5、地下道の虜囚たち
「とりあえず乾杯としようか」
夜明け近く。
小さなサロンのテーブルで、王太子イリスモントは反乱軍一同をねぎらった。
作戦を終えて帰って来た二つのチームが今宵の根城にしているのは、王都から遠く離れたグランピーノ邸ではなく、カラル・クレイヴァ城の東側に領城を構える、グラチア伯爵邸である。
この屋敷の伯爵夫人は、もともとフライオのお得意様であったが、夫であるグラチア伯爵も、先王オギア3世によく仕えた重鎮で、王太子とも面識以上の交流があった。
王都が魔導師の手に落ちた今でも、この夫婦は自分たちが魔導師派でないことを公言してはばからず、再三の脅しに使用人のほとんどが逃げてしまってからも、勇気ある一部の私兵に家のことを手伝わせながら王都に居座っていた。
「コックと小間使いがひとりふたり残れば充分何とかなるもので。
そのかわり、お客様扱いは出来ませぬぞ」
老伯爵はそう言って、王太子の呼びかけに快く応じて挙兵の約束をした上に、屋敷への滞在を許してくれた。
20名の盗賊、貴族剣士のふたり、特別参加のユナイとクルムシータ。 それに王妃と王太子妃。
それぞれを客間や応接室で休ませると、王太子とフライオは親衛隊6名と共にサロンに集まった。 今後の予定を話し合うためである。
「‥‥なんで“とりあえず”なんだ?
ここは文句なく、祝杯でいいんじゃねえの。
救出作戦は成功、国民が魔導師よりも我々を支持してくれそうなこともわかった。 万々歳じゃねえか」
歌人がいぶかる。
王太子は静かに首を振った。
「今回は、少しでも敵の様子を探ろうという意図もあったのに、これがさっぱりだった。
あの騒ぎようなら、必ずジャデロかストーツが出て来て邪魔をするだろうと思っていたのだ。 そうなれば敵の戦力や攻撃方法もわかるだろうと」
「確かに、魔導師がいねえのは気になったな」
フライオもうなずいた。
「出て来た衛兵もヘナチョコばっかで、あいつらみんな下っ端だろ?
竜族狩りだかなんだか知らねえが、兵隊どもの留守も長すぎるんじゃねえのか。
近衛隊の馬鹿どもは、一体どこ行っちまったんだよ」
「会ったよ」
キャドランニが低い声で言った。 途端に一同の顔が暗くなる。
「地下道の中は、近衛の中枢部隊が固めていたんだ」
深夜の地下道の中には、カンテラ程度の明かりでは追い払えない濃厚な闇と、かび臭い湿気のために息が詰まりそうだった。
どう工夫しても響き渡ってしまう足音の大きさに、城中の人間が駆けつけてくるのではないかという恐怖感が一同の心を苛んだ。
「エウリア妃はなんと勇気がおありなのだろう。 この道をおひとりでお歩きになったのだから」
先頭のキャドランニが思わず呟いたのは、緊張感から己を解放するための無意識の行動だった。
その時、闇の中で金属音が起こった。 刀を鞘から抜く音だ。
咄嗟にカンテラを床に置く。
一瞬遅れて、違和感に気付いた。 今にも飛び掛って来そうな割に、殺気が薄いのだ。
行く手に待ち構えていたのは、兵士の制服を着た男たちだった。
暗くて顔は判別できないが、10人近い兵士が、2列縦隊になって立ちはだかっている。
「時間がない。 抜こう」
王太子が決断を下し、戦闘はためらいなく始まった。
刀が振り下ろされると、火花が闇を一瞬彩る。
親衛隊全員、剣の腕には自信がある。 貴族組から参加の二人も使い手である。
しかしこの狭い通路では、先頭の者同士が斬り合うと、後続はほとんど何も出来ない。
キャドランニは自分ひとりで全員を屠るつもりで、まずひとりめの敵を下段から斬りつけ、続いて後ろのひとりを肩から袈裟懸けに斬った。
続く3人目を前にして、眉根にしわを寄せた。
(こいつらの動きはおかしいぞ。
いくらなんでも鈍すぎる。 第一、ここに至っても殺気が登って来ないじゃないか!)
