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千里を歌う者  作者: 友野久遠
情報と結束
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12、竜弦の竪琴

 砂地の水底から、砂ガニが立ち上がる時に似ていた。

 歌人フライオの声は最初、葉ずれや水の音、小鳥のさえずりと区別がつかなかった。 それがある瞬間、ふっと色づいて別の質感で浮き上がったのだ。

 不思議な歌だった。

 重みのある弦楽器の音色に乗せて、同質の柔らかな声が足元から沁み込んで来る。

 深いけれど暗くはなく、熱いけれど激しくはない。 体を揺する海鳴りのような旋律である。

 

 王太子イリスモントは、声のする方へ歩き出した。

 マレーネが張り付いている壁、すなわち竜の体表に沿って、岩壁の通路は長く伸びていた。 というより、竜の体が寝そべって洞窟を仕切っているので、そこに沿って歩かざるを得ないのである。

 暗がりで見ると、竜の体はわずかに赤く発光しており、そのため通路は真の闇になることを免れていた。

 道は洞窟の中とは思えぬほど長く真っ直ぐで、そしてとても暑かった。 竜の体温から来る熱気で、せっかく乾いた体がたちまち汗だくになる。 

 あんなに雪の降りしきる山中で、モンテロスの難民たちがなんとか生き続けていたのも、この竜の体温のおかげではないかと、王太子は思った。


 (フライオはこの熱気の中で、すでにひと晩以上を過ごしている。

  こんな、ろくに横になることも出来ぬ場所で)

 それは母親のためでもあり、竜のためでもあり、フライオ自身のためでもありはするだろう。

 しかし何より、彼にはこの村に来ても、他に居るべき場所がないのである。

 (無神経な真似をした)

 王太子の胸が痛んだ。 よく考えると、さっき助けて貰ったのに礼も言ってない。

 (好いた惚れたが聞いて呆れる。

  家臣ではないと口では言いながら、私は彼を利用してばかりいた。

  竜使いのフライオ、歌人のフライオ、頼りになり役に立つ男としてしか、認めておらぬかのようであった。 これでは愚かで浅まし過ぎるではないか)

 

 王太子の歩みは小走りになった。

 昨日来の疲れも筋肉の痛みも、まとめて意識の外に放り出す。

 いつの間にか滝の音は聞こえなくなり、音楽だけが岩肌を優しく震わせるようになった。


 歌人の姿はいきなり現れた。

 目の前の壁の湾曲した部分を曲がった途端、ぽかんとだだっ広い場所に視界が開けたのだ。

 弦楽器の音色が、まともに王太子の鼓膜を打った。


 天井が高い洞窟内を、壁の2箇所においてあるランプが明るく照らしていた。

 床には、巨大な赤茶色の薄紙のような物が雑然と積み上げられていて、床らしきものが見えているのは壁に沿ったわずかな面積だけだった。

 散乱したゴミ山のような紙のむこうに、ひどく幻想的な歌人の姿があった。


 粗末な木の椅子に浅く腰掛けて、フライオは巨大な竪琴を弾いていた。

 洞窟の高い天井につっかえそうな大きさの竪琴は、よく見るとフライオの実家に落ちていたおもちゃの竪琴と、そっくり同じ形をしていた。 ただやたらと大きいことと、琴枠が木の根っこではなく、動物の骨のような真っ白い物で出来ていたこと、そしてもうひとつ、ふたつの竪琴の印象がまるで違った理由があった。

 張られている弦の色である。

 巨大な白い琴枠に張ってあるのは、目を射るばかりに真赤な弦だ。 竜弦である。

 フライオの指先に弾かれて、赤い竜弦から流れ出るのは、心臓の裏側まで届くような深みのある音色であった。

 王太子はしばし息をするのを忘れて、その絵画のような光景を見つめていた。

 (フライオ、そなた、まるで草紙の挿絵のようだぞ)


 と、フライオが突然演奏をやめて叫んだ。

 「そこは床じゃねえッ!」

 「えッ」

 踏み出そうとした足を、イリスモントはあわてて引っ込めた。

 「この階は真ん中が抜けてんだ。 周りの出っ張りをぐるっと回ってこっちへ来な。

  こっから落っこったらまず助からねえぞ」

 「‥‥今日は階段と滝壺、2回も落ちてしまったからもうごめんだ」

 王太子は用心深く壁際を回り込んだ。 よく見ると、なるほどそこにあるのは床ではなく、言うなれば壁の出っ張りのようなもので、紙くずの山は、床よりもずっと下の暗がりからそそり立つように溢れて来ている。


