4、人生はびっくり箱
兵士イシュルドの決死の演技は、謁見室に集まった人々を唖然とさせた。
彼が指差しているのは、歌人の後ろの大きな空間だった。 一同は食い入るように見つめたが、当然そこに何かを見た者はいなかった。
ただひとり、異国の歌人だけが、兵士と同じ空間を振り返り、その美貌に笑いをたたえた。
「そこに、その、竜がおるのか」
セイデロス国王ディン・ドビリアンはいぶかしげに尋ねた。 歌人への質問だったが、答えたのはイシュルドだった。
「はい、はいッ国王陛下! わ、わたくしには見えます!」
兵士は必死の形相で、国王の正面に飛んで行って跪いた。
「真赤な巨大なものが、この男を守っております。
へ、部屋に入るのが不思議なくらいの大きさで」
ざわめきが広がった。
護衛の士官や小姓の少年らが、互いに見えるか見えるかと囁く声である。
ギリオン・エルヴァは大げさに驚いて見せた。
「おお、陛下! すばらしい。 陛下にお祝いを申し上げます!」
その場で腰を低くして、最敬礼をする。
「大変よい兵士をお抱えあらせられましたな。 私の竜を見ることが出来る者は、真に有能な者です。
だけでなく、心は純粋で清らかでなければ、普段の竜を見ることは叶わないのです。
かつてモンテロス軍オーチャイス侵攻の際に、最後まで無傷で残ったのがほとんど子供だけであったのは、無垢な者だけが竜の力に反応したからと考えられております。
人を殺める兵士の身でありながら、有能かつ心根の清らかなままというのは、まさに奇跡のようなもの。 その精神力は天才に値します。
陛下、まことにおめでとうございます!」
ギリオンがうやうやしく頭を下げると、他の臣下たちもつられて頭を低くした。
おめでとうございますと口々に言われて、国王は苦い顔をした。 ここまで言われながら、「わしには見えない」と口にすることが出来なくなってしまったのだ。
「‥‥ファディーロとやら」
国王は渋面を歌人に向けて、テンションの落ちた声を絞り出した。
「その竜を、わが命に従わせることは可能か?」
「努力いたします。
しかるに陛下、それにつきましてはひとつお願いがございます」
「お願いだと」
奴隷の身の上で何を図々しい、と言いたげである。
「私のことではございません。 竜の憑依になったこの少年のことでございます」
一同の視線が、ウルムダと並んで座ったユナイ少年に集まった。
「その子は、故郷に保護者がありながら、竜に気に入られてしまったために私に同行し奴隷になってしまいました。 これ以上私のために、彼をこの国で路頭に迷わせるわけには行かないのです。
陛下、竜をお望みになるのなら、この少年を私と同行させてくださいませ。 世話は私が致します。
引いてはその方が、竜の機嫌もよくなり、こちらでも扱いやすくなりまする」
「その竜、まことに役に立つのであろうな?
万能でないと言っておったが、では何が出来るのか?」
国王に問われて、ギリオンはにやりと笑って見せた。
「それは一つの賭けでございまするな」
「なに?」
「竜神は人外の力でございますから、何もかもに反応してくるとは限りません。 そこを我々が、極力カバーしコントロールしておるわけで。
‥‥しかし陛下、その方が人生楽しくはございませんか」
国王の顔が、疑問の表情でゆがんだ。
「何が出るかわからない、人生はびっくり箱でございますよ。
私はもう、この竜を手に入れてから、明日はどんな目に会わされるかと、それはもう毎日が楽しみで楽しみで」
「変態め」
口の中で呟いたのは、ゴアルド将軍である。 他の者たちも、酔狂なエセ歌人を胡散臭げに見やった。
「ふははははは」
不意に低い声で、国王が笑い出した。
「奴隷に落とされ、殺されかけたというのに、その口で楽しみと言いおるか。
変な男だ、気に入った。 なあ将軍よ。
王者たるもの、このくらいの心のゆとりがあってよいのではないか。 国を統べるという野望は叶ったのだしな」
