1、セイロデの鬼兵士
「この国の空は、なんでこんなに黄色いんだ?」
セイデロスの首都セイロデ上空に広がる、緑がかったクリーム色の雲を見上げて、ギリオン・エルヴァがぼやいた。
空が見慣れた青色をしていないと、背すじがざわざわして落ち着かない。
馬車というより荷車といった方がふさわしい設えの車は、後ろ半分を布製品の荷物に占領されており、ギリオンとユナイ少年は、座るというより尻をはめ込む形で、小さな空間に押し込まれていた。
そこに座れといわれた瞬間、彼らの頭に浮かんだのは、市場で売られている箱詰めの卵だった。 箱にすえられた上に周囲に詰め物をされて、身動きできなくなった卵だ。
それでも、腕につけた鎖は、長い手すりに絡められただけで多少の自由が利く。
明らかにルシャンダの待遇よりも改善しているので、あまり不平を垂れて印象を悪くするのはやめることにしたギリオンだった。
竜神だの竜使いだのと持ち上げられたところで、所詮彼らの身分は奴隷に過ぎないのである。
「この空は、砂の色なのさ。 砂漠が近いからな」
御者台に座ったウルムダが、髭面に玉のような汗を浮かべて返事をした。
その汗が、流れ落ちる暇もなく渇いて消えて行く。 空気が乾燥しているのだ。
「ここから南へ行くと、半日も行かねえうちに砂漠とぶつかるんだ。
おまけにこの季節は、風向きの加減で砂漠からの砂がモロに飛んで来るのさ。
知ってるか? このセイロデでは、『南の物干し』って言うと、役立たずの物を指すんだ。
家の南側に、洗濯物なんか干せやしねえからさ」
「フン、道理で口の中がジャリジャリする」
ギリオンは吐き捨てると、ターバンの裾を広げて顔の側面を覆った。 心なしか、目までチカチカするような気がする。
それでも街中に入ると、路上の活気で気分が明るくなった。
セイロデの街は、石と布とで出来ていた。
白い漆喰で固めたような、石組みの家壁。
レンガ並木が自慢のカラリアとは風情の違う風景だが、それはそれで味のある町並みだった。
しかしひとたび広場や空き地のような場所に出ると、薄汚れたテントが乱立し、所狭しと人が路上に座っているのに唖然とする。
「貧富の差が激しいのか」と、ギリオン。
「ああ、この都で家なんか構えてるのは、軍人さんばかりだよ。 あとの一般市民は、最低な生活をしてる。 いくさが長かったからな」
ウルムダがしみじみと答えた。
「いくさはいけねえな、畑がダメになる。
農民はいくさ場になった土地からは逃げ出すしかないんだから、長いいくさが終った後には荒地しか残らんね。 その荒地に戻って来た農民は、次の収穫まで何を食べたらいいんだね?
軍人さんはあっさりしたもんだ、いくさに勝ったら報酬が出る、敵の領地をぶんどって潤うし、負けた者はいなくなるし、遺族にはいくらかでも国から金が下りるだろ。
結果的に、広い畑を前にして、家族に死なれて食っていけなくなった連中が町に集まって来るんだ。 テントの布一枚頼ってな」
ギリオンは農民に生まれ、軍人の側に翻って生きて来た人間だ。 この現実を見ると胸の中は複雑で、テントに群がる人から、つい目を逸らしてしまいたくなった。
心を痛めながら行く手を睨みつけた彼の目の前に、天空を指してそそり立つ、立派な王城が現れた。
決して巨大な城ではないが、上品な白色の壁に施された金細工の豪華さが、遠目にも町を圧倒している。
「ほう、まだ政権交代から10年目と聞いたが、なかなかどうして手間隙を惜しんでおらんな」
ギリオンの声は、露骨な皮肉を含んでいた。
「正面だけはね。 裏っかわはまだ工事中の場所も多いんだ。
戦国武将なんて連中は、どういうわけか他人の使った城に入るのを嫌うもんでね。
前からあるものを利用してくれりゃ、金も手数もかかるまいと思うのは、庶民の浅知恵ってもんかねえ」
ウルムダの言葉も、ギリオンに負けず劣らずの皮肉だった。
城門の前で、ウルムダは荷馬車を止めた。
「手続きをしに行って来るから、ここでじっとしてろよ」
と、車を一旦離れかけたが、2,3歩歩いてからわざわざ引き返して来て忠告した。
「おい兄さん、念のため言っとくが、軍人にはあまり近づくなよ。
あいつら全員、ソッチのケがあるからな」
「なに?」
「この国の軍隊には、衆道の習慣があるんだ。
戦場暮らしが長いと、溜まっちまうからな。 お互いで慰め合うのさ。
兄さんもご同類なら分かるだろうが、女相手と違って遠慮がねえぶん、やるこたエゲツないからな。 揉め事起こすと厄介だから、目をつけられんよう注意してろよ」
「やれやれ」