「フェドール! ディーロ! アロッショ!」
王太子が叫んだ。
敵の中に知り合いがいるのに気付いたのだ。
「イーノ、彼らは操られておるぞ」
「殿下はこやつらをご存知か」
「全員、近衛の中で私が親しくしておった者たちだ。
魔導師の反乱に同調せず制圧しようとしたので、洗脳を受けたのだろう。
できれば斬らずに済ませたいが、可能か」
「殴りますか。 どうせ相手もさほどやる気がない」
キャドランニの刀は両刃なので峰打ちができない。 鞘に収めたままで木刀のように殴り倒しながら進んだ。 後続の親衛隊も、巧みに狭い通路を前へにじり寄って戦う。
「マルタ、後ろに隠れておる魔導師を捕まえろ」
イリスモントが命じると、マルタ・キュビレットがうなずいてスルスルと壁を伝った。
この男の特技は、乱戦の中でのこういった突出行動だ。 どこから隙間を見つけるのか誰にもわからないうちに、いつの間にか激戦区を突き抜けて前方に出ることが出来た。
けたたましい悲鳴が地下通路にこだました。
「うわあ、やめろ!
いてててえ、降ろせッ、降ろせよこの馬鹿力!!」
子供の声、しかもかなり幼い子の声である。
途端に、敵兵が動かなくなった。 剣を振るのをやめ、両手をだらりと垂らして人形のように制止する。
「よし、捕まえたな!」
キャドランニは木偶になってしまった敵兵の間をすり抜け、黒幕の顔を見に駆け寄った。
「降ろせ、離せよこん畜生!」
じたばたする黒いフードつきマントは、マルタが片腕で制御できるほど小さかった。
「えらく若い黒幕ですな」
「魔導師陣営、人材不足ですかな」
貴族のふたりが拍子抜けしたように言う。
「馬鹿にすんなよ! おいらは4年修行生だぞ。
城門の連中なんかより、よっぽど格が上なんだ、あいててて!」
わめき散らす子供のえりがみを、ピカーノが太い腕でつかんでぶら下げる。
「ふうん、それにしちゃ逃げ出せないでいるじゃないかね。
城門の連中だって、ショック魔法くらいやってたのに」
すると子供はあわてて両手で口を覆い、じたばたするのをやめた。
奥から王太子が歩み寄ってきてくすりと笑った。
「要するに集中力が切れたのだな。
魔道を発揮するには掟がある。 声を出さないこと、笑わないこと、興奮したり強い感情を抱かないこと」
何が幼い魔導師の集中力を奪ったのかは、すぐにわかった。
静かになった途端、地上の騒ぎが微かに聞こえて来たからだ。
フライオの歌声はどこからでも聞こえる。
「ウサギのダンス」の歌だった。
全員があきれたように沈黙した後、口の端で笑いを噛み殺した。
「歌人どの、さすがというか無敵だな。
あのごついオッサンたちにこれを踊らせているわけか」
「見たかったな」
「殿下、私は見たくありませんぞ」
「とにかく急ごう」
「子供はどうします」
「出来れば連れて行こう、捕虜がひとり欲しかったところだ」
魔導師見習いは激しく抵抗したが、ターバン布でぐるぐる巻かれて、親衛隊の一人の背中にくくりつけられると、観念したように大人しくなった。
「エレオ。 その子を背負った者は、踊りながら歩かねばならぬぞ。
気を静めて集中されたら攻撃を食らうからな」
と、王太子。 エレオと呼ばれた親衛隊員は情けなそうに眉尻を痙攣させた。
「わ、私が踊るのですか」
「そうだ。伴奏も流れてくることだしな」
仕方なく音楽に合わせて尻を振るエレオに、全員が吹き出した。 後ろから見ると、赤ん坊を寝かしつける乳母にしか見えない。
後ろを照らすと、近衛隊の兵士たちはまだじっと突っ立ったままだった。 操る力が無くなっても、洗脳が解けたわけではなさそうだった。
「連れて行ってやりたいが、今は無理だ」
王太子が一同を促した。
「あとで必ず助けよう」
「ふたり斬ってしまいました」
キャドランニが唇を歪めた。
「手加減しておったのはわかっておる。 今は気に病むな、とにかく地上に出なくては」
イリスモントの口調は素っ気なかったが、明かりに浮かぶ表情を見れば、キャドランニ以上に後ろ髪引かれていることがよくわかる。
(すまぬ、すまぬ。 今は置き去りにするが、必ず助けに来るから許してくれ)
心の中で謝罪の言葉を繰り返しながら、一同は地下道を後にしたのだった。
話を聞いた歌人フライオは、王太子イリスモントに小声で尋ねた。
「近衛隊の連中の顔は、全員確認したのか?
そいつらはつまり、王家寄りの人間で、普通に洗脳して使うのは危険なので、刺激の少ない地下に入れられたんだろ?
