5、ウサギのダンス
「お義母さま!? 今時分なにをしておいでですのか?」
暗がりの石壁に、棘のある声が反響した。
カラル・クレイヴァ城の幽閉塔の最上階である。
何もない六角形の室内に、深夜の闇が満ちている。
床石に直接座り込んで眠っていた王太子妃エウリアは、目を開くなり大声を出して立ち上がった。 部屋の反対側に座っていたはずの王妃セレラダが、唯一の家具である脚立台に登って外を見ているのに気付いたからである。
たった1ヶ所しかない小さな窓は、天井にくっつくほど高い場所にあるので、その椅子だか足台だかわからないような粗末な台に上らなければ、外の景色にお目にかかることさえかなわない。
失敗だったのは、前回の喧嘩でヤケになり、床に線を引いて引いてしまった時、窓側を選ぶのを忘れたことだ。
「ごめんなさいね、つい‥‥」
振り返った王妃の顔が何故かひどく楽しげで、エウリア妃のいらだちは尚も募った。
(どうしてこの状況で笑えるのだろう。
この女、まさか狂ったのではあるまいな?)
自分の思いを主張せず、いつもふわふわと頼りないこの姑が、エウリアにはだらしなく見えて仕方がない。 夫を殺された時も、魔導師が反乱を起こした時も、怒り狂う様を見せたことがない女なのだ。
他の女の産んだ子供が王位継承者を名乗っているのに怒りもせず、その子供に妾妃の住む離宮を離れて王宮で生活させていることも、まともな神経ではないと感じていた。
雪深いモンテロスの王宮にいた頃は、周囲の誰もが王族にふさわしい行動を取ろうと努力していた。
子は親に、後輩は先達に従い、封建的ではあっても一本筋の通った安心感があった。
大笑いをするのは下品なことと教えられたし、下々の者に親しげな声をかけられるのは屈辱的なことと言われていた。 そう、誇り高き王宮生活だったのだ。
カラリアはそうではない。 王者の権威は低く、うっかりすると国民にタメ口をきかれたりもする。
これほどに狂った王宮とわかっていれば、なんとしても輿入れを止めてもらったものをと、今更ながら後悔の思いが湧いて来る。
「うふふふ」
いきなり、王妃が笑い出した。 椅子に立って真っ暗な外を見ながら笑っている。
王太子妃は悲鳴を上げそうになった。
(やはり、この女は狂ってしまったのだ!)
衝撃で足元がふらつき、彼女は全身を震わせて壁に背中を寄せ掛けた。
次の瞬間、緊張感のない調子外れの歌声が、彼女の耳朶を打ったのだった。
♪ ウサギのダンスは
るンたかラッタ るンたかラッタ
お耳を振り振り
るンたかラッタッタ ♪
「イヤーン!」
(なんだ、これは。 ‥‥幻聴か?)
自分も気が狂ってしまったのではと怯えるあまり、エウリア妃は瞬間的に現実逃避をした。 我知らず、両手で耳を塞いだのだ。
それでも歌声は容赦なく聞こえて来る。
♪ ウサギのダンスは
るンたかラッタ るンたかラッタ‥‥ ♪
「うプッ」
王妃がこらえ切れなくなったらしく吹き出し、笑い転げて椅子からよろめき降りた。
そのまま肩を震わせ、壁をつかんで笑い続けている。
「な、なんですの一体‥‥」
エウリアは思わず床に引いた線を越えて、壁に駆け寄った。
「ひとりで笑っておいでではわかりませぬ。 妾にも見せてたも」
王妃を押しのけて椅子に足を乗せ、伸び上がって外を見る。
塔の高みからカラル・クレイヴァの市街が一望できるが、もちろん夜の間は城内で衛兵が焚いているかがり火の辺りしか見ることができない。
しかし今夜は、城壁の北側に3本の松明が立っており、そこで蠢いている奇妙な集団の姿をはっきり見ることが出来た。
「‥‥豚?」
それとも毛を剃った熊がピンクのドレスで踊っているという悪い夢の中にいるのだろうか。
それはとんでもなく不細工な集団であった。
「だめだめ、ちゃんと予定通りやるんだ。
全員が登り出したら誰が踊るんだよ? 10人ずつで、城壁に取り付くのと踊るのに別れてくれ」
歌人フライオが手製のホイッスルを鳴らして注意する。
