13、カラリア軍相打つ
「この山脈全体が、竜だと」
イリスモントは愕然とした。 信じがたいことだと思いはしたが、それがどのくらい荒唐無稽な話であるのかは、即座に見当がつかなかった。 一つ一つ、自分の言葉にしながら確認する。
「歌人よ、このオルムソ山脈は、カラリアが始まる300年前より昔から存在する。 いや、歴史の書物によれば、億のつく年数を経た山であったはずだぞ。
生き物がそのような状態で、何億年も生きながらえる物なのか?」
「俺は学がねえから、あんまし詳しいことはわからねえが、竜ってのはただでかいだけの生き物じゃねえと思うんだ」
言いながら、フライオは手を伸ばして、壁と化した竜の目の下辺りを、軽く掻いてやった。
「猛獣の特別でかいヤツとは違うの。 そこが神様たるゆえんってやつだ。
竜の生きてる次元は、俺たちとは全然違うんだ。 だから、ここに寝そべってても、空を飛んでる姿が見られたりすんじゃねえか」
王太子が小首をかしげた。 思いがけず可愛らしい仕草に、歌人が思わず破顔する。
「よくわかんねえか。 まあ、俺だってあんま判ってねえんだけどな。
竜のすげえとこは、場所とか距離とか、そういうもんの枠が全然ねえことなんだよ」
「場所と距離に縛られぬ生き物‥‥」
「そう、だから俺の歌は、竜に出会ってから、距離の力が効かなくなっちまった。
遠いか近いかは関係ねえ。 人の思いが渦になってるところを目指して広がるんだ。 ちょうど、水の中にインクを流すみてえにスーッと」
「‥‥それが竜使いの力か」
「もうひとつある。 距離がないって事は、時間の枠も外れてるって事だ」
「どんなふうに?」
「ええと」
フライオは何か実例を挙げようとして中を睨んだが、何も浮かばなかったと見えて頭を掻いた。
彼にすれば、このような説明を他人にしたこと自体が初めての事で、それだけで体が火照るほど高揚していた。
が、次の瞬間、彼ははっとして口をつぐんだ。
「‥‥誰かが呼んでねえか」
「え?」
反射的に耳を澄ましたが、王太子には何も聞こえない。
「大勢でモニーを呼んでる。 モニーだけじゃねえ、いろんなヤツが呼ばれてるんだ。
こいつは何かあったな」
「イーノたちが心配しておるだけではないか? 黙って出て来たのだから」
王太子は楽観的に言ったが、フライオは首を振った。
「そんなんじゃねえぞ、こいつは戦だ。
でかい声の将校が、第一級臨戦態勢だと騒いでるぜ」
「サルキシアン大佐が?」
「間違いねえ、こりゃ敵襲だ」
フライオは王太子の手を取って走り出した。
あの長い道のりを走り抜けるつもりかと王太子は危惧したが、その必要はなかった。
「イリルヒー!!」
長い通路に駆け込んだ途端、甲高い大声で歌人が吼えた。
オン!
岩壁が音に反応して振動した途端。
ふたりの目の前に、見覚えのある壁が出現した。
マレーネが張り付いている、最初の穴である。
あまりにもあっけなく到着したので、マレーネのほうが移動したのかと、一瞬勘違いしたほどだった。
「こんな近道があったのか?」
王太子がぽかんとして訪ねると、フライオは困り顔になり、
「だから、ここは距離の枠がねえって言ったろ。 まあこんな感じのことなんだよ」
自分でもよく解らないらしく、説明をすっ飛ばしたのだった。
身支度を整えたフライオが挨拶に行くと、マレーネは悲しげに顔を曇らせた。
「もう行ってしまうのかい?
