3、寄せ集めの軍隊
すみやかに代金を値切りにかかった王妃を、セイデロス国王は鷹揚に制した。
「まあ待ちなさい、竜使いに会いたいと言ったのはわしなんじゃぞ。
それに聞いた話を総合すると、このチビ助にはだれも金を払っておらん。 と言うことは、わしの払う金も、この子の分は含まれておらんと言うことと思うが、違うか商人」
「陛下のご明察、恐れ入ります」
「さて、では改めて問うが、こやつが竜使いであるという証拠はどうやって見せる?」
「はッ?」
「竜が万能の神とすれば、それを使役する者も万能だろう。
そもそも奴隷化することは無理と思うがの」
(おっ)
来たか、とギリオンは身構えた。
いつ指摘を受けるかと、最初からハラハラしていたのだ。 スチャラカな顔をしていても、国王は馬鹿ではないらしい。
「それは陛下、そのためにヴァリネラを取り上げてこちらで保管しておりますので‥‥」
汗かきのウルムダが、全身びしょ濡れになって釈明すると、案の定国王は笑い出した。
「ということは、その楽器を返した途端に、こやつは逃げ出してしまうと言うことではないか? それでどうやってわしがこやつを使役するというのか、聞きたいの」
「は‥‥し、しかしそれでしたら」
ボタボタと冷や汗を垂らしながら、ウルムダは国王の顔を見上げ、あわてて不敬にならぬよう頭を下げる。
「お言葉ですが陛下。 そ、それでしたら、なぜそもそも、竜使いを連れて来いなどと、私にお命じになったのでございましょうか?」
「わしは本音を言うたまでじゃ。
誰だって欲しかろう、竜使いは」
「そんな! では不可能ごととご承知で仰せであったと‥‥」
悲痛な声で、ウルムダは追いすがった。
「まああきれた! なんて無礼な商人なの?」
王妃が横から、いらついた声で遮った。
「さっきから聞いていれば、お前は出入り商の分際で、陛下に不平たらたら、無礼だと思わないの?」
「は、は、ははっ、申し訳ございません!!」
踏みつけられた芋のように床に張り付いてしまったウルムダを、さすがにギリオンも気の毒に思った。 多分、諸国を回る者の見聞の広さを見込んで、竜使いを探せと申し付けた時点では、国王もそこまで具体的なことを想定はしていなかったのだろう。
ウルムダも、奴隷でなく竜使いを説得して同行と言うカタチを取るべきだったのに、ルシャンダにだまされてこのような事になったのだ。
「本人に聞いてみましょうよ、陛下。
ご覧になって。 この男は何か言いたそうにしてますわ」
王妃が急に華やいだ表情になって、ギリオンに水を向けた。 先ほどから声をかけたくてウズウズしていたのがミエミエだった。 国王が特に反対しないので、勢い込んで尋ねる。
「お前、名前はなんと言うの」
「ファディーロと申します、お方様」
わざと田舎臭い言葉で、ギリオンが答える。
「ファディーロ。 竜を見たことがある?」
「はい。 私に歌を教えてくれたのは、滝つぼに住む竜でございました」
「竜に歌を!」
「魔法の力を持つ歌でございます。 おかげでオーチャイス壊滅の折も、私は命を取り留めました。
したが、王妃様。 竜は万能であっても、歌は万能ではございませんぞ」
王妃は不思議そうに首をかしげた。 そういう表情をすると、若い王妃の顔はまだ幼く、仕草はあどけなかった。
「私はこの竜の歌に、何度も助けられて生きて来ました。
しかし、願うこと全てが叶ったわけではございません。
竜は神であって、人は人である以上、人が神を越えてそれを使いこなすことはありえないのです」
かつて、幼いラヤがそれと同じことを言っていた。
こっちがお仕えするものなのだ、と。
ここで竜神の存在を否定してしまっても、さほど不都合は無い。
エルヴァ隊の面々は、今頃は解放されてカラリアへの帰路をひた走っているだろう。 もう種明かしをしたからといって、どうこう言われる筋合いではない。
しかし、ここで国王を怒らせてウルムダが殺されでもしたら、やはり後味が悪いし、ルシャンダの今後の商売にも支障が出ては気の毒だ。 この場は信用させて、王宮に買い取らせてから、隙を見て逃げ出すか解放させる手立てを見つけるかするほうが得策に思えた。
国王は大きくうなずいた。
「なるほど。 では証明する手段はひとつしかないということだ!」
それから彼は、ふと立ち上がって中庭に向かい、自ら大声で呼び立てた。
「ゴアルド将軍! 誰かあと一人連れて、入って来い!」
広い庭内で、隊列を組んで戦闘訓練をしていた衛兵の中から、兵士がふたり抜け出して室内へ入って来た。
「おっ‥‥きさま」
ふたりのうち、恰幅のいいほうの男が、ギリオンの顔を見て大きな声を上げた。
先ほどの長槍男である。
今は槍を持たず、腰から広帯で長剣を一本、刺していた。
さきほど同様、好色そうな目つきでギリオンをねめ回しながら、長槍男は一礼して国王の前に歩み出た。 この暑いのに、彼らの体躯から吹き出す熱気は湯気を吹かんばかりで、室内の人間は揃って顔をしかめた。
しかし、ギリオンは次なる衝撃の為に、その熱波を感じなかった。
ふたりめの男にも、見覚えがあったのだ。
来る途中の回廊で、女性の誘惑に半泣きになっていた兵士。
つまり、王妃の浮気相手の男と言うわけだった。
彼は思いに沈んだ表情で、おどおどとギリオンの視線を避けようとしていた。
どうやら、室内に入る前からとっくに気付いていたらしい。 上司である長槍男に命令されて、いやいや連れて来られた様子だった。
「ゴアルド将軍、それからええと‥‥」
「イシュルドであります、陛下。 シリア総督軍から移籍したての者で」
長槍男が国王に部下を紹介した。
「移籍者が増えて、将軍も荷が重かろう。 まるで混成部隊だからの。
苦労をかけるのう」
本気だか皮肉だかわからない口調で、国王が将軍をねぎらってから、続けて真顔で恐ろしいことを言った。
「さぞかしストレスなど溜まるだろうから、ここで憂さ晴らしをさせてやろう。
この青年、ふたりで好きに切り裂いてよいぞ」
「は?」
兵士たちが目をむく。
「陛下! ご冗談は困りますわっ」
王妃が血相を変えて叫んだ。
「冗談など言わん。 その者は自分を竜使いと偽って、周囲をたぶらかした詐欺師だ。 殺されたって誰も文句は言わんわ。
どうした、将軍。 さっさとやらんか!
