4、回転ヨーデル
夜になると、城門前広場には特大のかがり火が焚かれた。
至る所に食べ物飲み物を配る店が立ち並び、賑やかな呼び声が飛び交う。
「はい、賜りの店でございます。
本日エガシア公爵様より、ご下賜品、なんと牛一頭。
そいつのうまーい串焼きが、光熱費だけのお値段だ」
細い板切れを、パンパンパン!と打ち合わせながら、歌うような口調で客を引くのは、地元の御用商人だ。 貴族をスポンサーにして食材を仕入れ、ほぼ無報酬で参加している輩である。
彼らは祭りによる実入りを度外視することで、そこから派生する貴族や商人同士のつながりを、次の商売に利用する。
もともとクラステの元になったのは、領主が王城へ年貢とも言うべき献上品を持参した日に、国王が使者をねぎらうために縁台を出して、飲食物を配った因習であった。 その理念に乗っ取って、土地っ子は祭りで直接の儲けを出さないのが、彼ら一流の「粋」であり誇りでもあるのだ。
広場の中央に、到着した花車がずらりとならぶ。
その周囲で若者たちが、円陣になって踊っている。
軽業師が、火のついた棒を投げて喝采を浴びている。
人混みに背中を小突かれ、肩を押されながら歩くのが、フライオは好きだ。
足を踏まれたり、酒をひっかけられたり。
声をかけたり、かけられたり‥‥。
「ようフライオ、ごゆっくりだったな! どうだいここは。 特等席だろうが」
踊りの輪の中で手風琴を弾いていた白髪の老人が叫んだ。
「モイリー爺さんか。 えらく羽振りのいい場所にいるな」
「今年は、例の四重奏のブスどもが来とらんのよ。 おかげでいい飯が食えらあ」
「へえ、あいつらどうなったんだ? あの面じゃ、嫁に行けたとも思えねえが」
「くたばっちまったか。 ひょっとしたら、売り飛ばされたかもなあ」
「買い手がつくかよ! 死神だっていい迷惑だろうぜ」
人の輪の中と外とで、軽口を叩き合う。
そばにいる人々が、驚いた顔でフライオを見る。 歌人が旅装束から商売用の衣装に着替えているので、もう少し上品な印象があるのだろう。
「いやいや、わからんよ。 噂じゃ近頃、ここらは神隠しがあるそうじゃからな」
器用に音楽を続けながら、老人が言う。
「城壁の近くで、若い娘が月に一人ずつ消えるんじゃ。 お前さんもひとりでふらふらせんほうがええぞ」
フライオは眉をひそめた。 人さらいなら、今朝方見たぞ、と思ったのだ。
何かの組織が、人を売り買いしているか?
「わかった。 俺も若い娘になったりしたら、せいぜい気をつけらぁ」
いいかげんな返事をして歌人が立ち去りかけるのに、
「なんじゃ、演って行かんのか?」
老人の声が追いかけた。
「あとあと。 今歌ったら、腹笛のオペラになっちまうよ。
疲れた頃に代わってやるから、心臓だけは止めるなよ」
「抜かせ、青二才が」
笑いながら、空腹な歌人は手近な屋台を覗き込んだ。
注文を口にしかけてふと顔を上げると、そこに天敵の姿を見てしまった。
前方からやってくる、近衛隊の制服。 先頭に立つのは、妙に顔の大きな男だ。 いかつい四角の顔に、太くて黒い八の字ひげ。
「頼むぜ神様! 俺を飢え死にさせねえでくれ」
「もう店じまいかな? 伝説のアリア歌手どの!」
金管楽器を思わせる、けたたましく耳障りな声で、エルディガン近衛隊長が叫んだ。
「いやいや、さすが人気歌手は違いますなあ。 昼間あれだけ人を集めれば、夜は歌わなくても飯代に困らぬとは!」
皮肉をこめた隊長の口調に、部下達が一斉にイヤミな声音で笑った。
「いえ大佐どの。 ここではこれから営業させて頂くところですよ」
口の中では舌打ちしながら、態度だけは慇懃に、フライオが答える。
「ほっほう! まだお稼ぎになるわけですな?」
大きな顔を仰向かせて、大佐が大げさに驚いて見せる。
「朝、花車で歌った歌は見事でしたなあ! ありがたいお方のお名前がたくさん入った、たいそう面白い歌でありましたな」
「恐れ入ります。 王族の皆様、国民に人気のある武人や貴族の方々に、あやからせて頂いております」
フライオの背中を、冷や汗が流れて行く。
頭の中で忙しく、逃げる方法を考える。
「まあ、せいぜいお稼ぎなさい。 いろいろと、元手も掛かろうことですからな!」とエルディガン。
「元手、とおっしゃいますと?」
思わず聞き返すと、軍人どもはにやりと笑った。
「金はかかるだろうよ。 例えば、慰謝料とかな」
軍服の群れが、歌人に向かって一歩、その輪を縮めた。
「例えば、治療費とかな」
もう一歩。
(おいおい)
腹筋で恐怖感をぐいと押し下げ、フライオは言った。
「なるほど。 お耳の修理代も、治療費ですかな?」
「なに? 耳の?」
エルディガンが聞き返す。
フライオはわざと小さな声で、