せっかく会えたのに。 せっかくいい女を連れて来てくれるようになったのにねえ」
「‥‥また会いに来るよ」
抱き合って別れを惜しんだあと、母と息子は妙な会話を始めた。
「竜弦を張ってお行き、フライオ。
この先お前には、きっと必要になるから」
「母さん、ヴァリネラが保たねえよ。 弦の力が強すぎて、ネックが曲がっちまうんだ」
「お前は頭が固いねえ」
母親は息子の手首をグッと握り締めた。
「せっかくあそこに弦を張ったんだから、竪琴を持って行けばいいじゃないか」
「できるのか」
「やってごらん」
歌人は母につかまれた手首をじっと見た。 王太子は覗き込んで驚いた。
そこには、赤い糸を張った小さな竪琴の形が、刺青のように刻印されていたのである。
彼はその手を宙に伸ばし、しばらく上を睨んでいたが、
「ああ、そうか」
何かを納得したようにうなずくと、その指をそっと動かした。
腹に響くような竪琴の音に、イリスモントがギョッと顔を上げる。
同時にフライオの手の中で、天井近くから張られた真赤な弦が振動するのが見えた。 それは振動している間だけ王太子の目にも見え、音が消えると見えなくなった。
「こういうことか。 なるほど便利だ」
「戦に持って行くんだろ」
「うん、ありがとう」
フライオはもう一度母親と抱擁した。
「殿下!!お待ち申し上げておりました、一大事です!」
滝壺の前で待っていたユナイ少年が、王太子と歌人の姿を見るなり駆け寄って来た。
その後ろで親衛隊長イーノ・キャドランニが、渋い顔で腕を組んでいる。 多分ユナイに王太子の居場所を聞いて、逃がさぬように出入口を見張っていたのだろう。
「何があった?」
王太子はユナイの肩を抱いてやり、質問はキャドランニの方にした。
キャドランニは硬い表情を崩さず報告を始める。
「例のモンテロスの難民たちが、カラリア正規軍に追われてついにオルムソを越えて来ました。
我々の要請どおり、憲兵隊が保護したのですが、その最中にカラリア軍が追いついて来て、憲兵隊とその‥‥いわゆる‥‥戦闘状態に‥‥」
「何を言う? カラリア軍同士ではないか!」
王太子が声を荒げる。
「そのはずなんですが、民間人とはいえ、敵国人を保護する者は賊軍であると‥‥」
「向こうが攻撃してきたのか」
「はい。 モンテロスがどうかは存じませんが、元来カラリアの軍隊は民間人に手を出さぬのが武人であると思っておりますのに、全く通じませんで」
「向こうだって、民間人を捕らえたって足手まといなだけだろう。 それとも最初から皆殺しのつもりで追って来たのか?」
主君の問いかけに、なぜかキャドランニは口ごもった。
「‥‥さ。 それもありかと。 連中は人を殺すたびに手駒が増えるようですから」
「なに?」
業を煮やした王太子は、親衛隊長の腕をつかんで詰め寄った。
「含みのある言い方をせずに、さっさと報告せぬか!!」
キャドランニは腹をくくったらしく、ゆっくりと詳細を話し始めた。
開戦の火蓋を切ったのはカラリア正規軍だったが、憲兵隊が応戦してしまったのには理由があった。
カラリア正規軍の半分以上の兵士が、カラリア軍装をしておらず、一見してモンテロスと他外国の混成部隊に見えたからである。
「しばらく剣を合わせてしまった後で、後方から指令を送る将校の姿が見えたのです。
それが噂の赤い甲冑の大将でして、しかもそのさらに後方には、魔導師の集団がうごめいているのが見えました。 そこでようやく、こいつはカラリア軍だったと気づいたという次第で‥‥」
苦々しく頭を垂れたキャドランニに、王太子がたたみかける。
「向こうが最初に抜いたのならもう仕方あるまい。 それはよいから、何故正規軍がそのようにバラバラな服装なのかを説明せよ」
「彼らのうち3分の1は、モンテロス兵の装備をしておりました。
残りの4分の1が、今や砂に埋まってしまったセイデロスの首都を守る、セイロデ正規軍の服装。 呆れたことに民間人も混じっておりました。
そして、彼らの顔色は土の色で、どう見ても生きた人間と思えるものではなかったのです!!
王太子殿下、魔導師どもは死んだ人間を自軍の兵士に組み込んで、廃物利用を行っています。
どうすればよいのでしょうか? 憲兵隊の面々は我々の要請のために、殺しても死なない死体の群れと、会戦を余儀なくされているのです!!」
ジャリッ、と砂の音がした。
王太子が、足の震えを抑えるために、地面に靴のかかとをもぐりこませた音だった。
オルムソの山の尾根を、突然雄たけびが叩いた。
オーチャイスの村の入口まで押しやられた憲兵たちが、残っていた村人を守るため、決死の覚悟で突撃を開始した声だった。
わーいわーい、戦争だぞ。 何をどういう手法で書いたらいいんだか、さっぱり解らんぞ。
参考に戦記物なども読んで見ましたが、まあなんというか、レベルが高すぎてどこを参考にしていいのかわかりゃしません。
ともあれ、放浪の章を今回で終わりまして、次回から第5章に入らせていただきます。
赤い甲冑の大将の正体は誰かとか、ギリオンくんは一体どーなっちゃったのかとか、そのあたりが段々と解かれていきます。
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