八の字髭にスカートという無理のあるいでたちも、この集団の中では少しも目立たなかった。 むさ苦しい盗賊の親父どもが、さらにとんでもない格好をしていたからだ。
「登れったって、無理でえ! このおっぱい、邪魔だぜ」
「こっちもいけねえや、このチ〇〇外しちゃだめかよ?」
「ピー。 声を出した者は1曲踊れ」
石垣に取り付いた女装の男たちは上に登ろうとするのだが、胸や股間に装着した道化の用具が邪魔になってうまく登れず、ひとりが悲鳴を上げて転落した。
大股を広げて堀に沈む姿は悪夢にうなされそうなほどみっともない。
「き、きたねえ」
「畜生、絶対落ちねえぞ」
滑稽なことほど、やっている本人は大真面目なものである。 山賊たちは、真面目半分やけくそ半分で、真剣に城壁を登り始めた。
手を滑らせて城壁から落ち、堀でなく地面に激突しかけた者は、大男のクルムシータが手を伸ばして受け止める。
「いいぞ、クルムシータ。
怪我人が出ないのはお前のおかげだ」
「イヤーン」
精霊と言う者はよほど単純に出来ているらしく、この巨人は黙々と言われたとおりの事をやり続けていた。
堀からずぶ濡れで上がってきた山賊たちは、更に救いようのない外見になっている。 化粧が溶けて、化け物が更に化けて出たような顔を歪めて怒鳴り始める。
「くっそー!ああもうやめたやめた!!」
「ピー。 口をきいたからその場で1曲踊れ」
あまりの騒ぎに、近隣の住人たちが集まって来た。
「うるせえなあ、夜中に何やってんだ、こちとら朝が早いんだぞ」
「赤んぼが起きちゃったじゃないのさ」
文句を言い出す面々に、フライオが八の字髭を震わせて愛想笑いをした。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
実は、これは王城への抗議活動なんでして」
「なに?」
「真面目腐ったあの辛気臭い魔導師たちが政治に参加するのはいやだと思いませんか。
我々はそれを風刺して反対表明をしているのです」
市民の反応は一通りではなかったが、中には感心して同調する者も出て来た。
「なるほどな。 面と向かって魔導師に文句言うのは危険だからな」
「その通り。 いざとなると、酔っ払いのふりで済みますし」
「面白い、俺もやっていいか」
「大歓迎です」
「城壁を登りゃいいのか」
「はい、途中で歌が始まったら、その場で出来るだけ踊ってください」
「よしきた」
「おーい、俺もやるぞ」
思いがけぬ勢いで、参加者が増え始めた。
さすがにこれだけの騒ぎを、城内の衛兵たちが気付かぬはずはない。
その夜の当直である5人の兵士は、この事態にどう対処するかを急いで話し合った。 彼らは末端であるがゆえに、洗脳の魔法を施されていないのである。
「あいつらは何者なんだ? 近所に道化師の養成所でもできたのか」
「単に酔ってるだけだろう、放って置けよ」
「だって壁を登ってるんだぜ」
「あのふざけたイチモツ着けて登れるもんか」
「いや、着けてない者も登ってる。 と言うより、どんどん人数が増えてとんでもないことになりそうだぞ」
兵士たちは城壁に駆け寄り、下を覗いて仰天した。
城壁の北側一面に、市民や道化男が鈴なりに取り付いて登っている。 そして下から歌声が流れてくると、手足を踏ん張ったまま尻を振って一斉に歌い始めた。
♪ ウサギのダンスは
るンたかラッタ るンたかラッタ
〇〇〇を振り振り
るンたかラッタッタ ♪
「こらー!誰だ、伏字んとこハッキリ歌ってんのはー!」
「イヤーン!」
何がなんだかわからなかったが、衛兵である以上、この異常事態を放っておくわけに行かない。
「出て行って解散させよう。 お前は交代の連中を起こして来てくれ」
「わかった」
動き出そうとした衛兵は、しかしそのまま動かなくなった。
一瞬遅れて白目を剥き、ドウと地面に崩れる。
「おいッ、どうした?」
駆け寄る兵士も、続けざまに倒された。 後ろから剣の柄で殴りつけられたのだ。