「お耳とか、鼓膜とか、いろいろな所を、痛めますから、あんまり、おそばに、お寄りにならぬほうが‥‥」
しまいには聞き取れないほど小声でしゃべっておいて、相手が顔を寄せたところで。
「ハイ・ホー!」
いきなり大声を出してやった。
近衛兵たちは耳を押さえて飛びのいた。 中には後ろにひっくり返って、刀身で頭を打つ者もあった。
近くの屋台に群がっていた人々が、飛び上がって静まり返る。
「ななななんだ! きゅっきゅ、急に大声を出すな!」
エルディガンは叫んだが、百戦練磨の武人にしては裏声がひどすぎた。
「なんだと言われましても、我々は声が命ですから、営業前には、発声練習が欠かせません。
ハイホー!!」
空気がびりびりと震える声量である。
周囲の若者が、わあと叫んで耳をふさぐ。 広場のあちこちで鳴っていた楽器の音が止み、皆がこちらを注目している様子である。
軍人たちはさらに後退し、フライオの周囲に広い空間が出来た。
その空間を、鳴らす。
「ハイ・ホホー!」
声が地面をびしりと打って、夜空に駆け上がっていく。
広場全体が静まり返っていた。
声に打たれて、人々の体が一瞬緊張し、弛緩する。
かなり遅れて、
「‥‥ハイ・ホホー‥‥」
遠慮がちな声で、誰かが返答した。
それが誰かはフライオにもわからなかった。
間の抜けた声に、あちこちで笑いが起こった。
緊張の糸が、緩んだ。
歌人が今度は明るい声で、たたみかける。
「ハイ・ホホー!」
「ハイ・ホホー!」
今度は数人の声がした。
周囲に人垣が出来始める。
戸惑っていた人の目に、面白いものを見つけた時の、いたずらな輝きが点っている。
「ハイ・ホホー!」
「ハイ・ホホー!」
「アラルミ・ホー!」
「アラルミ・ホー!」
だんだん返答の人数が増えてくる。
「アラルミアラルミアラルミ・ホー!」
「アラルミアラルミアラルミ・ホー!」
「アラルミアラルミアラルミ・ホー!」
「アラルミアラルミアラルミ・ホー」
小さく拍手が起こってくる。
それに手風琴の音が入った。
場所から言って、モイリー老に違いない。
「アラルミ・ホー! アラルミ・ホー!
アラルミアラルミアラルミ・ホー!」
弦楽器が合わせて来る。
ヴァリネラ。 キドル。 南国のウッカ。
「アラルミ・ホー! アラルミ・ホー!
アラルミアラルミアラルミ・ホー!」
踊りが始まる。
広場のあちこちで、手拍子がおこる。
手を取り合い、腕を組んで、人々が踊り出す。
城門前広場を埋め尽くす人が、同じ音楽で踊り出した。
リズムは花火のように大きく、星空を揺るがす。
「あっやめろ! おいやめろ!」
エルディガンが悲鳴を上げた。
若い娘が二人、両側から彼に腕をからめて、ぐるぐる回り始めたのだ。
回転の軸になったまま、身動きとれずに叫ぶ大佐を見て、人々は笑った。
まねをしてそこかしこで、軍服の兵士を捕まえて、踊り回る者が続出した。
「やめんか! お前らみんな逮捕するぞ!
おい、フライオ! このイカれ歌人め! 人心を惑わす悪魔め! テロリストめ!!」
ぐるぐる回されながら、武人たちは次第にフライオから離れていく。
察しのいい連中が、助け舟を出してくれたようだ。
フライオはほっとして、深いため息をついた。
「見事なものだ。 お前の歌は、無敵だな」
聞き覚えのある声がした。
小柄な影が、歌人の後ろに立っていた。
「あんたは‥‥」
川岸で会った、あのおかしな女だった。
女はしかし、あの時とは全く様子が違っていた。
赤いびろうどの羽帽子に、品のよい短めのマント。 短い刀剣を腰に吊っている。
男装である。
「ああ、そういうことだったのか」
フライオは納得した。 道理で、ドレスを着ている婦人とは様子が違うと思ったのだ。
いいところのお嬢さんの割には、手や顔に香油を縫っている様子がないのが不思議だったのだが、男装ならば話がわかる。
この国では、男装の女性は珍しくない。 階級制度はあるが、男尊女卑の気風は薄いのがカラリアである。
原則として、家を継ぐのは長男であるが、男児がいなければ、女性が継ぐこともままある。 その際に、外部に対するアピールとして、女性も男性と同じ恰好をするのである。
「ずいぶん人気者だな。 すぐにわかったぞ」
女は朗らかに笑って、フライオの腕を取った。
「どこかで乾杯しないか? 食事がまだなら、私がおごろう」
「ありがたい、腹ペコなんだ」
フライオもうなずいて、歩き出した。
(注釈)日本語の場合、歌を歌う人を「歌手」、詩歌を詠む人を「歌人」と言いますが、作中の「歌人」はいわゆる「吟遊詩人」を指しています。
また「武人」は階級を、「軍人」は職業を指す言葉です。もちろん厳密に言えば、ということですが。