「陛下! 冗談で、かような怪しい者を信用なさるのは危険ですぞ」
将軍が柄にもなく抑制に回ろうとする。
「失礼ついでに国王陛下。
ひとつ、私と賭けをなさいませんか」
将軍の言葉にかぶせるように、ギリオンがたたみかけた。
「賭けだと」
国王の目が輝いている。
「きさま、図々しいぞ」
将軍が気色ばむのをまあまあと抑えて、国王は視線でギリオンに次の台詞を促した。
「将軍様のお馬のことでございます。
実は、わが竜が私に申しますには、将軍様のご愛馬はあと数ヶ月で身動きしなくなるであろうと」
「本当か」
国王の目は、今度は将軍を促す。
「で、出まかせでございます。
私めの馬は、半年前に高値で手に入れたもので、そのような弱い駄馬ではございませんし、現在も元気に働いております」
噛み付くようにまくしたて、将軍は鼻息も荒く歌人を睨みつけた。
ギリオンは平然と続ける。
「もちろん、現在はそのような兆候はありません、あくまで竜の予言でございます。
そこで陛下、この予言がもし的中いたしましたら、私とこの少年の鎖を外し、奴隷からもう幾分かの昇格をさせては頂けますまいか」
この図々しい申し出には、さすがに一同がむっとしたらしい。
室内の空気が一瞬、緊張と怒りで急冷した。
「それが賭けか。
ではもし外れた場合はどうするのだ? そちは何もかけるものを持っておるまい?」
国王が意地悪く笑った。
「その時はどうとでも、国王陛下のお気の済むように」
「期限は?」
「3月といたしましょう」
「ぬるいな。 ふた月だ」
国王は凄みのある声で、歌人の提案を覆した。
「これからかっきりふた月だけ待つ。 ふた月めの今日になっても、将軍の馬がまだ元気でヤツの巨体を運んでおったら、そちを奴隷からもうひとつ落とすとしよう。
軍用娼婦の証明書を発行してやるから、その少年とふたりで近衛の兵舎を回って、自分に支払われた奴隷買い取りの代価を、自分の体で稼いで、このディン・ドビリアンに支払って貰おうか」
王宮の中とは思えぬほど、下品な含み笑いが謁見室に充満した。
ゴアルド将軍は好色そうな表情に口元をゆるめて、ギリオンとユナイの姿を代わる代わる見比べた。
「どうするおつもりですか、隊長!
せっかく国王が我々を買い取る気になったのに、あんな無謀な賭けをするなんて」
ふたりきりになった途端、ユナイ少年は上官に噛み付いた。
「あの賭けは、何か必然性があったんですか?」
「まあまあ、考えてごらん。
これで取り合えず2ヶ月間、我々の安全は保障されたんだ。
すぐに戦に狩り出される危険もなさそうだし、身分詐称が疑われても即刻殺されることはない。
それにごらん、ユナイ。
奴隷にしたら、こんな個室をあてがわれるのは特上の扱いだと思わないか」
ギリオン・エルヴァはにこにこと室内を見回した。
もともと武器か何かを保管してあった倉庫を、使用者の都合で他に移したあとの空き部屋といった印象の小部屋だった。 天井に届くほどの、干しレンガと金属で組まれた空っぽの大棚があるだけの、ほこりまみれの小さい部屋である。
しかし、何より重要なことは、通風性を重視した王宮内では珍しく、不透明なドアと鍵がついているということだった。 武器庫を吹き抜けにするわけにも、廊下から丸見えにするわけにも行かないのだろう。
「我々がここに入れられたのは、もちろん逃げ出さないように鍵をかけるためだが、普通なら奴隷は奴隷部屋に入れられる所だったと思わないか」
本能的に室内を安全確認してから、ギリオンは棚の最下段に腰掛けた。 どこに手を触れても鉄サビが真赤になるほどくっついて来て、衣服がすぐに汚れたが、贅沢を言ってはいられない。
「奴隷部屋って、格子牢みたいなところでしょう?」
ユナイが聞いた。
「多分ね。 牢名主のようなのが全員を顎で使ってて、大抵新入りは入ったその日にリンチに遭う。
そうやって反抗心の芽を摘み取ってしまうのさ。
