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千里を歌う者  作者: 友野久遠
情報と結束
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3、笑う親衛隊長

 ユナイ少年は、巨人とふたりきりで旅をして来たのではなかった。

 大人の兵士があとふたりと、派手な衣装を着た若い女がひとり、小屋の外で所在無げにしていた。

 フライオとイリスモントはその前を通りすぎて、静かな場所へ少年を誘った。 


 「クルムシータ、いきなり怒ってはいけないよ。

  ルシャンダはきちんと話をすればわかってくれる人だから」

 小屋を出る際に、ユナイは子供にするように、巨人を何度もなだめて言い聞かせていた。

 

 「あれは何かの魔物か? 魔人なのかな」

 イリスモントがまず、気さくにユナイに話しかけた。 ユナイが首を傾げる。

 「クルムシータは、魔道や魔法とは関係がありません。 多分、精霊の類じゃないかと思うんです」

 「なぜ精霊が結婚したりする?」

 「昔、祖母から虫使いを育てる話を聞いたことがあるんです。

  まず精霊が住む土地に赤ん坊を捨てて、善良な精霊が拾ってくれるのを待つんだそうです。 精霊に育てられた子は、人間以外の生き物と意志の疎通が出来るようになります。 そこを見計らって、親が名乗り出て精霊からわが子を引き取って来るんだそうです。

  クルムシータは、人間の子イニータをそうして大切に育てました。

  精霊と言うのは、頭はいいのですが感覚的な生き物なんで、その子への愛情が恋愛か家族愛かなんて、どうでもいいことなんです。 だから多分、実の娘でなかったら妻なのかと人に言われて、そう思い込んでるだけなんじゃないかと思います」


 「ユナイと言ったな」

 それまで何か考え込んでいたフライオが口を開いた。

 「お前、兵卒か? 歳はいくつなんだ」

 「13、もうすぐ14歳です」

 「‥‥老けたガキだね。 俺が13の時ゃ、言うことなすこともっととっ散らかってたもんだがね」

 「いいえ! ‥‥僕は子供です。 ただの無力な‥‥」

 ユナイ少年は意を決したようにまっすぐフライオに向き直り、首にかけていた物を外して差し出した。


 「‥‥何も出来なかったんです。

  せめて、‥‥せめて遺品をお渡しできればよかったんですが‥‥」

 小さく震える少年の手からフライオが受け取ったのは、葦草で作った短い笛のペンダントだった。

 

 「それはエルヴァ准将の物ではありません。

  このアジトで知り合ったイニ―タから、准将が預かった物です。 だからきっと、このあとクルムシータに渡すのが正解なんだと思います。

  でも、こんな物しか僕の手元には残らなかったんです。

  あとは全て、あのおぞましい砂の下です!」


 ユナイはいきなりその場にひざまづいて、深々と頭を下げた。

 「申し訳ありません、僕のせいです。 エルヴァ准将は僕にこれを渡して、砂の外に押し出して下さって、ご自分はそのまま砂の山の下敷きに‥‥」

 瞬間、フライオは思考が急停止するのを感じた。

 呆然としたまま、機械的に手の中の笛をいじり回していた。

 一度壊れた物をつないだらしく、細い糸でしっかりとくくって包帯のようにしてある。


 「これ、ギルが直したのか」

 少年がうなずいた。

 「ガキの頃、俺が修理の仕方を教えてやったんだ。

  よく覚えてたな、あいつ‥‥」

 フライオはそう言ったきり、沈黙の沼に身を沈めてしまった。


 

 雪明りに青白く光る山の斜面が目に浮かぶ。

 あの雪の冷たさを、今もフライオは覚えている。

 雪の中で靴も履かず、いつまでも手を振り続けていたギリオンの小さなシルエットが、山肌にくっきりと浮かんでいた。

 

