2、王妃は現代っ子
セイデロスの公用語は、モンテロスと同じ流れの言葉である。
国境警備隊では、周辺諸国の言葉を覚えねば仕事にならぬので、ギリオンもユナイも、日常会話に不自由しない程度には理解できる。
しかし、驚いたのはこの国の言葉使いの大雑把な印象である。
「いらっしゃいお客人。
刃物はありますか? 預かりますね。
靴の泥はそこで拭ってくださいね、はい、じゃあ行きますよ~」
これが、王宮の入口で門番から発された言葉だった。
「ぞんざいな言い回しをするなあ」
ギリオンがあきれてつぶやいた。
「城内の雰囲気もラフですね」
ユナイもうなずいた。 案内役の侍従らしい少年が、「こっちでえす」と手を振っている。
「そういうところはガチャガチャさ。 所詮は建国10年よ」
ウルムダがあざ笑うように囁いた。
王城に踏み込むと、石壁の冷たさが体の熱を鎮めてくれた。
重い扉が並んだカラリアの城とはずいぶん趣が違い、この城にはドアと言うものがなかった。
部屋の入り口を遮っているのは、薄いが不透明な布で、そこから涼しい風が吹き抜けて来る。
明かり取りの窓は、日光の猛威を避けるために天井近くに格子状に開けられ、足元にも通風のための格子窓が開いていた。
ギリオンとユナイは、両手を拘束した鎖に縄を付けた状態でウルムダに引かれ、案内役の少年に従って長い廊下を歩いた。
途中、十字路にかかったところで、ギリオンが不意に立ち止まった。
いやにコソコソ歩いている男が目に留まったからだ。
男はさっきの兵士と同じ服装で、腰から剣を吊っていた。
こちらの視線に気付いて、あわてたように柱の陰に身を隠す。 笑ってしまうほどバレバレに怪しいのだが、本人は大真面目であった。
「おい。 何してる、早く歩け」
後ろからウルムダが急かした。 先頭の少年も、いぶかるようにこちらを見ながら足を止めている。
「こそ泥みたいなのがいるが、ほっといていいのかと思ってな」
「こそ泥?」
「さっきは殺人鬼っぽいのがいたし、この国の軍人は、ある意味で粒ぞろいだな」
体を隠しきれない狭い柱の窪みに貼りつき、男は動くに動けない様子で伸びたり縮んだりしている。
なんとも滑稽なので笑いながら見ていると、男の斜向かいの部屋で、中から扉代わりの布をたくし上げる者があった。
若い女が、ベールに覆われた顔を布の外に出して、男を手招いた。
男が、ギリオン一行を気にして首を振る。
女がさらに手招く。 彼女からはこちらの存在が見えていないらしい。
何度か首を振った後、男が泣きそうな顔で意を決して女の部屋に入って行った。
「逢引きか。 男色でない軍人もちゃんといるようだな」
ギリオンが小ばかにしたように言った。
「モロバレでしたね。 あれならあんなにコソコソしなくても一緒でしょうに」
ユナイも面白がっている。
「あれは女のほうが身分が高いんだ、あけすけにやると迷惑になる」
「だって女性の方が誘ってましたよ。
あの男の人も、泣くほどイヤなら断ればいいのに」
「ユナイ、子供はわからなくてよろしい」
来る早々、変わったものを見られて喜んでいる呑気な奴隷たちを、ウルムダが後ろから蹴り付けた。
「さっさと歩け、まったく!」
御用商人ウルムダとギリオン、それにユナイ少年が通されたのは、広いテラスが付いた、妙に開けっ広げの部屋だった。
大きな出入り口は中庭に面しており、ぞろぞろ行き来する衛兵たちから丸見えだ。 家具も何もない室内の床は、ずっしりした絨毯が中央にだけ敷いてある。
「その辺に尻を落とせ。 立ったままだと不敬になる。
この国は椅子に座る習慣がないんだ」
ウルムダが言って、床に直接あぐらをかいて座って見せた。
一行の正面に、立派な彫刻をほどこした石壁がある。 よく見ると壁面全部が、レールのようなものにはまった、可動式の壁だ。 横開きの扉のようなものだろう。
その壁に向かって座ったまま、延々と待たされた。
「ま、王宮なんてどこもこんなもんさ。 カラリアだって似たり寄ったりだ。
他人の時間なんて、タダで湧き出る泉くらいに思ってるんだろうさ」
ウルムダは床に置かれた籠から果物を取り上げてかぶりつき、ギリオンとユナイにもひとつずつ放って寄越した。
ギリオンはふと思いつき、ユナイ少年に向かって、こと更に猫なで声を出して手招いた。
「そんなところにいないで、ここにおいで。 ほら」
兵卒の少年は、顔を火照らせて硬直した。
上官が指している「ここ」とは、自分の膝の上だったのだ。
演技だと察しがついたので、少年は大人しくその「特等席」に上がりこんだが、その笑顔は完全に引きつっていた。
「やれやれ、この暑いのに」
男同士でいちゃつき始めたと思ったウルムダは顔をしかめたが、すぐにため息をついて庭の方に目を逸らした。 まだまだ待ち時間が終らないと踏んだのだろう。
ギリオンは素早く首にかけた笛を外した。
ユナイの果物を剥いてやるふりをしながら、巻きつけた布を外して見た。
小指ほどのサイズの笛は、小枝のようなもので出来ている。 その正面に縦一本、長い亀裂が入っていた。