殴った者も小集団で動いていた。 略式ながら甲冑を着込み、黒いマントで闇と同化している。
地下道から侵入してきた、王太子イリスモントの部隊であった。
イリスモント、キャドランニ、マルタとピカーノの主戦部隊に、新たに参加した旧親衛隊のメンバー3人を加え、それに貴族の私兵隊から精鋭をふたり引き抜いて加えた、計9人が隠密部隊の構成員である。 ピカーノが例の大槌で、塔の入口を簡単に叩き壊した。
「急げ、交代の衛兵が目を覚ましたら厄介だ」
塔の階段に殺到した一行が、面食らって目を白黒させた王妃と王太子妃を抱えて駆け下りて来るまでに、数分間を要しただけだった。
壁の上から、ロープが一本降りて来た。
「わ。 あぶねえ、何しやがんだ」
だいぶ上まで登って来ていた者が叫び声を上げる。
「すまぬ、少しあけてくれ。
幽閉された者を救出して、今そこから降ろすのでな」
塀の上から小柄な若者が叫んだ。 見覚えのあるその顔に、壁に取り付いた市民が目を見張る。
「王太子殿下だ!」
「イリスモント王子‥‥」
「ばか、王女だろ」
ピカーノが、王妃を赤子のように革帯で背負ったまま、軽々とロープを伝って降り始めた。
その後から「砂漠のマルタ」が、同様に王太子妃を背負って降りてゆく。
地面に降り立った王妃を、市民がたちまち人垣で隠す。 その垣の中に、人々は各々の上着を脱いで放り込んだ。
王妃はそれらの上着をドレスの上から着こんで手早く変装する。
王太子妃も、同じように市民に取り囲まれた。
「エウリア様も王妃様もご無事で何よりじゃ、よかったよかった」
「さすがはイリスモント殿下だよ」
「さあ、外は冷えるで、安酒ですが気付けに飲まれませ」
小さな杯を渡され、上着をかけられてエウリア妃は呆然としていた。
(なんと騒がしい国であろう。
民衆も王族も常識外れで、恥も外聞もなく、みなが勝手な事をする‥‥)
厳しい軍国主義と、その基盤となる封建的な思想と、戒律を重んじる首尾一貫した正当性。 故国モンテロスでの王宮の暮らしは、清らかだが冷たいものだった。
王女であった自分に向けられる周囲の顔は、笑顔ではなかった。
監視、期待、失望。
王宮の中で、自分は飾り物以上の役をしないことを、常に要求されていた。
「その行為は、王女にはふさわしくございませぬ」
エウリアが自分自身の楽しみのために何かすることを、喜んでくれる者はモンテロスにはいなかった、その事に今ごろ気付いたのである。
「おーいみんな、王妃様とエウリア様を先にお送りするぞ。
俺たちはこのままここで、もう少し騒ごうや」
「ヨシ来た、せーの!」
♪ 〇〇〇のダンスは
るンたかラッタ るンたかラッタ ♪
「こらー!そこは伏字じゃねえだろ」
「イヤーン!」
汗臭く不潔な上着に包まれて、王太子妃は涙ぐんだ。
(みんなが勝手な真似をする‥‥。
そして、暖かい笑顔がある)
王太子イリスモントが降りてきて、大騒ぎを続ける人々に丁寧にお礼を述べ、涙でくしゃくしゃになったエウリア妃の顔を拭いてくれた。
その隣で、やはり上着にくるまれて、焼け出された難民のような姿になった王妃が、安酒を振舞ってくれた中年男と笑顔で話をしていた。
この王妃も、生まれながらのカラリア人ではなかったはずだ。
前国王オギア3世に嫁いで長い月日を過ごすうち、この国の色にゆっくりと染まっていったのだろう。
(妾にも、そんな未来があるだろうか)
女同士の婚姻は、モンテロス本国の怒りを呼び、またぞろ開戦の噂が広がりつつある。
エウリアは、両国の平和を願って輿入れした身でありながら、今この時になって初めて、心からそれを願う気持ちになったのだった。
わりかしあっさりと救出成功してしまいました。
魔導師はいったい何をやってたんだ? と疑問に思われてる方もおありでしょうか。 そこまで真剣についてきてくださってるかたがいらっしゃるかどうかも不安ですが‥‥。
とにかく、次週は魔導師がこの時大変なことをやってたんだよ~という話をします。