 幸せだったあの時代に2度と戻れないことは承知していた。

 あの村にとって、自分は魔物であり村を滅ぼしかけた極悪人であると言う認識が、この歌人には常にある。 彼の中で、故郷と自分の関係はすでに壊れてしまっていた。

 歌人フライオにとって、故郷とは従兄弟のギルと過ごした思い出の中にしかないものであり、未来の従兄弟との再会によってしか再現されない物だったのである。

 その未来は、従兄弟の死によって今、どこにも置き場のない物に変わろうとしている。

 崖下に突き落とされるような未知の恐怖が、フライオの心を鷲づかみにしていた。



 夜更けに激しい馬の蹄の音を聞いて、底抜けルーラは寝台から体を起こした。

 注意深く明かりをつけ、卓上から小さなナイフを取り上げ立ち上がる。 扉の前に、人の気配がするのだ。

 ボディガードに残ってくれているマルタ・キュビレットが玄関へ出て、そのまま話し込んでいるので、敵ではないとホッとした時。

 「‥‥ルーラ」

 小さなノックと共に、歌人フライオの声がした。

 「帰って来たのね」

 ドアの鍵を開けると、歌人は暗い部屋に滑り込んできた。

 「首尾はどうだったの? “牙”とうまくやれそう?」

 「それはモニーがうまくやってくれる。

  これから居間で親衛隊と作戦会議だそうだ」

 フライオは汚れたマントを卓に放り出し、ドッと椅子に腰を落とした。

 「疲れた。 あいつらのアジトったら山ン中もいいとこだ」

 いいながら、靴の脚半布を外し始める。


 ルーラは意外な展開に目を見張った。 単にただいまを言う為に部屋に来たのかと思っていたら、歌人のこの様子だとここに落ち着いてしまうつもりらしい。

 しかも本人が、それを少しも不自然に思っていない。

 (あたしも少し変ね。 これまで、1回寝ただけで亭主気取りで入り浸る男は嫌いだったのに。

  モニーの部屋でなく、ここで靴を脱いでるのが嬉しいだけかしら。

  それともこの人が、いずれまた旅立ってしまう人だから、特別に思っているだけかしら)


 軽いキスのあと、ごく自然に寝台に入って来た歌人は、ここで極めて不自然な言葉を口にした。

 「ルーラ。 俺が怖かねえか」

 「‥‥なぜ?」

 「俺は竜使いだ。 人の心を操るとも言われてるぜ。

  関わり合いになったら大変なことになるかもとか考えねえか?

  ハッと気付いたら、その手が血まみれで、目の前に死体が転がってるかもしんねえ‥‥とか」

 ルーラはしばらく考えてから、穏やかに首を振った。

 「そんなことは想像もつかないわ。

  第一、そんなことをしてあなたの得になることなんてないでしょ?」

 「は。 わかっちゃいねえな」

 フライオは肩をそびやかし、ついでにルーラの体を抱き寄せた。

 「大好きな相手がいりゃ、その相手を奪うヤツが憎くなるし、 苦しめるやつはもっと憎くなる。

  大嫌いなやつがいりゃ、そいつが転ぶのを本気で望むし喜ぶだろ。

  そんなことにならねえのは、俺がわざわざヘロヘロにやっちまってるからじゃねえか」

 

 「ヘロヘロ?」

 「ヘロヘロの、フラフラの、サバサバさ。

  今みてえに、長いことひとっ所にいたり、同じ人間とつるんでたりしちゃいけねえんだよ」

 「‥‥誰かを好きになったり、憎んだりしてしまうから?」

 フライオは答えなかった。

 深追いを避けるように、濃厚な口づけで会話を中断した。


 ルーラの胸に、切なさが波のように寄せて来た。

 フライオは誰かを愛したんだろうか。

 誰かを憎んだんだろうか。

 このたった2日の間に、誰を好きになったんだろう? 誰を嫌いになったんだろう?

 頬を染めてフライオを好きと言った、イリスモントの顔をつい思い浮かべてしまう。 何の根拠もない話だ。


 歌人の熱い唇は、ルーラの胸元を燃え立たせる。

 それは浜に打ち上げられた小船を揺する波のように、決して全てを浚って行ってはくれないもどかしい情熱だった。

 こんなに暖かいのに、冷たく感じる。

 こんなに近いのに、遠くに感じる。

 目尻を伝う涙は、快感のせいと思うことにした。

 ルーラもまた、フライオと同じように「ヘロヘロにやる」方法をよく知っていたのだった。



 狭い寝台でふたり抱き合って迎えた朝、早い時間に、ノックの音で起こされた。

 「‥‥はい?」

 底抜けルーラが用心深く返事をする。

 「すまぬルーラ、私だ。 具合はどうだ?