ウルムダが城門前の詰め所まで手続きに行くのを見送って、ギリオンは息をついた。 隣で困惑顔をしているユナイ少年と、顔を見合わせる。
「うちの部隊にだって、衆道家はいるんだけどね」
「い、いるんですか! エルヴァ隊にもそういう方が」
「まあね。 現地の女性に襲い掛かるよりはましだと思って、見て見ぬフリをしているのさ。
家庭に持ち込むわけではなし、戦場限定ならば仕方のないことだ」
「その、ど、どなたのことでしょう?」
好奇心を隠せぬ様子で、少年が瞳を輝かせて聞く。
「プライバシーだから言わないよ」
あからさまにがっかりした様子の兵卒の少年の無邪気さを、ギリオンは嬉しく感じた。
この年端もいかぬ少年が一番に男色の餌食になるようでは、部隊は荒廃していると言わねばならぬところだった。
その時である。
3、4人の汚い格好をした子供が、馬車の後ろからスルスルと近寄って来た。
テント生活者の子供たちだろう。
彼らは荷車の覆い布を持ち上げ、中の荷物をつかみ取ると、てんでに走り出した。
「あ! おい! こら、やめろこの盗人!」
「誰か来て!! 泥棒だよう!」
ギリオンとユナイが叫んだ時には、犯人どもは脱兎の如く逃げ出している。
「おーい!盗られたぞ、おっさーん!」
詰所に向かって大声で叫ぶが、聞こえないのかウルムダは現れない。
追いかけようにも鎖でくくられていては、にっちもさっちもいかない。
彼らの叫び声を聞きつけたのは、別の男だった。
力強いひづめの音。
地響きと共に、通りの向こうから一騎の黒馬に乗った兵士が現れた。
大きくたくましい体を、いぶし銀の甲冑で覆っている。
かぶとの面窓は開いており、そこから覗く顔は、黒い口ひげと鷲鼻が特徴的な強面であった。
兵士は路地に駆け込もうとした子供の一人に追いつき、長槍を構えた。
「あッ! よ、止せ!」
叫ぶだけの暇もない。
白刃がひらめいて、子供は一撃で串刺しになった。
体を貫かれた勢いで、路地にひしめき立ったテントの中に、もんどりうって投げ出される。
悲鳴が上がり、路上に座り込んだ人々が恐慌を起こして逃げ惑った。
兵士は馬首を廻らせて、二人目の子供に追いついた。
その子はユナイと同じ年頃の男の子で、片足を引きずっていた。
すでに盗品を放り出し、泣きながら生垣の中に駆け込もうとしたところを、兵士に追いつかれた。
長槍は背後から少年の咽喉元を貫通した。
「やめろ! 殺すな、馬鹿野郎!」
ギリオンは夢中で叫び続けたが、無駄なことだった。
すでに腰が抜け、逃げる気力を失っていた3人目の女の子をあっさりと突き殺して、兵士は馬を下りた。 盗品を拾い集め、荷馬車に近づいてきたその男を、ギリオンは我知らず睨みつけていた。
「怖い顔だな。 何を睨んでおる?
取り返してやったのに、礼もなしか、ええ?」
鼻先で揶揄するように笑っって、兵士は毒を吐いた。
「害虫を退治してやっただけだろう」
「殺さなくても良かった。
礼を言うも何も、この荷物は私のものじゃない。
どちらかというと、我々も荷物の一部だからな」
「奴隷か」
兵士は剛毛の口ひげをひねり上げた。
ギリオンの鼻先まで顔を寄せて、相手の顔を眺め回した。
「こりゃあ別嬪のお嬢ちゃんだなあ。
主人はどこに行った? 俺が言い値で買って帰ろう」
「止せ。 高くつくぞ」
ギリオンが低い声で恫喝すると、兵士は笑い出した。
「顔に似合わず威勢がいいな、気に入った。
もう買い手が決まっているのか?
そいつの倍出すから、主に紹介しろよ!」
「触るな」
頬に触れそうになった兵士の指先を、ギリオンが首を振って弾き飛ばした。
「やめてください!
兵隊さんは国王陛下と張り合うおつもりですか」
ユナイ少年が、上官の後ろから助け舟を出した。
「オレたちはこれから、国王陛下とお会いするんです!」
兵士の表情がわずかに変わった。
「‥‥お前たちは、何者だ?」
「ひとつ予言をしてやろう」
兵士の質問は無視して、ギリオン・エルヴァは不敵な口調で告げた。
「あんたの馬は、この先近々、右目を失うぞ。
戦場に連れて行くなら、今のうちに他の馬を選びなおすんだな」
兵士はぎょっとしたように愛馬を振り仰ぎ、それからギリオンの顔を気味悪げに見直した。
「おかしなヤツだ。 ちょっとイカれてるんじゃないのかね」
どうも気味悪く思ったらしい。
兵士は血にまみれた長槍を懐紙でぬぐうと、そのまま馬にまたがり、振り返り振り返りしながら立ち去って行った。
「あの人も絶対男色ですよね」
ユナイ少年が言った。
「想像させるな」
ギリオンは体を震わせて、背すじに走った悪寒を振り飛ばした。