 「ということは、この赤い物は、下から蓄積されてここに頭を出しておるのか?」

 手を伸ばして触ってみると、薄っぺらい割に丈夫そうな感触で、しかも見た目よりはずっと柔らかい。

 紙よりは布に近いが、つるんとした光沢があって布らしくない。

 「竜の皮だよ」

 フライオが言った。 彼は立ち上がって壁を伝い、王太子を迎えに来て手を差し出していた。

 「竜はここで3年に1度脱皮して生まれ変わる。 その直前になると体がこんなに熱くなって、何て言うか、ちょっと苦しむんだ。

  だから、少しでも眠れるように、ガキん時もこうして歌を‥‥ッわああッ?」

 フライオの声が悲鳴になった。

 その首に、いきなり王太子がしがみついたからだ。

 後ろに壁がなければ、押し倒されていたほどの勢いだった。


 「い、一緒に落ちる気かよ?」

 「またそなたに助けられた。 もう何度目かわからぬ」

 歌人のマントに顔をうずめて、くぐもった声で王太子が言った。

 

 「フライオ、私の歌人(カナルー)、そなたにはいくら感謝してもし足りぬ。

  だのに何も気遣ってやれなくて悪かった。

  そなたの力が必要だったが、それが目当てで一緒に居るのではない。

  竜使いで居るのが辛ければ、歌人としてでなくて良い。 ただの友人として、私のそばにいてくれ」

 「モニー‥‥」

 「母親殺しなどと、心無い言葉はもう誰にも口にさせぬ。

  そなたの名誉は私が守るから‥‥だから、だから‥‥頼むからここに残るなんて言わないでくれ。

  これからも一緒だと言ってくれ。 私は‥‥私は」

 「もういいよ」

 イリスモントの震える肩を、フライオの掌がしっかりと包んだ。

 「もういい。 もう大丈夫だ。

  俺はあんたの歌人(カナルー)になる。

  あんたのために歌う。 恋の歌も、戦の歌も」

 

 王太子が顔を上げて、歌人の瞳を覗き込んだ。

 「本気で言っておるか?」

 歌人がゆっくりうなずいて、腕の中の王太子の頭をなでた。

 「本気だよ。 初めからヤバい感じはしてたんだ。

  捕まったんだよ、あんたに」


 フライオの腕の中で、王太子がうっとりと目を閉じた。

 口づけを待っている様子が、ずいぶんそれらしくなって来た‥‥と、歌人が喜んだのも束の間。

 回した腕で、後ろ頭をグイッと捕まれて仰天した。

 「まッ、待っ待っ待て待てちょっと待てッ!」

 近づいて来るイリスモントの顔面にブレーキをかける。

 「なんだ?」

 「そ、その。 今日はちゃんとした、もとい、ゆっくりじっくりやるから。

  とりあえず、その『グイッ』はやめねえか」

 「どういうことだ?」 

 「ううううん、だからだな。

  いきなり舌を入れるとかは、ナシにしよう」

 「何故?」

 「ええーと、軽くマナー違反ってか、い、いや、先にやったのは俺なんだが。

  ちょっとジョークだったんだ。 だからその‥‥ええい、そんなに一生懸命人の顔見るんじゃねえよ!」

 フライオはへどもどして、その場しのぎと言う不純な動機から、結局どのへんが『いきなり』でないのかわからないような接吻テクニックを展開してしまったのだった。



 「一体、竜と言うのはどのくらいの大きさなのだ? 一向に全体が見えて来ないのだが」

 洞窟内を見回して、王太子が質問した。 壁際へ寄って、竜の皮膚をしげしげ見ている。

 フライオは苦笑した。

 「全体を見るのは無理だ、でかすぎるからな。

  さっきの滝の入口辺りが腹の真ん中で、その先一周回って戻って来て、細長く寝そべってんだ。 で、頭はここだ」

 「頭と言うが、鱗しか見えぬぞ」

 「そこに目がある」

 フライオの指差す先にあるのは、そこだけ真っ白い色の壁だった。 ガラスのはまった窓のような物の向こうに、白い壁が広がっている。

 

 「これは‥‥もしかして、白目の部分なのか」

 王太子が言った途端、壁の左端から光沢のある黒い物がのそりと降りてきたので、王太子は叫び声を上げた。

 「め、目玉だ!!」

 「だから言ってんじゃねえか、そこが目だって」

 フライオは王太子の手をしっかり握って、壁際に引き寄せた。 危うく3度目の転落をしかけた彼女をまたしても助けたのだった。


 「どういうことだ、フライオ。

  このサイズだと、竜はものすごく大きい上に、全身が山の下に埋まっておることになるのではないか」

 この竜が少しでも身動きしたら、とんでもないことになるのではと危惧しながら、王太子は竜の黒目を恐る恐る覗いた。

 「その通りだ」

 フライオは誰のためと言うこともなく、声を落とした。

 「ここだけの話だぜ。

  このオルムソの山全体が、竜の体に土が積もってできたもんなのさ」

 

あああ、ヘンなところで終ってしまいました。

そろそろ村へ戻らないといけないのに、おまけにもう戦闘に入らないとヤバイのに、まだモタモタやってます。

次週は歌って戦争、に出来たらいいな。

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