8、歌人は陰気、軍人は陽気
クルムシータの大きな翼は、羽ばたきをやめて滑空に移っていた。
フライオが眼下を指差して王太子に説明を始める。
「あそこに見張り塔が見えるだろう。 あれがボッカルト市街の憲兵駐屯所だ。
入口がこっちを向くとわかるが、塀がぐるっとあって南側が開いてんだ」
たそがれの空の高みから見下ろすと、ふもとの町並みの真ん中にそびえ立つ塔がひときわ目立つ。
王太子が大きくうなずいた。
「クルムシータ、憲兵詰所へ行く前に、オルムソ山脈の向こう側を見せてくれ。
カラリア軍とモンテロス軍が戦をしている間に、民間人が山越えをしておるのではないかと思う。
上から状況を把握したい」
「了解」
ユナイに教わった通りの兵士言葉で返答して、クルムシータは止めていた翼を再び動かし始めた。
そびえ立つオルムソの山が、見る間に足元に平らに広がっていく。
山陰の暗がりに、人々は身を潜めていた。
クルムシータの大きな掌から全員が恐る恐る身を乗り出し、そちらの方向を見下ろす。
根雪の張り付いた山肌に、数百人のみすぼらしい身なりの人々がうずくまっていた。 彼らは固まってひしめき合い、できるだけ暖を取ろうとするが故に、眠ることも出来ないのだった。
「首都近くから逃げて来た民の群れか」
王太子は眉をひそめ、痛ましい難民の様子に顔を曇らせた。
着の身着のまま逃げて来た者たちは、防寒のために手当たり次第に服を重ね着しているが、それでも高地の寒さにさらされてぐったりしている。
「あれでは凍死するのではないか。 テントか毛布を運んで来てはやれぬのか」
王太子が心配をすると、キャドランニが渋い顔で首を振った。
「殿下、焼け石に水ですよ。 人数が多すぎますし、毛布ごときでしのげる話じゃありません。
クルムシータで運ぶのにも、限界があるでしょう。
仮に今、物資を落とすとしたら食料ですが、今はもっと大事なことがあるでしょう」
「追手の確認だな」
王太子はクルムシータに命じて、旋回しながら首都モンテロッサに向かわせた。
行く手にそびえ立つ王城の城壁を認めたところで、太陽はついに、力尽きたように山の向こうへ落ちて行った。
「いませんな、カラリア軍」
キャドランニがうなった。
「身を隠しておるはずの民間人が丸見えなのに、優勢な、逃げも隠れもせぬカラリア正規軍が影も形もないと言うのは、妙な話ですぞ」
「王城を占拠して、中に雪崩れ込んだ可能性は?」
王太子の言葉に、他の者は無言だった。 誰も納得できないのである。
静か過ぎる。 死体の1体も転がってない。
これが戦の後と言えるだろうか。
すっかり闇の中に沈んだ尾根を再び越えて、オーチャイス村へ降り立った時、全員が疑惑の檻の中で無口になっていた。
歌人フライオを村の入口でいったん降ろし、王太子と親衛隊はふもとの憲兵詰所に向かうことになっていたが、ここでユナイ少年がフライオと同行したいと言い出した。
「エルヴァ准将のことをご報告しなければなりません。 ご家族や親しい方がおられたら、フライオさん紹介していただけませんか」
「もう誰もいねえよ」
けんもほろろの返答にユナイが当惑して、ちらりとキャドランニの方を盗み見る。
それを歌人は見逃さなかった。
「はッ、そういうわけかよ」
フライオは鼻にしわを寄せ、ユナイの襟髪を静かにつかんだ。
「俺が勝手にトンズラこかねえように、付け馬ってわけだ、さすがだねえ。
仲間だなんだという割にゃ、案外な裏ワザをお使いじゃねえか、んん?」
「ま、待て! 私が頼んだんだ、その子を叱らんでくれ」
あわてたキャドランニがフライオの腕を取って止めようとする。
「詮索する気はないし、貴公を疑うつもりもないぞ。
しかし、何かでつながっておかないと、我々は連絡を取れないじゃないか」
3人の諍いに割って入ったのは、王太子イリスモントだった。
「イーノ。 私もそのやり方にはあまり感心せぬぞ。
腹芸はやめよう。 要は、我々が落ち合えればすむことであろう」
「し、しかし殿下‥‥」
王太子は静かに、フライオの方へ体ごと向き直って語りかけた。
「歌人よ、好きな場所に行き、好きなことをするが良い。
その代わり、私が名前を呼んだらすぐに出て来てくれるか」
「いつ、どこにいてもって事か」
「大声で3度呼ぼう。 そなたの耳なら、どこからでも聞き取れよう」
フライオは黙って唇を結び、しばらく王太子の顔を見ていた。
「どうした? 歌人。 どうも今朝から調子がおかしいな。
喧嘩早くなったのに、こうして肝心なところで口ごもりおる。 らしくないこと甚だしい。
言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなのだ?」
王太子が促しても、フライオは首を振る。
それからそろりと、口に出した。
「明日になっても、まだ俺に会いたけりゃ、今言ったように名前を呼んでくれ」
「‥‥なに?」
「多分、俺の出番はねえと思うがね」
言い捨てると、歌人は踵を返して早足で山肌への坂道を登って行った。
木のない岩場を登って行く歌人の姿が、闇に同化して見えなくなってしまっても、イリスモントはその場所を見つめてじっと突っ立ったままだった。
部下たちが業を煮やして声をかけ、出発をせかすまで動かなかった。
オーチャイスのふもと、ボッカルトの市街には、辺境警備隊を兼ねる市中憲兵隊が駐留している。
ここの最高指揮官マルチェロ・サルキシアン大佐は、陽気な印象の顔をした、声の大きい軍人であった。
幸いにも彼は、一年ばかり王宮警護の経験があり、王太子とわずかながら面識があったので、話は早かった。
「王、王太子殿下、ご無事であらせられましたか!!」
軍装のターバンを振り飛ばしそうな勢いで走って来て、いきなりひざまづいたので、そのまま両膝で床を滑って王太子の足元へ到着した。
そのまま大きく敬礼しながら、ぼろぼろと涙をこぼす。
「大佐、私はもう王太子でも殿下でもない、ただの一市民だ」
王太子はおだやかに否定したが、大佐は首をぶんぶんと振りたくった。
「むむむむン、とんでもッ、とーんでもない!
