2、爆笑最前戦
ボッカルトの市中憲兵隊駐屯所は、大きな建物ではないが、過ごしやすく美しいレンガ造りの建造物である。
司令室の隣に急遽準備して貰った小部屋に、天窓から暖かい光の帯が数本下りている。
木製のテーブルの真ん中に、水鏡の代用品であるミニチュアの水槽が置かれていた。
王太子イリスモントとと親衛隊長キャドランニ、歌人フライオと兵卒のユナイは、水槽を取り巻くように腰掛けて、そこから流れ出た言葉の衝撃に囚われていた。
「その通り、わたくしはセイデロス国王、ディン・ドビリアンの妻、ダリマナです。
でもこのことは、おまえたちと“牙”だけの秘密にして置いて欲しいのだけど」
水槽の狭い水の中に浮かび上がっているのは、濃厚な化粧と露出の多い服で身を飾った、若い娘である。
キャドランニが低い声でうなった。
「いや秘密にすると言っても‥‥」
「公表されたらまずいのよ。 わたくしは今、死んでしまってなければおかしい人間なんですもの」
「おいユナイ、こいつら駆け落ちでもしたのか」
歌人がこっそりと隣の少年兵に囁く。 ユナイは言いにくそうに下を向いた。
「いえ、違います。 そのう‥‥もっと偶然っていうか‥‥」
「逢引か? 城の外で乳繰り合ってる最中に、城が埋まっちまったんだな?」
色事に精通した歌人に遠慮も情緒もない表現で言い当てられ、ユナイが赤くなってうなずく。
王太子が立ち上がって頭を下げた。
「ダリマナ王妃、知らぬとは言え、挨拶が遅くなって失礼した。
オギア3世の長子、イリスモントと申します」
「知ってるわ! 世界一複雑な王子様よね。 ずっと会ってみたかったの。
ねえ、こんなにハンサムなのに、ホントに女の人なの?」
ダリマナが屈託なく顔を輝かせ、聞きにくいことをずけずけと並べるので、キャドランニが天を仰いで見せた。
王太子は例の如く、細かいことには頓着しない。
「ええ、残念ながらホントに女です。
実はうちの王宮にも、城を抜け出すのが好きな妃がひとりおりまして。
気が合いそうなのでそのうちご紹介申し上げる」
「ぷッくくく」
フライオが笑い出した。
「時にダリマナ王妃、わたしの記憶が正しければ、あなたは砂漠の国アフチョバの皇女であられたはずだが」
イリスモントが真顔になって質問した。 ダリマナ妃が笑い出す。
「皇女だなんて。 アフチョバは国じゃないわ、わたくしはただの族長の娘よ。
だから、もともと王宮暮らしなんて性に合わなかったの。
でもこの結婚は、セイデロスと隣接した領土で暮らす一族の安泰のために、絶対必要なものだったの。 なのにこんなにあっけなくセイデロス自体がなくなってしまうなんて」
「国にお帰りになるおつもりは?」と王太子。
「考えてはいるのだけど」
王妃は肩をそびやかした。
「出戻りってだけでいろいろ周りが面倒臭いのに、スキャンダル付きじゃどうにも敷居が高くてね。
でもね王子さま、これだけは聞いて。
アフチョバの一族は、砂漠を渡る人たちを相手に商売をして来た民族で、セイデロスは本当にいいお得意様だったし、代々の王様にとてもよくして貰ったの。
わたくしディン・ドビリアン陛下本人は好きになれなかったけど、セイデロス王家には感謝してる。 だから、もしカラリアが魔導師たちと戦うのなら、アフチョバは文句なくカラリアの味方をするわよ。その時はわたくしも一族に戻って、父や周りの家長たちを説得するわ」
ならすぐにやってくれ、と口を突いて出そうになった言葉を、誰もが飲み込んだ。
イシュルドがダリマナ妃をおしのけて水槽の画面に入って来たのだが、その時一瞬、王妃の全身が水鏡に映し出された。
(腹がでけえんじゃねえか!?)
フライオが無言でキャドランニを肘で突付く。 ユナイもあっけに取られた顔で、画面に出て来たイシュルドを憐れむように見つめた。
「‥‥すまんな、ユナイ。 こういうことなんで、今はまるで動きが取れねえ」
「イシュルドさんの子ですか? それとも陛下の‥‥」
「生まれてみなきゃ、わからんねえ」
フライオが口の中で何かつぶやいた。 どうも、“ヘタクソめ”と毒づいたようだった。
「イシュルドさんに聞きたいのは、ゴアルド将軍のことです」
気を取り直したユナイが、さきほどの戦闘の様子を説明してから、質問に移った。
「何でゴアルド将軍が、セイデロス王の首を背負って現れたんでしょう?
あの方もセイロデで亡くなったものと、僕は思ってましたが。
それからあの黒馬です。 エルヴァ準‥‥じゃなくてファディーロとやった賭けは、その後どうなったんですか?