‥‥それとも、国王の命令程度では、無抵抗の者は斬れんかな」
(まさか。 大得意だろう、無抵抗の者を殺すのは)
ギリオンは口の中で言って、ゆっくりと立ち上がった。
ビリッと空気を震わせて、将軍ゴアルドの巨体が緊張した。
その顔が静かにこちらを向いて、ギリオンの顔を見据える。 明らかに先ほどとは違って、殺気を含んだ視線であった。
(なるほど、一枚岩ではないのだ、この国の軍隊も)
ギリオンは大まかに察しをつけた。 国内統合までに時間がかかりすぎ、国王の軍隊は元からいた名将を何人も失い、敗者を併呑してふくれあがったのだろう。
そして10年たった今でも、心から信用できる軍人は育たず、平和に甘んじて軍は疲弊して、政治力だけが充実を見せている。
「陛下、陛下、私にどうしろと仰せですか。
おとなしく彼らに叩き斬られる事をお望みですか」
わざと悲痛な声を出して、ギリオンは逃げの態勢を取った。
国王はガハハと豪快な笑い声を立てる。
「何を言う。 そちには歌という立派な武器があるだろう。
それでもってこやつらの攻撃を撃退して見せい。
竜がまことにそちの味方なら、その歌で救ってくれるはずだろう」
「ああ、その手がありましたな」
ギリオンは大げさに感心して見せた。
「では歌わせていただきまする」
白皙の美貌に不敵な笑みをたたえて、ギリオンは一礼した。
ただし、彼の視線がとらえたのは、長剣を抜き放った将軍ではなく、その後ろでやむなく剣を構えた、新参者イシュルドであった。 ニセ歌人は、イシュルドの顔を覗き込むように見つめて、わざとらしく笑って見せたのである。
「気色の悪い男だ!」
将軍が長剣で突き込んで来た。 ただし、これは脅しだった。
わずかに体を引いてかわしたギリオンの胸元で、今度は本気の剣先が空気を薙いだ。
一歩飛び下がってから、ギリオンは歌を始めた。
大変いい加減なメロディーだったが、歌詞の方は自信作だった。
運命の女神の白い手が
たたずむおまえを優しく招く
人生の回廊の片隅で
お前は迷い、立ちすくむ
イシュルドが顔色を変えた。
そしてたちまち本気を出して、力いっぱい剣を振るって迫って来た。
要らぬことを喋られる前に、殺してしまおうと決心したらしい。
「あああ、あぶない!」
ユナイ少年が立ち上がって止めに行こうとするが、白刃を振り回す大人ふたりに寄っていくことも出来ずに足踏みを繰り返すばかりだ。
ギリオンは全身の神経を研ぎ澄まして、ふたりの太刀筋を読み、最小限の動きでそれをかわしつつ歌を続けた。
高貴なる御手の招きで
お前は運命の扉を開く
それは成功への入口である
同時に裏切りへの迷路でもある
「やめろおお!」
イシュルドはわめいた。 逃げるギリオンの肩口を剣先がかすめ、石壁が火花を上げた。
王妃も何か叫び声をあげていたが、こちらはせっかく目を付けた美貌の歌人を死体に変身させたくない一心の様だ。 王妃はさきほどの廊下に、ギリオンたちがいたことを知らない。
ふたりの剣士はニセ歌人に追いすがり、必死になって剣を繰り出す。
ギリオンの目から見ると、かなり稚拙な攻撃で、歌いながらよけても全く負ける気にならない。
おまえは女神の御名を呼ぶ
“おお、狂おしきわが女神よ
その胸に我を抱きたまえ
いとしき姫よ、その名はダリ‥‥”
「うわあああああッ!」
イシュルドが剣を放り出して咆哮した。
その狂ったような変貌に、一同が唖然とする。
されば女神は、お前の名を呼び給う
“愛しき剣士よ、我は愛を誓う
その名もイシュ‥‥”
「わああああああああおう」
切り捨てて黙らせることが出来ないと分かって、イシュルドは大声で怒鳴り始めた。
「その歌はやめろ!
こいつは竜使いだ! 本物だ!
俺には見える! 竜がこいつの後ろに立ってる!」
イシュルドは震える指先で、ギリオンの背後の空間を指差して叫び続けた。
「竜だ!竜がいる!
みんな見えないのか? ほら、そこにいるじゃないか!
間違いない、こいつは竜使いだぞ!!」