ギリオンは、ユナイのターバンの房の部分から、糸を一本引き抜いた。
それを丸めて口の中で湿らせてから、笛に巻き付けると、器用に締めながら縛った。
幼い頃、彼の従兄弟がそうして笛を修理するのをよく見ていたのだ。 ユナイ少年が眼を丸くして、上官の意外な手さばきを見守っていた。
修理した笛を、元通り布で包んで首に掛けなおす。
本音を言うと吹いてみたかったのだが、何が起こるのか知りもしないで音を出すのは不安だったのでやめたのだった。
そうこうしているうちに、壁の向こうにたくさんの足音が響いて、周囲が人の気配で満ちて来た。
いよいよ国王の御成りである。
ギリオンは急いでユナイを膝から降ろし、服装を整えた。
入口の布を掲げて、小姓の少年が声をかけた。
「国王陛下のお越しです~」
やはり緊張感がない言葉だった。
正面の壁がゴロゴロと音を立て、左右にスライドして開いた。
扉の向こうは、小さな舞台の様に床が一段高くなっていた。
後ろの壁に豪奢な装飾布が掛けてある。 その前に座っているのが、セイデロス国王ディン・ドビリアンであった。
退廃した貴族社会を覆して台頭して来た武人たちを打ち負かし、40年の長きに渡る戦乱の時代を終幕に導いた立役者であるドビリアンは、勇智を兼ね備えた優秀な武人として知られている。 確かに目の前に居る男は、その噂に恥じぬ立派な体躯の持ち主だった。
しかし惜しいかな彼の顔は、一国の王と呼ぶにはひょうきんに過ぎると言わねばならなかった。
何よりその表情は、どう見ても真面目なことを考えているようには見えなかったのである。
箍の緩んだような口元に、落ち着き無く動き回る大きな目。
その緊張感皆無の顔立ちに、好奇心という子供じみた表情をたたえて、国王はギリオンとユナイをハタと見据えた。
「なんだなんだ、ずい分と見栄えのするのを連れて来たものだな、ええ?」
その声も、威厳や高貴さとは無縁なものだった。
「マバトの市場での話は聞き及んでおる。
こりゃウルムダ、いつまでもペコペコしとらんとさっさと説明せんか。
こやつらのどっちが竜使いだ?」
「ははッ、はい。 年かさのこちらが歌人で竜を使いまする」
ウルムダが慌ててギリオンの髪をつかむと、強引に頭を上げさせた。
挨拶も口上もすっ飛ばして、本題になだれ込んでしまったわけだ。
「芸名をエデリコの息子、本名をファディーロと申します。
竜弦を奏でて人心を操る力がございます」
「いい男だな。 うーん、いい男だ」
何故か悔しげに国王は言う。
「仕方ない、王妃を呼んできてくれ」
「は?」
国王に唐突に声をかけられた侍従が、ひっくり返った声を出す。
「ひ、妃殿下を、今‥‥ですか」
「うん、約束してしもうたからなあ。
いい男だったら、呼んでやるから見に来いと」
頭をぼりぼり掻く国王の様子に、あきれた全員の顎が胸まで下がった。
呼ばれて来た王妃は、王の妃と言うより娘のような年頃だった。
顔立ちも、ずい分幼い。 褐色の肌に、黒省石の輝きを持つ大きな瞳と、ふっくらしたあどけないラインが目を見張るほど美しい。
国王がこの若い王妃を溺愛していることは、一目瞭然であった。
王は目尻をだらしなく下げ、王妃の肩を抱いて自分の隣に座らせた。
「こら、礼をせんか! ダリマナ王妃殿下であらせられるぞ!」
慌ててギリオンとユナイの頭を押さえつけるウルムダに、
「やめて! 顔を見たくて来てるのに、頭を下げたら見られないじゃないの」
王妃がカンの強い声でモンクを言った。
「は、ははッ、申し訳ございません!」
商人が飛び上がって二人の顔を引き上げた。
ギリオンは眉を上げて、王妃の姿を冷静に観察した。
紅色の薄絹に包まれた、細身だが官能的な体躯。
これ見よがしにはだけた胸から覗く、ふたつの隆起。
そして、手。
高価な指輪がはめられた指から、薄絹の先が羽衣のようにドレスにつながっている。
見覚えのある衣装であった。
先ほど廊下の隅の部屋から、若い兵士を手招いた女の手に、同じ薄絹が絡まっていたのを覚えていたのである。
ギリオンとユナイは、そっと顔を見合わせた。
王妃もまた、ギリオンの顔立ちに見とれていた。
あらわな胸をわざと見せるように前にのめり、その口からあからさまなため息を漏らした。
「美しい男」
言葉と一緒に、口に含んだ香玉の芳香がギリオンの鼻腔を刺激する。
しかし、次に吐かれた言葉は毒の匂いがした。
「それで、隣のちんちくりんな子供はなんなの?」
(ち、ちんちくりん!?)
愕然とするユナイの横顔を見て、ギリオンは吹き出しそうになった。
「ええと、こ、これは竜が憑依に使っております子供ということで‥‥」
ウルムダも口の端に浮かぶ笑いを決死の思いで消そうとしている。
「憑依なんてなんだっていいじゃないの。
竜使いが居るんだから、竜をコントロールして別の者に依らせればいいのよ。
だからその子はいらないわ。 持って帰って売価を半分にして頂戴」
まるでドレスを買い叩くように、王妃は剪定をした。