片目はもうダメだろうって、ファディは言ってましたが」
「そうそう、お前に話すのを忘れていたっけな」
イシュルドはひとつひとつ説明を始めた。
「まず、あの馬。 つむじ風という名前なんだがね。
お前の竜使いが予言した通り、その後10日ほどで片方の目玉が腐り落ちてしまった。
コイツは大変、賭けに負けちまうってんで、慌てたゴアルドはもとの馬主に兄弟馬を送ってもらう相談をしに行った。 そこを俺たちが嗅ぎ回ったもんで、悔しがるやら嫌がらせをして来るやら、大変だったんだぜ」
「つまり‥‥残念なこととか、執着が残った物が、あそこにあんな形で出てくる‥‥そういう魔法か」
王太子が呟いた。
「ということはあの将軍、国王を討ち果たして自分がのし上がりたいと思っておったということか。
どう思う? イーノ」
「そりゃああったでしょう。 たった十年前まで、あの国は雨後のタスの芽みたいに武将が頭の出し合い、殺し合いのフーガをやってたんですからね。
『あと5年あれば俺だって』くらいのことは、今でも思ってるもんでしょう」
「あの男、与えられた首を赤子のように大事に背負っておった。
つまり、そういう魔法だ。 死者の無念を餌にするのだ」
水鏡の通信を切ってから、王太子はフライオと親衛隊を円陣に集めて、今後の作戦を伝えた。
「まずこれ以後、死者の相手をする時は、あの腐臭漂う連中は無視して、将軍格の男だけを狙うことにしよう。
さっきの歩兵の中には、将軍のように妙な物を背負ったり、怪しげな物にまたがったりしている者は一人もいなかった。 つまり魔導師たちは、洗脳魔法をトップひとりにかけて、そのひとりが死者を統括するように操っているということだ。 イケニエの消費量を抑えるために、いろいろ工夫しておると見える」
「なるほど」
イーノ・キャドランニがうなずいた。
「では今後、ゾンビが現れたら、戦闘が膠着するようにして時間を稼ぎ、こっそり刺客を放って将軍を討ちに行かせます」
「それなら直に魔導師に刺客を放ちゃいいじゃねえか」
フライオが言うと、王太子はふふんと鼻を鳴らした。
「地下道にいたあの子供くらいのレベルなら、それでも良いと思うが、ストーツ級を暗殺するのは容易ではないぞ。
ああ、それとユナイ。 水槽で王都のピカーノたちに連絡を取って、兵士の編成が終ったらこちらへ出発するように言ってくれぬか。
普段は3日以上かかる距離だが‥‥そうだ、フライオ!」
「へ?」
「そなた、竜弦をどのくらい使いこなせる? できることを言ってみてくれ。
兵士の移動時間を短縮出来るか?
戦場の天候や風向きを変えられるか?
不特定多数の人間にメッセージを出して、集めたり散らしたりできるか?」
フライオは口をぽかんと開けた。 考えたこともないことばかりだった。
「どれもやったことがねえんだが‥‥」
「ではこれから全て試してみてくれ。
それとな。 あの洞窟にあった竜の皮だが、あれをわが軍に譲ってくれぬか」
「どうすんだ、あんなゴミ」
「竜の皮は丈夫で矢も剣も通さない。 加工するのが大変だと思うが、縫製に成功すれば帷子の代わりになるだろう。 火にも熱にも強いから、テント布にもなる。 重くて運びにくかった盾の軽量化も計ってみるとしよう」
(この短時間で次々と‥‥。 なんとパワフルな女だ)
フライオは笑いを漏らした。
その時である。
「王太子殿下に申し上げます!
さきほどの赤い将軍が、新たな死者の兵士を率いて市中に現れました。
こ、この兵士の中には、先ほど戦死したわが憲兵隊の者まで混じっております!」
ドアを激しく叩いて、憲兵が伝達した。
「廃物利用が始まったか」
王太子がゆっくりと立ち上がった。
「今度は我らも出陣しよう。
ユナイ、何か得意な武器を身につけて、私の隣へ控えてくれ。
お前の知識はここにいるおっさんたちより断然使い物になるぞ。
フライオ、ひとつずつ全部試すから頑張ってみてくれ。 では、出陣準備開始!」
立ち上がった一行の耳を、戦闘の始まりを示す兵士たちの怒号と雄たけびが、荒々しく叩いた。
キャドランニが駐屯所に掛け合って、重くて持って来れなかった盾と鎧を借りて来る。
同じく借り物の竜頭馬に鞍を付け、大急ぎで装備を身につけてからまたがった。
「フライオ! 兜くらい付けてくれ、危ないぞ!」
歌人があまりに軽装なのにあきれて、王太子が声をかける。
「勘弁してくれ! こちとら馬に乗るだけで結構苦労してんだ。
この上重いものをくっつけて声なんか出せるわけねえだろッ」
「しかし、それではあんまり危険が」
「ここにあんだよ!」
フライオは、自分の目の前の空間に手を伸ばし、カーテンを開くような仕草をした。
とてつもなく深い音色が、唐突にその手の中から発された。
背骨に何かを差し込まれるような、強烈な音色があたりに響き渡る。
竜弦の竪琴の音色。
それは一瞬で戦場に届き、雄たけびを上げてぶつかり合っていた兵士たちの声を途切れさせた。
「なんだ、これは!」
熱い塊が、生きている兵士の心臓を揺すりたてた。
「なんだ、これは!」
胸が熱く燃え、腹わたがたぎり、力が腕にみなぎってくる。
不意に笑い声が沸き起こった。
剣を持った兵士たちが、揃って笑い始めたのだ。
戦場に沸き起こる不敵な爆笑。
「ひとまず出来そうだぜ、不特定多数にメッセージってやつ」
歌人フライオが得意げに王太子の顔を見る。
「結構! ははははは」
王太子も笑い出した。 理不尽に感じるほどのパワーが全身をたぎらせている。
「わッははははは」
後続のキャドランニとマルタが爆笑した。
「出陣だ! わーはははははは!」
「セイ・ヤー!ッははははははは!」
戦場は敵も味方も入り乱れての接近戦だった。
制服を着た憲兵の中にも、死者の仲間入りをした者が多数おり、見た目の判断はほとんどつかない。
しかし誰も間違える者はいなかった。 笑っている者だけが味方だったからである。
やっと王太子参戦。でもまだこの人数ですから、本戦じゃありませんね。
まずはフライオの使い方を実験しながらボチボチです。
そのうち王都の連中が追いつくでしょう。
“牙”はどう動くかな、まだ決めてません。