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千里を歌う者  作者: 友野久遠
情報と結束
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7、赤い峰の村へ

 最初のひと太刀は、あきらかに「脅し」だった。

 王太子の剣は歌人の体をかすりもしない。

 

 しかし、目前で抜き身を振り回される方は、当たらぬからいいという訳にはいかない。

 「止せ、あぶねえッ」

 歌人はテラスを飛び出し、中庭まで後退した。

 「逃げるな!」

 王太子がそれを追う。 白刃の2閃めが空を切る。

 

 「おやめください!」

 振り下ろされる剣を、両手の懐剣で受け止めたのはユナイ少年だった。

 どこに隠し持っていたのか、左右に1本ずつ仕込みナイフを持ち、王太子とフライオの間に割り込んで来たのだ。

 「どけ、ユナイ」

 「ダメです!」


 騒ぎはすぐに屋敷の中に波及した。

 キャドランニとピカーノが駆け出して来て、ユナイと王太子の腕をそれぞれ押さえにかかる。

 「殿下、お鎮まり下さい」

 「ユナイこらッ、お前王太子殿下に剣を向けるなど」

 「だってフライオさんは丸腰なんですよ!」

 

 結局、屋敷中の者が出て来て仲裁に入り、歌人と王太子は引き離されて、中庭の芝生の上でにらみ合った。 大して動いてはいないのに、ふたりとも息を荒くしている。

 「謝らぬぞ」

 王太子が押し殺した声で言った。

 「‥‥殿下!」

 キャドランニが諌める口調になる。 それを無視して王太子は、直接フライオに言い募った。 

 「言っておくが歌人、私の言うことを聞かぬから怒っておるのではないぞ。

  王宮のバルコニーに出た日のことを忘れたか。

  あの時、私を本気で叱りつけてくれたのはそなただけであったではないか。

  そなたの扉は、あの日開いておった。 逃げなかった。 真っ直ぐ私に向いておった!」

 フライオが無言で顔を上げた。 その顔を見据えて、イリスモントが続ける。


 「オーチャイスに行くのがイヤなら、行きたくないと言えばよいではないか。 理由を聞かれるのがイヤなら、言いたくないがわかってくれと頼んでくれればよいではないか。

  それを何故、こそこそと出て行く必要がある!?

  そもそも、我々の間には、剣の誓いも色恋のつながりも、なにもないのだぞ。

  主従の関係は私が拒み、恋仲になるのはそなたが拒否した。

  せめて、同じ釜の飯を食した仲間としての尊厳を認めねば、あの日川岸で初めて会ったことはただの幻になってしまう。

  我々の関係はなんだ?

  ただ顔を見知っておるだけの、他人なのか!?」


 そこまで一気にまくし立ててから、イリスモントは目まいを抑えるために額に手を当てた。

 そうして睫毛の隙間から、相手の様子をうかがった。

 当惑した一同の視線を浴びながら、フライオは叱られた子供のように下を向いていた。

 王太子はハッとして口をつぐんだ。

 この男は、追い詰められればそれだけ逃げ腰になるのだということに、今更ながら気づいたのである。


 ポンポンと、ゆるやかな音が静けさを破った。

 ユナイ少年の肩を、キャドランニが叩く音である。

 「坊主、もういいだろ。 部屋に戻ろう」

 「で、でも殿下はまだ剣を‥‥」

 ユナイが泣きそうな声を出す。

 「大丈夫さ。 今の流れで、子供にはわからなかったかな?

  殿下がこの男を手打ちになさるなど、絶対にありえんぞ。

  一緒にいたいと言っておいでなのに、殺したら意味がないだろう」

 「そうそう、それから、邪魔者は消えておふたりで話し合われた方がいい、ともおっしゃっただろう?

  うん、これも子供にはわかりにくかったかな」

 ピカーノがユナイの体をひょいと抱えて、屋敷の方向に回れ右をさせる。

 「というわけだ、皆の衆。 心配ないから解散解散!」

 


 周囲に人がいなくなると、途端に小鳥の声が耳についた。

 ほう、と王太子が息を吐き、静かに剣を収めた。

 「イーノに見透かされてしまった。

  あの男、日増しに先読みがうまくなりおる」

 つぶやいた王太子の瞳から、部下の前でこらえていたらしい涙が1滴、睫毛の堤防を破って頬へとこぼれ落ちた。

 フライオの胸に、またあの痛みが戻って来た。


 女と言うものは実に簡単に泣く生き物だ。 泣いているからと言って、即座に悲しいのだと思い込む男は馬鹿だ、というのが、この歌人の持論であった。

 女は悲しみ以外にも様々な理解不能な理由で泣く。

 感情処理のため、自分に酔うため、相手を責めるため、ライバルと違うことをするため。

 しかし今、目の前で流されている涙がそのどれに該当するのか、歌人には見当がつかなかった。

 頬を伝った銀色のしずくは、不思議な緩急をつけながら王太子の胸元にこぼれ、そこに根付いて小さな染みを作った。


 その染みを見ながら、フライオは呆然としていた。

 自分の口が、かってに言葉をつむぎ始め、自身ではなすすべもなかったからである。

 「モニー、俺は、俺も、本当は帰りてえんだよ。

  村の様子も知りてえし、おふくろがどうしてるかも見れたらいいと思ってんだ。

  だけど無理なんだ、村の連中と会うわけにいかねえんだよ」

 「仲が悪いのか」

 「そうじゃねえが、隠し事をひとつしてる。

  村の連中は、俺の顔を見たら、是が非でも聞きだそうとすると思うんだ」

 「言えぬことか」

 「竜神に関することだ」

 王太子の顔が、パッと明るくなった。

 「なんだ、そういうことならばいくらもやりようがあるぞ。

  イーノに軍服を借りるとよいのだ。 憲兵隊の駐留所まで案内してくれたら、あとは私とイーノでなんとかなる。 そなたはクルムシータに送ってもらって、好きなところへ行って里帰りするとよい。