  夕べ帰って来てから気になっていたのだが、夜が遅かったのでな」

 ルーラとフライオはこっそりと顔を見合わせた。 フライオが手振りで、自分のことは隠せと合図する。 そしてそのまま、寝床にもぐって布団に化けてしまった。

 ルーラはローブを羽織ると、部屋の中を見られないように注意深く廊下に出た。 まだ薄暗い廊下に立ったイリスモントは、寝不足なのか青白い顔をしていた。


 「お帰りなさい、モニー。 交渉はうまく行ったの?」

 「順調だ。 情報がもらえたのが一番の躍進だな。

  母上を救出する作戦を練って徹夜したので、これから寝るところだ。

  これ。‥‥情報屋で泉の主どのが、土産にふたつばかりくれたのだが」

 手の中に入るほどの小さなガラスの鉢を、王太子はルーラに手渡した。 覗き込むと、ガラスの中には水が詰まっており、爪の先ばかりの大きさの虹色の魚が3匹、踊り子の衣装のように派手な尾びれを振り振り泳いでいる。


 「可愛い!! あたしが貰ってもいいの?」

 「うん、日当たりのいい場所に置くのがいいそうだ」

 「モニー、ありがとう」

 ルーラは無邪気に喜んで、ミニチュアの水槽を受け取った。 そのルーラの後ろで、布団の中からこっそり覗いたフライオは内心で悲鳴を上げていた。

 (勘弁してくれ! そいつは爺ィの覗き窓だ!!)


 


 親衛隊長イーノ・キャドランニは、グランピーノ邸の中庭にある手洗い場で朝の洗顔を済ませてから、ふと驚いたように後ろを振り返った。

 「殿下! 脅かさないでください。 なんで黙ってそこにおいでに‥‥。

  ええ‥‥と‥‥、どうかなさいましたか」

 青ざめて唇を噛み締める王太子イリスモントは、尋常ならず思い詰めた様子に見えた。

 キャドランニが心配して顔を覗き込むと、沈んだ声でぽつりぽつりつぶやく。


 「イーノはわが親衛隊の中では、知性派で通っておるから、そなたに聞くのが一番よいかと‥‥」

 「‥‥はあ、何でしょう?

  私の知るところであれば、喜んでお教え申し上げますが」

 「どうもな、フライオに聞いてもはぐらかされているようなのだ」

 「あのいい加減な歌人に何をお聞きになったのか存じませんが、知らなかったのでごまかしたのではないですか?」

 ちょっと得意げに答えたキャドランニの表情が、王太子の次の一言で凍りついた。


 「知らぬはずはない。 フライオは夕べルーラの部屋に泊まって、一晩一緒に祈ったらしいのだ。

  なのに私とは出来ぬと言うのはどういうことだ?

  きっと私がやり方を知らぬのをよいことに、うまく誤魔化して逃げたのだ!!」

 「お、お、お待ち下さい殿下。

  一体なんの話をなさっておられるのですか!」

 「ベッドでの所作所業に決まっておろう!!」

 

 極端に長い沈黙があった。

 その間、キャドランニの目玉は顔面からはみ出すほど大きく見開かれ、顎がゆっくりと下がって、最後に咽喉仏とくっついた。

 「なんでそんな頓狂な顔をするのだ」

 呆れ顔で、イリスモントが言った。

 「馬鹿のふりをして、そなたも逃げるのか。 さっさと返答いたせ」

 「わはははははは」

 キャドランニが突然、妙にうつろな声で笑い始めた。

 「なんだ? 何がおかし‥‥」

 「うはははははははは」

 「イーノ!ふざけるな」

 「ぶわはははははははは」


 数時間後。

 フライオが準備した昼食の席に、キャドランニの姿はなかった。

 買出しから戻って来たマルタ・キュビレットの証言によると、グランピーノ領内の畑の中を笑いながら走り回っているとのことだった。


 潔癖な親衛隊長が、一時的に壊れてしまった理由を言える者は、王太子本人を含めて誰一人いなかった。

 

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