だったら、もしかしてその中に」
「いや、ギリオン・エルヴァ准将はいなかった」
あっさりとイリスモントが答えた。
「確かか」
「確かだ。 あの美丈夫がおればすぐわかる。 第一、彼が敵の中に混じっておったら、我々が全員無傷で地下道から出られたはずはないではないか。
いかに操られておると言っても、入隊以来、誰にも1本も取らせたことがない男なのだぞ」
「‥‥そう、か‥‥」
ふっと力が抜けて、フライオは椅子の背もたれに半身を崩れ込ませた。
(どこにいるんだ、ギル‥‥)
今更のように、疲労が彼を襲い始めた。
「それであの小僧はどうしました?」
キャドランニが王太子に尋ねた。
「黙ったままで無反応だ。 魔導師というのは、子供でもふてぶてしいものだな。
敵の様子を聞きだそうとしてちょっと威したのだが、睨みつけたまま答えないのだ。
そうしたらルーラに怒られてしまった」
「ルーラがなんで」
「子供になんてことするのだと、血相変えて怒るのだ。
で、彼女が子供のひもをほどいて、風呂に入れて食事をさせてくれることになった」
「おいおい」
「危ねえな。 攻撃食らったらどうすんだ」
ピカーノとフライオが目をむいた。
「それが‥‥あの子供は魔道を発動したのだ。
なのに何故かルーラにはきかなかった」
「きかない?」
「あの青い光が走っても、全く効果がないのだ。
子供の方もあっけにとられて大人しくなってしまった」
全員が顔を見合わせた。
「竜の末裔だからか?」
答えられる者はいなかった。
「ほら、しっかり食べなさい。
残り物だけど、ここのお料理は高価な食材を使ってるし、シェフが逃げずに残って頑張ってるからおいしいわよ」
優雅な皿に盛り付けられた料理を、自室の小さなテーブルに並べて、底抜けルーラは幼い魔導師を促した。 相手がぷいと横を向いてしまうのを見て、くすりと笑う。
「食べないとまた体を触っちゃうわよ。
お風呂であたしの裸を見たお代は高いんだからね。 今夜はベッドで子守唄歌っちゃうぞ」
子供は気味悪げにルーラをにらみ、体をずらして密着を避けようとした。
「ほら、この子牛のソテーがおいしかったのよ。
食べてみて。 それともマンマが切ってお口に入れてあげようか」
からかい半分に手を伸ばすルーラから、あわててフォークを奪い取った子供は、勢い皿の肉にそれを突き立ててかぶりついた。
意地を張っても子供のことだから、一度食べ始めると歯止めがきかず、2口3口と立て続けに食べてしまう。 ルーラは目を細めた。
よく見ると、睫毛の長い愛らしい顔の子供である。 普通の家庭に生まれていれば、まだまだ母親のエプロンの裾に絡まっていてもおかしくない年齢だ。
勢いづいてパクパク食べ始めた子供の手が、ふと止まった。
「ああ。 お魚ね。 赤くてちっちゃくて、かわいいでしょう」
窓辺に吊るしてある小さな鉢を振り返って、ルーラが微笑んだ。 “牙”との連絡に水鏡は不可欠なので、粗い目のネットに入れてぶら下げて持って来たのだ。
「この部屋ともうひとつ、ユナイってお兄ちゃんのお部屋に置いてあるよ。
むこうは青いお魚が入ってるんだって」
「‥‥光ってる」
子供がぽつりと呟いた。
それは、この子が地下道を出てから初めて発した言葉だった。
ルーラは息を飲んだ。
水鏡が発光して、誰か人の顔が現れようとしていたのだった。
「大変です! 水鏡で老オンディーノから報告が来ました。
カ、カラリア軍、カラリアの軍隊が、遠征を行っています!」
サロンに駆け込んで来たユナイ少年が、敬礼をするのも忘れてまくし立てた。
「カラリア軍、およそ3万! 2日前にモンテロスの東部から侵入、国王に向けて宣戦布告したあと攻撃に入りました。
しかも‥‥しかも、たった1日足らずで、モンテロスが落ちています!!」
グラスが倒れる音が響き、椅子が床に転がった。
誰もが声を発することが出来ないでいた。
やっと開戦のきざしが見えて気ました。
主人公が非戦闘員なので、戦記モノっぽくならないように書きたいんですが出来るでしょうか。 次回とその次あたりで、フライオ君はお里帰りする予定です。お嫁さんを連れて。‥‥って、どっちを?