でも我々は竜を背負っているから、そんなことになって万が一、奴隷部屋で竜が暴れたら一大事になると思われたんだろう」
本当のところは、娼婦に降ろす前にキズモノにしたくなかったという理由もあるとギリオンは思ったが、さすがに少年の前でいかがわしい詮索はやめておいた。
ともあれ当面は、この部屋でのんびり過ごせそうだ。 その間に、本国から救援が送られたら万々歳なのだが、あまり期待するのはよした方がいいかもしれない。
「それで隊長、あの馬はどういう状態なんですか」
ユナイが改めて聞いた。
「そう、具合が悪いのは確かだね、膿の溜まった顔をしている。
3ヶ月くれれば、そこそこ深刻になる見込みだったんだが」
「目が悪いんですよね」
「いや、虫歯だ」
「虫歯!?」
ギリオンは座ったばかりの棚から立ち上がり、はめ込まれた棚板を点検し始めた。
「‥‥ふむ、こいつは道具がなくても外せそうだぞ」
「でも隊長、あの大きな馬が、虫歯なんかじゃ死なないでしょう?」
棚板を外し始めた上官の体をよけて後退しつつ、ユナイが質問を重ねた。
「いや、虫歯を甘く見ちゃいけないぞ。
上の歯が虫歯になって、その膿が頭蓋まで達すると、その上はすぐに視神経だから、目が見えなくなる。 その後、眼球まで曇って来て、気付いた時には奥行き側に溜まった膿が、脳を圧迫している。
竜頭馬は口の開きが小さくて、上の奥歯まで点検しにくいんで、よくそれで命を落とすんだ」
「で、でもそんなになるまでに痛がるでしょう?」
「あれはユグリナという改良種でね。
極端に我慢強いというか、痛覚が鈍感な品種なんで、軍馬に最適と言われ、一時大ヒットした。 少々の矢傷ではびくともしないのが重宝がられたんだね。
だがその分、飼い主がきちんと健康管理してやらないと、突然倒れて動かなくなった時にはもう手遅れだ。 本来、あのゴアルドみたいなガサツなヤツに合う馬じゃない、もっと世話好きなヤツに適した馬なのさ。
ところが現実には、ぐずぐず言わない楽な馬だと言って、面倒見の悪いヤツばかりがあの馬を欲しがる。 多分あいつも、前の飼い主が戦場で飼い葉を与えられないもんだから、栄養補給に角砂糖かなんかを与えてたために虫歯になったんだろう。 不幸な馬だ」
ユナイ少年は、馬が2ヶ月以上生きられるといいなと思った。
本当はそれで賭けに負けたら困るわけだが、きっと彼の上官もあの馬が死んだら悲しむだろうと思われた。
もしかしたら、ギリオンは馬を早く医者にでも診せるように脅しをかける意味で、賭けの提案をしたのかもしれない。 とにかくちょっと人がいいから気をつけろと、ユナイは副長のヴィスカンタに言われているのだ。
「‥‥で、隊長殿は、一体何をしておいでなのです?」
半分あきれたように、ユナイが尋ねた。
ギリオンは棚の底板を、上・中・下段全部外し、板を支えるために渡された、平たい金属の棒を3本とも、枠から引っこ抜こうとしていた。
「‥‥僕、お手伝いした方がいいですか?」
「うん、そこで外した棒を受け取ってくれたら助かるね。
それから、そのあと肩を貸してくれ、降りられなくなったから」
早く言ってくれればいいのに、と内心で失笑しつつ、ユナイは上官から渡された3本の金属を壁に立てかけ、そのあとで相手が棚の上段から降りるのを手助けした。
「これ、もしかしたら武器にするんでしょうか?」
ちょうど大振りの剣ほどの長さになる棒の根元に、ターバンで握りを付ける作業を手伝いながら、ユナイが聞いた。
「まあ、何があるかわからないからね」
「でも2ヶ月は安心なんでしょう?」
「別口がいるじゃないか。
ほら、我々が生きて自由におしゃべりしたら困る男が、約一名」
「ああ、あの間男さん」
「こら。 上級武官の御曹司が、下品な物言いを覚えてはいかんぞ」
呑気な口調の上司を横目で見ながら、これは密室でも油断はできないぞと、心の中でため息をつくユナイであった。