  人に聞かれたら、軍人のふりをしておけ。 最近は貴族の失踪で浪人になる者も増えたから、誰も詮索すまい」


 「そんなんでいいのか」

 フライオの質問は、『あんたはこんな説明で納得してくれるのか』という意味だったが、王太子は何か誤解したらしく、

 「非常時のことだし、やってみるまで良いかまずいかはわからぬな。 まあやってみるさ」

 からりと笑って、部屋へ向かって歩き出した。

 途中でふと立ち止まり、

 「歌人もさっさと寝るのだぞ。

  昼までには出発せねばならぬのだからな」

 振り返って言い置くと、早足で屋敷の中に消えて行く。


 フライオはあっけに取られてその姿を見送った。

 早朝の涼しい風の中にいるのに、全身に水をかぶったかのような汗をかいていた。 だのにさっきまで痛んでいた胸の中が、嘘のように晴れている。

 (俺は、この娘につかまるな)

 恐れと、切なさの混じった暖かい未知の感情を、フライオは少年のように持て余していた。



 その日の昼、巨人の精霊クルムシータの周りに集合した者は、総勢5人。 

 王太子イリスモントと歌人フライオ、親衛隊長キャドランニ、砂漠のマルタ、そしてクルムシータの付き添いとして、ユナイ少年も同行することになった。

 ユナイを伴うことについては賛否両論あったのだが、これから膨れ上がる兵士たちを統合して部隊編成に忙しくなるピカーノたちや、お祭り騒ぎで駆けつける盗賊たちの中にいても、飯炊きや雑用に使われるだけではないかとの意見が多数あったため、この人事になった。

 オーチャイスで民間人のためにすることなら、彼自身の勉強になることも多々あろうからだ。

 実は、その予測は数日後、思いもよらぬ形で現実のものとなるのだが、この時点ではまだ誰もその衝撃を予測してはいなかった。


 クルムシータの腕の中に5人を収容するために、巨人の大きな首にエプロン状に布が垂らされた。 

 その布を巨人の片腕に巻きつけて、床の代わりにする。

 「よし、いいぞ。出発!」

 キャドランニが全員の体が安定したのを確かめてから、クルムシータに合図を送った。


 ザン、と大きな羽音がして、中天の太陽が不意に翳った。

 巨人クルムシータの背中から、巨大な褐色の翼が広がり、見上げる空の青さを半分以上覆い隠している。

 「(クルムス)の翼だな」

 王太子が感心したように、その大きな羽根を仰いだ。

 「素晴らしい。 この大きさならばひと飛びだ」

 

 しかし、喜んだのは束の間であった。

 ひとたび羽ばたき始めると、その速度と風圧は人間の忍耐を超えたレベルで一同に襲い掛かった。

 異常な風圧に圧迫され、隣にいる者の人相がわからなくなるほど顔が歪む。

 ターバンは飛ぶ、なびくマントで首は絞まる。 目は空けていられず、呼吸も困難になる。

 5人は床代わりの布にしがみついて、ひたすら悲鳴を押し殺した。


 「ユナイ、このくそガキ。

  こんなに大変なら、なんで前もってそう言っとかねえんだ」

 フライオが、恨み言も悲鳴混じりに言った。

 「だって、誰も来たがらなくなるじゃないですか」

 ユナイがすまなさそうに言う。 彼は何故か大の字に仰向けになり、両手で布をしっかりとつかんでいた。

 ふざけているのかと最初ムッとした大人たちも、真似をして仰向けになってみると、確かにこの体勢が一番楽に風圧を逃がすことができ、振動に気分が悪くなることもなさそうだった。

 布の床面を奪い合わぬように、全員が小魚のオイル漬けよろしく、同じ方向に寝そべっていくことになった。


 「どう転んでも、みっともないというか、緊張感の薄い反乱軍だよな」

 キャドランニがぼやいたが、誰も相手にしなかった。

 全員がすでに諦めた上の新境地に達しつつあったからである。


 

 「ああ、相変わらず美人だなあ」

 故郷の山々をその目で捉えたとき、フライオの口からこぼれたのはそんな言葉だった。

 「なるほど、いかにも竜神の棲む山だな。

  赤い大きな、長い寝床のようにも見えるではないか」

 王太子がうっとりして感想を述べた。


 オルムソの峰は、夕暮れの紅に頬を染め、極上の彩で一行に笑顔を向けてくれたのである。  

 

さて、ようやくオーチャイスです。

これより竜神の洞窟へ、話をもって行こうと思います。次回はちょっと駆け足かもです。

こんなマニアック?なお話なのに、お気に入り登録人数が22人と増えてとても嬉しく思っています。今後ともどうぞよろしくお付き合いくださいませ。

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