって……」
「や、やめろ。 なんか怖いぞお前ら」
期待に輝く表情で一斉に見つめられて、兵士たちは逃げ出さんばかりにうろたえた。
「サルデヴァー!」
長老らしい男が叫んだ。
「サルデヴァー! サルデヴァー! サルデヴァー!」
天を揺るがす唱和の声、それに続く拍手と歓声。
不安に耐えかねて悲鳴を上げたり耳を塞いだりする兵士たちに向って、今度は手拍子が起こった。
「お、お次はなんだ?」
「よくわからんが、これは出征を見送ってるんじゃないか?
頑張って来いよお、万歳万歳って」
「遠征に来たんだから、そこは間違ってないが」
「大間違いだろ? 俺たちは出征はしたが、この連中のためじゃないぞ。
第一、司令官なしで何を頑張ればいいのか誰かわかるのか」
「わかるもんか、おーい誰か説明してくれ」
ついに兵士たちの中から抗議の声が上がり始めた。
すると壇上のカラリア人が動いた。 二人は急ぎ足でやぐらを降り、兵士たちのもとに駆け寄ってこう言ったのだ。
「全軍、気をつけ! 敬礼ッ」
カラリア公用語であった。 反射的に敬礼をする兵士たちに、控えめに答礼を返したのは、二人のうち年かさの方の、黒髪に黒い瞳を持った男である。
「諸君、突然の騒ぎで驚いたことと思います。
私はアイゼル・ヴィスカンタ。 辺境警備隊第16部隊エルヴァ分隊の副長であり、ギリオン・エルヴァ分隊長の副官をつとめておりました」
目下の者に対するとは思えぬ丁寧な言い回しで、青年は身分を明かした。
「ギリオン・エルヴァの!」
兵士たちが息を飲む。 ただし、拍手と歓声の音量に消されて、最前列の数人にしかヴィスカンタの声は届かなかった。
「実はわれわれは、任務のために王都へ帰還したのだが、クーデターの事実を知らなかったために魔道師に捕えられ……ああ、うるさい連中だ、聞こえやしない」
あまりのやかましさに、ヴィスカンタは首を振ってしゃべるのをあきらめてしまった。
その時だった。
救世主は現れた。
聞き覚えのある竪琴の音が、兵士たちの耳を心地よく打った。
深みと艶のある歌声が、突然溢れるように流れて来た。
赤い光が広場をまっすぐ貫く。 一瞬の後に、耳朶を叩く蹄の音。
「あッ」
「来たか」
「やっと来てくれた、助かった」
主語は不要だ。 兵士たちが安堵と興奮を同時に噴出させて、大騒ぎを始める。
その声は市民の手拍子の音を凌駕し、ついにそれらをかき消して沈黙させてしまった。
歌人フライオは黒馬に乗って現れた。
一気に減速する騎馬の足元に赤い光が飛び散り、尾を引いて広場の民衆を後退させる。
一頭目の黒馬に、赤い幻のような竜弦を鳴らすフライオ。 後に続く一頭に、小さな赤毛の男の子が必死でしがみついていた。
「フライオ!」
「歌人どの」
兵士たちが駆け寄って馬の轡を取る。 フライオは馬を降りるや、あたりを一瞥して巨漢の隊長の姿を探した。
「ピカーノはどうした? でかいくせに目立たんやつだな」
「ご、ご一緒じゃなかったんでありますか?」
傍らの兵士が落胆した声で言う。
「一緒なもんか。 さてはあの音痴、旗本隊へ置き去りになったか」
フライオが苦笑して、そのあと溜息をついた。
「こいつは大変だぞ。 司令官がいねえ兵隊を任されちまった」
「オッチャン、あいつもいないよ」
馬から抱きおろしてもらったポータが、歌人の足元に駆け寄って告げた。
「オッチャン言うな! 誰がいねえって?」
「ギリオン・エルヴァがいなくなったよ」
フライオは驚いて、ポータの乗って来た子供の方の馬を見直した。 歌に乗って移動するためには、フライオが先頭の方が都合がいい。 そう話し合って歌人が親馬に乗り、ポータとギリオンが追走馬にのることにしたのだ。 その追走馬に、ポータしか乗っていないということは。
「リズムに遅れたのか……。 いや、ありえねえ。
音楽にも馬にも、あんなにきれいに乗る奴は見た事ねえってくらいだった。
第一、馬と同乗したポータが来てて、リズム取ってたギルが来てねえってのはおかしいじゃねえか」
考え込むフライオの足元で、ポータが小声で言った。
聞こえないくらいの小さな声だったのに、歌人の憎むべき聴覚はその声を拾ってしまった。
「だからさ。 竜神の陣営に入れないんだよ、あの人は」
遅くなって申し訳ありません。 活動報告にも書きましたが、パソコンが完全に沈黙したため、苦労しております。しばらく更新期間がばらつく恐れがありますのでご了承くださいませ。