我々軍人は、今でも王太子殿下の僕でありたいと思っておりますぞ。
あの魔導師どものことなど、認めておる者はおりません。 ただ、新王陛下のお名前で行われておることには従わねばならぬのが、軍律と言うものでございまして」
「では私の言葉よりも、そちらを優先せねばならぬのだろう?」
「そこなのでありますが、我々には今回、何の指令も届いておりませぬ、ただ連絡があったのみで」
「どのような?」
「『モンテロスで火の手が上がっても、憲兵隊は手を出すな』と」
後ろで聞いていたキャドランニと砂漠のマルタが、咽喉の奥で唸るような疑問詞を発した。
「戦いはこちらだけでやるので、憲兵隊は市民の警護に専念してくれとの指令が来たきりであります」
「蚊帳の外か」
「もともと我々の役目は、辺境を渡る旅人と、ボッカルトの市民を守ることでありますから、そういわれれば否はございません。 しかし、王都カラル・クレイヴァの正規軍だけで、軍事大国モンテロスを攻めるというのは、作戦的にも無茶な話で」
「しかも落としたというのであろう?」
「まだ軍事的抵抗は続いておりますがな。
いや、ですが、王太子殿下の仰せの通り、こちらへ押し出されて来たモンテロス国民を、市街の安全地帯へ案内するというのは、混乱を防ぎ、ひいては市民を守る事につながる、重要な仕事ですな!
ああ、その前に、オーチャイスの村人全員に危険勧告を出して、市街に保護しましょう。
おおッ、これは忙しい。 忙しいがこれこそ、軍人の本望でありますぞ!」
サルキシアン大佐は大張り切りで、部下や従者をせわしなく呼び集めた。
「ジェスパ! 分隊長を全員叩き起こせ。
至急ここへ集合させろ、2級で構わんから臨戦態勢だと言え。
おいキューバス、俺の軍服と靴を持って来い。 こっちもその間で支度だ。
なんだ? 馬鹿モン、ここで着替えると誰が言った? いくらなんでも殿下の御前だぞ。 そこのテントの陰に置け。
ほーら、働け、最高の仕事をするんだ。
♪そいつはお前の腕次第♪っと、ほら、何を呆けてる? 急げ急げ!」
あまりの賑やかさに王太子は笑い出し、その後ろでマルタとキャドランニがあきれ返ってため息をついた。
「なんとまあ、無駄にテンションの高い男だ。 戦場で一緒にいたら、敵よりもこの男のせいで疲れそうだな」
「お祭り男がここにもいたか」
「周りのテンションが下がるんで、余計に目立つんだな。 見ろ、分隊長たちのげっそりした顔を」
ともあれ、憲兵隊は素晴らしいスピードで市中の整備をし、広場にテントを立てて難民の保護区を作った。 同時に憲兵隊の宿舎の一部を開放して、そこへオーチャイスの村民を招き入れることにした。
「さて殿下、これから村人に勧告を出しますが、もしお嫌でなければ、宿舎で彼らを迎えてやっていただけませんか。
殿下のご尊顔を拝見するだけで、戦火の恐ろしさが紛れて希望を持つ者もおりましょうから」
サルキシアン大佐が申し出ると、王太子は首を振った。
「私がのんびりと宿舎で待っておると思うのか?
私もそなたらと一緒に村人の移動を手伝うつもりで来たのだぞ。 村には年寄りも子供もいよう。 ひとりで降りてこられぬ者をゆっくり降ろしておったら間に合わぬ。
手を引いたり荷物を持つくらいしか役には立たぬが、手伝わせてくれ」
大佐は目を見張り、また大粒の涙を流すと同時に、キャドランニたちの眉間に深いしわを作ってのけた。
今回は竜神に会えると思っていたんですが、そこまで到達しませんでした。
次回こそはフライオの秘密を書きたいですね。
余談ですがサルキシアン大佐は、うちの息子を親父っぽくしてキャラ設定しました。 バレたら怒るだろうな。